Sun 210328 照ノ富士♡復活/20年前の激しい貧血/うなぎ「にょろ助」(4014回) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 210328 照ノ富士♡復活/20年前の激しい貧血/うなぎ「にょろ助」(4014回)

 何を隠そう、今日は1日中ずっとお相撲を見て、照ノ富士の復活劇を熱く熱く見守っていた。というか、何を隠そうこの15日、春場所の初日から延々と半月間、来る日も来る日も「照ノ富士、どうなった?」と、そればかりが気がかりで、朝飯も昼飯も食べる気にならなかった。

 

 もっと言えば、この2年ずっと同じような気持ちが続き、「モト大関が序二段まで落ちて、今日から復活への道をたどる」と、朝日新聞の小さな小さなベタ記事を眺めて以来、何が何でも復活を実現してほしいと願い、2ヶ月に1回のお相撲が開催されるたびに、ひたすら照ノ富士情報ばかり探す日々だった。

Wed 160427 模試にメゲない 模試は強いが本番に弱い 世界遺産に宿泊(ボルドー春紀行9)

 

 どんな世界でも、ひとたびヒール役が回ってくれば、そこからの復活ほど困難な日々はない。4年前、病気と怪我が顕在化する照ノ富士はヒール中のヒールであって、下り坂を迎えた日本人横綱や日本人大関を強引な取り口で引きずり下ろしては、激しい罵声の対象になっていた。

 

 日本人のヒーロー力士に対する変化技&引き技の連続に、強引なきめ出しや小手投げが続けば、罵声はどんどん大きくなる。モンゴルからやってきた25歳の青年に、マスコミからも遠慮会釈のない非難の嵐が続いた。しかも内臓や足腰に重病を抱え、病の影響は背中や腹の皮膚にも顕在化していた。

(銀座のうなぎ屋「にょろすけ」、やぶれかぶれの貼り紙。銀座にしては、ちょっとやぶれかぶれすぎないか?)

 

 諸君、「大関が序二段まで陥落する」とは、要するに「ヤメたほうがずっと楽」ということである。NHK紅白に出場したアイドルが、地方都市のガラガラのスナックでCDを手売りするみたいなもの。落選した大臣経験者が、小都市の一介の市議会議員選挙からリスタートするみたいなもの。忍耐の限界を遥かに超えている。

 

 ワタクシの業界に例えるなら、巨大予備校の花形コースを担当した超人気&超有名イケメン講師が、地方都市の弱小塾で個別指導から仕事を再開するみたいな話である。東大京大コースの花形が、下位&中堅私大の教材からシコシコ基礎研究を積み上げて、再び花形コースの4天王の座に返り咲く。いやはや、道のりは果てしなく見える。

(銀座「にょろすけ」の大盛りうな重。今夜の照ノ富士なら、こんなの5人前ぐらいペロリだろう)

 

 しかも余り強調されないのが、陥落の2年と、復活にかかった2年、合計4年の歳月である。諸君、考えて見たまえ。「4年」はあまりに長い。1400日を超えている。ちょうど2年前の3月、照ノ富士は序二段48枚目だった。病気は、C型肝炎・糖尿病・腎臓結石。もちろん、洋式便器に座れないほどの膝のケガもあった。

 

 当然のことながら、番付の急降下も強烈だ。「14連敗」などというのも加わって、大関からすぐに前頭10枚目  十両5枚目  十両8枚目  幕下6枚目  三段目27枚目  三段目88枚目  序二段48枚目。大関時代の最後の3月場所には「モンゴルへ帰れ」という悪質なヤジも飛んだ。

 

 健康で強いヒールなら、それでもニヤニヤ&ニタニタ、何とかごまかしごまかし耐えられるかもしれない。しかし彼の場合は、心も身体も何もかもズタズタ、30歳前の青年だ。いったいどうやって4年の歳月を耐えられたのか、心の弱い今井君なんかは、ほとんど奇跡としか思えないのである。

(銀座「にょろすけ」、破れかぶれの「うなぎ白焼き」。まるまる1匹だそうな)

 

 まあ、こんなに思い入れが強いのには、境遇にごくごく小さな共通点があるからで、ワタクシも20年ほど前に、思い切りヒールをやらされた。

 

 駿台から代ゼミに移籍して4年目ぐらいのことで、落下傘部隊のスーパー♡ヒーローとしてヨソの予備校に乱入、いきなり「英語四天王」の1人になったのはよかったが、味方も友軍もほぼ皆無。四面楚歌の孤軍奮闘の身に、あることないこと、おかまいなしの悪罵が飛び交った。

 

 諸君、そうやって精神的に追い詰められると、肉体も壊れるものである。今から20年前、2000年当時の今井君は、いやはや病気の巣みたいな有様になった。

 

 原因不明の貧血に襲われ、ホンのちょっとの坂道も登れなくなった。クリニックでは「赤血球が正常値の半分しかありません」と診断されたが、原因はあくまで不明だった。

 

 顔色が悪く、足の爪が割れ、立ちくらみがして、動悸と息切れがひどくなった。教壇に上がるのも一苦労で、階段ではやたらに蹴つまずき、無性に氷が食べたくなり、機嫌が悪くなって、飲食店のサービスにクレームをつけたり、ホテルのフロントでやっぱりクレームをつけたり、マコトに感じの悪いオジサマと化してしまった。

(銀座「にょろすけ」、うなぎ前菜4品。じーちゃん&ばーちゃんなら、きっとこれだけで満腹だ)

 

 2005年に東進に移籍して、症状は急激に治まった。やっぱり、ほとんどは精神的なもの。おかまいなしの悪罵を浴びせていた講師たちとの接触がなくなると、すぐにほとんどの症状は消えていった。今や健康そのもの、あの頃の痕跡はほとんど残っていない。

 

 機嫌はすこぶるよくなって、お店の人ともタクシードライバーともフロントクラークとも、あっという間に友達になれる。クレームなんか絶対につけないし、動悸&息切れどころか、今や腕立て伏せ100回にスクワット100回、驚くべき中高年と化している。

 

 ただし今もなお、若干の後遺症は残る。足の爪は割れたままだし、今も氷を食べるのが好き。しかし、赤身の肉を食べまくり、羊にレバーに牡蠣、クマにカモにシカにイノシシ、その種のワイルドな食生活を徹底的に意識するうちに、この15年ですっかり症状は改善した。今や「何なんだ、この元気すぎるオジサマ?」みたいな、マコトに不思議な存在と化した。

 

 こういうわけで諸君、ワタクシが照ノ富士に寄せる思いは、ことのほか強いのである。肉体はボーロボロ、心もボーロボロ。しかしそれでも4年間、真っ昼間、ガーラガラの国技館には歓声はゼロ、いや、歓声どころか、まだつきまとう悪罵だけがチラホラ。それでもそこから2年、彼は見事に勝利を積み重ね続けた。

 

 繰り返すが、彼が耐えた屈辱は、序二段からの2年ではない。激しい陥落の2年を含め、合計4年も続いたのである。4年の屈辱に耐えた精神の強靭さに、ワタクシは熱い涙を禁じ得ない。

 

 例えば諸君、かつて天才と讃えられた青年が、情け容赦のない罵声を浴びながら満身創痍で浪人生活4年。若き取締役に昇りつめた人が、平社員に降格されて4年。それに耐えられる人が存在するだろうか。彼を支えた周囲の人々の熱い尽力を思えば、これほど美しい復活劇は滅多なことでは考えられない。

 

 国技館内の鳴り止まない拍手、土俵下の厳しい師匠の抑制した微笑、全てが奇跡の復活にふさわしいものだった。こりゃ諸君、彼の苦難の4年について、どうしても小学校国語の教科書に掲載しなきゃいけない。もちろん彼の不屈の奮闘努力を描き切るに足る文章力を備えた作家が、今の日本に存在すればの話である。

 

1E(Cd) Solti & ChicagoBEETHOVENSYMPHONIES 5/6

2E(Cd) Solti & ChicagoBEETHOVENSYMPHONIES 6/6

3E(Cd) Kempe & MünchenerBEETHOVENSYNPHONIE Nr.6

4E(Cd) Karajan & WienerBEETHOVENMISSA SOLEMNIS 1/2

5E(Cd) Karajan & WienerBEETHOVENMISSA SOLEMNIS 2/2

6E(Cd) Furtwängler & ViennaBEETHOVENSYMPHONY No.7

7E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du PréBEETHOVENPIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 1/9

8E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du PréBEETHOVENPIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 2/9

9E(Cd) Barenboim, Zukerman & Du PréBEETHOVENPIANO TRIOS, VIOLIN AND CELLO SONATAS 3/9

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