Sun 200621 東大コース復活/入試の出題範囲/関係代名詞と、日本語思考のこと 3947回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 200621 東大コース復活/入試の出題範囲/関係代名詞と、日本語思考のこと 3947回

 世の中はグングン復活の勢いであって、「さっそく県境をまたぎました」とみんなニコニコ、こういう笑顔の溢れる国に、どうにか早く戻ってほしい。

 

 お調子者のワタクシも、先週末から少しずつ「復活」「復活」「もっと復活」をやらかし、まさにトルストイの主人公ネフリュードフの勢い。自粛で3kg太った肉体に、今度は復活太りの脂肪分が2kgも加わって、今や体重は83kg。はけるズンボも、締まるベルトも、全くなくなった。

 

 そうは言っても、お部屋で日々のうのうと酔っ払っているわけにはいかないのである。来週末には久方ぶりの公開授業があり、その直後には吉祥寺スタジオでの授業収録もある。何とかこれから1週間のうちに、70kg台まで肉体をしぼりたいじゃないか。

 

 だから諸君、6月に入ってから自粛していたウォーキングを復活させることにした。「東大コース」、正確には「東大駒場コース」。武蔵小杉や二子玉川の人々がみんなヒソカに嫉妬し「いつかはきっと」と憧れる、超ハイソな高級住宅街を抜けるハイスペックコースである。

 

 小田急線・代々木上原駅前をスタート地点に、東大駒場キャンパス正門前を経由、目黒区立駒場野公園・大学入試センター、井の頭線・池の上駅の踏切をまたぎ、松蔭学園と今はなき河合塾駒場校の間を抜け、ちょうど90分で帰ってくる。

(東京・銀座三越前のライオン君。まだ三越マークの厳重マスクが必須らしい)

 

 ただし何しろ6月下旬だ。6月21日は、夏至。お日さまが1年で一番長時間、天空の真っただ中でお粘りになる。黒いポロシャツなんか着て外に出たら、黒い布地が目いっぱい日光の熱を吸収し、流れ出る汗は(おそらく)2リットルのペットボトル1本分。あっという間に全身汗まみれだ。

 

 まあ、想像してくんろ。または実際に2リットルのペットボトルに水道水を満たし、お風呂場で頭から浴びてみてくんろ。どれほどの汗まみれか、想像するより実験する方が分かりやすい。

 

 しかも実際のサトイモ閣下は、水道水ではなくて「汗」と言ふ生臭い液体でズブ濡れになるのだ。肉体もまるまる太った楕円球、頭もどっしり重みのある楕円球だ。

 

 そういういかにも充実した生き物が、肉体の奥から滲み出たクサーい水分で水浸しになって、18歳・19歳の優秀な男女青少年でいっぱいの東大駒場の正門付近に現れるのだ。一般にこれを「不審者」と呼ぶ。

 

 しかし幸運なことに、この日の東大駒場キャンパスはまだほとんど無人である。純・無人ではないが、準・無人ではある。6月初旬には「RED STAGE」だったが、今は「ORANGE STAGE」。まだGREENどころか、YELLOWにさえ緩和されていない。

(6月20日、夏至直前の東大駒場。まだ正門は固く閉ざされていた)

 

 明るく晴れ上がった東大駒場正門前には、6月の湿った熱風が吹き渡るばかりである。大小の楕円2個を組み合わせた汗ダルマみたいな生き物を発見し、「今井だ!!」「今井だ!!」と騒ぎ出すようなヤカラは1人も存在しない。警備員のオジサマが、胡散臭そうにこちらを凝視しているだけである。

 

 井の頭線「駒場東大駅」の構内を北から南へ、汗みずくの楕円ダルマが横切っていく。駅構内もほぼ無人である。楕円ダルマがこれほど呆然としているのは、おそらく軽い熱中症の症状に陥っているのである。

 

 だからホントならこの辺で「こまめな水分補給」→ 略称「こまスイ」が必要なのかもしれない。しかし、まあいいじゃないか。時計はすでに昼11時。もう少し我慢して、どこかお蕎麦屋さんで「とりあえず、ビール」と、熱く叫びたいのである。

 

 途中、大学入試センター前を通過する。前回の記事で高校入試の範囲について書いたと思ったら、今度は大学入試の出題範囲にまでコロナの影響が及びそうだ。

(6月20日、夏至の前日の東大駒場は、何とかREDを脱してSTAGE ORANGEへ。大切なのは何事も「一歩ずつ」「一歩ずつ」である)

 

 ワタクシは、心配なのである。まず、来年の高校1年生が心配だ。だって諸君、三平方の定理も関係代名詞の基礎も知らずに、彼ら彼女らは高校に入学しちゃう可能性が高いわけである。

 

 高1でやっとピタゴラス、高校に入学してから「初めての関係代名詞」。うにゃにゃ、この遅れ、人生のどこかでギュッと強引に取り戻さなきゃいけないじゃないか。

 

 そもそも高校数学の先生がた、懇切丁寧に三平方の定理を教えた経験がおありなんだろうか。関係代名詞の基礎の基礎から分かりやすく教えるのって、普通の人が考える以上に難しいのだが、高校の先生方にその経験とスキルがあるんだろうか。

 

 もちろん今井はその分野でも超ベテランだから、関係詞の授業はあまりにも巧みなのである。授業開始から10分、英語がどんなに苦手な人でも20分が経過すれば、「ありゃりゃ、異様によく分かる」「これって、もしかして洗脳されてるの♡」と、少し不安になるぐらいだ。

 

 企業秘密に該当するから、ブログ上でそのスキルを公開することはできないが、いやはや「今まで関係詞がサッパリ分かりませんでした」というオカタでも、今井の授業さえ受ければ、おそらく「関係詞の理解は世界一♡」という驚くべき受験生が出来あがる。

(6月20日、夏至直前の駒場東大前駅。まだまだ、だーれもいなかった)

 

 ま、自慢はこの辺で我慢しておくことにして、どうしてワタクシがそんなに関係代名詞の心配をするかを述べておきたい。日本語と欧米言語の違いが最も大きく現れるのが、実は関係代名詞だからなのだ。

 

 中3の段階で関係代名詞の授業を受けないと、両言語間の最大の相違に触れないまま、義務教育を終えてしまうことになる。その損失は、普通に考えられているよりも遥かに大きいと思うのである。

 

 日本語の文章が分かりにくい時、その原因の多くは「修飾語テンコ盛り」なのである。主語となる名詞の前に「これでもか!?」とテンコ盛りの修飾語が乗っかって、「いったい主語はなーに?」「主語はどれなの?」という事態を招く。

 

 例えば諸君、以下は昨日の某・一流新聞の記事からの引用だ。読んでみてくれたまえ。

「様々な疑惑に対する説明責任を果たさないまま長期政権を維持してきた首相に対する内閣不信任決議案提出に動いた野党勢力に待ったをかけるべく舞台裏で牽制したある与党重鎮への批判が高まっている」。ありゃりゃ。なんだ、こりゃ? テンコ盛りすぎないか?

 

 同様に、これもまた某・一流新聞のスポーツ面のセンテンスである。

「自らも検査でコロナ陽性と判定された経験から医療従事者の患者に寄り添う激務と熱意を目にして感動し、その感動と感謝を自らのプレーで伝えようと奮起して3安打した◯◯選手は、『まだ始まったばかり、これからです』とさらに前を向く」。これもまた「なんだ、こりゃ?」の対象だ。

(6月20日の大学入試センター。警備員さん以外、ほぼ無人のままだった)

 

 こりゃ、さすがにひどいでしょ。この現象を何とか早く解決しないと、読書の意欲も失せかねない。「未来を担う諸君、どうしますか?」 そう問われて、まさにそこで「関係代名詞の出番」がやってくる。日本語にもともと存在しなかった関係代名詞を導入すれば、この恐るべきテンコ盛り状況を解決できるのだ。

 

 関係代名詞とは、重たく頭に乗っかった修飾語を準センテンスに変換し、みんな後ろへ後ろへと追っ払ってしまうマコトに便利なツールなのである。もともと日本語に存在しなかったことは、辞書を見れば明白だ。

 

 明治時代以来、日本の外国語教育は、単語を1語1語キチンと1対1対応で日本語に変換することが基本。1対1対応を怠る先生は、「ゴマカシだ」「きちんと訳していない」と、物凄く怖い目でニラミつけられ、今ならSNSでの吊るし上げを食らう。

(ウォーキングの足を伸ばして、世田谷区代沢へ。下北沢と三軒茶屋のちょうど中間、聖徳太子を祀った「太子堂」を参拝する)

 

 しかし話が「関係代名詞」となると、その1対1対応が困難になる。試しに英和辞典を調べてみたまえ。いまだに「which」でも「who」でも「するところの」という和訳しか掲載されていない。大正ロマン漂う「ところの」が、21世紀の今もなお、この場面では脈々と生き続けている。

 

 つまり、日本人が外国語教育でただ1度だけ経験する「翻訳不能」のアイテムこそ、関係詞なのだ。日本語になかった発想、または異次元の世界。義務教育でこれを経験しないのは、一般に考えられる以上の損失なのである。

 

 例えば諸君、よくある例文を考えてみたまえ。「空港で私が出会ったところの、父親が医師であるところの、そのイタリア人少女は笑顔が美しかった」。なんだこりゃ? 「ところの」「ところの」の連発で、とてもマトモなセンテンスとは思えない。

 

 しかし関係代名詞さえつかえば、あっという間に美しい訳文に切り替わる。「そのイタリア人少女は笑顔が美しかった。彼女の父親は医師である。その晩、私は空港で彼女と出会ったのだった」と添削できる。

(太子堂のお隣に、「放浪記」の著者・林芙美子の旧宅がある)

 

 さっきの悪文、関係代名詞をつかった添削例を示そう。「ある与党重鎮への批判が高まっている。野党勢力による内閣不信任案提出に待ったをかけるべく、舞台裏で牽制したというのだ。問題の首相は、長期政権を維持してきた。様々な疑惑への説明責任を果たさないままである」。

 

 関係代名詞という発想で「修飾語は、準センテンスにして後ろから」という訓練をすれば、日本語の文章もグングン分かりやすくなる。他の言語の発想を取り入れれば、自国語の能力向上につながるのだ。

(世田谷区、聖徳太子堂にて。付近には、由緒正しい甘味屋やケーキ屋も多い。近いうちに訪ねたいと思う)

 

 外国語を学ぶことの本質は、そこにある。「その言語を使えるようになること」「4技能を身に付けること」ももちろん大切だが、今やその役割は、むしろ正確なAIに代行してもらったほうが好ましい時代になりつつある。

 

「外国語の発想を取り入れれば、自国語の思考や表現を飛躍的に向上させることができる」。義務教育の範疇で英語の関係代名詞を学ぶのは、そのことの理解に極めて有効なのである。

 

 コロナの影響で入試の範囲を縮小するのは、今年だけは致し方ない事態。しかし関係代名詞の話だけは、何とか中3で徹底させたい。ワタクシがウォーキングの途中の大学入試センター前で思い巡らしたのは、以上のようなことであった。

 

1E(Cd) The BeatlesWITH THE BEATLES

2E(Cd) The BeatlesA HARD DAY’S NIGHT

5D(DMv) DOUBLE TARGET

8D(DMv) KING SOLOMON’S MINES

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