Sun 201109 「ざろうえない」って?/昨年比10%を10年継続/咳エチケット 3976回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 201109 「ざろうえない」って?/昨年比10%を10年継続/咳エチケット 3976回

「ざろうえない」。文字でハッキリそう書いてあったのだから、書いた人は「ざろうえない」だと信じきっているに違いない。「…ざるを得ない」については、テレビのリポーターたちの発音から推して、かなりの割合で「ざろうえない」という特殊表現だと考えられている可能性が高い。

 

「コロナ禍」だって、「コロナうず」だと思ってた人がたくさんいらっしゃるぐらいだ。下手をすれば「コロ中」なんてのも存在するかもしれない。英語4技能なんかより、今は落ち着いてしっかり国語教育を充実させたほうがいい。

 

 しかし何しろ「国語教育なんかより、とにかく英会話」が世論。その「世論」だって、本来の発音は「せろん」のはずなのに、いつの間にか99%の人々が「よろん」。「せろん」は間違いだと信じている人も多い。「せろん」と発音すると、「お、今井が間違った」と、目の前の受講生諸君がニヤニヤする。

 

「よろん」は、正しく漢字で書けば「輿論」、人々の十分な論理的議論に基づいた意見を示す。一方の「世論=せろん」は、世間一般の感情、または国民全体の感情から出た意見。つまり「せろん」は、冷静な思考よりも感情の側に大きく偏ったものであって、輿論と世論を混同するのは間違いである。

(11月9日午後、広島に到着。駅ビルの「かなわ」で、さっそく生牡蠣を10個平らげる 1)

 

 むかしむかし「やまいコウモウにいる」と発音すると、国語の先生方に笑われた。正しくは「やまいコウコウにいる」であって、漢字で書けば「病、膏肓に入る」。「膏肓」の「膏」は心臓の下、「肓」は横隔膜の上。医者が一番手を焼く場所である。

 

 中国の春秋時代、晋の国の王様が病気になった時、病気の精が2人の幼児に姿を変えて、膏と肓に逃げ込んだ。医者にもとても治せない。そこで「病、膏肓に入る」。秋田高校1年生の時、古文漢文の高久先生に習った。

 

 高久先生はちょうどその年に定年退職され、国語の異様に得意な16歳の今井君がお気に入りで、とにかく難しい質問は何でも「今井、どう思う?」と指名してくれた。だからコチラも、何が何でも高久先生の期待に応えなきゃと考えて、夢中で古文漢文の音読に取り組んだ。

(11月9日午後、広島に到着。駅ビルの「かなわ」で、さっそく生牡蠣を10個平らげる 2)

 

 さて、北海道で再びコロナ感染が拡大し始めて、1123日の仕事が中止にならないか、今はそれも心配でならない。どこの仕事でも、ごく小規模な講演会でも、例外なく心から楽しみにしているのであるが、中でも3月の福岡、9月の金沢、11月の札幌、以上3つは500人を確実に超える大規模な公開授業。大袈裟に言えばワタクシの生きがいと言っていい。

 

 3月の福岡は、今年は中止になった。3月中旬、第1波の「感染拡大の重大局面」にあったのだから、中止は当然だったが、いやはや余りのショックで、いきなり5kgも太っちゃった。歩いても、歩いても、ショック太りはちっとも改善されなかった。

 

 9月の金沢も中止。今度は第2波拡大の重大局面であって、人々の意識はずいぶん緩んでいたが、500人も600人もの生徒諸君が集まれるような会場は見つからなかった。当時は「キャパの1/3」が条件だったから、600人出席のためにはキャパ1800人の会場が必要。パリのオペラ座でも借りなきゃ、実施は不可能だった。

 

 そして1123日、北海道では「800人、いや900人、いや1000人に達する可能性さえ」という勢い。万が一1000人が詰めかけても、全体を500人ずつに分け、キャパ1500人の会場を借りてダブルヘッダーにすれば、「キャパ1/3」が実現。コロナ禍の真っただ中でもOKが出るだろうと楽観していた。

(生牡蠣だけでは足りないので、広島名物「土手鍋うどん」を追加する)

 

 1123日は、ワタクシがこの上なく大事にしてきた恒例の講演会なのである。10年前、初めて札幌会場に呼ばれた。10年前は参加者300人。そこから毎年50人ずつ参加者が増えて、やがて「1回では収容できませんから」という嬉しい理由でダブルヘッダーになった。

 

 確か7年前までは、午前中が札幌駅前のホテル会場、お昼にクルマで1時間ほど移動して、午後は新札幌駅前のホテル会場で実施。最近は午前も午後も札幌駅前で、午前350人、午後300人、スタッフの皆さんの努力が着実に実って、参加者は10年前の2倍以上になった。

 

 こうして参加者は完全な右肩上がり。毎年毎年スタッフが躍り上がってハイタッチするほどの大成功を積み重ねて、大事に大事に育ててきた1123日なのである。

 

 諸君、毎年の参加者が前年比10%ずつ増加する。これはまさに理想的な成功のモデルケースであって、「昨年対比10%増」を10年続ければ、300名は10年後に800名になる。

 

 諸君もぜひ計算機でパチパチやってみたまえ。300は翌年330になり、さらに363  400  440  485  530  585  645  710  780。こうして10年後には800名に限りなく接近する。札幌の1123日は、まさにこの理想を達成、それどころか凌駕しようとしているわけだ。

 (11月上旬の明治神宮。観光客の数もグッと増えてきた)

 

 逆に「毎年20%減」という情けない数字を、ワタクシは佐々木ゼミナール(仮名)で体験したことがある。浪人生の激減とともに(というかそれに先駆けて)1995年から2005年の佐々木ゼミナールはまさにその「20%減の積み重ね」をやってしまった。またまた計算機の出番でござる。0.9を続けざまに掛け算してみたまえ。

 

 かつて8万人在籍した佐々木ゼミの浪人生は、翌年から64000  51000  40000  32000  26000 → 21000  16000  13000  11000  8000、当然の帰結であるが、10年で生徒数は1/10に激減した。

 

 今井君は佐々木ゼミ(仮名)を辞める前に、この数字を幹部の人に進言したのである。「努力しないと、10年で1/10になりますよ」。その恐ろしい未来を数字で示したのに、佐ゼミ幹部が鼻であしらうのを眺めて、ワタクシは呆れて東進への移籍を決意した。

(11月上旬、神宮外苑のイチョウ並木。今年の黄葉は早そうな気配だ)

 

 では「昨年対比200%」とか「昨対3倍になりました」などという激烈で華やかは生徒数の急増はどうか。「毎年ジワジワ10%増」などという地味な成長より、「あっという間に5倍増」みたいな爆発的拡大の方が、マスメディアもギュッと飛びつくミラクル世界じゃないか。

 

 しかしそこんトコロも、超ベテラン今井は自ら経験しているのである。20歳代にアルバイト気分で仕事をしていた塾で、今井は埼玉県内のとあるチェーン塾で校舎長を命じられた。「いきなり校舎長」はやっぱり光栄だから、若き今井は目いっぱい努力して、生徒数2ケタから一気に500名まで急伸させた。

 

 バラを山ほどビラまいた。正しくは、ビラを山ほどバラまいた。派手な入塾説明会を毎月4回も開催した。何しろ今井君だ、当時から話術はマコトに巧みであったから、小さなテナントビルの校舎に、あっという間にホントに500名、名前も覚えられないほどの生徒が集結した。

 

 しかし新学期スタートの直前になって、若き今井は血の気が引いて真っ青になったのである。小4から高3までの500名。9学年、各学年科目もフルに入っている。明らかに講師とスタッフが足りない。

 

 高3の英語と現代文と古文と日本史ぐらいは自分でできるが、中3の英数国9クラスだの、中2の英数国5クラスだの、そんなのいったい誰が真剣に担当するんだ。ましてや「面談」「個別指導」「成績管理」だなんて、もともと2ケタの生徒数でやっていた時とは、話が全く違うのである。

 

 というわけで、あの時の急激な崩壊の悪夢は、今なおトラウマである。生徒数急増なんてのは、まず間違いなく直後の大崩壊を招く。ゆっくりスタッフを育てながら誠実に成長するには、昨年比10%増が理想。時間をかけてスタッフをじっくり育てて行く以外、成長の道はないのだ。

(銀座7丁目で、ヒツジと牛肉の火鍋を満喫する。食べ放題、1人3000円だ)

 

 昨年の札幌は、ちょっと日付がずれて12月の第1日曜日になったが、前日には鵡川の町で大量のシシャモを貪り、翌日には音威子府まで北上して深い雪道を20分も歩き、温かい音威子府蕎麦をすすった。留萌本線の旅とか、旭川「すがわら」のラーメンの味とか、忘れがたい記憶も数多い。

 

 スタッフの皆さんとも、すっかり仲良くなった。このブログを熱心に読んでくださって、公開授業後は中華料理の店・ジビエの店・ステーキの店・ジンギスカンや魚介の店・ラーメン店各種、今井の好きそうな料理の店をしっかり予約して待ってくれていた。予備校の将来について熱く語り合う札幌の夜は、マコトに楽しい思ひ出なのである。

 

 しかし諸君、懇親会やら祝勝会やらはもちろん今年はガマンするとしても、みんなのたゆまぬ努力で「10年で3倍の参加者」という輝かしい実績を積み上げてきた公開授業が、万が一「第3波」の急拡大で中止に追い込まれでもしてみたまえ。

 

 10年の長い誠実な努力がコロナどんにせせら笑われるみたいで、今井はコロナへの怒り心頭に発し、またまたショックでプラス5kg太ってしまう。ベスト体重が76kg。すでに82kgまで来ているものが、88kgとか90kgとか、目も当てられぬ状況に至ってしまう。

(3種のつけ汁を沸騰させ、薄切り肉をギュッと熱して貪る。余計な脂が落ちるので、肉がナンボでも食べられる)

 

 思えば1018日、小樽での仕事の時に、すでに第3波の兆候はあったのだ。ちょうど紅葉の季節、紅葉を眺めようとスキー場のゴンドラに1時間半の列が出来たりした。狭い6人乗りゴンドラは当然のようにスーパー密の超満員。そこで6人ずつのクラスターが発生しても不思議はなかった。

 

 換気に関する意識に、緩みもあったかもしれない。新千歳空港で札幌行きの「快速エアポート」に乗り込み、換気を考えてすぐに窓を開けて回ったが、諸君、まもなく現れた車掌さんが、せっかく開け放った窓を次々に「ビシッ!!」「ビシッ!!」と丁寧に閉めていらっしゃる。

 

 もちろん車掌さんとしては、「こんなに寒いのに」「こんなにうるさいのに」という善意でやっていらっしゃったに違いない。確かに10月中旬、紅葉の北海道の空気は冷たかったし、何か車両の構造が違うのだろう、窓を開けると東京都内の電車とはレベルの違う激しい騒音が車内を満たした。

 

 しかしあの窓の締め方、「有無を言わさぬ」という迫力が漂っていた。普段ならあれほど頑固な今井君なのに、快速エアポートで窓を閉めて回った車窓さんには「換気のために開けました」の一言さえ言えなかったのである。

 

 きっと、「閉めるのが常識」というあの迫力が、北海道全域に行きわたっているのである。居酒屋でも、ジンギスカン屋やラーメン店でも、鉄道でもバスでもタクシーでも、「すみませんが、閉めてくれませんか?」「この寒いのに非常識」、やっぱり11月、ついに雪の降り出した北海道なら、過去2000年以上にわたって当たり前のことなのだ。

(激辛の唐辛子汁がグツグツと煮える。ここに肉を投入すれば、5秒で食べごろだ)

 

 しかし今年だけは話が違う。この後、東北でも北陸でも、東日本でも西日本でも、ギュッと厚着して換気に励もうじゃないか。とにかくマスクして手を洗って、咳エチケットを守ろうじゃないか。

 

 10日ほど前、東銀座のレストランで、女子グループ5人の隣のテーブルに導かれた。女子5人はマコトに仲が良くて、食事が終わった後も延々とオシャベリに夢中になっていたが、左端の女子がいきなりワタクシの方を向いて激しく咳き込んだ。

 

 自粛ケーサツになりたくはないが、さすがにこのエチケットはひどい。グループの仲間たちに迷惑をかけたくないのは分かるけれども、隣のテーブルのほうを向いて激しく咳き込めば、そのシブキは全てコチラにベチャベチャ飛んでくる。普段でもイヤだが、「コロ仲」「コロナうず」の今はますます困るのだ。

 

 この10年、タバコの煙と言ふものに関しても、同様のエチケット違反が相次いだ。グループの方には煙を吐かない。隣のテーブルに向かって紫の煙をプハーッと吐いて、それが正しいマナーのような顔をする。さすがにこんなのがまかり通っていては、感染拡大は滅多なことじゃ抑えられないんじゃないかい?

 

1E(Cd) SPANISH MUSIC FROM THE 16th CENTURY

2E(Cd) The Scholars baroque EnsemblePURCELLTHE FAIRY QUEEN 1/2

3E(Cd) The Scholars baroque EnsemblePURCELLTHE FAIRY QUEEN 2/2

6D(DMv) THESE FINAL HOURS

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