Tue 201215 京都岩倉・実相院へ/北野天満宮の紅葉/一転、旅は秋田へ 3984回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 201215 京都岩倉・実相院へ/北野天満宮の紅葉/一転、旅は秋田へ 3984回

 現在、京都に滞在中。1211日に京都にやってきて、早いものですでに滞在5日目になった。

 

 滋賀・京都・大阪・奈良・兵庫など、関西一円で講演会が連続する。本来なら大阪駅前のホテルの方が便利なのだが、何しろ大阪は、今や防衛省から看護師が派遣されるほどの危機の真っただ中。宿泊を京都にして、少しでも感染の危険を避けることにした。

 

 京都は、まだ名残の紅葉が続いている。京都御所とか、昼食に訪ねた和食店の中庭などに、やっと今になって盛りになったカエデが、真っ赤に色づいていたりする。

(11月28日、京都岩倉の実相院に名残のモミジを見に行った)

 

 思えば今年の京都の紅葉はマコトに長く続いた。秋の初めには「今年の紅葉は遅くなります」という予報があって、見頃は12月上旬になるのではないかと思われた。ところが11月上旬、新幹線の窓から眺めた鴨川べりでは、もう桜の葉っぱが真っ赤に染まっていた。

 

 11月中旬には、大原や高尾ばかりか、嵐山や鷹ヶ峯でも「見頃」の情報。1125日を過ぎて訪れた京都では、カエデの葉っぱはすっかり落葉して、とっくに見頃は過ぎていた。仲間どうし「枝を見に来たようなもんだ」と落胆しあう人々もいた。

 

 しかし諸君、何もそんなにガッカリする必要はないのである。地面に散ったモミジにもまた風情があり、枯れて干からびたカエデの葉で僅かながら赤みを残したのが3枚4枚、鄙びた寺の小さな池の水面に浮かんでいるのも「またをかし」の対象である。

(11月28日、京都・北野天満宮で名残のモミジを楽しんだ 1)

 

 1128日、京都での仕事の翌日のワタクシは、宝ヶ池のホテルに荷物を置いたまま、岩倉の実相院を訪れた。宝ヶ池から岩倉までは、徒歩で30分余り。ホテルの前を流れる小さな川を北山に向かって遡っていけば、初冬の寂しい畑の向こうに旧・岩倉具視邸があり、その2分先に実相院がある。

 

 実相院を訪れるのは2年ぶりである。2018年の秋、京都に長期間滞在して来る日も来る日も京都のさまざまな秋祭りを満喫したが、その最終日「これで京都の旅もおしまいだな」と、しんみりした気分で訪ねたのが実相院だった。

 

 だから何となく「実相院」と発音するだけで寂しいのである。大根やら里芋や春菊やらが冷たい風に揺れている畑を横切り、カラスとヤマバトが喧嘩している小川をわたって実相院に着くと、門前ではいかにも旨そうな栗の赤飯やら和菓子やらを売っている。

 

 栗の赤飯、600円。栗が赤飯の周囲にズラリと並んで、「どうしても食べてみたい」と思うのだが、残念ながらこの日のランチに、宝ヶ池のホテルの豪華和定食を予約してしまっていた。

 

 帰りの新幹線の中でつまんでもいいけれども、そうなると諸君、夕方までずっと栗の赤飯をぶら下げて行動しなければならない。それはかなり厄介な道連れだ。後ろ髪ひかれる思いで、栗の赤飯をあきらめた。

(11月28日、京都・北野天満宮で名残のモミジを楽しんだ 2)

 

 そういうふうだから、せっかくの実相院の「床モミジ」も寂しいかぎりだ。黒々と黒光りするほど鏡のように磨き上げられた木の床に、名残のモミジが生えて美しいのだが、奈良からのバス団体ツアーの人々に踏みつぶされそうになりながら、「栗の赤飯」「栗の赤飯」、その未練ばかり引きずって、綺麗なお庭を眺めても感慨はそれほど深くない。

 

 そもそも実相院のモミジは、あの日とっくに終わっていた。徒歩でしょんぼり、宝ヶ池のホテルまで引き返し、往復1時間の散策でたっぷりお腹を減らしてきた。何しろ「栗の赤飯」の恨みは骨髄に達している。豪華和定食、写真に収める余裕もナシに、高速ですべて退治した。

 

 何しろこのホテルでも今井君は「チェックアウト16OK」というステイタスの持ち主である。ランチの後は「お部屋に戻って15時半までお昼寝」という夢のような世界。こりゃいいや。毎年60日以上を海外で過ごし、それを15年も継続してきたご利益は、こういうところにも現れるのである。

(12月1日、東京・外苑前のイチョウが見頃になっていた。イチョウの後は銀座でカレー満喫。色の連想で大いに食欲が高まった)

 

 さて夕暮れの今井君は、宝ヶ池からタクシーに揺られてモミジの名所・北野天満宮を訪れた。ワタクシは北野天満宮の「御土居」が大好き。早春の梅、晩秋の紅葉ともに、御土居の散策はすっかり定番になっている。天満宮に到着したのが17時。とっくに京都の日は暮れて、紅葉のライトアップが始まっていた。

 

 いわゆる「密」の状況。昨年までの「押すな&押すな」「中国からの観光客がおしくらまんじゅう」というアリサマとは違うが、ソーシャルディスタンスが保てるか保てないか、3密ギリギリの大盛況だ。大阪の情勢が逼迫し始めた頃で、観光客の足は一斉に京都に向かっていた。

(12月2日、ワタクシはいきなり秋田を訪問。懐かしの久保田城址を散策した)

 

 それでも諸君、今井君は重いカバンをぶら下げて、初冬の冷たい風の吹き始めた御土居を2周、2020年名残の紅葉を満喫したのである。紅葉し切らずに緑のままチリチリ干からびてしまったカエデも多いが、やっぱりそれも奥ゆかしい日本の情緒ということで、それをそのまま受け入れればいいのである。

 

 こうして11月下旬の京都の旅はオシマイ。帰りの新幹線はほぼ空席のない3密状態だったから、さすがの今井君も遠慮してマスクのまま、飲食は日本酒2本だけでガマンした。

 

 あとはひたすらマスク。車内のどこかで咳き込む人がいるたびに、みんな不安そうにその方角に視線を向け、ヒタイに深いシワを寄せる。いやはや、ツマラン年の瀬を迎えることになった。

     (12月2日、秋田・久保田城址にて)

 

 12月2日、今度はふるさと秋田を久しぶりに訪ねることにした。コロナ&コロナでみんなションボリ、誰も彼もがマスクの上で両の目を悲しそうに充血させた状況じゃ、ちっとも前進できやしない。せめて今井君だけでも元気いっぱいふるさとの街を闊歩して、きりたんぽ鍋やハタハタを貪り、旧友・秋田犬たちにも挨拶してこようと考えた。

 

 秋田行きの新幹線「こまち」は、今なら普通車トクトクきっぷで50%割引。「何が何もグリーン車♨」とかクダラン意地を張らない限り、片道の運賃で往復できる。しかも「こまち」の場合、普通車でも横2席 ×2であって、グリーン車と遜色がない。

(秋田大町「無限堂本店」にて、ハタハタ諸君の勇姿に感激 1)

 

 朝10時に東京駅を出れば、秋田到着14時前。たった3時間50分で秋田まで行ける。いやはや諸君、便利になったものだ。1980年代には、山形経由の特急「つばさ」、新潟経由の特急「いなほ」、どちらを使っても東京まで8時間かかった。

 

 しかも諸君、当時の今井君はスーパー倹約家だったので、特急券なんかにオカネを使いたくなかった。昼間のディーゼル急行「おが」だの、夜行急行「津軽」だの、そういう恐ろしくノロい列車に乗って10時間以上、今なら十分ヨーロッパに接近できるぐらいの時間をかけて、秋田 ⇄ 東京を旅していたのである。

(秋田大町「無限堂本店」にて、ハタハタ諸君の勇姿に感激 2)

 

 午後2時の秋田に到着して、気がつけば何もすることがない。何かしようという魂胆があって秋田まで来たのではないから、思えば当然の帰結であるが、あんまり何もすることがないので駅前で呆然と立ち尽くす。

 

「きりたんぽ鍋」もハタハタも、店の予約は18時だから、これから4時間いったい何をして過ごしたらいいのか途方に暮れるしかない。かつては駅前からデパートが8軒も「これでもか!?」と軒を連ねていた広小路の繁華街も、今や閑散として「人っ子ひとり歩いていない」の感がある。

 

 仕方がないから、佐竹のお殿様の城跡でも散策することにする。秋田藩は外様大名だからお城もこじんまりしている。正式名称は久保田城。戊辰戦争では官軍側についたので大きな破壊は免れたが、いま散策してみても、いやはやあんまり芳しいお城ではない。

(今井は、ハタハタ名人である。1匹に約1分、骨しか残らない)

 

 秋田高校の卒業アルバムを作成するとき、この城跡で集合写真を撮影するクラスもあった。まあ簡単に言えば、下校時のデートスポットなのである。秋田高校から秋田駅に向かって男子と女子が自転車を押しながらデレデレ、高1から高2にかけて、そのタイプのカップルがナンボでも発生した。

 

 城跡には大きな美術館があり、図書館があり、まもなく豪華なコンサートホールも完成する。昔のデレデレさんたちは、美術館やら図書館から書店へ、レコードショップへ、さらにコーヒーショップ「それいゆ」へ、お決まりのコースで連日デレデレ、大いに幸せな高校生活を送った。ただしその種のカップルのその後については、あんまり考えない方がよさそうだ。

 

1E(Cd) Karajan & BerlinerBACHMATTHÄUS-PASSION 2/3

2E(Cd) Karajan & BerlinerBACHMATTHÄUS-PASSION 3/3

3E(Cd) HarnoncourtBACHWEIHNACHTSORATORIUM 1/2

6D(DMv) THE EAGLE

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