Fri 210430 みんなが「藤」の漢字を書ける驚異/AI翻訳の驚異と今後の展開 4042回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 210430 みんなが「藤」の漢字を書ける驚異/AI翻訳の驚異と今後の展開 4042回

 思えば「藤」の花、20世紀までは「春と夏を分ける花」であって、桜が散り、八重桜も散り、5月の声を聞いて「ずいぶん元気なハチ君が増えたな」という頃に、長い長い花房が地面に届きそうなほど長くなる、そういう花であった。

 

 今井君は小学2年だか3年だか、初めて「24色のクレパス」というものを買ってもらい、その中に「ふじいろ」を発見して狂喜乱舞した。今井家はたいそう気難しくて「クレヨンはダメだ。クレパスでないと」というのが親の意見。秋田のあらゆる文房具屋で「クレパス」を探し回った。

 

 当時の今井君は甚だ見聞の範囲が狭くて、秋田県秋田市以外のことはほとんど知らなかったから、「ふじいろ」とは「富士色」のことと考え、富士山の絵を藤色に塗りたくって、しかもセンセに褒められた。

 

 見たこともない富士山を藤色に塗ったわけだが、思えばセンセだって富士山をナマで見たことがなかったのかもしれない。大昔の日本は、まだそういう世界。「富士山をナマで見たことがない」「ヒコーキどころか新幹線にも乗ったことがない」、そういうセンセだって珍しくなかった。

 

 だから諸君、今もなおワタクシは時々、「ふじいろ」の「ふじ」が藤なのか富士なのか、アタマが一瞬クラクラして、区別がつかなくなることがある。だって藤色の富士が4月5月の快晴の空に浮かぶ姿ほど、「日本ってホントにいいですね」と呟きたくなる光景はないじゃないか。

(4月中旬、東京・亀戸天神の藤の花が満開になっていた 1)

 

 しかもワタクシは、「藤」という漢字を見るたびに嬉しくなるのである。日本人で「藤」という漢字を書けないヒトは稀だろう。しかし、よく観察してくんろ。世界でこれほど複雑な文字は、滅多なことでは見つからない。

 

 アフリカの人、ロシアやイスラームの人、中南米の人、欧米人全般、世界中の誰に見せたって「こんな複雑な文字を国民の99%が正確に書けるなんて♨」と、日本人の教育レベルの高さにひっくり返るに違いない。だって諸君「藤」でござるよ、「藤」。いったいこりゃ、どういう構造の文字なんだ?

 

 佐藤・近藤・遠藤・斎藤・伊藤・江藤の皆さま、ホントにありがとう。藤原・藤井・藤山・藤川・藤田・藤谷の皆さまも、ホントにホントにありがとう。個人的には藤原鎌足・藤原不比等、その息子たちの冬嗣・武智麻呂・麻呂・宇合の諸君、子孫でいらっしゃる良房・基経・道長・頼長・頼通以下、目いっぱいの藤原一族に大感謝である。

 

 ただの「藤」だって、人財には事欠かない。20世紀中盤には、宇多田ヒカルどんのママ藤圭子、20世紀終盤は秋田から藤あや子、読者諸君は誰も知らないだろうが、静岡県藤枝市出身の演歌歌手「藤正樹」は、藤色の学生服で朗々と歌い上げ、大阪万博時代の日本中を熱狂させた。

(4月中旬、東京・亀戸天神の藤の花が満開になっていた 2)

 

 これほど藤が大流行してくれたおかげで、日本人の99%が平気で「藤」、こんな複雑怪奇な文字を平気で書きまくって、「何の不思議があるんですか?」と肩をすくめてみせるのである。日本人、恐るべし。頓挫した4技能なんか、もうあんまりこだわらなくていい。ひたすら母語 → 日本語を深く深く学ぼうじゃないか。

 

 いまやAI翻訳は、一瞬にして英語と日本語を往復する。スーパー♡先進的な企業では、とうとう「日本人社員がビジネスで英語を使うことを禁止」、逆に「英米人がビジネスで日本語を使うことも禁止」、瞬間的なAIによる音声翻訳に100%お任せして、英語帝国主義を完全に排除し始めた。

(4月中旬、東京・亀戸天神の藤の花が満開になっていた 3)

 

 日本人が、マスターしきれていない英語で「S」だの「W」だの、そういう無理をしようとするから、ビジネス上で取り返しのつかないコミュニケーションの齟齬が発生する。英米人の日本語でも、もちろん同じことだ。

 

 いったん発生したビジネスの齟齬を、後から解決するのは大きな損失を伴う。トラブルを解決する手間の大きさを考えれば、言語間の往復をAI音声に依存するのはマコトに効率的だ。

 

 齟齬はほとんど発生しないし、万が一トラブルになっても、直線的&論理的にAI翻訳を分析すれば、トラブルの発生箇所を特定することはカンタンだ。

 

 互いに母語で話し、母語で書いて、瞬間的なAIの翻訳に任せれば、言語による交渉の有利不利は全く生じない。見栄を張っている必要なんかないはずだ。ビジネスでそうなら、観光ならなおさら。ウェアラブルなAI機器があれば、瞬時にコミュニケーションがとれるようになる。

(亀戸天神にも、京都の北野天満宮に負けず劣らず賢げなウシ君がいる)

 

 ホンの5年か10年前なら、「社内共通語を全て英語にします」という発言はマコトに先進的に見えた。「社内では日本人もみんな英語です」「Hello, everyone」、そういうのがエラくかっこよく見え、憧れと喝采を生んだものだ。

 

 しかしどうやら諸君、あと数年、遅くとも十数年が経過すれば、「何てバカバカしいことやってたんだ?」「サイテーだったな」「カッコわりー」「噴飯もの」、そういう評価の対象になりそうだ。

 

 そんなことより諸君、もっとひたすら国語&国語。国語をもっと学ぼうじゃないか。国民99%が何の不思議もなく「藤」の漢字を書いて涼しい顔をしている、国民の本来あるべき姿を取り戻そうじゃないか。

 

 ついでに諸君、数学&数学、物理&物理、化学&化学。おそらく十数年後、必要とされる英語力のほとんどは読解力に集約される。というか、若い諸君の大嫌いな「一般教養」「リベラルアーツ」のカテゴリーに、英語は分類され、あるいは追いやられている。

 

 一般教養の英語とは、英語の語彙と文法を理解し、そのことによって英米人の思考プロセスに触れる。19世紀や20世紀の英米の古典に原語で接することで、むかしむかしの英米文化の真髄を理解する。つまり、かつてのラテン語や古代ギリシャ語、近代のフランス語・ドイツ語・ロシア語と、それほど差異のない立ち位置になるに違いない。

 

 つまりAIの世界は、まもなく語学の教師から職を奪う黒船になる。特に諸君、理科系文書や哲学&文学の読解と無関係で仕事をしていた「ペラペラ系」のセンセたちは、十数年後には職探しで苦労していらっしゃるんじゃないか。そんなふうに思えるのである。

(4月中旬、東京・亀戸天神の藤の花が満開になっていた 4)

 

 本日の写真は、4月中旬、東京・亀戸天神の藤の花。むかしの見頃は5月初旬、連休前半の定番が藤の花だったが、今や4月15日を過ぎた藤の花は、とっくに色褪せ始めている。

 

「花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに」。昔は小野小町、今は藤の花。20世紀終盤にはフランス語とドイツ語のセンセ。21世紀中盤には、おそらく英会話系の英語教育。花の色とは、マコトに褪せやすいもの。AI全盛の時代にはなおさらのようである。

 

1E(Cd) IncognitoNO TIME LIKE THE FUTURE

2E(Cd) IncognitoPOSITIVITY

3E(Cd) Ono RisaBOSSA CARIOCA

4E(Cd) 村治佳織・山下一史&新日本フィル:アランフェス交響曲

7D(DMv) HUNTING EMMA

10D(DMv) ABSOLUTION

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