Fri 201225  京都から帰還/静寂のクリスマス/奮闘は続く/血染めのマスク 3986回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 201225  京都から帰還/静寂のクリスマス/奮闘は続く/血染めのマスク 3986回

 クリスマスイブイブの23日、約2週間にわたる京都滞在がようやく終わって、静かな東京に帰ってきた。京都もまだあちこちに鮮やかな紅葉が残っていたが、東京はちょうど今イチョウの真っ盛り。東京駅から渋谷区のオウチまで、換気のために開け放ったタクシーの窓から、少し赤みを帯びたイチョウの黄葉を満喫した。

 

 京都で宿泊していたのは、堀川中立売のブライトンホテル。この4〜5年で京都には超高級ホテルが次々と進出し、1泊10万円とか15万円とか、目玉の飛び出すような高価格を競っているが、ワタクシは「そりゃあんまりだ」「ちょっと悪趣味じゃあーりませんか?」と考えるのである。

 

 ましてや、滞在は2週間だ。15万円のホテルなんかを選択したら、宿泊費は200万円を超える。そんなことになったら、飛び出た目玉がそのまま引っこ抜ける事態になりかねない。そこは上品に自重して、値頃なブライトンで質素なクリスマスを過ごした方が身のためだ。

  (京都ブライトンホテル、2020年のクリスマスツリー)

 

 というか、ワタクシはブライトンが好きなのである。一昨年あたりの京都では蹴上のウェスティンホテルに宿泊していたが、一昨年から改修工事をして、超高級路線に切り替えてしまった。「アマン」「リッツカールトン」「ホテル・ザ・ミツイ」みたいな超高級ラインナップと同価格帯にして、それをウリにしようという発想らしい。

 

 やっぱりそういうのはキライだから、もともと好きだったブライトンに回帰する。大きすぎず&高すぎず、地味すぎず&派手すぎず、京都らしい品と格を感じる。来年もし祇園祭が再開され、山鉾巡行が実施されるなら、必ずブライトンを選びたい。

 

 ついでに、もしも東側の部屋が予約できたら、ブライトンは五山の送り火・大文字の真正面に位置している。「舟形」「妙法」「鳥居形」「左大文字」は諦めて「大文字」1つを眺めるなら、ブライトンの東側は狙い目だ。いやはや早くワクチンが行きわたって、夏の京都をたっぷり楽しみに行きたいじゃないか。

(京料理屋「鶴清」の庭のモミジ。12月中旬でも、まだ鮮やかだった 1)

 

 今回の出張で京都宿泊を選んだのは、ホテルの予約を進めていた11月下旬、大阪のコロナ蔓延が危機的状況になっていたからである。一時は東京よりも新規感染者の数が多くなり、「医療体制の逼迫」が連日伝えられていた。当時の京都は、新規感染者が2桁。「大阪を回避して京都に2週間」という選択は無難なものだった。

 

 しかし諸君、クリスマスがどんどん迫ってきても、京都の街はあまりに静まり返っていた。大阪や滋賀や奈良の講演会場から京都に帰り着くと、時計は夜10時過ぎ。いつもの年ならクリスマスツリーにジングルベル、忘年会帰りやらクリスマスパーティー帰りの酔漢の声が入り乱れているはずだが、いやはや「人っ子ひとりいない」という状況が続いた。

 

 するとワタクシは困ってしまうのである。「晩メシ難民」というか何というか、どこの店もキチンと「時短」「営業自粛」を行なっていて、22時ちょいの京都で晩メシにありつけない。「開いているのはコンビニだけ」という京都の夜に、北の空から白い雪が舞い始める。

(京料理屋「鶴清」の庭のモミジ。12月中旬でも、まだ鮮やかだった 2)

 

 ホテルのロビーもエントランスも、ほぼ無人である。古都のホテルらしい華やかなざわめきだなんてものは、完全に消えている。白いクリスマスツリーが3つ、寂しそうに出迎えてはくれるが、和洋中そろったレストランもバーもカフェも、とっくに明かりを消している。

 

 コンビニ食も、2〜3日ならいいけれども、2週間ずっとコンビニ食じゃ、さすがにウンザリする。一度「塩むすび」を購入してお茶漬けにしてみたが、諸君、お茶漬けに大量の油が浮いた。「あれれ、塩むずびじゃなかったの?」とビックリ、調べてみたら「調味酢」と「植物油」が混じっている。いやはや、いやはやである。

 

 というわけで諸君、ワタクシは「1日1食」「そのぶん豪華なランチ」と心を決め、夜は晩酌のみとした。晩酌には缶ビール2本とウィスキーをロックで数杯。そのウィスキーも地味にコンビニのサントリー角瓶で我慢して、つまみにカマンベールチーズと豆菓子を選んだ。

(鴨川ごしに「鶴清」を望む。桜の葉っぱもまだ残っていた 1)

 

 晩ゴハンを我慢するんだから、ランチはそのぶんのオカネも注ぎ込んで、出来るだけ豪華にする。「菊水」「鶴清」「桜鶴苑」で豪華和食を楽しんだかと思えば、「寺町ハンバーグ」で400グラムの超大型ハンバーグを貪り、「かつくら本店」では200グラムの大型ヒレカツを噛みしめるのである。

 

 そういう日々が続けば、当然のように体重も増えてくる。筋トレも欠かさないから、肩に腕に太ももの筋肉が盛り上がり、そこに豪快なランチで脂肪までついてくるから、スーツがきつい。上着のボタンがきつくなり、コートのボタンがかからない。

 

 こりゃ一大事だが、まあ正常な生活に復帰するのは東京に帰ってからということにして、とにかく今回の京都では1日1食の生活を続けることにした。だって、どうしても晩メシ難民にはなっちゃうのである。

(鴨川ごしに「鶴清」を望む。桜の葉っぱもまだ残っていた 2)

 

 せっかく京都に2週間もいるのだから、じっくり観光も楽しむべきなのかもしれないが、講演先が滋賀・京都・大阪・西宮・奈良と多岐にわたるから、とても観光どころではない。ランチのついでに鴨川のほとりを散歩して、水辺のシラサギやアオサギの姿にニンマリする程度で済ませることにする。

 

 というか、真っ昼間の京都でボンヤリしていると、トンビが急降下してニンゲンを急襲するから、それなりに危険である。京都御所のあたりを散歩中に目撃したのは、約30メートルほど離れたベンチで呑気にランチしていた女子がトンビに襲われる瞬間だった。

 

 クチバシが女子の頭にぶつかる衝撃音が強烈。というか、むしろ金属音に近い。頭上を急旋回して一気に降下するトンビの張り詰めた気合が伝わってきて、古都の風流な昼下がりの雰囲気を一変させるほどだったのである。

   (京都御所。トンビによる急襲の現場付近)

 

 そういうふうで、今井君の関西12月大奮戦は続いていた。11日・奈良大和八木、12日・大阪茨木、14日・大阪梅田、15日・大阪京橋、16日・大阪なかもずに続いて、17日には滋賀県大津「びわ湖ホール」で保護者対象の教育講演会。普段は一流のオペラ歌手が熱演する豪華なホールで、今井君なんかが講演するのは畏れ多かった。

 

 何しろ「マイクが30万円もします」とおっしゃるのである。いつも使っているマイクのストラップはファイテン製。本来はネームストラップであるものを、ワタクシなりにうまく改造してマイクのネックストラップとして使用している。

 

 今までマイクを床に落としたことは一度もないが、万が一のことがあれば30万円。開始直後はおっかなびっくりだったけれども、大津周辺の保護者を中心に150人も集結してくれたおかげで、開始早々から熱演に拍車がかかり、あっという間に爆笑が始まった。

(料理屋「鶴清」の勇姿。ランチの客は他に誰もいなかった)

 

 18日は、奈良・学園前で教育講演会。出席者120名。もちろん講演における盛り上がりはいつもと変わらないが、実はこの夜の今井君は大ピンチの真っただ中。昼間の「豪華ランチ」の最中に、左の奥歯がポロリと抜け落ち、30年も昔の治療痕には尖った金属片が残って、しゃべるたびに舌がその金属片に引っかかるのである。

 

 この日の「豪華ランチ」は、四条烏丸「ベンジャミン・ステーキハウス」。大っきなTボーンステーキ400グラムを注文して、まずは海老のスープをすすって悦に入っていた。だって諸君、「1日1食」のランチなのだ。

 

 下の奥歯がポロッととれたのは、ステーキを噛みしめた時ではなくて、スープをすすっていたその2口目である。「おや? 肉の骨でも入っているのかな?」と吐き出してみて愕然、付き合ってすでに30年以上、むかしむかし治療した左の大臼歯君が、尖った金属片を歯茎に残して綺麗に抜け落ちた。

 

 もちろん、歯茎の穴からは血液も流れ出す。とてもステーキどころではなかったが「A CUT ABOVE THE REST」=「他より1枚上」というご自慢の但し書きまでついたステーキは、やっぱり何とか食べ終えた。

(四条烏丸「ベンジャミン・ステーキハウス」の豪華Tボーンステーキ。コイツがくる前に、口の中ではすでに惨劇が発生していた)

 

 しかし問題は金属片だ。このまま講演90分だなんて、舌に金属片が絡みついて、とても出来そうにない。歯茎の血も止まらない。進退きわまったが、しかしそこはプロ意識&プロ根性の塊だ。知らんぷりで奈良・大和西大寺まで南下し、知らんぷりで会場の下見を済ませ、知らんぷりで90分、大爆笑の中で講演を完了した。

 

 残ったのは、血染めのマスクである。もちろん講演中もマスクは外さないから、やがて赤い血が不織布の外側まで染み出した。スタッフにお願いして、途中で新しいマスクに代えたが、そのマスクもまた血に染まった。この状態でもアンケートは「きわめて満足 → 95%」を記録する。あまりにも見事なプロ根性に、自分で自分にシャッポを脱いだ。

 

 しかし諸君、この状態を放置すれば、舌のガンになる。舌ガンは絶対にイヤだし、そもそもやっぱり痛すぎる。翌19日は東京の豊洲で公開授業、20日は兵庫県西宮で教育講演会。このいささかクレイジーなスケジュールを逆手にとって、ワタクシはいったんオウチに帰り、近所の歯医者さんで応急処置をお願いすることにした。

(京都三条「かつくら」本店、200グラムの豪華ヒレステーキ。お口の惨劇が起こる前々日、こんなヤツをワシワシやった)

 

 前回の記事で書いた「ハプニング」とは、以上のようなことである。歯科医師はふざけて悲鳴をあげ、抜けた奥歯を巧みにつかって応急処置を施してくれた。ま、不幸中の幸いだ。

 

 午前7時の新幹線で京都から東京へ、歯医者の後は江東区豊洲の小さな会場で公開授業。キャパ1/2を遵守して、出席者は60名に限定。タクシーに飛び乗って21時、最終の新幹線で東京から京都へ。おそるべき1日は夢か幻のごとく過ぎていき、再び人っ子ひとり見当たらないブライトンホテルに到着、すでに日付が変わる寸前だった。

 

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