Wed 201007 ハーシュな世界/耕して天に到る/能登の棚田/淡交を旨とすべし 3969回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 201007 ハーシュな世界/耕して天に到る/能登の棚田/淡交を旨とすべし 3969回

 ワタクシのファーストネームは「Hiroshi」であって、まさに昭和男子を代表する素晴らしいお名前である。Hiroshiはとっても優しくて、年を重ねるに連れてその優しさは幾何級数的にアップしつつある。もはや「怒る」はおろか「苛立つ」ことさえほぼ皆無、「ムカつく」などという言葉ともほとんど無縁である。

 

 しかしHiroshiのスペルをホンの少し変換し、「Hirsch」ということになると、話は全く別になる。類似の発音の単語「harsh」は、「過酷な」「トゲトゲしい」「無情な」「残酷な」「不快な」「荒々しい」であるが、きっと「ハーシュ」という音声は、優しい「ヒロシ」とはベクトルが反対向きなのだ♡

 

 George E. Hirschと言ふ名の物理学者が考案したのが、科学者の貢献度を示す「h- index」。日本語では「h指数」と呼ぶ。科学者はノンキに好きな論文を書きまくっていれば済むのかというと、そうはいかない。

 

 科学者の貢献度は「他の論文の中にどれだけ引用されたか」で決まるというのである。自然科学だけではない。人文科学でも社会科学でも、容赦なくこれが適用される。

 

 いやはや、そりゃ厳しい。余りにHarshじゃないか。今井君のブログみたいに「たくさん書きました」じゃビシッとダメ出しされてしまい、「単純な論文の数だけでは、論文の質が保証されない」「その論文が他の論文に引用された数を規準にする」とおっしゃるのだ。

 

 しかしそれでもなお、まだまだ難しい話が続く。「10回もの引用を受ける論文を1本書くか、たった1回しか引用されない論文を10本書くか」の問題になるらしい。

 

 単純なワタクシなんかは100万部売れる本を1冊書くほうが、1万部しか売れない本を100冊書くよりずっとラクでいいと思うのだが、何せ学者の世界は難しくてよく分からない。

(耕して天に至る奥能登の千枚田。日本海の向こうはウラジオストクだ 1)

 

「日本学術会議」みたいなものに60歳を過ぎた学者さんが推薦され、公費からそれなりの報酬を得られなければ「学問の自由の侵害だ」ということになるらしいが、一般社会なら定年過ぎの老練な学者の皆さまなんかも、常に「h-index」こと「h指数」を周囲の同僚から計測&監視されているのである。

 

 その指数が「ゼロ」ないし「限りなくゼロに近い」と言ふことになれば、「税金を使う対象ではない」と見なされる。今井君なんかは「書けば書くほどいいじゃないか」「書きまくっていれば、いつか瓢箪からコマでノーベル賞並みの傑作が生まれるかもしれないじゃないか」とも思うのだが、ハーシュな世界はその楽観論を許してくれない。

 

 ワタクシは、そんなに難しいハーシュな世界には耐えられない。つくづく、早めに諦めて良かったと胸を撫でおろす。学部3年の冬、ゼミの教授に「キミは文章を書いて一生を生きてみないか?」と言われ、これは大学院へのお誘いだと感じて天にも昇る歓喜を味わった。

 

 教授に「来ないか」「来てくれよ」と誘われて修士課程に進むのと、誘われてもいないのに無理やり大学院を受験するのとでは、気持ちに天と地の違いがある。「論文を書いて一生を過ごさないか?」だなんてのは、滅多なことで言ってもらえる言葉ではない。いやはや、自室に帰ってからほとんど夜明けまで、天に向かってコブシを突き上げ続けたものだった。

 

 ワタクシは、天にも昇る歓喜の中にいる時にはコブシを激しく突き上げるくせがある。2013年秋、オリンピック2020が「TOKYO!!」と決まった瞬間には、サンパウロのホテルにいてコブシを突き上げた。20188月、甲子園の準々決勝で金足農の2ランスクイズが決まった時も、半地下の自室で激しくコブシを突き上げた。

(廃止された七尾線・輪島駅。おやおや、この先はシベリアであるらしい 1)

 

 しかし諸君、どんなに指導教授が「論文を書いて一生を過ごさないか」と誘ってくれたって、学者どうしが極めてハーシュな関係で他者の貢献度を測っているなどという状況では、怠惰で旅好きな今井君がタラタラ暢気に生きていけるとは思えない。冷静にご遠慮を申し上げるしかなかった。

 

 そういう経験もあって、ハーシュな世界とは無縁のマコトに優しいHiroshi君は、大人しく「単なる積み上げ派」に組している。単純に積み上げて積み上げて、どこまでも愚直に愚直に積み上げて、気がついたら天に至っているような、平凡で誠実な人生を理想とするのである。

 

 中学生の頃、10分の休憩時間には「美術」の教科書を眺めて過ごすことがよくあった。別に「友達がいなかった」というのではないが、友達というのもなかなかメンドーであって、何も毎時間ごとに一緒にトイレにいかなくてもよさそうなものだ。

 

 トイレでさっきの授業の悪口を言い合えば、その科目もその先生もキライになるのがオチでじゃないか。そこで「トイレはいいや」と断って、美術の教科書をペラペラやるのである。

 

「美術の教科書」なんてのは、授業中にはほとんど出番がない。デッサンをして、水彩画を描いて、たまには彫刻もして、美術の時間の男子はイタズラばかりで終わってしまう。少なくとも当時の今井君はそうで、弁当の包み紙のアルミを丸めて女子生徒にぶつけるぐらいしか楽しみはなかった。

 

 しかし諸君、美術の教科書をペラペラやってみると、こりゃいいや、一部まだ汲み取り式の残る強烈に臭いトイレ(というより「便所」)で先生の悪口に興じるより遥かに楽しい。面白い絵や彫刻がナンボでも載っている。棚田の絶景を描いた藤島武二「耕して天に至る」というのも、チュー坊♨︎今井のお気に入りの1枚だった。

(廃止された七尾線・輪島駅。おやおや、この先はシベリアであるらしい 2)

 

 山地や島嶼部の丘陵地を切り開き、急傾斜の土地に水田や畑を耕して、数十段の棚のように積み上げていく。広大な農地を作れない貧しい土地で、勤勉な農民が幾世代にもわたって営々と築き上げたのが棚田である。瀬戸内海・信州・奥能登など、耕して天に到った棚田の光景はマコトに感動的である。

 

  広大な耕作地に恵まれた中国の人々が、日本の棚田の風景に感激するのも当たり前だろう。日本を訪れた李鴻章も孫文も、「耕して天に到る、勤勉なるかな、貧なるかな」と慨嘆した。「貧なるかな」は余計なお世話であるが、「勤勉なるかな」の一言には思わず熱い涙が流れ、またまたコブシを天に突き上げたくなる。

 

 9月29日、前日の金沢の大盛況に気をよくしたワタクシは、せっかくの石川県訪問だし、高速バスで2時間半、能登半島を北上してはるばる輪島の町を訪ねることにした。前日の単独懇親会で、はるか年上の仲居のオバサマとお相撲の話で盛り上がり、名横綱・輪島の話が出たのもキッカケの1つである。

 

 しかし諸君、やっぱり「耕して天に到る」が見たいじゃないか。輪島からクルマで15分ほど。奥能登の奥の奥に、日本で一番有名な棚田の1つ「千枚田」がある。

 

「論文を書いて過ごす」という超エリートな一生を22歳で諦めたHiroshiとしては、ハーシュなh指数なんか気にせずに、丹念に1枚1枚小さな田んぼを耕して、いつの間にか天に到った光景はやっぱり憧れである。

(耕して天に至る奥能登の千枚田。日本海の向こうはウラジオストクだ 2)

 

 朝市で有名な輪島であるが、コロナの災禍は免れない。バスツアーで押し寄せる大量のインバウンドはぴったり止まり、やってくるのはせいぜいマイカー旅の4〜5人グループばかり。朝市のオバーチャンたちもすっかりションボリして、フグやタコの一夜干しに自家製カラスミなど、店に広げているのは乾物ばかりである。

 

「今日は大型観光バスが2台も来たぞ」と、それが話題になっている。新鮮な野菜や魚介がズラリと並んでいるものと期待して朝市を訪れても、何しろ乾物ばかりだから、1000円単位の小さな商談もほとんど成立しない。

 

 客はみんな「ひと回りしてからまた来ます」と遠慮がちに断り、その連続に呆れ果てたオバーチャンが「今日は回ってくるお客さんばっかりや」と大きな声で皮肉を言う。正午までのはずが、11時過ぎにはもうサッサと干物ばかりの店を閉め始めていた。

 

 ワタクシは観光案内所のオネーサマにお願いしてタクシーを1台呼んでもらい、念願の奥能登・千枚田を見にいくことにした。運転手さんは「右今さん」という親切な人で、別に貸切観光をお願いしたわけでもないのに、詳しく説明しながら棚田を一緒に一周してくださった。

 

 廃止された七尾線・輪島駅の表示にあった通り、日本海の向こうはもうシベリアだ。日本海の水平線には「七つ岩」が浮かび、今も100名超の人々が生活する舳倉島(へぐらじま)へのフェリーが運航している。

(能登豚のとんかつ定食。おいしゅーございました。アップルのマークよろしく、一口かじってから撮影いたしました)

 

 棚田は、ちょうど稲刈りが終わったところで、「コシヒカリより旨い」と自慢の「ノトヒカリ」が棚田の主流だという。たくさんのバッタがいて、そのバッタを狙うヘビも日なたに出てくる。「笠や蓑に隠れてしまう」という笑い話があるほどに小さい田んぼが折り重なって千枚、確かに耕して天に到る。

 

 そういう光景に感激して30分、運転手の右今さんと一緒に険しい坂道を登って、やがてシエスタのように静まり返った輪島の町に帰ってきた。有名な能登牛の食堂で、あえて能登豚のとんかつ定食に舌鼓を打った。昨日の単独懇親会に続き、再びの単独祝勝会である。

 

 こんなことを続けていると、「今井には友達はいないのか?」と言われそうだが、ワタクシの交友の真骨頂はあくまで「淡交」である。全国各地に地酒のように友達やら何やらを配置して、出張するごとに呼び出しては旧交をギュッと温めるような濃厚な付き合いは苦手なのだから仕方がない。

 

 ましてやそれが仕事がらみになれば、「誰がカネを払うか」「領収書がどっちにいくか」「請求書の宛名をどうするか」に始まり、おかしな争いが起こったり、変な派閥ができたり、むしろマイナスに働くようなアリサマになりかねない。

 

 懇親会も祝勝会も、大人になったら淡交こそ旨とすべし。棚田を地道に積み重ねてきたつもりの、たいへん地味で平凡なオジサマによる人生訓である。

 

1E(Cd) Ralph TownerANA

2E(Cd) Weather ReportHEAVY WEATHER

3E(Cd) Sonny ClarkCOOL STRUTTIN’

4E(Cd) Kenny DorhamQUIET KENNY

5E(Cd) Shelly Manne & His FriendsMY FAIR LADY

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