Mon 210419 大学町に憧れる/18歳の人生設計/グラーツ(ウィーン滞在記7)4032回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 210419 大学町に憧れる/18歳の人生設計/グラーツ(ウィーン滞在記7)4032回

 こんな年齢になっても、なお断ち切れないのが大学町への憧れである。

 

 学部生と大学院生と教授連が町のエネルギーの源になっていて、小さな町の人口の1/5なり1/4なりが大学関係者。最近は「学園都市」とか「研究学園都市」とか、呼称はどんどんオシャレになってきたが、ワタクシの中ではやっぱり「大学町」である。

 

 18歳になった時、若き今井君は「大学町で静かに一生を過ごしたいな」と憧れた。しかも当時の今井君はマコトに気難しかったので、同じ年齢の学部生たちに囲まれて過ごすのは何となくメンドくさかった。

 

 出来れば、周囲の学部生は年下がいい。5歳か10歳ぐらい先輩として、それなりの敬意を受けながら生活したい。18歳の青年として立てた計画は、以下の通りである。

 

 まずは、とっとと学部を1つ卒業してしまう。とりあえず入学した学部は政治学科だったから、とにかくまず政治学科を卒業して、ついでにその間にたっぷりオカネを貯め込んじゃう。学部時代を授業よりも塾講師のアルバイトに励んだのは、そのためである。

 

 その貯金を元手に、あとは親の援助を一切受けず、自分のオカネで別の大学の別の学部に再入学する。もちろん大都会からは隔絶した大学町にある静かな大学である。

  (大学の町グラーツ。こんな古風なトラムが走っている)

 

 そこで専攻するのは、哲学史・文学史・宗教史など。政治学史でも教育史でも経済思想史でもいい。何でそんなに「史」が好みなのか、その辺はあんまり書かない方がいいかもしれないが、要するに「オリジナリティを強要されそうにない」というのが当時の気分であった。

 

 20世紀の終盤から、大学も大学院も学生に無理やりオリジナリティを求めるようになった。どんな分野を専攻しても、優先されるのはオリジナリティ。基礎基本の古典を読みふけって読書に集中していたくても、データ収集やらインタビューサーベイやら統計分析やらに時間を取られ、基礎の古典に集中できる環境はなさそうだった。

 

 ついこの間、「勉強は大好きだけれども、研究はキライです」と正直に告白する人に出会ったが、おお、それこそまさに至言であって、若き今井君もその通り。古典を読みふけるのは大好き、しかしデータ集めやら統計分析やら、無理にオリジナリティの雰囲気を醸成するのはニガテ。というか、どうもニセモノ臭が漂って自己嫌悪に陥るのである。

 

 すると、静かな大学町で古典研究に没頭できそうなのは、「史」の世界。「そんなことやって、何の役に立つの?」と周囲の人々に揶揄されたり、ニヤニヤ首を傾げられたり、そういう分野でなければ、静かな大学町にこもることは自分には出来そうになかった。

(グラーツ「シュロスベルグ」からの絶景。赤い屋根は北イタリアの湖水地方を思わせる)

 

 だから18歳から22歳まで、塾講師のバイトでシコタマ貯金を積み重ねたい。しかもその間に、書いた原稿がある程度のオカネで売れるようにしておきたい。それ以前の今井君はいろんなコンクール系でそれなりの実績も積み上げていたから、学部生のうちに「原稿が売れる立場」を確立するのは容易に思われた。

 

 そうやって、25歳ぐらいで静かな大学町の大学生活に帰りたい。遅くても30歳までにはそうしたい。5歳か10歳年下のマジメな学部生や大学院生に囲まれて、静かに専攻分野の古典を読みふける一生を過ごしたい。

 

 18歳の今井君の将来設計はそういうものであり、だから18歳の同級生たちに、「オレはすぐに作家になる」「原稿料で生きていくつもりだ」と宣言した。一流企業に就職するとか、国家公務員上級やら司法試験やらにチャレンジするとか、その類いの計画は一切ないと、思い切り真顔で言い放った。

 

 しかも、30歳から先の計画は何もなかったのである。基礎基本の古典を静かに読みふけり、そうするうちに40歳をすぎ、50歳をすぎ、そのうち視力も弱くなって古典の小さな活字が追えなくなったら、大学町の学部生や院生を相手にビールとウィスキーの店でもやればいいと考えていた。

 

 カクテルはいろいろ難しいから、ウィスキーやジンやウォッカのストレートしか出さない。フードも、ナッツ類だけとする。お客は、大学町の静かな読書人だけでいい。黙って濃厚な蒸留酒を1ショット飲んで、何だか楽しそうに歌いながら帰っていく静かな人々だけでいい。

   (グラーツの町を貫いて流れるムーア川の清流)

 

 その計画がどう狂ったかは、長くなりすぎるから今は黙っていた方がいいかもしれない。18歳から22歳までの塾講師バイトは思い通りにうまくいって、学部生時代はオカネに苦労することはなかった。ただしその大半を芝居やらライブやらで浪費してしまった。

 

「原稿料で生きていく」という計画も頓挫。18歳まではマコトに鋭利な才気煥発だったが、才気煥発とは要するに「器用貧乏」のことであって、入賞とか入選のグループには入れても、優勝や金メダルの対象にはならなかった。その程度では、「原稿料で生きていく」なんてのは夢のまた夢なのである。

 

 仕方がないから、超一流企業に就職した。すると「静かな大学町で基礎基本の古典を読みふける」などというノンキな世界とは完全に無縁だから、短気な今井は腹を立ててすぐに退職した。

 

 するとやっぱりオカネが足りなくなるから、手っ取りばやくオカネを稼いじゃおうと、河合塾と駿台で奮闘した。獅子奮迅の活躍はすぐに応えられ、教室はどこも超満員、200人とか300人の生徒諸君が大爆笑&大喝采で迎えてくれた。

 

 やがて代ゼミの四天王になり、東進にも超厚遇で迎えられ、気がつくととても「大学町で静かに古典を」というガラでも年齢でもなくなった。せいぜいでビールとウィスキーの店のオヤジに落ち着くぐらいが関の山だが、いやはや、まだまだ今井君には、予備校の世界でやらなければならない仕事が山積みになっている。

   (グラーツ「シュロスベルグ」、13世紀の時計台)

 

 久しぶりのオーストリアで、2日目にいきなりグラーツを訪ねたのは、グラーツがオーストリア最大の大学町だからである。人口25万人、うち大学学部生が4万人。院生やら教授連やら関係者を数えると、人口の1/4が大学を中心にした生活を営んでいる。

 

 スペインなら、サラマンカ。ドイツなら、ハイデルベルグ。オランダなら、グロニンゲン。もちろんオックスフォードもケンブリッジもスタンフォードも、その種の大学町を形成している。フランスの場合は全土に音楽関係の大学町が点在している。

 

 すっかり老いて干からびて、無害で清潔なオジーチャンになった暁には、ワタクシもこういう町でウィスキー♡ジーサンをやってみたいのである。

 

「残念じゃが、フードはナッツしかありませんよ」と、そんな意地悪を言う割には、哲学やら文学やら宗教やらの古典には異様に通じている。客は、誰も敵わない。教授でさえもたじろぐほど、というか、要するにかなわない。そういう恐るべきジーチャンである。

 

 グラーツ中央駅から、目の前に小高い丘が見える。丘の名が「シュロスベルグ」、「城の丘」、そのものズバリの命名であるが、ここに13世紀に建てられた時計塔がある。文字盤の直径が5メートル、その巨大な文字盤の、短針が分を示し、長針が時間を示している。

 

 要するに長針と短針の役割が普通の時計と正反対になっているのであるが、作られた当時の13世紀には、正確に分まで指し示す針は不要。大まかに時間さえ分かれば事足りた。だから分を示す短針は後から付け加えられたものである。

 

 シュロスベルグへは、300段に近い階段を登るか、エレベーターで一気に登るか。いやはや、基礎基本を重視する今井君は、もちろんエレベーターで一気に登頂を試みた。

 

 だって諸君、山道の階段を選択したドイツ語圏のたくましい皆様は、みんな青息吐息。青息吐息じゃ、哲学書も宗教書も読みふけることはとても出来ないじゃないか。

 

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