Fri 200710 私はミツになりました/兵庫と神奈川でお仕事/インデアンカレー 3955回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 200710 私はミツになりました/兵庫と神奈川でお仕事/インデアンカレー 3955回

 日本中が豪雨の被害に苦しんでいる中であるが、それでも九州から少し嬉しい報告があったりする。

 

 昨年秋の大活躍で、日本どころか世界のヒーローになったと言っても過言ではない男の中の男が、今は医学部を目指して猛勉強中。今年になって急激にペースが上がり、間もなく今井の「新A組」を修了しそうだというのだ。

 

 毎晩毎晩ダラしなくお酒に酔っ払っているワタクシとしても、彼のさすがの精神力に感動&感激せざるを得ない。一方の今井は、やっと7月7日、七夕の夜から夏の公開授業を本格化したばかりだ。

 

 それでも7日と8日に兵庫県で、9日は神奈川県で、それぞれ分厚いマスクの陰から思い切り語りまくった。ただしその大活躍の写真は、自粛警察を恐れて掲載を自粛する。

 

 会場はどこもマコトにシュールであって、もちろん受講生全員がマスク着用。解禁されたライブコンサートだって「拍手禁止」「大声も禁止」「立ち上がって動き回ることも禁止」、聴衆は全て椅子の上に固定されたまま、動かず・騒がず・歌わずに、ジッと静かに我慢の時を過ごすのだ。

(7月8日、出張中の大阪で、名物「インデアンカレー」を満喫)

 

 ということになれば、ましてやワタクシの場合は仮にも「授業」ということになっているのだから、生徒諸君はギュッと静かに席の上で縮こまって、授業の90分を耐え抜くことになる。

 

 しかもサトイモの授業は、「笑いをこらえるのが困難」という瞬間が20秒に1回は訪れる。その事態は最初から予測可能だから、何が何でも密を避け、3密を絶対に回避して、感染防止に努めなければならない。

 

 だから本部からの指示もあり、徹底的な入場者制限を行う。申し込み希望者が200名あっても、入場を許可されるのは70名程度に限定。椅子と椅子の間に厳格に2メートルのソーシャル・ディスタンスを確保。左右のスペースも余裕なら、前後のスペースも余裕。隙間だらけの公開授業になる。

 

 7月7日、兵庫県尼崎の阪急塚口駅前で、70名。8日、兵庫県伊丹市の新しくキレイなホールで、やっぱり70名。首都圏にトンボ返りした9日の神奈川県新百合ヶ丘で、200名。3つとも、思い切り参加者を限定しての開催になった。

(7月8日、カレーだけでは足りないから、阪急デパートのレトロな喫茶店で懐かしの「ミックスサンド」も満喫。セットでコカコーラも飲める)

 

 いやはや、ワタクシは悔しいのである。タラ&レバの話にはなるが、兵庫の2回はどちらもコロナさえなければ200名近い参加者で湯気が出るほどの大盛況になったはず。新百合ヶ丘なんか、昨年も一昨年も400名近い参加者があって、ホントに湯気の噴出する超満員になっていた。

 

 致し方ないこととはいえ、会場がスキスキの状況だと、「盛り上がっている感」が半分以下になる。笑いはボンボンたいへんな頻度で発生するが、その薄いボリューム感は、やっぱり寂しいの一語に尽きる。うにゃにゃ、何としてでも早く元に戻りたい。

 

 ただし、そのへんの悔しさや喪失感は、「継続率」という数字で挽回する。兵庫の2回は「初めて東進に来てみました」という外部生が半数以上を占め、神奈川の200名も外部生が80名を超えた。その外部生が継続して内部生になる率を「継続率」といい、それが今井の最高の得意分野なのだ。

 

 その率が7割を超えないと、ワタクシは成功とは呼ばないのである。7割なら「まあまあ」、8割なら「まあ成功」、しかし9割を超えないと、どんなに盛り上がっても「大成功」とは呼ばない。

(7月7日の七夕は、京都東山「粟田山荘」で静かに和食をいただく。① 鮎の塩焼き編)

 

 そのぐらい数字をシビアに設定しないと、社会人としてただの甘えん坊じゃないか。兵庫の加盟校サンの塾長先生と、そういう話で意気投合したのである。

 

 塾長先生はむかし、近畿の大学生映画コンクールでグランプリを獲ったことがあるというヒト。「笑いと熱意だけで生徒を集めてきた」と豪快に笑うたいへんな猛者、物事がさすがによく分かっていらっしゃる。

 

 中でも意気投合したのが、新幹線の中での缶ビールの飲み方だというのだから恐れ入る。ワタクシは、缶ビールを缶から直接飲むのが大キライ。缶にダンボール箱の匂いが染みついていて、せっかくのビールがちっとも旨くない。

 

 だから新幹線に乗り込む前に、必ずプラスチックのカップを1つ手に入れる。ビールの他にワインかウィスキーを購入すれば、立派な作りのカップがもらえるのだ。これだけで下らんダンボール臭とはオサラバ。奮闘した仕事帰りの新幹線車内は天国に変わる。

 

 そういう話で盛り上がれる人が大好きだ。コロナさえ収束 → 終息してくれれば、正式な懇親会なり祝勝会なりの席で、もっともっと熱く盛り上がれるのであるが、今はまだまだ自粛の時期。じっと我慢の日々が続く。

(7月7日の七夕は、京都東山「粟田山荘」で静かに和食をいただく。② ちまき編)

 

 まあそういう悔しさは、単独の祝勝会で晴らすしかない。しかも諸君、サトイモ君も大人しいじゃないか、今回の単独祝勝会は、大阪梅田の阪急デパート地下、カウンターのカレー屋で済ませることにした。大阪名物「インデアンカレー」である。

 

 最初にこのカレーを貪ったのはもう3年か4年前になるが、いつでも店の前に長い行列ができていて、カレーにありつくまでに20分も待たなければならなかった。

 

 それでも大阪の人たちは、並んでも&並んでも、旨いランチを絶対にあきらめない。ランチにかける大阪人の情熱にはワタクシなんかの想像を絶するものがあって、まずいランチで我慢するぐらいなら、そんなお店は潰れるにまかせてしまうのである。

 

 東京人の方はといえば、蒸し暑い梅雨の時期とか、35℃超の真夏の油照りなら、ランチ自体を省略してしまう。「おひとりさま」の場合も、ランチは省くか、「コンビニのお弁当でいいや」という消極姿勢が目立つ。

 

 しかし諸君、大阪は違う。中年女子1名でカレー屋のカウンターに陣取り、妙齢の女子1名で串カツ屋に堂々と乗り込んで、当然のように生ビールを注文していらっしゃる。田舎者の今井なんかから見ると、その正々堂々とした生き方がマコトにカッケーと思うのである。

(7月7日の七夕は、京都東山「粟田山荘」で静かに和食をいただく。③ 雨のお庭編)

 

 問題の「インデアンカレー」は、大阪人の多くが「1ヶ月に一度は食べたくなります♡」と、夢見るような遠い視線で語るほどの名物である。一口目は、びっくりするほど甘い。フルーツをふんだんに使っているせいであるが、「甘い!!」と叫んだ次の瞬間に、スパイスの鋭い辛さが脳天に突き上げる。

 

 ワタクシはどこまでも極辛カシミールカレー派だから、この甘さには抵抗を感じるけれども、そこは諸君、「全く別の食品なのだ」と考えればいいだけのことである。

 

 歳をとると人はガンコになるので、文芸大作小説を脚色したテレビドラマを見て「原作と丸っきり違う」と文句を言い出し、歴史物のハリウッド映画を見ては「史実と違うな」「作り事ばかりだ」と吐き捨てる。

 

 しかしそれはワガママというものであって、原作と全く同じドラマだの、史実にどこまでも忠実な映画だの、そんなものを作るのは不可能なのだ。そもそも「史実」だなんて、歴史のどのサイドに立つかによってカンタンに裏返る。

 

 カレーも、同じこと。「銀座デリー」のカシミールと、阪急三番街のインデアンカレー、これは全く別の食品であって、非難の応酬も、自慢合戦も、全く無意味である。

(7月7日の七夕は、京都東山「粟田山荘」で静かに和食をいただく。④ 上品なテーブル編)

 

 入り口の小さなカウンターに、係のオバサマが待ちかまえていて、次々とやってくる客の注文を受ける。と言っても、メニューは「カレー」と「ハヤシ」しかないのであるが、訪れる客の多くが超ベテランの常連であって、注文には様々なバリエーションがある。

 

 生タマゴもつけられる。「生タマゴ2つ」という豪快な人もいる。「カレーソース2倍」「ライス大盛り」なんてのもある。ピクルスはみんなに必ず付いてくるけれども、「ピクルス2つ」という酸っぱそうな選択もある。

 

「ピクルス」と言っても、要するに酢漬けのキャベツに過ぎないが、「酢漬けキャベツ」と呼ぶ人はいない。マコトに自慢げに、かつ常連らしく自信たっぷりに、「ピクルス、2つ」と注文する。カウンターのオバサマもテキパキとこれに応酬して、赤や緑や黄色のプラスチックのチケットを手渡してくれる。

(7月7日の七夕は、京都東山「粟田山荘」で静かに和食をいただく。⑤ 〆の「うな茶」編)

 

 カウンターに席を占めると、いやはや「まさか!!」と思うぐらい、あっという間にカレーが出てくる。座って10秒、ボーシを脱ぎ、マスクのヒモを外したところで、もうカレーの皿が置かれた。それが今日の写真の1枚目である。

 

 ワタクシは普通のカレーの並盛りであるが、次に1人で入ってきた中年のオバサマは、「カレー2倍、生タマゴ2個、ピクルスも2つ、ライス少なめ」というご注文。たいへんなベテラン、たいへんな常連でいらっしゃるようだ。

 

 そして諸君、注文したその全てを、同じ1枚のお皿の上で、躊躇も容赦もなく勢いよくかき混ぜて、嬉しそうに召し上がるのである。生タマゴは大いに泡立ち、大量の「ピクルス」がタマゴの泡の中で酸っぱい匂いを激しく放ち、皿の上は要するに「甘酸っぱくピリピリするタマゴおじや」の様相を呈するのである。

 

 しかしカウンターを見渡すと、ほとんどの人々がカレーを「タマゴおじや」に変えている。甘く酸っぱく泡立つドロドロを、マコトに旨そうに、常連らしい自信たっぷりに口に運んでいる。

 

 むしろ、マゼマゼしないで上品ぶっているワタクシは、「少数派」ないし「カレーの食べ方も知らない田舎者」に属するのであって、いやはや、やっぱりこれは「全く別の食品」と考えて然るべきなのだ。

(7月7日の七夕は、京都東山「粟田山荘」で静かに和食をいただく。⑥ ウルトラ上品なスイカのデザート編)

 

 こういう場でも、やっぱり今井は目立つのである。まもなく大学生7名のグループが入店してきて、それぞれに「ピクルス2つで」「生タマゴも2つで」「ライス大盛りで」と、思い思いの注文を始めたのだが、その段階で7名中3名が「今井、はっけーん」「ホントだ、今井だ」「なんでこんな所に?」と騒ぎ始めた。

 

 こうして諸君、大阪のランチでは、もうとっくにテンヤワンヤの「密」が再開している。この前日のランチは京都の個室で、東山に降る雨を眺めながら、静かな和食を満喫したのであったが、8日は大阪カレー、カレーだけでは満足できなかったので、マコトに昭和レトロな喫茶店でサンドイッチをパクついた。今日の写真の2枚目である。

(7月9日、首都圏に戻ってきて小田急の「密」をくぐり抜け、新百合ヶ丘の控え室で3種のケーキをいただく。アップルパイ、おいしゅーございました)

 

 9日、大阪から帰ってくると、そのまま電車を乗り継いで、小田急線で新百合ヶ丘の会場へ。午後5時過ぎの小田急線は、コロナ前と少しも変わらぬ「密」な空間、昔と同じ痛勤通学電車に戻っていた。

 

 電車の中で、昭和レトロ人間の今井君は、「伊東ゆかり」というヒトのことを思い出していた。半世紀も前のアイドル、この今井君から見ても、親の世代の人である。「小指の思い出」が驚くべき大ヒットを記録、「アナタが噛んだ小指が痛い」という一節でヒト時代を築いた。

 

 しかしワタクシは、「付きあっているカノジョの小指を噛む」という男子の異常行動を、今もどうしても理解できない。それでも伊東ゆかりを思い出したのは、小田急線の「密」の中で、彼女の別の曲の中の「私は蜜になりました」という歌詞を思ったからである。

 

 曲のタイトルは、「知らなかったの」(山口あかり作詞・平尾昌晃作曲)。まあググって、YouTubeで聴いてみてくれたまえ。「知らなかったの、愛したら、男の人って強いのね」「いきなり口づけされた夜、私は蜜になりました」。「密」ではなくて、「蜜」になっちゃったらしい。

 

「蜜になる」だなんて、昭和の人々って、つくづく熱い人々だったのだ。不思議なバックコーラスに耳を傾けながら、梅雨の鬱陶しさを吹き飛ばしてもらいたい。

 

1E(Cd) Tomomi NishimotoTCHAIKOVSKYTHE NUTCRACKER(1)

2E(Cd) Tomomi NishimotoTCHAIKOVSKYTHE NUTCRACKER(2)

3E(Cd) Haydon Trio EisenstadtJOSEPH HAYDNSCOTTISH SONGS 13/18

4E(Cd) Haydon Trio EisenstadtJOSEPH HAYDNSCOTTISH SONGS 14/18

5E(Cd) Bobby CaldwellAUGUST MOON

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