Mon 200817 午前4時が大好きだ/白いネコのこと(アドリア海岸探険記21)3961回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 200817 午前4時が大好きだ/白いネコのこと(アドリア海岸探険記21)3961回

 マジメでマトモな生活を送っている人々には理解不能かもしれないが、ワタクシはむかしむかしのその昔から、午前4時が大好きなのである。夏は、午前4時まで目を覚ましている。冬は、午前4時にむっくりネグラから起き上がる。

 

 朝8時半に授業が始まる学生諸君や、9時には職場に到着していなきゃならない社会人の皆さまには、そりゃ土台ムリなことである。ワタクシだって、高校3年の秋までは午前4時の醍醐味を滅多に味わえなかった。

      (2019年9月7日、ナポリ風景 1)

 

 ホンの短期間だけマジメな正社員をやっていた頃には、午前4時の魅惑を諦めざるを得なかった。「マジメな正社員」という栄光と安定の座をいともカンタンに放棄したのも、午前4時の魅惑に負けたからである。

 

 いや諸君、予備校講師の超ベテランとして、ホントはこんなダラしない告白をしてはならないのだ。規則正しい生活をしましょう。早寝・早起き・朝ごはん、そういうチャンとした生活をしていれば、第一志望合格は自ずからキミのものです。夜更かしなんか、完全に本末転倒です。そう書かなきゃきっと叱られる。

      (2019年9月7日、ナポリ風景 2)

 

 しかしやっぱり、本末転倒ほど楽しい生活様式はワタクシには考えられない。午前4時の魅惑を知ったのは、中3から高1の春休みだった。春休みは3月18日に始まり、4月6日まで続いた。あの2週間、毎日午前4時まで本を読みまくって、庭のスズメたちの囀りを聞きながら冷たいネグラにもぐりこんだ。

 

 おそらくあそこで、ワタクシの可能性の大半が失われたのである。たとえ春休みでも、午前4時まで起きていて9時起床、そんな自堕落な生活に染まるようじゃ、もう誰にもエリートとして認めてもらえない。それでも、春の午前4時、かなたの薄闇でカラスが鳴きかわす声を聞かなければ気が済まなかった。

      (2019年9月7日、ナポリ風景 3)

 

 高校時代の夏休みも冬休みも、午前4時を満喫することに夢中になった。夏休みは4時まで起きていて、冬休みは4時にねぐらから出た。7月の4時はすでに夜が明けかかっていたが、12月の4時は夜明けまでまだ3時間を残して、暗闇に灯をともして3時間ニヤニヤしているのが無上の楽しみだった。

 

 高3の11月に医学部志望からいきなり文転して、いやはや文系科目がとても間に合いそうになかったから、毎日4時に起きて日本史と世界史の追い込みに励んだ。睡眠時間は極端に短くなったが、古い石油ストーブの赤い火を眺めて過ごしたあの3ヶ月間も、また素晴らしい日々だった。

(ナポリの絶景を眺めるには、このケーブルカーを利用する)

 

 大学入学後はまさに夢のような毎日であって、午前4時まで起きていても、誰にも文句を言われない。5時とか6時までの完全徹夜を続ければ、生活が完全に破壊される可能性が高いが、午前4時なら「準♡破壊」ぐらいで済む。

 

 誰ももう起きていない、誰もまだ起き出して来ない、そういう時間帯に黒々と目を開けて、ロクでもない本を読み漁り、ロクでもない妄想を巡らせてニタニタしていれば、大学学部の日々なんか簡単に過ぎ去ってしまう。エリートとして生きるチャンスは完全に失われた。

      (2019年9月7日、ナポリ風景 4)

 

 というわけで諸君、「エリートとして生きる栄光」「安定」「充実」みたいなもの全てと引き換えに、30歳のワタクシは「午前4時の魅惑」を選ぶことにした。予備校講師なら、まあ何とかその魅惑を味わって、他者に叱られることはない。

 

 90分授業を5コマ、それで疲労困憊して帰宅し、夕食に強めの酒をグビリとあおれば、日付が変わる頃まで仮眠できる。午前0時、仮眠のソファからむっくり重い肉体を引き剥がして机に向かう。昔はまだオシャレだったから、「紅茶にブランデーを垂らして」などという甘い飲み物で満足した。

 

 いやはや、こりゃまさに至福のひとときであって、ロクでもない本を読んでもいいし、ロクでもない思索や妄想に耽ってもいいし、ロクでもない音楽やら芝居の映像やらを楽しんでもいい。この12年、ブログのロクでもない原稿を書いていたのもその時間帯が多かった。

 

 そして4時、はるかな昔と同じように、庭のスズメが囀り出すのである。今の季節ならセミが遠慮がちに鳴き始める。大昔は「牛乳屋さん」が来てガラス瓶をガチャガチャ言わせたが、「コオロギが鳴き出した」「今年もカネタタキが鳴き出した」と気づくのも、午前4時の頃である。

      (2019年9月7日、ナポリ風景 5)

 

 こんな非常識な猛暑が続いていても、6月下旬の夏至からはすでに2ヶ月が経過した。秋分の日まであと1ヶ月である。夏至の頃に比較すれば、日の出もグッと遅くなって、4時ではまだ朝の光を感じない。朝の気配を遠くにホンノリ感じる程度である。

 

 そういう時間帯に「どーれ、寝ますか?」と呟きながら、ねぐらに潜り込む。すでにお酒はだいぶ進んで、ブランデーやウィスキーならボトル半分。飲み始めたのは午後8時のビールだから、酔いも混じって睡魔は深い。これほどの幸福は、残念ながらワタクシには他に考えられないのである。

      (2019年9月7日、カプリ島の風景)

 

 これでもしも傍にネコがいてくれたら、不足は一切ない。昨年の今頃までは、純白のニャゴロワがいた。4年前の今頃までは、キジトラのナデシコもいた。酒のグラスに氷を満たす音に片目を開けて、迷惑そうに短く一声かけてきた。

 

 その時間帯でもニャゴロワはいきなり100%覚醒して、どこまでも追いかけてくることがあった。「追いかけてくる」のではなくて、むしろ先に立ってソファのほうに導くのである。

     (ありし日のニャゴロワ、午前4時 1)

 

「背中をなでなさい」「頭をなでなさい」、ないし「お腹が減りました」「何か食べるものは?」という要求であって、そういう時には「クルル」「クルル」と低く喉を鳴らした。

 

「ネコのクルル鳴き」といって、滅多に聞けない愛情表現であるが、朝4時の薄闇の中で、ニャゴは頻繁に、というよりほとんど毎日、クルルクルルと呟きながら人を先導していった。

 

 ニャゴが天国に旅立ったのは昨年1016日であるから、去年の今頃はまだ元気だった。16歳を過ぎたシニア猫ではあったが、病気の気配なんか全くなかった。相変わらず「クルル」「クルル」と、午前4時に起きているダメな人間を先導して、難しい顔でいろいろの要求をした。

     (ありし日のニャゴロワ、午前4時 2)

 

 旅先でも、ワタクシは午前4時にムックリ起きるのである。外国旅行中でも、午前4時の魅惑を逃すことができない。起き上がって、しばらくボンヤリ周囲を見回して、まだいくらでも寝ていられる時間帯なのに、起き上がって風呂にお湯を満たす。

 

 お風呂で1時間過ごして、冷蔵庫からビールを取り出して1本、ほぼ一息で飲み干すのである。そういう時には缶ビールより瓶ビールが圧倒的に旨いので、ハイネケンかモレッティの瓶ビールを近くのスーパーで買いだめしておく。

   (カプリ島、HOTEL GATTO BIANCOにて 1)

 

 この12年、海外の旅先でブログ記事を書いたのは、ほぼ例外なしにこの時間帯である。夏以外のヨーロッパの夜明けは遅いから、書き終えてもまだ夜明けはまだまだ先。というか、書き終えてもう一度ベッドに入っても、まだ夜明けまでぐっすり眠る余裕が残っていた。

 

 昨年9月7日、バーリに2週間滞在中のワタクシは、突然思い立ってアペニン山脈を横断し、4年ぶりにナポリの街を訪ねたわけであるが、その日の宿泊はナポリからさらに船で1時間、カプリ島の「白猫ホテル」(イタリア名:アルベルゴ・ガット・ビアンコ)を予約しておいた。ニャゴロワそっくりのホテルの白猫はもうとっくに天国に去ったが、今も茶トラの猫がホテルの看板になっている。

   (カプリ島、HOTEL GATTO BIANCOにて 2)

 

 ナポリのオジサマたちから奇妙なほど優しくされた1日であって、ケーブルカー乗り場でも、カプリへの高速船乗り場でも、ニワカには信じ難いほどの親切を受けた。

 

 親切すぎて怪しいぐらいであり、詳細をここに書くのは遠慮しておくが、ま、終わりよければ全てヨシ。カプリ行きの船に完全に乗り遅れそうになるところ、ナポリのオジサマの熱く力強い手助けで、無理やり乗り込むことができた。

   (カプリ島、HOTEL GATTO BIANCOにて 3)

 

 カプリは高級リゾートで、夕暮れになるとドレスアップしたオジサマ・オバサマ&オネーサマの天下になる。もちろん怪しいオジサマ&オネーサマも闊歩するから、19世紀のマボロシのような怪しい世界も存在する。

 

 そういう島の夕暮れの中を散策しながら、高級メガネ店のウィンドウに発見したのが、丸く美しい眼鏡のフレーム。「どうしてもこのメガネを手に入れたい」という熱い思いがこみ上げた。そして諸君、昨年の暮れからワタクシが身につけている丸メガネが、まさにそれなのである。

   (カプリ島、HOTEL GATTO BIANCOにて 4)

 

 翌朝のカプリは、午前4時すぎから激しい雷雨に襲われた。地中海の北岸は、例年9月5日から10日にかけて、夏と秋を分ける激しい雷雨に見舞われる。マッジョーレ湖でもマルセイユでも、ニースでもマントンでも、バルセロナでもガルダ湖のシルミオーネでも、同じ9月の雷雨を経験した。

 

 この日のカプリは急激に冷え込んで、長袖でも震えが止まらないぐらい。大好きな午前4時に起床はしたが、すでに「意地でも毎日ブログ更新」の世界は卒業していたから、白猫ホテルにはパソコンを持参していない。そのままベッドで朝8時までゆっくりして、冷え込むカプリから一路東へ、まだ暑いアドリア海岸に戻ることにした。

(カプリ島の高級ブランド店で、美しいフレームを発見。これが今のメガネになる)

 

1E(Cd) John ColtraneIMPRESSION

2E(Cd) John ColtraneSUN SHIP

3E(Cd) John ColtraneJUPITER VARIATION

4E(Cd) John ColtraneAFRICABRASS

5E(Cd) Bill EvansGETTING SENTIMENTAL

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