Tue 201027 ハタと膝を打つ/初の挫折に蒼ざめる/挫折街道を大驀進せよ 3973回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 201027 ハタと膝を打つ/初の挫折に蒼ざめる/挫折街道を大驀進せよ 3973回

  ワタクシは小学校でも中学校でも「クラス委員」「学級委員」の常連だったから、クラス委員が要するに「名誉職」であって、選ばれたからといって別に得もしないし、特別な仕事なんか何にもないのを知っている。「クラス委員としての仕事が忙しくて、勉強にも部活にも集中できない」などという話には決してならない。

 

 中3の時、ワタクシは3年4組のクラス委員を引き受けた。クラスの人気は野球部のエースで4番、身長180cmの池田君が圧倒していたけれども、池田君は「クラス委員なんかになったら野球に集中できない」と言って、頑として就任を断り続けた。

 

 当時14歳の今井君は、「では池田君が野球部を引退する8月までワタクシがやりましょう」「2学期からは池田君がクラス委員をやってください」と提案した。提案は容れられて、春から夏までのクラス委員を引き受けることになった。

 

 今井君自身、生徒会の仕事が目いっぱいで忙しかったけれども、野球部の大スターが「イヤだ」「絶対にイヤだ」と固辞している姿を眺めれば、夏までのクラス委員を肩代わりしないわけにはいかなかった。

(北海道大学のヒツジ君。驚異的な食欲で草を食み続ける 1)

 

 ホントにやりたいことがあって、全精力をそこに集中したい時に、意味のない名誉職のために1分でも1秒でも「やりたいこと」への集中を削がれるのは、誰だってイヤなものである。真剣な学者や研究者なら、専門と無関係の雑務を伴う名誉職に選ばれた場合、「イヤですよ、そんなの」と固辞するのが一般的のような気がする。

 

 ところが諸君、日本に数十万人も存在する学者&研究者の中から約100人、「名誉職に推薦される」という迷惑な制度が戦後直後に作られた。「学術会議」というのがその名であるが、超一流の先生方の研究のための大切な時間を、雑務でギュッと無駄に浪費するのである。

 

 もちろんワタクシなんか、そんな高貴な名誉ある立場に推薦されることは1億%ありえない平凡な予備校講師に過ぎないが、「億が一」ないし「兆が一」という前提で「授業の専門家」という名目で声がかかったとしても、「いや、日々の授業のほうが圧倒的に大事なので」と一言、どんな偉い人が推薦してくれても、瞬時にお断りを申し上げる。

(10月18日、小樽から札幌に戻って、北海道大学のポプラ並木を散策した)

 

 だから、「推薦されたのに任命されなかった」「違法だ」「違憲だ」と激怒なさっている超一流の学者の皆さんの表情を拝見し、そのお言葉をうかがいながら、違和感というか、驚きというか、「いったいどうして?」というダラシない疑問をぬぐいきれないのである。

 

 もしもワタクシが研究者なら、「推薦されました」という連絡がきた段階で「いやいやそれは迷惑だ」「ヤメてもらえませんか」「イヤです。研究と授業のための大切な時間を無駄にしたくありません」「推薦なんか取り下げてください」と平身低頭、何が何でもそんな名誉職には就きたくない。

 

「イヤだから、イヤだ」。文化勲章の授賞について、随筆家・内田百閒はその一言で断っちゃった。我が敬愛する伯父・加藤一夫も、せっかくの勲2等を「欲しくない」と言って断った。秋田の浜辺の田舎から静岡大学総長まで登りつめたのに、いやはや甥としてもマコトに残念な頑固さであった。

(北海道大学のヒツジ君。驚異的な食欲で草を食み続ける 2)

 

 推薦されたことで、「迷惑」「ありがた迷惑」「よしてくれよ」と深い溜息をつき、家族や弟子たちに「まあそう言わずに」と苦笑でたしなめられる。重苦しい気分を抱えて日々、憂鬱で憂鬱でならない。

 

 そんなある日、「教養がないとメディアに噂される首相」「強引な人事が持ち味の新総理」が、理由も確認せずに官僚の言いなりになって「ワダスはアンタを任命すません」「ワダスはそうした理由を言いません」と開き直った。

 

 頑固な先生としては「とにかくホッとした」「つまらん雑務や会議に出なくて済むんだ」と、むしろ快哉を叫ぶんじゃなかろうか。「これで研究に集中できる」「院生たちを厳しく鍛えられる」とニヤリ、その晩だけは銀座の火鍋屋でコッソリ同輩と祝杯をあげるだろう。

(北海道大学のヒツジ君。驚異的な食欲で草を食み続ける 3)

 

 というか、任命されないことを「違法だ」「違憲だ」と熱く口にする場合、社会科学や法律の専門家であれば、そんなメンドーな記者会見を開く暇があったら、直ちに法的措置を講じればいいだけの話である。仲間か教え子か、教え子のそのまた教え子の新進気鋭の弁護士にでも連絡すれば、その「法的措置」の手続きはそれほど複雑なことではない。

 

 ま、何しろ無知なワタクシだ。これ以上難しいことは全く分からない。しかし「任命されなくてホッとした」と祝杯をあげているんじゃなかろうかと想像していた先生方が、「違憲だ」とまで怪気炎をあげている姿、マグマのようなそのエネルギーに感激しつつ、怪気炎のあまりの勢いに「いったいどうして?」と1週間、41℃のお風呂に毎日1時間つかって、大汗かきながら熟考を続けた。

(北海道のヒツジに触発されたワタクシは、サッポロビール園を訪ねることにした)

 

 そして諸君、ワタクシなりに「はた!!」と激しく膝を打ったのである。なでしこの猫パンチは「はっし!!」だったが、今井君の里芋パンチは「はた!!」。右手で力強く右の膝を打てば、そのあまりの勢いに激辛の火鍋の汁も飛び散るほどである。

 

 世の中には「挫折」と言ふ大切な経験があって、挫折の数だけ人は打たれ強くなる。今井君の挫折は数かぎりない。18歳の春、東京大学に入学を拒絶されたのが最初の挫折だった。

 

 この場合、「拒絶の理由」なんてのが明らかにされることはない。自分はどんなに出来たつもりでも「不合格」の一言が無慈悲に投げつけられるだけである。そこから30歳までは、挫折&挫折&挫折の連続。何をやってもダメ、何を試みても拒絶された。

 

 例えば諸君、司法試験や就職活動でも同じことだ。5年も6年も司法試験にチャレンジし、「司法試験予備校」「マスコミ塾」の模擬試験では素晴らしい成績を取り続けているのに、本番はどうしても通過できない人は少なくない。その時「就業の自由を侵された」などと不平を叩きつけるのは、まさに児戯に等しい。

 

 あるいは作家志望の若者が新人文学賞に応募しても、受賞どころか2次審査やら3次審査すら通過できない時、その挫折に対して「理由の開示」なんてのは一切ありえない。アニメや絵画や音楽のコンクールでも事情はいっしょで、「なぜボクが選ばれないの?」という質問は、やっぱりありえないのである。

(サッポロビール園でジンギスカンを貪る。大好きなのは、このクラシックタイプである 1)

 

 特にヒドいのは就職活動である。今井君はそこだけはマコトに巧みに立ち回って、最終学年の10月1日にシューカツを開始、10月7日には内定獲得、そういう非常識なハナレワザをやってのけたが、マトモな人は半年も1年もシューカツを続けて、理由を一切開示されずに「とおせんぼ」、約100回も挫折を経験する。

 

 経験した人以外は、あの屈辱を理解することはできない。人事部のオジサマが「コチラからの連絡がなかったら、ご縁がなかったということで」とニヤリ。そしてほとんどの場合、「コチラからの連絡」なんてのは来ないのである。

 

 その時、「理由を言え」「ワタシを選ばない理由を明確にせよ」「選ばないのは、何か世間に言えない理由があるんじゃないのか?」「正しく客観的に実力を見てくれていない」などとゴネ回れば、「世間知らず」「オトナになりなさい」「そんな幼稚なことを言ってるから選ばれないのよ」と、周囲に一蹴される。

 

 大学院入試とか、給費留学とか、教授ポスト争奪戦とか、その辺になると、指導教授の「推薦状」だの、強力なコネクションだの、政財界の有力者からの電話連絡だの推薦だの、一般人からすると垂涎の的になるようなシロモノが舞台裏でチラチラするのであるが、ここまでくると「慣例上、推薦されたらポストは自動的に自分のモノ」という不文律の存在を如実に感じることになる。

(サッポロビール園でジンギスカンを貪る。大好きなのは、このクラシックタイプである 2)

 

 それなのに諸君、おそらく生まれて初めて「推薦されたのに、選ばれない」という屈辱を経験をなさるのだ。子供の頃から、エリート中のエリート。「選ばれなかった」などという屈辱は、クラス委員選挙でも中学入試でも高校入試でも、とにかくそんな挫折は一度も経験しておられない。

 

「夏休み自由研究コンクール」「読書感想文コンクール」「高校生ディベート大会」「青春メッセージ全国大会」。みんなみんなストレートに通過して「金賞」「グランプリ」を総なめ。東大だろうが京大だろうが、学部合格は当たり前。「塾なんか通わずに合格」どころか、「予備校に頼らなきゃ東大に合格できないの?」と、友人に真顔で問いかける。

 

 学部時代も、東大王みたいなのは「メディアに出るのは3流」と見くだして、サッサと教授に才能を見出され、「キミには大学院で研究を続けてもらいたい」「ぜひドクターコースに来てくれ」と誘われる。愚直に院試の準備をしている友人に、「キミは平凡に就職した方がいいんじゃん?」と、これまた真顔で忠告したりする。

 

 つまり「選ばれなかった経験のない超エリート」たちなのだ。日本に数十万人も存在する研究者の中から、わずか100人が選ばれるとすれば、いま我々の目の前で「選ばれなかった」「拒否された」人々は、60年にも及ぶ人生で、初めての経験をなさったことになる。

(サッポロビール園でジンギスカンを貪る。大好きなのは、このクラシックタイプである 3)

 

 バカなワタクシならホッと胸をなでおろして「任命されなくてよかった」「助かった」と快哉を叫ぶだろう場面で、超エリートの人々は、さすがに呆然と立ちすくむのである。この程度のことを「挫折」と感じて立ちすくむのは、挫折を一度も経験したことのないスーパーエリートな人々としては、当然のことなのかもしれない。

 

 だって諸君、彼ら彼女らにありえない挫折を味わわせてしまったのは、共同通信によれば「所信表明の原稿を6度も読み間違えた」叩き上げの新首相。秋田訛りの染みついた、徹底的なリアリズム優先の男だ。

 

 こまめで多彩な戦術には長けていても、あさイチ新聞(仮名)の好きそうな抽象的な美辞麗句や、ポエム満載のユメや戦略は語らない。あくまで地味な職人肌。エリート臭は皆無である。

 

「選ばれないなんてありえない♨︎」「ありえない♨︎」。超エリートにとって、ワナワナするほどの屈辱であって当然だ。ワタクシはこの種の問題の専門家ではないから、この問題の決着がどうなるか、どうなるべきであるか、そんなことはちっとも分からない。いま目の前にあるたくさんの緊急課題を、具体的にどんどん解決することに集中してもらいたいだけである。

 

 しかしやっぱり若いうちの挫折ってのは、「カネで買ってでも経験しろ」なのである。大学入試でも就職活動でも、諸君、無謀と失笑されようが、無理だ&無駄だと嘲笑されようが、バリバリ何にでも果敢にチャレンジして、コスモスの咲き乱れる挫折街道を大驀進、とにかく行けるところまで恐れずに突き進む尊さを、今ここで確認しようじゃないか。

 

1E(Cd) Ibn BayaMUSICA ANDALUSI

2E(Cd) T.BeechamBERLIOZLES TROYENS 1/3

3E(Cd) T.BeechamBERLIOZLES TROYENS 2/3

4E(Cd) AnastasiaSOUVENIR DE MOSCOW

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