Thu 201119 大阪に滞在中/11月上旬の大盛況/帽子屋さんとの出会い 3978回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 201119 大阪に滞在中/11月上旬の大盛況/帽子屋さんとの出会い 3978回

 現在、大阪に滞在中。17日に奈良で仕事があり、20日にも奈良で仕事があって、「ならばそのまま大阪にいて、10ヶ月ぶりの文楽を満喫しよう」、そう考えた。

 

 今年11月の大阪文楽は3部制。その第1部・第2部・第3部を、全て観てやろうと企んだ。諸君、第3部が特に出色の出来栄え、桐竹勘十郎と竹本織太夫の大熱演は、初心者からベテランまで、こりゃ意地でも観る価値がある。テレビの収録も来ていた。

 

 思えば今年の1月上旬、まだコロナの「コ」の字さえ気に留めていなかったころ、ワタクシはいつものように大阪に来て、満員の国立文楽劇場10列目に席を占め、おめでたいお正月の文楽を満喫したのである。2010年以降ずっと続いているお正月の習慣だ。

 

 まさかそこから10ヶ月も、大好きな文楽とご無沙汰するとは思わなかった。4月の大阪公演は、中止。8月の大阪公演も、やっぱりコロナ対策がいろいろ複雑で、東京からヒコーキ代&ホテル代を10万円も使うのに2の足を踏んだ。


(大阪「串カツ酒場 どん」、串カツ12本セット。おいしゅーございました)

 

 文楽との付き合いはすでに40年。1978年の夏に東京の国立劇場で初めて文楽と接してから、東京と大阪でほぼ全ての舞台を観てきたのである。だからこの4月と8月は本当に悔しかった。

 

 演ずる人々が同じでも、東京の舞台と大阪の舞台は雰囲気が全く違う。観客との一体感が、大阪の場合はるかに濃厚濃密であって、演ずる者も観る者もその濃密さを心から楽しんでいる。いかにも「勉強しに来ました」というキマジメな東京の観客の前では、演者の皆さまだってやっぱり固くなる。

 

 同じことはワタクシふぜいの予備校講師にも言えるので、全国を巡り歩いて公開授業、ほぼ1人劇団の全国行脚と全国興行みたいなものであるが、参加してくれる人々との一体感が濃厚濃密でないと、今井みたいなベテランでもどうしても少々ぎこちなくなる。

(串カツだけでは足りなくなって、「牛スジ焼うどん」を追加。これまたおいしゅーございました)

 

 11月に入ってから、いよいよその全国行脚が始まって、「とてもブログどころではない」という多忙な日々に突入している。というかドップリ多忙に浸かってしまって、ほとんど身動きが取れない。本来の日記の役割である「備忘録」的な事項さえ、全く書かずに11月中旬が終わってしまう。

 

 ただし諸君、記憶力抜群の今井君だ。「備忘録」も何も、忘れるのに備えておく必要なんかちっともないのである。みんな記憶のハコの中にギュッと詰めこんで、するとホントに何にも忘れない。メンドーな記憶術なんか一切必要なし。マコトに不思議な頭の持ち主だ。

 

 前回の記事のように小難しいことを書きまくるのもいいが、身辺雑記にしか関心のない読者も多いだろう。今日の記事では、11月以降書かずに置いた全国行脚の詳細を、ずらずら平凡に書き並べておくことにする。自分に備忘録は必要なくても、他人の身辺雑記を覗き見するのが楽しいという人も少なくないだろう。

(それでもまたまた足りなくなって、串カツ3本を追加。イカ、うずら。サツマイモ。おいしゅーございました)

 

 11月4日は、滋賀県栗東で公開授業。大津・守山・草津・膳所・堅田・栗東・彦根、琵琶湖を取り巻く様々な町から、たくさんの受講生が集まった。「キャパの1/2」というルールを守って、360名収容のホールに180名が集結。それでも「ずいぶん人が戻ってきたな」という実感が嬉しかった。広々とした会場の写真は、前回の記事1番下に掲載した。

 

 11月5日は、千葉県市川駅前で公開授業。出席者80名。大阪からヒコーキで羽田へ、羽田から京急線と総武線を乗り継いで市川へ。会場は「山崎製パン企業年金基金会館」。いやはや「何だそりゃ?」であるが、別名・市川グランドホテルであって、要するにホテルの宴会場なのであった。

 

 終了後、市川から東京駅へ、最終の新幹線のぞみ君で大阪に戻る。前日が滋賀での仕事、翌日が大阪・なかもずでの公開授業だから、大阪のウェスティンホテルに3連泊した。というか、3連泊を予約した後で、市川の仕事の予定が増えたのである。

   (串カツ酒場 どん。親切でいい店だった)

 

 11月6日、夕暮れの地下鉄で梅田から中百舌鳥へ。中百舌鳥と書いて「なかもず」、読めない人も多いだろうから、地下鉄では昔からひらがな表記である。出席者130名。この2年ほど中百舌鳥での仕事も目白押しで、「2年で4回」となると、ほぼ定例な感じ。すでに2度目の出席となる受講生も多い。

 

 11月7日、広島県の呉で公開授業。広島駅前シェラトンホテルにチェックイン後、直ちに駅ビル内の「かなわ」に闖入し、生牡蠣10個と牡蠣うどんを貪る。その時の写真はすでに前々回の記事に掲載した。おなじみ「お一人さまはカウンター」なのであるが、コロナ蔓延の真っ只中ではむろんそのほうがありがたい。

 

 呉は、今も水害の記憶が癒えていない。広島から呉にクルマで向かう途中、「坂」という町を通過する。たくさんの人が水の犠牲になり、濁流の記憶は今も多くの人々のトラウマになっている。それでも呉で100名が参加。大いに明るく大爆笑を繰り返した。前回の記事、下から2枚目の写真がその時の様子である。

(広島の生牡蠣3連発は、本店「かき舟 かなわ」で〆る。今年1年の〆も兼ねる)

 

 11月10日は、岡山県新倉敷で公開授業。「広島と倉敷は目と鼻の先」というイメージがあるから、ワタクシは広島に2連泊してまたまた生牡蠣を満喫することにした。

 

 しかし諸君、広島から新倉敷へは遥かな旅路なのである。「こだま」でまるまる1時間。途中には東広島・三原・福山・新尾道の4駅が横たわっているが、こだま君は停車するたびにマコトにのんびり長々と停車する。

 

 それも3分や5分の話ではない。東広島で「14分停車します」には恐れ入った。のぞみ君3本に抜かれるのであるが、思わず「オレって何か悪いことでもした?」と天を仰ぐ気持ちに陥る。

(広島「かき舟 かなわ」にて、まずは生ガキ第1軍団を撃破)

 

 新倉敷は、新幹線が博多まで開通した後に、実にゆっくりと発展した町である。倉敷を名乗っていても、新倉敷から大原美術館や綺麗なお堀のある倉敷美観地区まで、クルマで少なくとも15分はかかる微妙な町だ。

 

 今回の公開授業は「新倉敷校 開校記念」という企画。まだ内部生はあまり多くないから、参加者の多くが「初めて来てみました」という外部の諸君。それでも参加者70名、「キャパの1/2」というルールにぴったんこカンカンの出席で、「初めて♡」というシチュエーションが信じられないほどの爆笑の連続になった。

(広島「かき舟 かなわ」にて、続いて生ガキ第2軍団も撃破)

 

 しかし諸君、夜10時を過ぎた新倉敷駅前に、すでに人影はない。静まり返った新幹線ホームで20分、こだま君の到着を待った。広島まで帰るこだま君は、ほぼ空気しか運んでいない。自由席も指定席も、各車両平均1人の乗客をしょんぼり運んでいく。

 

 しかしこういう日々でも、人々との出会いは続くのである。羽田空港のトンカツ屋さんでは「今井先生ですか?」「授業を受けてました♡」「大ファンです♡」という男子が近づいてきた。家族旅行の途中らしくて、6人連れ。若いママがスマホを構えて、一緒に写真に収まった。

(広島「かき舟 かなわ」にて、生ガキ第3軍団を撃破。すでに「かき釜飯」もセットされている。広島の3日で牡蠣80個を平らげた)

 

 それからも向こうのテーブルで「どれほど圧倒的に分かりやすいか」「どれほどたくさんファンがいるか」「後輩たちにもどれほど今井先生を薦めているか」、興奮気味に家族に語りかけている。他のテーブルのお客さんもそれを聞きつけて、興味深そうにこのサトイモに視線を向ける。いやはや、マコトに嬉しいトンカツだった。

 

 そうかと思えば、ANACAさんにも丁寧な挨拶をしていただいた。「かつてどんなにCAになりたかったか」「どれほど英語がニガテでCAの夢を諦めかけていたか」「今井先生に出会って、どんなに英語が得意になったか」。これもまたプレミアム席のお客さんたちが聞きつけて、みんな嬉しそうにサトイモを見つめてくれるのである。

(新倉敷から広島に帰る新幹線こだま君。この車両には今井君1人しかいない)

 

 11月10日、倉敷に向かう前にも、広島の駅ビルで生牡蠣を貪った。生牡蠣写真は、前回の記事に掲載した。この日は生牡蠣15個、かき雑炊、大根の肉味噌がけ。自らの肉体が次第に生牡蠣で形成されつつあることを意識しながら、それでも果てしなく生牡蠣を啜り続ける。

 

 11月11日、この日は仕事の予定はなくて、久しぶりに東京に帰るだけの日である。そうなれば当然、今年の広島の「生牡蠣の〆」をやっておかなければならなくて、平和祈念公園の対岸「かき舟 かなわ」を先月のうちから予約しておいた。

 

 すでに店の人たちとも顔なじみである。女将も従業員も、今井君の正体をご存知だ。毎年この「かなわ」本店を訪れ、人が聞いて驚くほどの生牡蠣で1年を〆る。

 

 ただし、やっぱり今井君も着実に年齢を重ねたので、食べる生牡蠣の数は減少気味である。一昨年45個、昨年40個、今年は30個。おやおや、ずいぶん常識的になってきた。5年前にはマルセイユで48個を2日連続したが、そういうバカバカしいことも、そろそろ卒業なのかもしれない。

 (かき釜飯、炊き上がりの勇姿。おいしゅーございました)

 

 今年はホントにイヤな1年だった。来年こそはコロナを退散させて、会場のキャパ100%、いや120%で、マスクなしの大爆笑を再開したい。そんな無理な夢を噛みしめながら、生牡蠣30個をドリンクのように平らげ、日本酒「ゴールド賀茂鶴」を720ml飲み干し、牡蠣の釜飯3人前を平らげた。

 

 そういう様子を隣のテーブルで眺めていた紳士が、静かな声で今井君に話しかけてきた。「かき雑炊と、かき釜飯と、かきカレー、〆にはそれがいいと思われますか?」とおっしゃる。「あんまり牡蠣の食べ方が素晴らしいので、どうしてもタダモノではないと思いました」とおっしゃるのである。

 

 そこから、紳士との会話が大いに盛り上がった。名刺もいただいた。東京・銀座の真ん中で帽子の店を営んでいらっしゃる。なるほど紳士はマコトにおしゃれな帽子をかぶっていらっしゃる。店に入ってくるなり今井君の様子を見て「おお」と一声、大きな歓声をあげたのであった。

(お茶碗に盛ったかき釜飯の勇姿。おいしゅーございました)

 

 かき雑炊をオススメして、それからずいぶん話し込んだ。今井君も、ボルサリーノの帽子を5つも6つも愛用する人間だ。一昨年暮れのロンドンで、高級ボーシを2つも購入して帰ってきた。

 

「着古したスーツやコートの生地でもボーシが作れます」とおっしゃる。さすが銀座の帽子屋さんだ。ワタクシは「40年愛用した冬用コート」「25年も大切に着たスーツ」の持ち主。「さすがにそろそろ処分しなきゃな」と思っていたが、思ひ出のたっぷり染み込んだコートとスーツを、冷酷に処分することなんか考えられなかった。

 

 ならば、ボーシにしてもらうのも悪くないだろう。コートとスーツの懐かしい手触りを、ボーシにしてコンパクトに手許に置いておけるなら、広島の生牡蠣の店での出会いもまた、オウチのタンスでしょんぼり待っているコート君とスーツ君に、しみじみと伝えてあげたいと思うのである。

 

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