Mon 200525 友人の命日/早稲田散策/レッチェのランチ(アドリア海岸探検記7)3936回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 200525 友人の命日/早稲田散策/レッチェのランチ(アドリア海岸探検記7)3936回

 すでにこのブログにも何度か書いたけれども、5月25日は学部時代の親友・菊池靖君の命日である。ホントの命日は5月26日であるが、若き日の今井が菊池君と最後に言葉を交わしたのは、25日の午後4時ごろだった。

 

 だから自分だけ勝手に彼の命日を5月25日と決めて、あれから数十年、学部の仲間たちよりも毎年1日早く菊池君のことを思い出して、熱い涙を拭うことにしている。

 

 菊池君の故郷は津軽平野の真ん中・木造町である。キヅクリ町は五所川原市のお隣の町で、南の空に岩木山の勇姿を望む。太宰治の故郷・金木町も近い。命日が近づくと、筑摩書房の太宰治全集を引っ張り出して、彼の「津軽」をペラペラめくってみることにしている。

(2020年5月25日、親友・菊池君の命日の早稲田大隈講堂)

 

 しかし今年はそれだけでは何だか物足りなくて、快晴の5月25日午後2時、渋谷区の自宅を出て、徒歩で早稲田大学を目指した。代々木駅で山手線の内側に入り、新宿から明治通り沿いに北に進んで、都立戸山高校あたりの住宅街を抜けると、1時間半で早稲田大学に到着した。

 

 そうは言っても、何しろ今日の東京はまだ緊急事態宣言下にある。大学正門の門は固く閉ざされ、大隈講堂の前も閑散としている。こんなに朝ドラが盛り上がっているんだから、誰かが「紺碧の空」でも熱唱しているんじゃないかと思ったが、いやはや、紺碧の「こ」の字もなかった。

(5月25日、早稲田大学の正門はまだ固く閉ざされていた)

 

 本当は大学構内に闖入して、最後に菊池君と言葉を交わした3号館前や演劇博物館の風景を確認して来たかったのだが、もちろん無理は一切ヤメにして、再び渋谷区まで歩いて帰ることにした。

 

 思えばあれから数十年のうちに東京の温暖化が一気に進行して、同じ5月25日とは思えないぐらいの蒸し暑さになった気もするのだが、いや待てよ、そうでもないだろう、あの日もやっぱりこんなふうに熱い風に埃が舞って、不思議なほど静まり返った大学構内に、緑のイチョウの葉が激しく揺れていたように思うのだ。

(大隈通り、お蕎麦の「浅野屋」。かつて今井君は1日に3回も訪れた)

 

 せっかく90分の道のりを歩いてここまで来たのに、構内にさえ入れずに虚しく帰るのはイヤだから、せめて大学周辺を散策して帰ることにした。

 

 大隈講堂を右に見ながら進むと、かつてのランチ街・大隈通りに入る。菊池君がよく通っていた「キッチン・ブン」はまだ営業を続けているが、その隣の「ボンマルシェ」は、もう看板だけしか残っていない。

 

 若き今井君が1日に3回も通ったお蕎麦の「浅野屋」は健在だ。昼飯をこの店で食べて、4時ごろ腹が減ってまたお蕎麦をすすりに行き、7時からここでお酒を飲んだ。つなぎの少ないお蕎麦はマコトに脆くちぎれやすかったが、あれももう数十年前のことである。

 

 つい10年前に早稲田祭に出演した時には、何となく忙しくてこの近辺の散策は出来なかった。今回は今回で何しろ「コロナ禍」の営業自粛、それでも無理やり闖入するほどの懐かしさはないから、「また今度」と軽く頷いて帰路についた。

(都電通りに近い「志乃ぶ」。かつて1週間に1度はこの店で盛り上がった)

 

 しかし、ここで「では東大はどうなっているだろう」と考えるのは当然の成り行きじゃないか。若き今井君も、夭折した菊池君も、元はと言えば早稲田じゃなくて東京大学に進みたかったのであって、彼の命日に早稲田だけ散策したんじゃ、何となく菊池君が苦笑いしそうな気がした。

 

 そこで諸君、すでにワタクシは疲労困憊、濁流を泳ぎ渡り & 盗賊集団の襲撃も見事に退けた後のメロス君に勝るとも劣らぬヘトヘトぶりであったが、そこはやっぱり遥か昔の親友の命日である。「オレについてこい」と友人を叱咤激励する勢いで、一気に東大駒場まで取って返した。

(東京・駒場野公園のアジサイ、5月24日。そろそろ盛りになりそうな勢いだ)

 

 早稲田から駒場は余りにも遠い。早稲田 → 大久保 → 新宿 → 初台 → 駒場、諸君も地図で確認していただきたいが、グーグルマップ君に頼っても2時間近い道のりだ。自宅を出てから3時間半、湿度60%・気温27℃の東京を歩き切って、午後4時半、ついに駒場に到着した時には、すでに中年男の体力は限界を超えていた。

 

 しかしそれでも何だか、傷ついた戦友を背中に負っているような勇み立った気持ちは抑えられない。筑波大駒場高校の前から駒場野公園を突っ切り、井の頭線「駒場東大前」駅の階段を昇って、毎日のウォーキングの定番・東大駒場の正門の前に立った。

(東大駒場から至近、駒場野公園の風景、5月22日。東大に合格したら、しばらくはここを散策の定番としたまえ)

 

 すると諸君、夢ではないか、昨日まで固く閉ざされていた東大駒場の正門が、夕暮れの空の下、大きく開かれて疲労困憊の今井君を待ち受けてくれていたのである。18歳の時、怠け者イマイの目の前で頑固にビシッと意地でも開こうとしなかったこの憎たらしい門が、とうとう大きく開放された。

 

 もちろんこの開放は、「こりゃ困ったな」でもあるので、正門が開かれて東大生がワンサと駒場に帰ってくることになれば、明日明後日からのサトイモのお散歩コースも変更せざるを得ない。早稲田ほどではなくても、駒場だってやっぱり「今井だ!!」「あ、今井先生だ」の嵐は覚悟しなくてはならないのだ。

  (東大駒場、5月23日。まだ門は固く閉ざされていた)

 

 まあ諸君、こうして5月25日、親友・菊池君の命日は疲労困憊の中で暮れていった。どういうわけかワタクシは昔から「お墓まいり」というものがキライなので、友人たちがあれから数十年、青森県木造町の菊池君のお墓参りに熱心に出かけているのを横目に、彼のお墓を一度も見ていない。

 

 しかし許してくれたまえ、世の中にはこういうヒネくれた男というものも少なくなくて、他の友人たちよりも毎年1日早く、早稲田やら駒場やらその他いろんな場所で、むかしむかしの菊池君との付き合いをしんみり思い出して過ごしているのである。

(東大駒場、5月25日夕暮れ4時半。夢ではないか諸君、ついに門は大きく開け放たれていた)

 

 こういう文脈にしてしまうと、いくら写真の説明に過ぎないとしても、2019年8月のアドリア海岸の旅の話を始めにくくなってしまう。同じ旅の思い出を語るにしても、かつて菊池君を含めた大学の友人6人で訪れた8月の津軽はマコトに涼しく、汗なんかほとんどかいた記憶もない。

 

 それに対してイタリア半島でも最南端、ブーツの土踏まずに該当する古都レッチェの強烈な暑さは、いま語り出そうとしただけでも、思わず汗が噴き出しそうになるほどである。

(2019年8月28日、猛暑のレッチェ。写真を見ただけで熱中症になりそうだ)

 

 今日のまる一日、5月下旬の4時間に及ぶ東京ウォークでかいた汗も半端なものではなかったが、昨年8月28日も昼を過ぎると、とめどなく流れる汗をもうどうすることもできなかった。

 

 午後1時、レッチェの町は完全にシエスタに入って、あまりの静けさに熱中症の危機が迫る。レモンアイスを貪るように飲み込んで、酷暑の中でアイスに命を救われた。レモンアイスをあと5分でも躊躇していたら、おそらくあの場にしゃがみ込んでいただろう。

(レッチェの名店「LE VOLTE」。この店に危機を救われた)

 

 しかも諸君、こういう時に限って、人間は優柔不断になる。ランチに入るべき店が決められなくて、「帯に短し、タスキに長し」「一長一短だなや」と迷っているうちに、熱中症の危険性がどんどん深まってくる。すると今度はそのことに焦って、ますます店が決められない。

 

 店の前で3度も4度も逡巡し、やっとのことで決めたのが赤い看板の「LE VOLTE」。まだ開店時間になっていなかったのを、店のオネーサマが優しい笑顔で迎え入れてくれた。「コイツは熱中症になりかけてるな」と苦笑するような様子だった。

    (レッチェの名店「LE VOLTE」、店内風景)

 

 いやはや、クーラーというもののありがたさを心底から痛感する一瞬だった。ビールよりもコーラが欲しくて、思わず「コカコーラ!!」と絶叫しそうだったが、まあ諸君、そこはオトナの威厳を保って、きちんと冷たいモレッティを注文した。イタリアビールの定番、というか、ラベルに描かれたオジサマが今井君のイメージにぴったりだ。

 

 プーリア州のレストランは、どこも前菜がマコトに豪華である。というか、前菜を丁寧に味わっていると、メインなんかどうでもよくなり、当然のように「デザートの入る容積が胃袋内に確保できません」という事態に立ち至る。

 (プーリア州は前菜の充実が自慢。おいしゅーございました)

 

 レッチェのこの店では、前菜が夏野菜のオンパレード。ナスにインゲンにズッキーニ、こういう軽い前菜なら、いくら丁寧に味わっていっても、その後のパスタもステーキも、みんなズボズボ楽に胃袋に入っていく。

 

 最高に涼しいクーラーの風の中、お腹の中は夏野菜とビアとロゼワインとでスッキリ爽やか。優しいオネーサマが最後まで優しく給仕してくださって、こんなに楽しいランチは他になかなか考えられない。オレッキエッテの水分が若干多過ぎたキライがあっても、うるさいことは言いっこなしだ。

(レッチェ「LE VOLTE」のオレッキエッテ。文句なしにおいしゅーございました)

 

 ランチの後は、シエスタの真っただ中のレッチェをまた歩き回る計画でいたが、いやはや、店の外に出ると、再び激烈な直射日光と40℃の熱風に襲われた。

 

「こりゃ、帰ったほうがいい」とすぐに懸命な判断。熱風のドゥオモからレッチェの国鉄駅に急いだ今井君は、右側の車窓に展開するアドリア海とオリーブ畑を眺めながら、ほうほうのていでバーリのホテルに逃げ帰ったのである。

 

1E(Cd) David SanbornINSIDE

2E(Cd) David SanbornTIME AGAIN

5D(DMv) HOUSE AT THE END OF THE STREET

8D(DMv) DON’T SAY A WORD

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