Fri 210423 花は盛りに/浅茅が宿で遠き雲井を思ふ(ウィーン滞在記10)4035回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 210423 花は盛りに/浅茅が宿で遠き雲井を思ふ(ウィーン滞在記10)4035回

 ついこの間「吉田兼好という人は、書くことがどうもお説教くさくて、いくつになってもイタズラ大好きなワタクシはあまり好きになれない」と書いた。しかし考えてみれば彼は「兼好法師」、要するに一種のお坊さんなんだから、お説教くさいのは当たり前だ。

 

「酒類提供の禁止」という厳しい情報が飛び交った1日、ワタクシはお仕事が休みであるから、薄暗い半地下の書斎でションボリ引きこもって過ごした。どうやらこれから少なくとも半月は、銀座でも恵比寿でも西麻布でも、ランチにお酒は禁止、ディナーなんかそのものが禁止、そういう日々になりそうなのだ。

 

 こういう時には、お説教くさい人のお説教くさいエッセイなんかも、ググッと身にしみやすくなる。「徒然草」の137段を開くと、諸君、お説教くさいお坊さまは、マコトに偉そうに次のように説いている。ごく一部、ワタクシが書き換えているが、まあ諸君、じっくりと読んでくれたまえ。

     (2019年12月23日夜、ウィーン風景 1)

 

「花は盛りに、月はくまなきをのみ、見るものかは。雨に対ひて月を恋ひ、垂れこめて春の行くえ知らぬも、なほ、あはれに情深し。咲きぬべきほどの梢、散りしおれたる庭などこそ見どころ多けれ」

 

 いやはや&イヤハヤ、何しろお説教だから、ホントにホントにお説教くさい。うんざりだ。「サクラは満開の時にばかり見るものじゃないし、月は満月の時ばかり見るものじゃないだろ。雨降りの夜に、月を恋しく思うのもいいじゃないか。散って萎れた庭こそ情緒が深いじゃないか」。うひゃ、小難しい御仁でござるよ。

 

 ワタクシは、サクラは七分咲きがいい。八分咲きでも、まあいい。21世紀のソメイヨシノはピンクが薄すぎて、満開になるとモワッと白っぽく色が冷めてくるのと、「そろそろ春も終わりだな」と寂しくションボリするのと、その辺がキライなのである。

     (2019年12月23日夜、ウィーン風景 2)

 

 しかし諸君、「月」に関しては、お坊さまと同意見かもしれない。快晴の夜の満月は、要するに赤みがかった丸い光の点がボンと浮かんでいるだけで、情緒が薄いじゃないか。花瓶のススキ、お団子の山、月のうさぎ、そういうもので変化をつけても、うーん、やっぱり変化が少なすぎる。

 

 むしろ夜空に叢雲が走って、月が絶え間なく見え隠れ、翌日の荒天をハラハラ予感したりするほうが楽しい。叢雲と書いて「むらくも」、「村雲」でも「群雲」でもOK。鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分かな。蕪村どんぐらいの緊張感も悪くない。

 

 137段は、さらに以下のように続く。男女の情の話に展開していく。

「よろずのことも、初め&終わりこそ、をかしけれ。男女の情も、ひとへに逢ひみるをば、言ふものかは。逢はで止みにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を独り明かし、遠き雲井を思ひやり、浅茅が宿に昔を偲ぶこそ、色好むとは言はめ」

 

 というわけで諸君、模範的な係り結びも決まった。係助詞「こそ」プラス已然形。蛍の光「今こそ別れめ」にも負けない、ものの見事にキレイ、まさにお手本の係り結びじゃないか。

 

 そこで話はそのまま、お酒や会食の話に展開してもおかしくないわけだ。お酒の付きあいも、ただみんなで集まってグビグビ&ワイワイやることを言うのではない。会わず、集まらず、一人しんみりこそ、情が深い。もちろん路上で騒いでご近所に迷惑をかけるなんてのは、真にお酒を楽しむのとは違うのである。

     (2019年12月23日夜、ウィーン風景 3)

 

 ホンの半月、またはホンの1ヶ月だ。ワタクシは誰とも会食できない憂さを思い、長き夜を一人で明かし、はるかな場所の思い出にふけり、薄暗い半地下の書斎にこもり昔の旅を思って過ごそうと考える。

 

 何しろ長い人生だ。しみじみふりかえれば、何より楽しいお酒のツマミになる。4035回も書いてきたこのブログのどこを開いても、お酒の友にはもってこいだ。濃厚&濃密な味わいは、居酒屋のあん肝や、スッポンの雑炊に勝るとも劣ることはない。

 

 2013年から2019年。その辺りの記事が、おそらく一番アブラが乗っている。超満員&大喝采の公開授業の記事もたっぷり。「遠き雲井」こと世界の旅の話も最も充実していて、ポルトガル・ギリシャ・トルコ・オランダ・モロッコ・ノルウェー、まさに向かうところ敵なしの状況だ。

 

 もちろん、過去のブログも開かず、書物のページも開かず、BGMさえ聞かずに、ごくごくしんみり静かに過去を思うのも悪くない。濃厚な味のツマミではなくて、例えば浅く漬けたお新香を小皿に盛り、それで1時間はお酒が飲める。そういう世界もいい。まさにお坊さまの言う「浅茅が宿」を満喫するわけだ。

     (2019年12月23日夜、ウィーン風景 4)

 

「来し方」を思ってお酒を楽しむのに飽きてしまったら、「行く末」に転じることもできる。こちらは材料が整っていないから、若干の困難を伴う。特にワタクシみたいな年齢に達すると、「未来」「将来」「行く末」ということになると、そんなに長大で明るい前途洋々とした未来を描くことはできない。

 

「あれもムリ」「これももうムリ」と、夢とか未来とか計画を、1つずつ無残に断捨離していくわけであるが、断捨離しながらのお酒となると、どうしても暗澹とせざるを得ない。さすがの今井君も「暗澹としたお酒」というのはまだ慣れていない。修行が足りないのである。すると「この1ヶ月を修行の場にする」というアイディアも浮かんでくる。

 

 まあ諸君、以上のようなことを書きつつ、すでに1時間が経過した。1時間これを書きながら、ウィスキーをロックで3杯。ワイワイ&ガヤガヤの許されない日々が続くとなると、ワタクシの夜と昼はこういう過ごし方が多くなりそうだ。

     (2019年12月23日夜、ウィーン風景 5)

 

 本日の写真は、20191223日夜、一昨年のクリスマスイブイブのウィーンである。シュテファン寺院の裏町の有名店で、たっぷりのビアとたっぷりの赤ワインを飲みほし、大いに気分が高揚していた。

 

 コロナ騒ぎの始まる1ヶ月前の夜、ウィーンの繁華街には世界中の人が集い、それぞれちょうどよくお酒に酔っ払って、明るく挨拶を交わしていた。どこもかしこもみんな「密」。ウィーン中が3密で、この夜のこの時間帯、パリもミラノもロンドンも、リスボンもマドリードもブダペストも、世界中どこの街でも3密をこそ満喫していたのだった。

 

 次にクリスマスイブイブの3密を満喫できるのは、いったいいつになるだろう。3年後? 5年後? ワタクシはそれこそ「遠き雲井」を「浅茅が宿」で思って熱い涙を流し、それをツマミにまたロックを1杯。「また秋のリスボンに行きたいな」「春のアムステルダムを歩きたいな」と呟くうちに、日付はとっくにかわっていた。

 

1E(Rc) Collegium AureumHAYDNSYMPHONY No.94 & 103 

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3E(Rc) Walter & ColumbiaHAYDNSYMPHONY No.88 & 100

4E(Rc) Solti & ChicagoR.STRAUSSDON JUAN  ALSO SPRACH ZARATHUSTRATILL EULENSPIEGEL’S MERRY PRANKS

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