Mon 200706 熊本県人吉を思う/K氏と鈴木長十師/明日から始動/カシミール 3954回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 200706 熊本県人吉を思う/K氏と鈴木長十師/明日から始動/カシミール 3954回

 熊本県の人吉や八代で集中豪雨の甚大な被害が出て、やがて梅雨前線が北上、特別警戒警報の対象は長崎・佐賀・福岡に移動した。耳に入ってくる地名はどれもこれも、この15年慣れ親しんだ仕事先であり、加盟校の皆さんの長い奮闘の地なのである。心からお見舞い申し上げたい。

 

 いま特別警報発令中の大牟田・佐賀・佐世保・諫早・長崎は、東進移籍以来、イマイ公開授業のほぼ定番にしてもらっていた。熊本や玉名も同様であって、昨年もちょうどこの時期の熊本で400名もの受講生が集まった。

 

 つい1ヶ月ほど前、「福岡県久留米に異動になりました」という人から連絡をもらったばかりなのに、その久留米も濁流に襲われている。久留米は毎年3月に訪れ、菜の花が咲き乱れる筑後川の春景を眺めながら、朝の会場に向かうのが常だった。

 

 その加盟校サンの元幹部で、5年ほど前に勇退されたK氏は、久留米でのイマイ公開授業のお世話にいらっしゃったのが最後。西鉄電車の久留米駅のお隣、「宮の陣」という小さな駅でお別れした。3月中旬の穏やかなお昼すぎ、ベージュのトレンチを着ていらっしゃった。

(いよいよ明日から仕事が本格化。「銀座デリー」の黒々としたカシミールカレーで、気力&体力を高めておくことにした)

 

 そのK氏と最初に出会ったのが、福岡県大牟田だった。2005年だったか2006年だったか、ワタクシがこのブログを始めるより以前のことで、最近読者に加わってくれた若い諸君は、まだ生まれてもいなかった頃かもしれない。

 

「若い頃は商社マンだった」というK氏は、「駿台予備校で2年浪人した後に、慶応大に進みました」と、ニヤリを舌を出して頭を掻いた。当時の駿台で長老として大人気だったのが鈴木長十師。今井が授業中に頻繁に口走る「てんてんぷるぷる」の元祖、まさに大先生である。

 

 その辺のこと、詳しくは「てんてんぷるぷる」でブログ内検索していただきたいが、鈴木長十師に心酔したことでは、今井もK氏に負けず劣らずだったので、大牟田の夜も鈴木師の話が弾んだ。

 

 その後、福岡や山口宇部や長崎、佐賀・神戸・姫路・加古川、どこの公開授業で出会っても、K氏との話題の中心には、必ず懐かしい鈴木長十師の渋面があった。

 

 冗談を言う時でも、受験生たちに皮肉なセリフを列挙するときでも、長十師は意地でも厳しい渋面を崩さなかった。渋面であればあるほど、その冗談の威力が増したのである。

(銀座デリーは、西銀座6丁目。御徒町の本店も旨いが、3密を避けるには広い銀座店のほうがよさそうだ)

 

 駿台が「第一志望はゆずれない」という傑作コピーを使用し始めたのも、まさに長十師の時代。「第一志望」とは要するに東大であり京大なのであって、当時の講師たちも生徒たちも、その2つ以外は全く眼中になかった。

 

 だから前回も書いた通り、大昔の駿台の浪人生たちには「早稲田は楽に合格した」「慶応には受かったが、慶応なんか迷わず蹴って浪人した」という猛者の割合が高かった。

 

 中には「東京医科歯科大を蹴ってきた」というすげーヤツもいたし、一番成績のいい文系クラスの200人は、「第1志望が東大文一、第2志望が東京医科歯科大」、そういうことを言って憚らなかったし、しかも実際に両方合格して東大に進んだ。「医学部バブル」などというコトバが、今も信じがたい所以である。

 

 しかし諸君、そんな優秀なクラスに2年も籍を置いたのに、やっぱり進んだのは早稲田政経、結局は慶応経済、「現役の時にとっくに合格してました」という進学先を、まるまる2年浪人した後で選ばざるをえなかった人も、また少なくなかった。

 

 そしてそれでもなお、20年経過しても30年が経過しても、当時の駿台生は駿台が好きなのである。大昔の数学の大御所3N(野沢・根岸・中田)師を語り合い、英語好きなら伊藤和夫と鈴木長十と奥井潔の3師を語り合って、思わず手をにぎり合う。

 

 当時の世界史スター・大岡師も、中高年には大人気のままだ。今は昔の物語であるが、大昔に花咲いた浪人生文化を、今もなお懐かしく思い起こすのは、決して今井ばかりではない。あのK氏も「最終的には慶応」だったのであるが、今は完全に消滅した浪人生文化を、今井に負けず劣らず愛していらっしゃった。

(デリーでの前菜の定番、カリフラワーとオクラのカレー炒め。まずは辛さに舌を慣らす)

 

 そのK氏の思い出が詰まっているのが、熊本の人吉である。濁流に襲われた悲しい被災地の動画を見つめつつ、15年近く前のK氏との会合を思い出した。K氏はその日を最後にいったん予備校の世界から離れる決意をなさっていたのである。

 

 一方であの日のワタクシは、人吉での公開授業が珍しく大失敗に終わったのである。諸君、今井が授業で失敗するなんでのは、10年に一度の大事件なのだ。

 

「ヒール」に徹していた代ゼミ時代には、失敗の頻度はもう少し高かったかもしれないが、東進に移って安定した柳生新陰流「下段の構え」に移行して以来、失敗は他に2回しかない。

 

 あえて告白すれば、10年以上前の茨城県で1回。7年か8年前の千葉県で1回。しかし両方とも、公開授業終了後の懇親会での失敗であって、授業それ自体で失敗するなんてのは、悪役を演じた代ゼミ四天王としての8年間以来、人吉の1回だけである。

 

 もっと詳しく言っておこう。大昔の茨城の宴会では「700名収容の会場で、参加者たった150名」という惨状に苦言を呈してしまった。千葉県では、懇親会に参加した大学生バイト男子に面と向かって「今井サンの担当科目は何なんですか?」と質問され、オトナげなく急激に不機嫌になってしまった。

(銀座デリーでも、テーブルの間にプラスティックのパーテーションを設置した)

 

 こういうふうで、東進に来て以来の今井の失敗はマコトに珍しい。授業それ自体が失敗したのは、人吉の生徒諸君があまりにも大人しかったからである。会場は、温泉旅館の大広間。地元政治家が資金集めパーティーを開催するような大広間に、ド派手な金屏風が立てられ、その上には「今井先生、人吉に来たる!!」という横断幕があった。

 

 しかし広間を埋め尽くした100名の諸君は、何を言ってもピクリとも動かない。他の会場なら確実に大爆笑の連続になる場面でも、ニコリどころか、ニヤリとも、クスリとも言わない。「プッ」とも「ケッ」とも「タハッ」とも、とにかく一切の笑いがなかった。

 

 完璧な静寂に包まれ、公開授業はヒンヤリ凍りついたまま進行。ついに90分、一切の反応ナシに終わりを告げた。要するに、生徒諸君があまりにも純粋、あまりにも純真、あまりに高潔、美しく澄みきった夏の球磨川の流れのように、汚れた都会の汚いサトイモなんか、受け入れてくれはしなかったのだ。

(前菜と一緒に「キングフィッシャー」を1本。先回りして水分補給に励む)

 

 しかし諸君、それでも公開授業終了後には、「サインください」という笑顔の長い列が出来た。温泉旅館の金屏風の前に座った今井センセは、100枚以上「宇宙征服」のサインを書き続けた。100名参加して、サインは150枚以上になった。2回並んだヤツもいたのである。

 

 彼ら彼女らは、ほとんどが熊本県立人吉高校の生徒。人吉高校だから、略して「人高」、それを「ジンコー」「ジンコー」と発音する。「どこの高校?」と尋ねると、「ジンコーっす!!」と男子も女子も恥ずかしそうに笑うのである。あまりに懐かしい、あまりに温かく、楽しい思い出だ。

(水分補給に熱心なあまり、キングフィッシャーは一気に3本に達した)

 

 あれから10数年、あの時「ジンコーっす!!」と爽やかに笑った男女は、いま30歳になるかならないかだ。会場だった温泉旅館も、生徒の保護者の好意で宿泊した温泉宿も、球磨川の岸辺の宿だったことを記憶しているから、おそらくきっとあの濁流をかぶり、大きな被害にあったことだろう。

 

 すると、熱い悔し涙を流しながら懸命の復旧作業に当たっている人々の中に、あの時の純真な若者たちも、きっとたくさん混じっているのである。もしかすると、現場の惨状をNHKの電波で報告している女子キャスターも、あの時の金屏風の前に座っていたのかもしれない。

 

 そんなことを考えると、もう居ても立ってもいられない。あの頃、同じ熊本県の八代でも公開授業をした。八代も、やっぱり被災している。K氏と一緒の仕事だった。居ても立ってもいられない気持ちは、やっぱり同じである。

(いよいよカシミールカレーに取り掛かる。懐かしい激辛ぶりに、ギュッと気力が引き締まる)

 

 しかしワタクシは、いよいよ明日から仕事が本格的に始まってしまう。新講座の収録を完了したのも、もう1週間も前の話。いつまでもその感激や感動に浸っているわけにはいかない。

 

 明日からの3日間は、大阪・大阪・神奈川。正確には、兵庫県伊丹・兵庫県伊丹・新百合ヶ丘だ。コロナどんのせいで「懇親会ナシ」「祝勝会ナシ」の日々が続くから、今日のうちにどうしても体力を充実させておく必要を感じた。

 

 そこで諸君、今井は地下鉄千代田線で銀座に向かい、コロナ以来ずっと封印していた激辛カシミールカレーで気力&体力の充実をはかった。目指したのは西銀座6丁目、昨年♡一昨年とこのブログを繰り返し繰り返し飾った「銀座デリー」である。

  (いやはや、カレーはカシミールでなきゃいかんよ)

 

 ご覧の通り、わが愛するカシミールカレーの迫力は一向に変化していない。カレーの神の気力は、黒々と熱く濃くみなぎって、神を恐れずチャレンジしようとする勇敢なサトイモを返り討ちにしてくれようと、燃えるように煮えたぎっていた。

 

 これを胃袋に送り込むのに、要した時間は10分強。全身から止めどなく流れ出る汗を、かぐわしいメントールの染み込んだウェットタオルでぬぐいながら、失った水分も3本のビアですかさず補った。

 

 それもこれも、兵庫・兵庫・神奈川で待ち受けている諸君に、ワタクシの熱い思いを伝えるためである。ホントは今すぐに全国をくまなく駆け回って、我が思いを叩きつけたいのであるが、うーん、超ベテランはもう少し大人しく、我慢に我慢を重ねたほうがいいのかもしれない。

 

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