Sun 200405 再び「獄にありては」/リューベックへ (デンマーク紀行5)3923回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 200405 再び「獄にありては」/リューベックへ (デンマーク紀行5)3923回

 この数日、何だかずいぶんブログのアクセス数が増加して、「こりゃもしや、何か今井がBuzzってるのかな♡」「はたまた何かマズい発言でもしちゃったのかな」「新しい東進CMでも始まったのかな?」と、いろいろドキドキしていたのだが、何のことはない、長い間の同僚だった大スターのセンセが、新しい人生をドンブラコ、華々しく船出なさったらしいのである。

 

 こんなたいへんなご時世の真っただ中で新しい船出だなんて、たいへんな勇気のいることである。思えばすでに四半世紀、ワタクシが駿台から代ゼミに移籍して以来、勝手に「同僚」ということにさせていただくとして、ホントに長い長いおつきあいであった。

 

 もちろんセンセは常に予備校界の太陽のようなオカタ。いっぽうのワタクシはどこまでも地味な存在であって、「同僚」などと言わせていただいても、まあせいぜいでお月さん、満月かと思えば三日月、上弦の半月かと思えば下弦の月、変幻自在というか何というか、太陽の光を浴びて何とか持ちこたえる地味なサトイモとして生きながらえてきた。

(2019年7月28日、コペンハーゲンから北ドイツ・リューベックを訪れる。バスと船と列車を乗り継いで、片道6時間の旅である)

 

 しかし諸君、これからもワタクシは「予備校界のお月さん」として、暗い世相を少しでも明るくする仕事を続けていく。懸命に泳いでいないとどんどん元気がなくなるマグロみたいなもんである。

 

 しかし憎っくきコロナどんのせいで3月の公開授業は3本だけ。10本近くが中止になっちゃった。この分では4月も5月も公開授業ゼロの惨状は続きそうだが、例えそうであっても、予備校の世界への熱烈な気持ちは決して変わらない。

 

 せめて6月には、バリバリ仕事を再開したいのである。6月と7月と8月には、1日たりとも休みの必要はない。新しい仕事に船出した大スターセンセに負けないぐらいに連日連夜、日本中を奇跡的な旅程で駆け回ってワシワシ仕事がしたい。

 

 もちろんついでにワシワシ、肉も生牡蠣もマグロも酒も、今や空っぽの胃袋にナンボでも流し込みたいのである。新しい仕事に船出した元同僚を心から応援するとともに、仕事の質でも総量でも、胃袋に流し込む食糧&飲料ともに、絶対にヒケをとりたくないのである。

 

 まだまだそういう話をできる状況ではないが、6月・7月・8月、今井は殆どお遍路さんみたいな気持ちで、誠実な全国行脚をやってみたい。全国行脚にはもちろん首都圏も含むし、昨年は欠席した河口湖合宿にだって、依頼さえあれば押しかけてみたいのである。

(コペンハーゲン中央駅。はるかむかしのバイキングにちなんで、駅の天井は船の底をイメージしているらしい)

 

 だって諸君、メディアでの有名人の発言が、あまりにマイナス思考すぎて、サトイモ君は大キライなのだ。そんなにキツい口調で完膚なきまでにアベノ給食マスクを非難したって、結局コロナ君の思うツボだ。

 

 たとえどれほど情けない権力者でも、寄ってたかって好き放題の悪口雑言は我慢したほうがいい。小学生の給食係みたいな小っちゃいマスクで国会に出てみたシンゾーどんは、「出来の悪いリーダー」として冷たい嘲笑に耐えながら、せめて国民に笑いを提供することだけは出来たじゃないか。

 

 それが失笑であり嘲笑であり憫笑であるとしても、先の見えぬトンネルの闇を苦しんで進む国民に、一瞬の笑顔を与えてくれたじゃないか。こういう時に大事なのは、徹底的な対策と同時に、どんな種類の笑顔でも構わない、笑顔だ。とにかく大切なのは、小さな笑顔なのだ。

(ハンブルグ市庁舎。ハンブルグは5年前のクリスマス以来だ)

 

 木更津の宿屋で醜態を晒したはずの元都知事、政権交代のはずが国政を混乱させただけの元首相、落語の修業そっちのけでMC稼業に専念していらっしゃる落語家さま。そういう人たちが冷淡きわまりない皮肉な発言を繰り返しているが、そういう引きつった冷笑的発言で人々の心が慰められることはほぼ期待できない。

 

 そんな発言を読んでも聞いても、事態は何一つ改善しない。若い諸君は、「不要不急の外出を自粛」するついでに、是非とも家庭で明るく笑顔でいてほしい。その笑顔が家庭を支え、そういう家庭が地域を支え、そういう地域が自治体を支えるはずだ。

 

 ということは諸君、マコトに我田引水で申し訳ないが、自宅受講が可能な環境にいらっしゃったら、是非とも今井の授業をバンバン受講して欲しいのだ♡

 

 すでに1ヶ月以上前に「獄にありては獄でできることを」と訴えた。どうだい諸君、今井の「E組」「D組」「C組」「B組」「A組」、どの授業でも構わないが、1ヶ月あればもう半分、いやもっとずんずん、受講を進めることができたはずだ。

(ハンブルグの老舗ビアホールで、ぬるいぬるいビアを楽しむ)

 

 今になってオンライン授業がずいぶん話題になっているが、メディアの諸君は、遅すぎるのだ。危機の時代になればなるほど、時の流れは春の雪解けの濁流のように速くなる。ホンの5日前に書いた記事だって、5日経過して読み直してみると、とっくに濁流に飲み込まれて姿が見えないほどである。

 

 とにかく今は諸君、軽症患者の受け入れに応じてくれた「APAホテル」に3つも4つに大っきな「APPA!!」を捧げたい。このタイミングでこんな名乗りをあげるだなんて、その勇気にはまさに感激の一言だ。

 

 てっきり今朝のハリモトどんが「APPA!!」と低くコブシを握るのかと思っていたが、彼はドリンク「ラフィーネ・アルファ」の存在をチラつかせただけで終わってしまった。そのことにワタクシは「喝!!」であって、今日は何が何でも「APPA!!」の一言が欲しかった。

(ハンブルグの老舗ビアホールで、ありとあらゆる成型肉の山盛りをワシワシやる)

 

 幼い今井君は、重い小児ぜんそくで苦しんだ経験の持ち主である。3歳でぜんそくが始まり、18歳で一人暮らしを始めた頃にもなお、秋口の激しい発作に悩まされた。

 

「息ができない」「吸うことも吐くこともできない」という恐ろしさは、経験した者でなければ分からない。ぜんそくの場合、9月下旬に発作が始まって、12月下旬まで延々3ヶ月、吸入剤の助けがなければホントに息ができないのである。

 

 だから諸君、冗談でも何でもなく、不要不急の外出は自粛したまえ。ワタクシには今もなお小児ぜんそくの後遺症が残っていて、季節の変わり目には呼吸器に異変を感じることがある。

(17時、ハンブルグの老舗ビアホールはガーラガラ。他の客は誰もいない)

 

 2014年4月、もう5年も前のことになるが、ボルドーに2週間滞在した。ボルドーに13連泊して、アルカション・バイヨンヌ・カルカソンヌ・ナルボンヌ・サルラなど、連日フランス南西部の小都市をめぐる旅だった(ボルドー春紀行(2016年4月))。

 

 ところが諸君、ボルドーに到着したその日から、ワタクシは高熱に悩まされた。宿泊はオペラ座の真向かい、無料でアップグレードしてもらえた最上階のスイートルームはバーカウンターまで備えた素晴らしいお部屋だったが、到着早々38.5℃を超える高熱がほぼ最終日まで続いた。

 

 それでも1日4缶のビールを飲み続け、ブルブル震えながら観光を続けた。そういう馬鹿げた行動は絶対にマネしてはいけないが、クラクラ目まいのする高熱のツラさは経験して欲しくないし、ましてや間近に濃厚接触する人が存在する場合には、決してその苦しみを伝染させてはならない。

(コペンハーゲン中央駅から6時間、夕暮れ迫るハンブルグ中央駅に到着。昨年7月の旅である)

 

 実は2019年夏、コペンハーゲンの今井もまた高熱に苦しんでいた。今や鋼鉄の肉体を誇るこのワタクシも、実際にはもうそんなに若くないのだ。

 

 朝から気温35℃の真夏の東京から、最高気温16℃、冷たい雨の降るコペンハーゲンにいきなり移動したりすれば、ぜんそくが復活しないまでも、突然の高熱に見舞われることぐらいは覚悟しなければならない。

 

 その辺、おそらく油断があったのだ。8月から9月にかけてのノルウェーを訪問し、ヨーロッパのタフな人々がみんな船室に引き上げても意地でも甲板でフィヨルドの絶景を眺め続けたのは2017年のこと(晩夏フィヨルド紀行(2017年8月))。ノルウェーでOKだったんだから、デンマークなら問題ないだろう。そう多寡をくくっていた。

 

 しかし諸君、デンマークに到着したその日からすでに体調には異変があり、初日に小雨のコペンハーゲンを散策した時も、翌日に「ハムレット」のエルシノアことヘルシンオアを歩き回った時も、おそらくもう高熱の発作が始まっていたのだろう、頭がフラフラして、目線の置き場が定まらないぐらいだった。

(デンマークからドイツへ、この列車を連絡船でそっくりそのまま運搬する)

 

 それでも7月30日、デンマークの旅の4日目、ワタクシはコペンハーゲンから一気に南下してドイツのハンザ同盟都市リューベックを目指した。昨日はスウェーデン、今日はは北ドイツ、せっかくデンマークに滞在中なのに、義経の八艘跳びなみに激しく跳び回るキウィ君なのである。

 

 コペンハーゲン中央駅は、夏の雨が激しい風に煽られて横から吹きつけていた。あんまり寒いから冬のセーターを着ていた。2008年8月、スコットランドの夏の旅にも同じセーターに救われた。ぜんそくの苦しみが記憶に残っていても、どうしてもこういう不用心な旅に出てしまう。

 

 コペンハーゲンから北ドイツには、まずバスで2時間、一気に港町まで南下する。港町の名をカタカナで表記するのは至難のワザであって、下の写真の通り、oのスペルには斜線がスパッと入っているし、おなじみの発音記号æまで存在する。

(この駅でバスから列車に乗り換え、列車はそのまま船に吸い込まれて、北ドイツへの海をわたる)

 

 しかしとりあえず便宜上これを「ロドビー・ファルゲ」と呼ぶことにしよう。荒地の中の寂れた工業地帯であるが、ここに鉄道の小さな駅があって、頭も黒ゴム、尻尾も黒ゴム、いかにも地味な3両編成の黒ゴム列車がやってくる。バスの乗客はここでバスから列車に乗り換える。

 

 その列車が、そのまま丸ごと巨大連絡船に吸い込まれていく。その後で乗客は全員船に乗り移り、まもなく船はデンマークに別れを告げてドイツの北岸を目指す。所要時間1時間、殺風景な船内は大混雑で、とても「バーでひと休み」「レストランで腹ごしらえ」という気分にはなれない。

(列車はハンブルグ中央駅に到着。デンマーク国鉄の列車は、ドイツでちょっと冷たい扱いを受ける。駅の真ん中まで列車は進入させてもらえない)

 

 ドイツの港に接近すると、船内の乗客はアナウンスに素直に従って列車の座席に戻る。港に接岸するとまもなく列車は直接ドイツの線路に入り、ハンブルグに向かって走り出す。ハンブルグまで1時間半あまり、便利なようでいてマコトに不思議な旅である。

 

 これなら別に列車を船に積み込む必要はないんじゃないか。乗客だけを船で運んで、ドイツ側で普通にドイツの列車に乗り込めばいいんじゃないか。お船に列車を吸い込んで運ぶような、余計な手間は全く必要ないように思われる。

 

 しかし諸君、そんな野暮なことを言う必要はないのである。同じようなことを、イタリアのメッシーナとシチリアの間でもやっている。要するに大切なのは旅情。せっかくみんなが儚い旅情を満喫している時に、必要とか不必要みたいな野暮な効率論を持ち込むなら、最初から旅なんかしないほうがいい。

 

1E(Cd) Ono RisaBOSSA CARIOCA

2E(Cd) 村治佳織・山下一史&新日本フィル:アランフェス交響曲

3E(Cd) Kirk WhalumIN THIS LIFE

6D(DMv) ALL THE WAY

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