Wed 210428 京&大坂の近世史/文楽を観に行きたまえ/吉田簑助、引退 4040回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 210428 京&大坂の近世史/文楽を観に行きたまえ/吉田簑助、引退 4040回

 高校生用の日本史の教科書は、江戸時代の京都&大坂について、ほぼ完全に無視するという傾向がある。

 

 飛鳥時代から安土桃山までは、要するに関西の歴史だけに集中するくせに、1615年に大坂のお城が燃えちゃってからは、ホントにまるまる無視であって、次に関西が登場するのは大塩平八郎の乱。200年以上ポッカリ「関西はどんな様子だったか」の記録が抜けて、しかも先生も高校生たちも何とも思わない。

 

 もちろんほんの少しの例外はある。井原西鶴と近松門左衛門の活躍と、河村瑞軒の西廻り航路とか、菱垣廻船&樽廻船の活躍とか、大坂堂島の札差に米問屋、「天下の台所と呼ばれました」、あとはせいぜい緒方洪庵の「適塾」。200年ぶん合計して20行にも満たない間に合わせの記述で、京&大坂はマコトにぞんざいに扱われるだけである。

 

 その埋め合わせというか何というか、京&大坂の歴史探訪は修学旅行にオマカセになっていた。しかし21世紀の修学旅行は、ほぼ関西をスルー。一時は広島・長崎・沖縄に集中したと思ったら、韓国だ中国だセブ島だ、オーストラリアだカナダだ、そういうことになって、京&大坂の近世史なんか、誰も見向きもしなくなった。

(2021年、文楽の吉田簑助が87歳で引退を発表。写真は昭和54年2月東京公演パンフレットより「神崎揚屋の段」。このメヂカラが今日のテーマだ)

 

 というか、昭和の修学旅行でも、「京&大坂の近世史」となると、ほぼパーフェクトに無視。話は平安時代から室町時代ちょいまでにとどまって、応仁の乱から信長&秀吉&家康のお三方の話でオシマイ。1615年に大坂のお城が燃えちゃってから先の話に、日本の若者が関心を持つチャンスは皆無と言っていい。

 

 今井君は、それが不満なのである。どこの国でも、その国の第2の都市の活力は重要。第2の都市が注目され活躍している国は、どこでも必ずエネルギッシュなのだ。シドニーにはメルボルン。サンパウロにはリオデジャネイロ。デリーにはムンバイ、NYにはLA、ローマにはミラノ。日本人は、大坂の近世史にもっと愛情を注ぐべきである。

 

 4月上旬の今井君が「まっちゃまち」から始め(スミマセン、昨日の続きです)近松門左衛門の墓参り → 愛染かつら  → 生國魂神社 → 浄瑠璃神社と回って大阪日本橋の国立文楽劇場まで2時間、夏のような日差しに大汗をかきながら散策したのも、そういう近世♡大坂への愛が理由である。

(国立文楽劇場では、NHKの協力も得て「コロナ感染対策ビデオ」を浄瑠璃形式で作成。休憩時間のホールで上映している 1)

 

 コロナ後に向かって来年&再来年の修学旅行のプランを練っている諸君、諸君が高校生であろうが、高校のセンセたちであろうが、是非このルートでの散策をオススメする。もう少し足を伸ばして四天王寺を目指せば、「大きなお寺も見たね」という満足感も追加できる。

 

 そして最終的には、国立文楽劇場を目指したまえ。人形浄瑠璃を何か1本、広い客席の後ろの方に陣取って2時間程度エンジョイできれば、大坂の近世に対する関心が大きく広がるはずだ。

(国立文楽劇場では、NHKの協力も得て「コロナ感染対策ビデオ」を浄瑠璃形式で作成。休憩時間のホールで上映している 2)

 

 別に、スーパー名作である必要はないのだ。近松門左衛門「心中天網島」「冥途の飛脚」「曽根崎心中」の3本は、教育上あんまりよろしくない。というか、とにかく大人の男の幼稚さ加減が目立ちすぎて情けない。

 

 ワタクシが今回選択した「国性爺合戦」とか、「あらわれいでたるタケチ光秀」で有名な「尼ケ崎の段」とか、「摂州合邦辻」とか、一度見ただけでみんな文楽ファンになっちゃう演目はナンボでもある。

 

 諸君、浄瑠璃の世界では「アケチ」ではなくて「タケチ光秀」。京都で立ち寄ったお店でご主人と明智光秀の話に花が咲き、ご主人が「ヒデミツ」「ヒデミツ」と10回近く連呼するのを聞いて「ははーん、ミツヒデね♡」と理解したが、いったん夢中で「ヒデミツ」と言ってしまうと、ミツヒデかヒデミツかなんか、もうどうでもいいのである。

 

「国性爺」なら、虎のヌイグルミに人間1人が入って舞台を縦横無尽に大活躍するし、「本朝廿四孝」ならクライマックス「奥庭狐火の段」で、たくさんのキツネさんたちが暗闇を乱舞する。高校生諸君ばかりか、引率のセンセたちまで歓声をあげずにはいられない。それをスルーして、なぜ平気なんだ?

 

 あるいは大学入試の記述論述式問題を作成する教授の皆さま。日本史または国語の問題で、まずは文楽の一場面を、スクリーンで受験生全員に見てもらう。その上で、例えば

「近世の大坂でこのような演劇が全盛を迎えたのは何故か、300字程度で書け」

「近世大坂の豊かで華やかな文化を、21世紀に再生させる方法を考え、600字以内で論述せよ」

なんてのはどうだ? 

 

 いわゆる「論理的思考力」とか、いや、もっと進歩的&先鋭的な「創造的思考力」「クリエイティブな発想力」まで試せるんじゃないか。というか、「試す」どころか「受験勉強を通じて思考力と創造力と発想力を鍛える」という、まさに理想の大学入試に近づけるんじゃないか。

(国立文楽劇場では、NHKの協力も得て「コロナ感染対策ビデオ」を浄瑠璃形式で作成。休憩時間のホールで上映している 3)

 

 それほどの可能性を秘めているのに、政治家の一部には「文楽への補助金なんか打ち切っちゃっていいんじゃないか」と発言するヒトも存在する。「もっと他にオカネの使い道があるんじゃないでしょうか?」というわけである。

 

 諸君、高校生も高校のセンセも大学入試の出題者も、近世大坂の豊かさ&華やかさを実感するためにも、ぜひ国立文楽劇場に通いつめてほしい。2021年4月の文楽劇場を見る限り、大坂を300年、浄瑠璃と三味線と人形で華やかに彩った文楽は、どうも風前のトモシビの様相なのだ。

(昭和54年2月東京公演パンフレットより。左が先代・吉田玉男、右が吉田簑助。このメヂカラに圧倒されて文楽ファンになった)

 

 今回、「まん防」と「緊急事態宣言」直前の4月上旬に「どうしても観なければならない演劇なのだ」と意地を張って大阪に宿泊したのは、実は以上のような思いがあったからである。

 

 21世紀に入って20年、長く文楽を支えてきた素晴らしい演者たちが次々と引退、あるいは天国に旅立った。ワタクシの文楽歴はすでに40年以上だから、20世紀のうちに竹本津大夫と竹本越路大夫の引退を目撃している(20世紀までは「太夫」ではなく「大夫」と書いた)。

 

 その後も竹本住大夫・吉田玉男(先代)・竹本源太夫・豊竹嶋太夫・吉田文雀、人間国宝クラスの名人達が次々と舞台を去った。そして今回、人形の吉田簑助が引退することになった。

(これも昭和54年2月東京公演パンフレットより。左が先代・吉田玉男、右が吉田簑助)

 

 吉田簑助の引退は、ワタクシが彼の舞台を最後に観た4月8日の段階では、まだ発表されていなかった。発表になったのは、大阪から東京に帰って数日後のこと。確かに4月8日の「国性爺」でも、動きのほとんどない場面しか登場できなかった。

 

 しかし諸君、ワタクシは40年も昔の東京国立劇場で、まさに「男ざかり」の吉田簑助を目撃した。若い女性ファンから当時の用語で「黄色い声援」さえ飛びかねないカッケー人形遣いだった。

 

 引退発表のニュースに出ていた年齢は「87」。男ざかりの頃の目線というか視線というか、先代・吉田玉男に一歩たりとも引けを取らない攻撃的な目力に、唖然&呆然としたものである。思えば、若き今井君がこんなに長く文楽を愛してきたのも、簑助のメヂカラに圧倒されたからなのかもしれない。

(東京国立劇場の文楽パンフレット。左から、昭和54年2月、昭和53年12月、昭和53年8月。ファン垂涎のパンフレットが40年分、合計160冊。今井君の書斎は今やワンダーランドと化している)

 

 終演後、いつもなら「さあ思い切り飲みに行こう」「思うぞんぶん文楽とラグビーを語ろう」と、太古の昔からの友人とともに難波や鶴橋や玉造の馴染みの店に向かうのであるが、もちろん今回はお酒を断念して「では次は、11月公演でな」と、寂しく半年後を誓った。

 

 今も今井君は心配でならない。竹本織太夫・豊竹呂勢太夫・桐竹勘十郎など、今や絶好調の演者も多いけれども、それなりにお年をめされた人だって少なくない。「次は誰が引退することになっちゃうかな」という不安もなくならないのだ。若い諸君、1人でも多く、人形浄瑠璃・文楽に熱い関心を寄せてほしいのである。

 

1E(Cd) Kirk WhalumIN THIS LIFE

2E(Cd) Kirk WhalumCACHÉ

3E(Cd) Kirk WhalumCOLORS

4E(Cd) Kirk WhalumFOR YOU

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