Mon 201207 どこまでも北上する/エゾシカと遭遇/ノシャップ岬と宗谷岬 3982回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 201207 どこまでも北上する/エゾシカと遭遇/ノシャップ岬と宗谷岬 3982回

「日没は、午後3時56分になります」。1124日、稚内で貸切タクシーに乗り込んだ直後、運転手さんにそう告げられた。時計を見るとすでに0時半。日没まで3時間ちょっとしかなかった。さすが最北の地。日没は東京よりずっと早いのだった。

 

 あれから2週間。12月7日、東京の空がすっかり暗くなったのは、午後5時10分前だった。冬至が近い。あと半月で「昼が一番短い」「夜が一番長い」という日がやってくる。夜が大好きな今井君としては、こんなワクワクする季節はないのである。

 

 この15年、冬至とクリスマスは必ず海外で過ごしてきた。昨年はウィーンとブラチスラバ、その前はシドニー・ロンドン・ベルリン・パリにストラスブールにコルマールマドリードにサンチャゴ・デ・コンポステラ。自由自在にヒコーキと鉄道を駆使して、珍道中の連続で世界を闊歩してきた。

    (日本最北端・宗谷岬のバス停。1日4便だ)

 

 しかし今年は何をどう頑張っても、世界珍道中は不可能だ。致し方なくワタクシは日本珍道中にギアチェンジ。たったいま北海道にいたかと思えばいきなり京都、京都と思えば「おやおや今度は秋田に来たぜ」「おやま、沖縄?」「あれれ、今度は関西2週間でやんすか?」、マトモな人々が呆気にとられるような南船北馬の旅を連発している。

 

 ただしワタクシは「GoTo」は利用しない。仕事の旅が多い立場上、「ビジネスでのGoTo利用はご遠慮ください」と言われれば、例えホテルの人がびっくりしても「ワタクシはGoToは使いません」と、フロントでキチンと言い切るのである。

 

 だから、1123日に札幌のダブルヘッダーをこなし、翌朝7時30分発の特急「宗谷」に乗り込んだ時にも、ホテルでも列車でもマコトに頑固に「GoToは使いません」を貫いた。

      (札幌から5時間、稚内駅に到着)

 

 札幌駅のお弁当屋さんで「かに三昧弁当」を買ってしまったので、プラットホームでの「駅そば」をあきらめた。熱い出汁の素晴らしいカホリがたまらなかったし、かけそばの1杯ぐらい3分ですすれるのだから、どうして蕎麦を我慢する気になったんだか、今でもよく分からない。

 

 利用したのは、グリーン車。通路をはさんで左右に2席ずつ3列が並ぶ。2×2×3で合計12席。それがほとんど満席になって、思えば相当に3密な空間。その密空間で、盛んに咳き込むオジサマもいらっしゃる。

 (ノシャップ岬付近にて。40年前にもここで写真を撮った)

 

 いやはや、普通車にすればよかった。密空間を避けてグリーン車を選んだが、普通車の方が圧倒的に空いている。スーパー旅慣れた今井としては、グリーン車選択を心から悔しく思う5時間だった。

 

 そうは言っても、「かに三昧弁当」は旨かった。旨すぎて、写真を撮るのも忘れてしまった。仕事のない1日だったから、もちろんお弁当とともにサッポロクラシックを2本。食べ終わってから北海道の日本酒を3合。札幌 → 旭川 → 和寒 → 名寄 → 音威子府と、どんどん亜寒帯らしくなっていく冬の車窓を満喫しながら、「宗谷」の今井はひたすら北上と泥酔を続けたのである。

(稚内到着15分前、「宗谷」左の車窓に北の日本海が姿を現す)

 

 思えば、稚内を訪問するのは40年ぶりのことだ。前回は1982年2月。うぉ、あまりに激しい太古の昔だ。往路は急行「宗谷」で稚内に到着し、復路は急行「天北」で南下、オホーツク岸の浜頓別に向かった。

 

 あの当時の国鉄には「急行」というものが存在して、「宗谷」も「天北」も国鉄北海道の花形。天北線ばかりか、今はなき羽幌線も深名線も、興浜北線も興浜南線も湧網線も、みんな健在だった。人いきれで曇った窓を指で拭うと、酪農農家のオウチの煙突から豊かな紫のケムリがもうもうと立ちのぼるのが見えた。

 

 今や「宗谷」は特急に昇格して、しかし地元の人によると風前のトモシビ。JR北海道は名寄以北の宗谷本線を廃止したくてウズウズしていらっしゃるらしい。天北線や羽幌線など、長距離支線の廃線が相次いで冷え込んだ地域経済を、さらに容赦なく追い込もうとしている。

 

 もし廃線を思いとどまっていれば、今頃はどの路線も豊かな観光資源として浮上し、世界文化遺産の有力候補にも上がっていたであろう北海道の鉄道網であるが、残念ながら今や見る影もなく寸断され廃止され、あまりのことに嘆いたエゾシカの諸君がしょっちゅう線路に降りてきて、特急でも何でも構わず停止させてしまう。

  (鉄道は、ここで終点だ。旅するカバン君とともに)

 

 この日も「宗谷」は何度も警笛を鳴らしては急ブレーキをかけた。車窓左側に見え隠れする天塩川は北に向かう大河であって、どこまでも宗谷の車窓についてくる。昨年のワタクシが下車して熱い蕎麦をすすった音威子府を過ぎると、その悠然とした大河ぶりがますます際立って雄々しく、車窓から目を離すことができない。

 

 稚内まで延々5時間、到着したのは0時半である。「日没は3時56分です」というのも、最北の地であれば当然だ。この時期のロンドンなんか午後3時にはもう夕暮れで、お酒を飲む時間が長くなって今井君にはサイコーの季節であるが、貸切タクシーの運転手さんにとっては、こんなに遅く到着したサトイモが不憫でならなかったはずだ。

 

 厳寒の最北の地、しかもこの日は運転手さんが「滅多にないぐらい」という強風が吹き荒れ、海には大きな白波が立っていたが、タクシーは換気のために大きく窓を開け放ってスタート。北国の吹雪に鍛えられた今井君だ。このぐらいの強風にはビクともしない。

(鹿児島県枕崎から稚内へ。3000kmを超える旅なんだそうな)

 

 稚内の人口は、4万人を切っている。昔の繁栄を僅かながら知っているワタクシにとっては、町のさびれ方が寂しくてたまらない。ここは宗谷支庁の所在地であって、言わば県庁所在地である。留萌・岩見沢・室蘭・帯広・釧路・網走・浦河、かつて支庁所在地はそれぞれにたいへんな繁栄の時代を経験し、しかし今や札幌一極集中に悩むばかりだ。

 

 札幌3世とか札幌4世とか、そんな言葉もあるんだそうな。曽祖父母の時代に札幌に移住し、祖父母も父母も札幌を離れたことがない。進学も就職も結婚もずっと札幌で、札幌以外の地域は夏休みの旅行先としてしか考えられない。そういうヒトビトが今後の北海道内で40%から50%へ、驚くべきパーセンテージを占めるようになるという。

 

 その辺も、やっぱり鉄道網の寸断がきっかけになっちゃったんじゃないか。20世紀最終盤の映画「鉄道員」に描かれたぽっぽやのホッコリした世界を、目先の利益優先で無残に切り捨ててきた結果がこれ。稚内駅からノシャップ岬に向かう漁村の風景は、かつて見慣れた秋田の海岸風景とそっくりで、いやはや熱い涙が溢れてくるのを止められなかった。

          (稚内駅の勇姿)

 

 その後も、運転手さんと話が弾んだ。間宮林蔵の話、高田屋嘉兵衛やゴローニンやラクスマンの話。千島樺太交換条約やら、かつてのニシン長者の話、イカ釣り船やカニ工船の話が続いた。

 

 別に、自慢するわけではあるが♡ 今井君は何しろたいへんな博識だから♡、悪いクセでついつい地元の人をびっくりさせ、「コイツ、タダモノではないな」と警戒させてしまうのだが、「いえいえ、ただのタダモノです」とニヤニヤ、そのまま徹底的にゴマかして、日没までの3時間をマコトに和やかに過ごしたのである。

 

 宗谷岬付近の広い国道に、夢のように大きなエゾシカが悠然と出現した。たくましい黒灰色の毛並みに、ブナの枝のような荒々しいツノをそびやかして、崖の中腹から国道を睥睨していた。睥睨と書いて「へいげい」と発音する。その「睥睨」という言葉が、雄牛かと思えるほどの彼の体躯にぴったり当てはまっていた。

 (日本最北端、宗谷岬にて。ここでも40年前に写真を撮った)

 

 稚内は驚くべきロケーションで、最北端の宗谷岬からは、はるかな海上に現ロシアの領土も見はるかせる。これほど近くては、冷たく「ロシア領」などと言い放つより、お友達のオウチとしか思えない。

 

 しょっちゅう遊びに言って、しょっちゅうケンカして、しょっちゅう一緒にゴハンを食べたり、しょっちゅう一緒にお酒を飲んでまたケンカして、しかしまたすぐ仲直りして、そういう関係がいちばん現実的に思えてくる。

 

「どっちがどっちでもいいじゃないか、仲良くやろうぜ」と歌でも歌いたい気分であるが、残念ながら国際法がそれを許さない。法律はマコトに気難しいので、今井君のようにデレデレ「どっちでもいいじゃないですか♡」なんてのは決して許されない。

 

 国際法の父グロチウスどんも、オランダのデルフトの町の真ん中で、今もとても難しい顔で周囲を睥睨していらっしゃる。その視線の鋭いこと、北の荒野の雄々しいエゾシカに勝るとも劣らない。

(間宮林蔵どんは、ここから樺太への航海に出たという)

 

 稚内からは、礼文島も利尻島もビックリするほど大きく見える。ちょうど太陽が西の海に沈む頃、利尻富士の雄大な姿が夕焼けを背景に浮かび上がる。昔は船酔いで有名だった利尻&礼文への船旅であるが、「近い将来どうしても利尻を目指さなくては」と決意するワタクシなのであった。

 

 その決意の時点で、時計は3時半。運転手さんが最初に口にした「日没は3時56分です」というその時刻が迫っていた。まもなくクルマは稚内空港へ。「マゴが東京で看護師をしています」とおっしゃる運転手さんに丁寧に繰り返しお礼を言って、稚内の旅をしめくくった。

(新千歳空港「雪あかり」の味噌バターコーンラーメン。この1ヶ月で2回目だ。)

 

 ただしワタクシはマコトにいやしい食いしん坊であって、他に1組しか客のいない稚内空港のレストランで、まずお酒を2合。稚内からヒコーキで到着した新千歳空港で、もちろん味噌バターコーンラーメンを1杯。スープを1滴も残さない完璧な食欲はとどまるところを知らず、いやはや、またまた腹がグイッと前に突き出てきてしまった。

 

1E(Cd) RampalVIVALDITHE FLUTE CONCERTOS 1/2

2E(Cd) RampalVIVALDITHE FLUTE CONCERTOS 2/2

3E(Cd) Anne-Sophie MutterVIVALDIDIE VIER JAHRESZEITEN

6D(DMv) GALVESTON

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