Tue 200616 医学部バブルの話/イタリア語オンリー(アドリア海岸探険記15)3945回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 200616 医学部バブルの話/イタリア語オンリー(アドリア海岸探険記15)3945回

「医学部バブル」という現象は、何もこの十数年に限ったことではない。太古の昔、秋田の高校に通っていた若き今井君が高3の秋まで医学部志望だったのも、実はその現象の先駆けだったかもしれない。当時から既に「国立医学部は東大や理1や理2より難しいかもしれない」というレベルの話になっていた。

 

「医者で作家」というマコトにカッケー人々も数知れない。思いつくだけでも、チェーホフにカロッサにセリーヌ、日本なら森鴎外は当たり前として、安部公房・加賀乙彦・渡部淳一・北杜夫・藤枝静男・南木佳士、もちろん加藤周一もいる。「枚挙にいとまがない」というヤツである。

 

「将来は、作家になろっかな、医者になるかな?」。若者としてたいへん大胆な選択を迫られ、ついつい「両方やっちゃえ!!」、大胆というよりバカバカしい投げやりな結論に至った高1の今井君は、ちょうどその頃、中学時代までの超得意科目=数学の調子がどうもおかしくなってきたにも関わらず、ついに「医学部志望」を公言したのである。

(バーリにて。「メニューなし」「説明は早口のイタリア語のみ」の店で、タコを焼いてもらった)

 

「二兎を追う者は一兎も得ず」であるのは当たり前なので、それ以前に「二兎を得よう」という決断をした段階ですでに、大人としての人間力が劣っていたのである。

 

 それに比べて諸君、ラグビーの福岡選手は偉いじゃないか。すでに世界のヒーローの一角を占めていたラグビーの表舞台からスパッと引退して、しかも有言実行で医学部に進み、今こそ医師になろうと決断したわけである。

 

 その福岡選手が、かつて我々の予備校の授業を受講し、そして今もなお我々のテキストを開いて勉学に励んでくれているのは、この上ない喜びである。むかしむかし「C組」や「B組」を受けて筑波大に合格してくれたのなら、今度はぜひ「新A組」を受講して、無敵のリーディング力とリスニング力を身につけてほしい。健闘を期待している。

(メニューなし、早口のイタリア語で口頭説明のみ。素晴らしい店だった)

 

 21世紀の日本の青年たちが「医師になる」と公言する時、彼ら彼女らの熱い真剣さは疑う余地のないものである。決して「カネ」「地位」「安定」などを求めているのではない。キレイゴトでもウソでもなく、ほぼ全員が社会貢献・国際貢献・地域貢献を願っている。

 

 しかし疑り深いオトナは、意地でもその真剣さを信じようとしない。何しろ都知事の卒業証書を目の前に提示されても、まだ「ホントにホントに本物か?」と首を傾げ続けるジャーナリストが存在するのだ。おしまいにカイロ大学やエジプト当局の信頼まで傷つけるような発言さえする。

 

 その種のメディアは、この数十年の医学部人気を、キチンとマジメに考えようとしない。ワタクシは予備校講師として、青年たちの社会貢献への熱意を間近に長く見てきたから、「カネ」「地位」「安定」の魅力に引きつられた若者像なんか考えられもしないのだが、某・有名週刊誌には概略以下のように記されている。

  (店主のイタリアおじさま。なかなかのイケメンだった)

 

「このごろ医学部医学科の受験は過熱していました。医師は社会的地位が高く、高収入も保証されるので、リーマンショック以降、成績上位層の間で医学部医学科を目指す流れが強まったのです」

 

「しかし最近は医学科のイメージが低下。むしろAIなど情報系学科の人気が高まり、現役上位層で医学科を志望する受験生が減少しています。2021年の入試では、コロナ禍の影響で志願者が減るという見方が出ています」

 

「感染の恐れのある危険な職場で働くことに、躊躇する受験生や保護者も多いです。ある予備校幹部は『もう医学部バブルは終わった』と見ています」

 

「今や医療現場は、まさに戦場です。将来も同じことが起こりうるので、そんな危険な世界に飛び込んでいこうと思う受験生は多くないでしょう。最近の生徒は安全志向で、リスクを嫌いますからね」

 

 うぉ、何なんだ、このあまりにもあけすけな言い方は? このミもフタもない考え方は? 諸君、怒ろう、呆れよう。抗議の声を上げるべきだ。

 

「医学部を目指す青年たちはカネ・地位・安定が目的」

「危険な職場に飛び込もうとする若者なんかいません」

「最近の生徒は安全志向で、リスクを嫌います」

だとさ。今の若者たちを、あんまりバカにしすぎてないかい?

 

 諸君、もう一度言う。怒ろう、呆れよう、抗議の声を上げなければならない。こんな考えの人々が、平気で新聞や雑誌の教育欄を担当していらっしゃるのだ。

(イタリア人ファミリーに説明する店主。塾長センセによるグループ学習指導の風情)

 

 過去数十年、もしもカネと地位と安定を求めようとするなら、はるかに楽な道を通って得られるはずの青年たちが、ツラい浪人生活を2年も3年も乗り越え、1日12時間どころか1日15時間も受験勉強に励んで、見事に医学部に進学したのである。

 

 進学した後だって、医学部生の日々はワタクシのようなチャランポランな私大文系君とは丸っきり違う。留年を繰り返せば、厳しい放校処分が待っている。賭けマージャンなんかに加わる余裕なんか全くないはずだ。

 

 それでも、彼ら彼女らは医師になった。そして日々、人々の健康のために戦っている。それを「結局、カネと地位と安定ですよ」とは、あんまりひどい言い草じゃないか。

 

 この記事は、「週刊朝日」。おなじみ「河合塾によれば」の一節がつき、その段落でさっきの「医師は社会的地位が高く、高収入も保証されるので」→「医学部医学科を目指す流れが強まったのです」、名前入りで河合塾・教育情報部チーフの短絡的で身もふたもない「分析」が記載されている。

 (やがて運ばれてきた前菜盛り合わせ。意外に繊細だった)

 

 もともとワタクシは「このごろは医学部医学科が人気です」という言い方がキライ。同じ医療現場を目指しているのに、「医学部と言っても、保健学科とか看護学科は除きます」と、イヤらしいクギを1本打ち込んでいるような言い方じゃないか。

 

「いやあ、最近の優秀な子は、東大・京大より医学部医学科をネラいますね。ガハハ。東大・京大なんか行ったって、将来に何の保証もないでしょ? 医学部医学科なら、高い収入も安定した地位も保証されてるじゃないですか。ガハハ」。そういうオトナは、絶対に好きになれない。

(店主のおじさま。「通りを睥睨する」と言ふ表現がぴったりだ)

 

 もしも今、そういう発想の塾や予備校に通っているのなら、すぐに我々のところに転塾してきたまえ。我々は、青年諸君の素直な熱意を信じている。もちろん、それを言葉にすると「白々しい」とオトナに言われかねないから、別に口にしなくていい。

 

 オトナには、あるいは新聞や雑誌の記者には、「おお、そうか&そうか、やっぱりカネと地位と安定だよな」とガハハガハハ、馬鹿笑いさせておけばいい。その種のヤカラは、何をどう言おうと、どうせ理解するつもりはハナからないのだ。そのぶんこちらは思い切り勉強に励んで、サッサと戦いの場に赴けばいい。

(イタリア語でエビは「ガンバロ」。3尾だから、複数形「ガンベリ」だ)

 

 ただし諸君、高3の秋に敵前逃亡し、11月なのに文転しちゃったワタクシ、文転した後も転職に転職を繰り返して、どこまでも楽な方へ楽な方へと逃亡人生を続けてきたワタクシには、これ以上カッコいいことを言う権利はないのかもしれない。

 

 ま、完全にションボリしながら書くので、許してくれたまえ。かく言う今のワタクシにだって、やっぱり激務と貢献への憧れが残っている。敵前逃亡の罪滅ぼしというか、1990年代から2005年春までの約15年、90コマ授業を1日5コマ・週6日、毎週30コマの激務をこなした。

 

 受講生諸君の中から、たくさんの医学部合格者も出た。最初に担当した生徒諸君はすでに45歳。医学部に進学した彼ら彼女らは、まさに医療現場の中堅や幹部として世界を支えてくれている。だからこそ「ガハハ、地位とカネでしょ?」という発言が信じがたいのだ。

 

 この数年は、公開授業の冒頭に以上のような話をする。「青年が医学部を目指す時、その心にあるのがカネと地位と安定だと思うかい?」と問いかけると、会場を埋め尽くした200名や300名の受験生諸君が、みんな笑顔を赤くして、激しく首を横に振ってくれたものである。

(ホテル近くのスーパーでスイカ1/2ケを購入。石切場の石灰岩みたいに、直方体に切り出して食らう)

 

 コロナの禍の今年、規模縮小は致し方ないとして、6月下旬からいよいよ公開授業の日々が始まる。自粛警察が怖いから、いつものようなスケジュール表をブログに掲示することはしないが、何しろライブハウスだって営業を始めるんだ。ま、ゆっくり自粛を解除しますということだ。

 

 でも、授業もあくまで大人しく。ライブハウスは「2メートルの間隔をとって」「歓声を上げず」「静かに」というシュールな姿勢だから、今井の公開授業も同様、かなりシュールな光景になりそうだ。

 

「出来るだけ、笑わない」ということになるが、笑うなと言われてもイヤでも笑ってしまうのが今井の特徴。必ずマスク着用、ついでにタオルで常に口元を押さえ、咳エチケットならぬ「笑いエチケット」を遵守してもらうことになる。

(ホテルの裏通り。スイカを買ったスーパーもこの辺りだった)

 

 さて、旅行記「アドリア海岸探検記」であるが、今日もまたまた長く書きすぎた。これ以上書くと、読む方がさぞかしたいへんだろうが、何しろワタクシはまだ自粛中で、他に掲載すべき写真がないのである。そしてイタリアの写真を掲載した以上、若干の説明を加えないわけにはいかない。

 

 アドリア海の旅ももう7日目の2019年9月2日、体力には自信のあるワタクシもさすがに濃厚な疲労を感じて、朝のお風呂にじっくり浸かったところで「今日はバーリの休日を楽しむべ」と判断した。

 

 そしてお昼時、油断して入ってしまったのが、ほぼ地元民オンリーのレストラン。まず、印刷したメニューというものが存在しない。「メニュー見せてください」と言ったって、「そんなものはない」と一喝される。

 

 店員さんも、店主であるらしいオジサマも、イタリア語以外を話す気はサラサラない。「イタリアに来たんだから、イタリア語を話せ」「せめてこっちの話すイタリア語ぐらい、しっかり聞いて理解せよ」。そういう風情である。

(店のおじさまは人気者。後ろ姿がワタクシとそっくりな男が、スマホをかまえてインタビュー中だった。ユーチューバーですかね)

 

 地元民の、地元民による、地元民のための店。焼いたタコや、焼いたエビや、焼いたイカを、ただ素直に噛みしめよ。そういうお店である。いやはや、うれしかった。完全に容赦のないイタリア語が、猛烈なスピードで飛んでくる。ワタクシは、こういう店を待っていた。

 

 呼び込む時だけ変に愛想のいいお店は、中に入ってガッカリすることが少なくない。しかも言葉は英語・英語・英語であって、スペインでもギリシャでもポルトガルでも、現地の言葉なんかちっとも聞こえてこない。

 

 そこへいくと諸君、この店は違う。印刷したメニューはないが、店主のオジサマがテーブルにやってきて、早口のイタリア語で懇切丁寧に料理の説明をする。「リスニングのできないヤツは、食うな」。そういう激しい勢いだ。

 

 どのぐらいの勢いかというと、諸君、他のテーブルのイタリア人ファミリーまで、その勢いにぐいぐい押されてションボリ説明を聞いている。小さな塾で、塾長センセに叱られているグループ学習の風情である。

(店主がすぐ横の台でスイカをキレイに切ってくれた。見かけによらず繊細な切り方だ。間違っても石切場スタイルにはしない)

 

 ワタクシだって、別にイタリア語のリスニング能力に長けているわけではないから、叱られないように懸命に聞き耳をたてた。1つでも2つでも聞き取れた単語があれば、その単語に意地でもかじりついてそれを注文する。

 

「ポルポ!!」「カラマーリ!!」「ガンベリ!!」。単数形や複数形が入り乱れて、それでもキチンとテーブルには欲しい料理が並んだ。そしてもちろん最後は「アングリア!!」。ただしアングリアは注文するまでもなく、店主のオジサマがキレイにお皿に盛り付けて運んできてくれた。

 

 緊張のあまり、大汗をかいたランチだったが、このランチだけで一気に疲労は回復した。少なくとも「濃厚な疲労」は消えて、「さてまた明日から遠出に励むか」とムックリ、ベッドから身を起こすようないい気分だった。

 

1E(Cd) Bobby CaldwellBLUE CONDITION

2E(Cd) Anita BakerTHE SONGSTRESS

5D(DMv) THE MAN FROM COLORADO

8D(DMv) NON-STOP

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