Mon 201130 カウントダウン/予備校の熱気の記憶/桐竹勘十郎の大熱演 3980回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 201130 カウントダウン/予備校の熱気の記憶/桐竹勘十郎の大熱演 3980回

 そろそろ「カウントダウン」を始めてもいいかと思うのである。もちろん4000回達成へのカウントダウンである。

 

 ただ、「たった4000回で大威張りも、どういうものかね?」という躊躇がある。例えば読売新聞の4コマ漫画「コボちゃん」は、何と13700回を超えている。

 

 それには遥かに及ばないとしても、1991年から始まった朝日新聞「ののちゃん」は、「となりの山田くん」の時代を含めて8000回。今井ブログの2倍も継続している。

 

 1991年といえば、ワタクシが予備校講師を本格的に始めた年である。まず河合塾、続いて駿台で6年、代ゼミ8年を経て、東進で16年、そのマコトに長い長い年月を、いしいひさいち氏はひたすら「ののちゃん」連載にいそしんだ。

 

 オウム事件ありバブル崩壊あり、2つの大震災あり、911やらリーマン事件やら、そして今回のコロナ蔓延やら、波乱万丈の30年間、ののちゃんも山田くんもママもパパもバーちゃんも、1つも歳を取らずに明るく生き抜いた。

(11月19日、大阪・玉造「小原庄助」でクマ鍋を貪る。「クマは脂を食べるもの」が常識だが、ワタクシはあえて「赤身の多いところを用意してください」と予約する)

 

 それにひきかえ諸君、今井ブログなんてのホンのひよっこに過ぎない。2008年6月5日にスタート、カウントダウンは、1000回の時にも2000回の時にも3000回の時にもやったし、目標としていた「10年=3652回」の時にも経験した。

 

 3652回(閏年2回を含みます)の時には、わざわざスタート時の風景を撮影するためにイタリアのコモ湖畔「ヴィッラ・デステ」にまで出向いて、「ついにスタートラインに帰ってきたんだな」という感慨に浸った。あれから2年半をかけて、とうとう4000回達成にまで迫ってきた。

 

 しかし諸君、今度の4000回は、どうやら最後のカウントダウンになりそうだ。いや、もちろん心配しないでくれたまえ、今井自身は心も肉体もピンピンしていて、腕立て伏せとスクワットを丸1年、人がびっくりするほどの回数で継続した結果、今やキン肉マンもタジタジのムキムキ里芋に変身した。

(大阪・玉造「小原庄助」。すでに5年も6年も通い続けている)

 

 問題なのは「ブログ」というものの将来である。ついこのあいだ観た映画では、冒頭10分のシーンで主人公の10代の娘が「もうブログなんていう言葉は誰も使わない」と呟いた。日本語字幕では「ブログは死語よ」だった。

 

 我々の世代が心から愛したブログの世界は、10歳代 & 20歳代の世界では死語、30歳代の諸君なら「明らかにオワコン」と苦笑するだろう。

 

 かつては「10年、1日も休まない」という宣言通りに3652回を突き進んだ今井ブログも、「2次会」「3次会」に入ってからは月平均6回か7回というアリサマ。昔なら1日7000アクセスあってもランキング2000位以下だったのが、いまや2000を超えれば800位に食い込む状況。「ブログは死語よ」、まさにその通りなのである。

 

 こういう状況で「4000回まで、カウントダウン20」と高らかに宣言しても、いやはやマコトに悲しいことに、かすかなコダマさえ帰ってこないだろう。「コボちゃん」「ののちゃん」の偉大さがイヤというほど感じられる日々である。

(クマの赤身を食べ尽くし、最後は本来の「真っ白い脂が自慢」という部位が登場。うーん、やっぱりワタクシは赤身がいい)

 

 同様に諸君、そろそろ「予備校講師は死語よ」「予備校講師なんてコトバは、もう誰もつかわない」という時代に入りかけている。1980年代から1990年代にかけて花形の職業だったことは間違いないし、21世紀に入ってさえ予備校講師に憧れる若者は少なくなかったが、今やすっかり色あせてしまった感が深い。

 

 もちろん、少子化による大学全入時代を理由に、今の状況を予測するヒトビトは少なくなかった。「選り好みしなければ誰でも大学進学が可能ということになれば、わざわざ浪人して予備校に通う人は激減するだろう」というご意見が、21世紀初頭のメディアの論調だった。

 

 しかし、話はちょっと違ったようである。これまた死語であるが、20世紀「マンモス予備校」の醍醐味は、1教室に300名も400名もの生徒諸君が詰めかけ、通路まで立錐の余地のない超満員、立ち見の生徒が教室の後方を埋め尽くす熱気の中で授業を展開できることだった。その熱気が、今やすっかり冷めてしまった。

(クマ肉の旨味がたっぷり染み込んだ出汁に、中華麺を投入してシメとする)

 

 講師の多くは、いわゆる「学者くずれ」か「第2新卒」。理学・工学・経済学のオーバードクターがメシのタネを求めて数学を教え、授業の中にホンのちょっぴり「大学での数学」のカホリを吹き込めば、「大学への数学」に飽き飽きした秀才浪人生の人気はカンタンに沸騰した。

 

 文系科目でも同じこと。ちょっとした社会人経験や世界放浪体験を語り始めれば、コドモコドモした受験参考書の記述に食傷した生徒諸君がナンボでもファンになってくれた。

 

「常に超満員」の熱気は、生徒にとっても講師にとってもウットリするほどの魅力だった。もちろん逆に「不人気講師」にとっては、それはマコトに残酷な世界なので、一度でもつまらない授業をして「ガラガラの教室」のテイタラクになれば、熱気あふれる超満員の世界なんか2度と経験できずに「お払い箱ルート」をたどる。

 

 要するに、30歳代そこそこの若者が危険覚悟でいきなりスター気分を満喫しようと思えば、予備校の教室はまさに格好の舞台。自信満々なクセに社会の壁にぶつかってションボリ落ち込んだ秀才君たちが、10歳か20歳ほど年下の後輩たちの喝采を浴びて立ち直るのにはベストの世界であった。

(クマ汁と中華麺。免疫力はグイグイ上昇して、これじゃしつこいコロナも退散するだろう)

 

 しかし今や、その舞台はYouTubeに移行しつつある。もちろん、一定以上の収入を安定的に確保できるかについては、かつての予備校講師より遥かにリスキーであっても、「熱気」「喝采」「達成感」については勝るとも劣らない。

 

 そもそもかつての予備校の世界で「映像配信」という地位に昇りつめるのは、並大抵のことではなかった。カンタンに「映像授業」と口にするが、河合塾「サテライト」でも、かつての代ゼミの「サテライン」でも、輝かしい映像授業講師に選択されるのは、その科目でトップ3かベスト5にランクされる押しも押されもせぬ超人気講師だけだったのである。

 

 1科目に全国で数百人以上もいる大規模予備校の講師の中で、トップ3だのベスト5だのにランクインするのは、いやはや滅多なことでは無理なのである。だから全身ピンクのド派手スーツを着てみたり、英語の授業でハードロックを熱唱してみせたり、漢文の女性講師がミニのチャイナドレスを纏って登場したり、何でもアリの激しい世界にもなった。

 

 しかし今や、この世界に颯爽と登場する人気新人講師はなかなかいない。人財はほぼ払底したのである。有望な新人が珍しくなったせいで、20年前の大ベテランたちが今もなおトップに君臨し、だから「彗星のように現れる大型新人」はますます望み薄である。

 

 となると、誰でもカンタンにスター気分を満喫できる動画配信に人気が集まる。他の優秀な講師との激烈な競争を勝ち抜き、ついにつかんだ「1000人に1人」の映像講師スターダムを、YouTubeで短時日のうちに気分だけでも満喫できるなら、その方が圧倒的にラクじゃないか。

(せっかくの大阪だ。ランチは難波の「蓬莱」で中華料理を貪る)

 

 こうして、「300名教室が超満員」「400名教室がパンク」「夏期講習会が全講座、即日満席しめきり」という類いの栄誉、「まだ2年目の新人なのに早くも映像配信」というスターダムはごく平凡なものに堕し、YouTubeの動画を見慣れている生徒諸君も、映像中の講師を眺めて「いま自分は特別な授業を受けているんだ」という感動と感激をなくした。

 

 そこへ襲ってきたのが、今回のコロナ騒動である。どこの公開授業会場でも「キャパの1/2」「収容人員の1/3」を余儀なくされる。物理的にガラガラ感が強ければ、心理的にもガラガラ感は募る。しかもお互いにマスク越しだ。語学の授業なのに、お互いの表情が全くわからない。爆笑も禁じられて、重苦しい笑いが会場を満たすだけである。

 

 それでも今井は奮闘を続けている。11月中旬は、千葉県海浜幕張・滋賀県膳所・広島・北千住2連戦に続いて、17日に奈良県大和八木、20日にも奈良県・学園前での公開授業があった。

(大阪難波「蓬莱」にて。今井君は偉いから、免疫力アップのためならこういう野菜もしっかり食べる)

 

 17日の大和八木会場は「橿原文化会館」、140名。300名収容、この16年で少なくとも10回は講演した懐かしい会場であるが、やっぱりどうしても「キャパの1/2」ルールは外せないので、どんなに頑張っても心のガラガラ感は拭えない。

 

 20日の奈良・学園前は、今年2月に続いて2回目の公開授業。前回はキャパ100%の超満員だったが、今回はやっぱり100名ちょい。ちょうど大阪での急激な感染拡大が報じられ始めた頃であって、自主的な欠席も少なくなかった。

 

 ま、そうやって終始ションボリしていても致し方ないので、公開授業の合間合間に大好きな人形浄瑠璃を満喫し、恐竜時代から付き合いの続く古い友人とクマ鍋を貪りつつ、ラグビーや文楽の話に花を咲かせた。今日前半に掲載の写真が、そのクマ鍋の店のものである。

(大阪・難波「蓬莱」のシューマイ。ワタクシにはいささかデカすぎる)

 

 11月大阪の文楽は、第3部の桐竹勘十郎が圧巻だった。近松半二「本朝廿四孝」のうち、「奥庭狐火の段」であるが、まずは語りの竹本織太夫が出色の出来。しかし観客の熱狂を誘ったのは、桐竹勘十郎ばかりか左遣い&足遣いの3人が、全て出遣いで演じたキツネたちの大乱舞であった。

 

 この1年、コロナのせいで思い切り演ずることの出来なかった勘十郎が、たまった鬱憤を全て晴らそうとするような歴史に残る大熱演だった。終演後も、観客の拍手が鳴り止むことがない。40年も文楽を観続けたワタクシとしても、これほどの熱い拍手を聞いたことがなかった。

 

 これはやっぱり、学ばなくちゃいけない。諸事情にションボリしているんじゃなくて、このワタクシもまた、鳴り止まない熱い拍手を引き出すことを目指して、明日からも力のこもった公開授業を続けなくちゃいけない。とりあえず23日の札幌でそれを実現しようと誓って、大阪を後に初冬の札幌に向かったのである。

(難波の〆は、マーボ茄子チャーハンを注文。茄子はあんまり好きじゃないが、免疫力アップのためならやむを得ない)

 

1E(Cd) SavallALFONS V EL MAGNÀNIMEL CANCIONERO DE MONTECASSINO 1/2

2E(Cd) SavallALFONS V EL MAGNÀNIMEL CANCIONERO DE MONTECASSINO 2/2

3E(Cd) RUSSIAN MEDIEVAL CHANT

6D(DPl) 錦州文楽公演 第3部:本朝廿四孝:大阪 国立文楽劇場

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