Mon 200504 復活まで25日/写真のみフレデリクスボー城(デンマーク紀行12)3930回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 200504 復活まで25日/写真のみフレデリクスボー城(デンマーク紀行12)3930回

 落胆してはならない。ガッカリして、ションボリして、「先が見えない」と溜め息をついても、状況はちっともよくならない。我々としては、ニコニコは無理でも、とりあえずズルそうにニヤッと片頬で笑い、「何だ、あとたった25日だ」と不敵に呟いて、やおらカウントダウンを始めるだけのことである。

 

 もう7年前の4月のこと、ワタクシはボストンでたいへんな目に遭った。ニューヨーク経由でボストンに到着したまさにその日に、ボストンマラソンを狙った爆弾テロ事件が発生。ボストンは厳戒態勢になり、「犯人逮捕まで外出禁止」という措置がとられた。

 

 しかし犯人逮捕の日、街中は「BOSTON STRONG」の文字で溢れかえった。ボストンはハーバード大があり、すぐお隣にMITがあって、アメリカ独立当初から市民の知性は極めて高い。大作家H. ジェイムズが代表作「ボストン市民」でその気難しさを皮肉ったほどである。

 

 その気難しいボストン市民が、一致協力してテロ犯逮捕にこぎつけた。その朝、街中を「BOSTON STRONG」の文字が飾った。バスも電車も「アメリカ最古」の地下鉄も、煩わしい行き先表示なんか忘れて、ひたすら「BOSTON STRONG」。目ぼしいビルの側面にも「BOSTON STRONG」の横断幕が掲げられた。

(床屋にいかずに2ヶ月、すっかり野性味溢れるサトイモに成長した 1)

 

「あと25日」が決まってしまった今、ワタクシが夢見るのは、日本中が「NIPPON STRONG」の文字で飾られる瞬間だ。JAPANでもいいが、何となくNIPPONのほうがいいじゃないか。諸君、今すぐカウントダウンを始めたまえ。「NIPPON STRONG」まで、あとたった25日しかない。横断幕の準備を、今すぐ始めないと間に合わない。

 

 いや、こういうのはもっと団結力の強い自治体単位やブロック単位の方がいいかもしれない。「HOKKAIDO STRONG」であり、「OKINAWA STRONG」であり、当然「KYUSHU STRONG」や「KANSAI STRONG」がそれに続き、最後に今ちょっと遅れ気味なTOKYOが続いて、6月1日の東京が「TOKYO STRONG」の文字で飾られる。

 

 だから諸君、残りはたった25日だ。カラ元気でも何でも構わないから、カウントダウンを開始、同時に6月1日の準備を始めたまえ。そもそもあの日、「BOSTON STRONG」の横断幕があんなにたくさん準備されていたこと自体がスゲーじゃないか。我々も負けてはいられない。

(床屋にいかずに2ヶ月、すっかり野性味溢れるサトイモに成長した 2)

 

 と、ずいぶん威勢よく書き始めたことからも想像がつくだろうが、5月4日の今井君は異様にションボリしていて、「ベッドから起き上がるのもやっと」、恐るべきションボリ芋と化している。

 

 そもそもワタクシは、5月の連休が苦手なのだ。毎年毎年、やれ大型連休だ、やれゴールデンウィークの10連休だ、そういう大騒ぎをすればするほど、それがまもなく終わりそうになる日々には心がすっかり折れて、もう立って歩くのもウンザリするほどだ。

(床屋にいかずに2ヶ月、すっかり野性味溢れるサトイモに成長した 3)

 

 一番キライだったのは、連休が終わる5月6日。次にイヤなのが5月5日。5月4日が続き、小難しい顔で憲法について語り合わなきゃいけない5月3日が次にメンドー。だって諸君、もうすぐまた学校だし、もうすぐまたお仕事で満員電車の暑苦しい日々だ。

 

 そういう思いを何十年も繰り返していれば、5月3日・4日・5日・6日が条件反射的にキライになるのは当然の成り行きだ。今年は完全に状況が違うが、それでも5月4日、サトイモはその日付を意識しただけで、条件反射としてウンザリ、条件反射としてションボリ、いつまでも枕にしがみついていたい。

   (コペンハーゲン近郊 フレデリクスボー城 1)

 

 ワタクシのマコトに悪い癖として、「ばっかり食べ」がある。世の中の偉い人たちは、みんな「栄養バランスのいい食事」を推奨し、「たんぱく質に繊維質に炭水化物、バラエティに富んだ食材をバランスよく食べましょう」「野菜をしっかり」「魚もしっかり」、そういう難しいことをおっしゃるが、なかなかそうはいかんのよ。

 

 ヒレステーキばっかり700グラム。生牡蠣ばっかり48個。天ぷらばっかり40個。そういうワガママをさせれば天下一品であって、もうサトイモは誰にも止められない。

   (コペンハーゲン近郊 フレデリクスボー城 2)

 

 コドモのころの勉強だってそうで、算数ばっかりの夏休みとか、国語ばっかりの春休み、世界史ばっかりの冬休み、そんなことをやっているうちに、「全科目バランスよく、偏りなく勉強しましょう」という日本の受験制度から、すっかり置いてきぼりにされた。

 

 そういう悪いクセは大人になっても抜けなくて、「読書ばっかり」ならまだホメられることもあるが、「映画ばっかり」はやがて「お酒ばっかり」にかわり、まもなく「愚痴ばっかり」「ダジャレばっかり」「寝てばっかり」の情けないサトイモが出来上がる。

   (コペンハーゲン近郊 フレデリクスボー城 3)

 

 もちろんこの場合、開き直るのはマコトにカンタンなので、「むしろ今井みたいな『ばっかり人間』を評価できない社会が悪いんだ」と、ぎゅっとスネてみせれば、一定の同情や共感は得られるのである。

 

 数学に興味があれば、数学ばっかりやっているのがいいじゃないか。物理なら物理、生物学なら生物学、サッカーならサッカー。「そればっかりに集中してどうしていけないんだ?」「どうしてキライなことや興味のないことに時間を無駄遣いさせるんだ?」とスネる若者に、頷いてくれる世間の人は多い。

   (コペンハーゲン近郊 フレデリクスボー城 4)

 

 しかしそれはあくまで「有望な若者であること」が条件なので、「有望」のカテゴリーから大きく逸脱したクマみたいな中年が「ボクはバランスのとれた優等生なんかで満足しないぜ」と飲み屋の片隅で突っ張ってみせても、「寂しい男だねぇ」とせせら笑われてオシマイだ。

 

 その寂しい男が今、「カウントダウン25」を諸君に宣言しているのである。日本では前世紀の日曜午後から「25」と言えば「アタック」しかできないことになっているが、今日だけは諸君、アタックじゃなくてカウントダウン25を合言葉に、何でもいいから前進を始めようじゃないか。

   (コペンハーゲン近郊 フレデリクスボー城 5)

 

 とりあえず、ワタクシの激しいオヒゲでもご覧くださいませ。3月に自粛の日々が始まった時、今井が目標にしたのは「精悍な中東男子的な風貌」。顎や頬や首筋のヒゲも全く剃らずに放置して、イラクやイランやシリアやトルコの精悍な男子、あのグローバルな風貌に幾らかでも近づけたい。そう願ったのである。

 

 あれからすでに2ヶ月が経過。うーん、顎と頰はますます黒々と、確かに寄る年波のせいでオヒゲにはだいぶん白髪が混じっているが、2012年のイスタンブールでトルコ人に「トルコ人っぽいですね」と言われた風貌は、ますますトルコ人っぽい雰囲気を加えてきたじゃないか。

 

 こりゃ諸君、「トルコの長老」とまでアダ名がつきそうな勢いだ。もちろんやっぱり根っこは日本人だから、「大昔の百円札の板垣退助みたいですね」と言われても構わない。板垣タイ助に遠く及ばぬ「板垣イタ助」を、実は狙っている。だって諸君、まだどうしても顎ヒゲが左右2つに分かれてくれないのだ。

(百円札の板垣退助先生。今井君のヒゲなんか、まだまだ及びもつきませぬ)

 

 何しろ「カウントダウン25」のなのだから、あと25日で何が何でも社会復帰を果たさなければならない。すると諸君、板垣イタ助として完成するには、25日しか残されていない。6月1日にはどうしても床屋さんの椅子に座り、元のキチンと楕円球のサトイモに復帰するのだ。

 

 それまでに一度でもいいから、立派なトルコの長老の風貌を獲得できるだろうか。いくら刻苦勉励しても、いくら真剣に精進に励んでも、ヒゲばかりは思う通りに成長してはくれない。板垣イタ助を懸命に目指しはするが、思いが必ずしも通じないのは、いつの世も同じことである。

   (コペンハーゲン近郊 フレデリクスボー城 6)

 

 さて「デンマーク紀行」であるが、どうやらこのまま「写真のみ」の掲載で最後まで行きそうだ。それも致し方ないだろう。何しろ2019年8月、デンマークの楕円タイプ板垣は、連日38℃を軽く超える高熱の中で旅を続けていた。思い出はあまりにもツラく苦しいのである。

 

 夜は大量の水分を摂取して、とにかくたくさん汗をかくことを心がけ、バスローブを2枚着てベッドに入る。午前2時に1回、4時に1回、6時に1回、一晩で3回ものっそり起き上がってバスローブを着替える。そういうことを1週間も繰り返して、もうヘトヘトになっていた。

 

 それでも旅を続ける。午後になればぐっと気分も上向き、松尾芭蕉にならって「旅に病んで夢は枯野を駆けめぐる」とウソブキながら小旅行に出る。旅に病んで楕円は北欧を歩き回るのであるが、8月3日の板垣イモ助は、コペンハーゲンから電車を乗り継いで1時間、「フレデリクスボー」という古城を訪ねることにした。

   (コペンハーゲン近郊 フレデリクスボー城 7)

 

 17世紀から18世紀の北欧は、延々100年の戦乱の真っただ中。クリスチャン4世とか、カール12世とか、グスタフ・アドルフとか、北欧の誇る英雄が次々と登場して、バルト海は100年にわたり戦士たちの血で真っ赤に染まり続けた。

 

 1700年から1720年にかけての「北方大戦争」では、バルト海沿岸の諸国が果てしないクンズ&ホグレツを繰り返し、世界史の専門家だって、きっとその経過をクリアには説明できないほどだ。

 

 試しに諸君、身近にいらっしゃる世界史の先生に「北方大戦争の経過を教えてください」と尋ねてみたまえ。おそらくどのセンセも閉口して、「自分で調べてみたまえ」「知識偏重じゃいけないんだ」と、不機嫌に諸君を追い返すに決まっている。

(2009年8月、イギリス・ウィンダミアで購入のマグカップ。そろそろ断捨離の時期がやってきた 1)

 

 そこで21世紀の日本を席巻する「アクティブラーニング」ないし「調べ学習」ということにして、要するに「ネットでコピペ」をやってみてもいい。登場人物の誰が敵で、誰が味方なのか、滅多な人には理解できない。

 

 関わった国は、スウェーデン・デンマーク・ノルウェー・ロシア・ポーランド・ドイツ・フィンランド・リトアニアなど後のバルト3国、そうかと思ったら、遠くイングランドにオスマントルコ。トルコが関わると当然のようにハプスブルグも参戦してきて、いやはやもう何が何だか分からない。

 

 その北方大戦争に決着をつけたのが、ストックホルム条約とフレデリクスボー条約である。諸君、旅に病んだサトイモが、やっぱりあの時もヒゲを剃らずに旅していたから、まさにトルコの長老みたいな風貌だったはずだが、旅の「ほぼ最終日」にたどり着いたフレデリクスボーのお城は、たいへんな歴史的モニュメントだったのである。

(2009年8月、イギリス・ウィンダミアで購入のマグカップ。そろそろ断捨離の時期がやってきた 2)

 

1E(Cd) IncognitoWHO NEEDS LOVE

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