Sat 210417 駅の治安がグッと改善/男盛り/ウィーン中央駅(ウィーン滞在記5)4030回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sat 210417 駅の治安がグッと改善/男盛り/ウィーン中央駅(ウィーン滞在記5)4030回

 むかしむかしは日本だって、「大きな駅はコワい場所」という共通認識があった。昭和の中期まで、親は口を酸っぱくして子どもたちに「大きな駅に行ってはいけません」と言い聞かせ、夏休みが始まる前に担任のセンセが配るプリントには、「駅や盛り場には近づかないこと」という一節があった。

 

 ヨーロッパにアメリカ、中南米に北アフリカ、世界中を鉄道で闊歩するようになってすでに20年近くになるが、21世紀に入ってからの世界の鉄道事情は大きく安定化に傾斜した。「駅でコワい思いをする」という経験は劇的に減少したんじゃないだろうか。

(ウィーン中央駅にて。「レイルジェット」でグラーツに向かう)

 

 21世紀の初頭まで、大都市の駅はどこもかしこも身の毛のよだつ経験で溢れかえっていた。NYのグランドセントラル駅でも、ローマのテルミニ駅でも、いつでも身の危険を感じ、荷物を盗まれはしないか、財布やパスポートやクレジットカードを奪われはしないか、ピリピリ&ビクビク、油断なく視線をめぐらせた。

 

 ガイドブックなんかも「決して油断してはいけません」「私はこんな危険な目に遭いました」の類いの治安情報が満載だった。ポンビキ、ニセ両替商、それとグルになったニセ警官。警官そっくりの衣装で「パスポートとクレジットカードを見せなさい」。ダマされて全てを奪われ、ボーゼンと立ち尽くす。そういう話はいくらでもあった。

 

 2010年あたりまでは、欧米の大都市の中央駅でさえ、そんな被害の報告がナンボでもあった。マルセイユでもナポリでも、マドリードでもバルセロナでも、雰囲気はマコトにおどろおどろしく、薄暗い隅っこで怪しく談笑する男たちが視線に入っただけで、身の毛もよだつ思いがした。

(ウィーン中央駅。「カールポッパー通り」の名称に、哲学系の人は色めき立つんじゃないか)

 

 日本語に「男盛り」という表現があって、明治&大正、昭和初期の頃までは、30歳代後半ぐらいの男子を指したようである。しかし最近は男盛りもグッと高齢化して40歳代から50歳代に移り、下手をすれば70歳代で男盛りの人もいる。

 

 同時に何となく死語と化して、「何ですか? 男盛りって?」と真顔で質問されかねない。そもそも、「男もり」と読まれそうでコワい。「男もり」なんてのは、考えただけで汗臭い。諸君、是非とも正しく「男ざかり」と読んでくれたまえ。

 

「男盛り」でググってみても、画面には「杉良太郎 男盛り」と「橋幸夫 男盛り」ばかりが登場する。いやはや、杉良太郎&橋幸夫じゃ、昭和のカホリがプンプン&ムンムン、やっぱり死語として昭和のかなたに消えていきそうだ。

 

 しかし、朝日新聞ふうに言えば「でもちょっと待ってほしい」。まだ汗臭いだけの20歳代から30歳代の男子がギュッと経験を積み、やがて頼り甲斐のある力強い男性に成長したのが男盛りなのだ。そんなカッケー大人男子の存在を死語にしてしまってはならない。

 

 今や、40歳代後半からこそが「男盛り」のそのまたピーク。部下たちには無条件で頼られ、上司にも無条件で信頼され、どんな難題も笑顔で易々と解決してしまう。営業成績も過去の戦歴もカンペキ。仕事の腕はすでに周囲の伝説になって、「困ったことがあったら、あの人に相談しなさい」という評判の「あの人」こそ、男盛りなのである。

      (今が男盛りのつもりの里芋ダンナ)

 

 すると諸君、今やこの今井君こそ「男盛り」の頂点なんじゃないか♡ 男盛りともなれば、海外のどんな危険な駅を歩いていても、頼られ、狙われず、たとえ狙われても、一切の危険を危険とも感じずに笑顔で乗り越える♡

 

 もしも若干「男盛りらしくない点」と探すとすれば、その笑顔がニコニコというよりニヤニヤ、しかもちょっと引きつったニヤニヤ、弱気の虫を無理やり押さえつけたニタニタ、要するにヤセ我慢、ビクビクを押し殺した薄笑いである点だろう。要約すれば、やっぱり「珍道中」の一言である。

 

 この15年、いろんな危険をやり過ごしてきたし、様々な危険をニヤニヤ乗り越えてきた。ミラノ中央駅前では、「リアル羅生門」を目撃したばかり。酔いつぶれた路上生活者のポケットを探る悪漢を目撃し、しかも夜明け前の暗闇の中で彼と思い切り視線が合ったりしたが、マコトに無造作にその場面を乗り切った。

 

 ボローニャでは、明らかにスリのオバーチャンが追いかけてきた。ブダペストとブエノスアイレスでは、ニセ両替商に悩まされた。どこまで歩いても、背後から「カンビオ♡」「カンビオ♡」と妙な声をあげながら追跡してきた。

 

 マルセイユでもほぼ同じシチュエーションに悩まされたが、諸君、さすが「自称♡男盛り」の今井君だ。ニヤニヤ&ニタニタ逃げ切って、まだ世界中どこでも何の被害も受けたことがない。

   (いかにも安心&安全なウィーン中央駅の風景)

 

 むしろ「こっちの方がコワがられているんじゃないか」と感じたのが、イスタンブール中央駅・シルケジのシシカバブ店である。熱く焼けた鉄串に刺さったヒツジの肉を、一口で横に一気に貪ってみせた。

 

 日本の焼き鳥屋なら当然の行動を、3串 → 4串と続けざまにやってみせたら、トルコのオジサマがみんなビックリ、大喝采を送ってくれた。さすが日本の自称♡男盛り。普段はクマやイノシシやシカやトドを平気でワシワシやっている。ヒツジごときでたじろいだりはしないのである。

 

 ヨーロッパよりむしろ、モロッコのマラケシュ中央駅が、治安という面では最も優れていたようである、軍人さんやら警察官やらがそこいら中にズラリと立ち並び、しかも自動小銃を油断なく構えている。これなら悪党の入り込む余地はない。男盛りなんかじゃなくとも、夜道の一人歩きにそれほどの危険を感じないだろう。

(早朝の冷たい雨に濡れるクリスマスツリー。ウィーン中央駅前にて)

 

 しかしかく言うワタクシも、今から15年前にはまだ若かった。何しろ15年前だ、男盛りにはほど遠い、まだ幼稚園児か小学生並みの幼さだ♡ 当時のベルリン中央駅・ツォーロギッシャーガルテンでも、そしてウィーンでも、あまりに混沌とした駅の雰囲気に身の毛もよだつ思いで立ち尽くした。

 

 当時ドイツ語圏の駅は、東ヨーロッパ地域からの移民が最初に到着する場所だった。最終目的地は、ハンブルグなど北ドイツの町か、フランスないしイギリス。チャウシェスクやミロシェビッチの恐ろしい記憶から半マイルでも1マイルでも遠く遠ざかろうと、鉄道を西へ西へ、果てしなく乗り継いだ。

 

 ウィーンやベルリンには、ソビエト連邦衛星国家の残り香が溢れていた。東ベルリン中央駅「オスト駅」同様、ウィーンもまたブルガリア・ルーマニア・ハンガリー・スロバキア・旧ユーゴスラビアから西を目指す人々で溢れた。彼ら彼女らをターゲットに、ニセ両替商やらニセ警官やら、その種の人々がワラワラ集まるのも致し方なかった。

(8時58分発のレイルジェットでグラーツ中央駅に向かう)

 

 しかし今や、ベルリンとウィーンの中央駅はすっかり新しく生まれかわった。別に男盛りニタニタ君でなくても、もはや深夜や夜明け前のリアル羅生門状況を怖がる必要はない。おかしな暗がりにさえ近づかなければ、ハム&チーズの硬いサンドイッチにコーヒーの朝ゴハンを満喫しながら、目的の列車を待つことができる。

 

 1223日、今井君が目指したのはオーストリア南部の町グラーツ。人口25万、オーストリア第2の都市である。人口25万で第2位という事実に驚くが、まあ諸君、次回は「峠」について論じたい。これからワタクシは「ゼメリング峠」という有名な峠を超えて旅するのである。

 

1E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & LondonMOZARTLE NOZZE DI FIGARO 2/3

2E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & LondonMOZARTLE NOZZE DI FIGARO 3/3

3E(Cd) Solti & ViennaWAGNERDAS RHEINGOLD 1/2

4E(Cd) Solti & ViennaWAGNERDAS RHEINGOLD 2/2

7D(DMv) PARTIR

10D(DMv) BLOOD IN THE WATER

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