Mon 200330  我々を22世紀が見ている/世代間対立の構図(デンマーク紀行4)3922回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 200330  我々を22世紀が見ている/世代間対立の構図(デンマーク紀行4)3922回

 まさか世代間ヘイトが発生するとは思わなかった。おじいちゃんとマゴとは常に最高に仲がいいもの。世代とかジェネレーションとか、ググッと地平線が広がっても、オジーチャン世代とマゴ・ジェネレーションとの穏やかな愛情は、ほとんど人類固有のものであるぐらいに思っていた。

 

 だから超ベテラン今井君の夢も、将来のマゴ世代との温かい交流に向かっていた。マゴ世代などと、贅沢は言わない。今から20年も30年も経過して、ヒマゴ世代と温かく日々の交流ができれば、それがオジーチャンにとっての最高の喜びじゃないか。

(デンマーク・クロンボー城こと、エルシノア城。ハムレット終幕の大悲劇の舞台モデルとなった)

 

 無事にジーチャン世代になったら、ワタクシはステージネームを「ジジ今井」に変更するつもりでいた(ウソです)。白いオヒゲのジジ今井は、毎日夕暮れ時のステージに立って、ヒマゴ世代の小学生集団を相手に、「あることないこと」、ないし「ないことないこと」、徹底的な作り話の連続で子供たちの熱い視線を集めようと思っていた(冗談です)。

 

 この7000年ほど、人類はそうやって世代間の微笑ましい交流を続けてきたのである。古代ギリシャや古代ペルシャでは、教師と生徒という基本的関係。近代日本では紙芝居のジーサンと生意気な子供たちを、甘い水飴の長い糸のネバネバが繋いでいた。

(クロンバー城の中庭。「ハムレット」の様々な場面を地元俳優が演じている)

 

 そのネバネバを、コロナ君が切り刻んでしまっているのだという。いやはや困ったコロナ君だ。コロナのヤツ、このごろは欧米でのアジア人差別だの、日本での近隣国ヘイトだの、最悪の影響を及ぼしつつあるらしい。

 

 その1つが世代間ヘイトである。「若者たちが勝手なことばかり仕出かしおって」「渋谷も原宿も、それどころか熱海に至るまで、この非常時に何を浮かれておるんじゃ!?」とジーチャンたちは腕組み、「若者はなっておらん」「教育が悪い!!」「受験制度が、塾が、予備校が悪い」と怒鳴り散らす。

(海岸から見たエルシノア城。「ハムレット」冒頭、先王の亡霊が現れるあたりである)

 

 若者たちも負けてはいない。「アクティブシニアとか言って、勝手なことばかり」「買いだめや買い占めに並ぶのも、そのアクティブシニアじゃないか」「その世代が勝手なことをやってるんだから、オレたちが勝手なことしたって誰にも文句は言わせない」と毒づく。

 

 その言いぶんはまさに「どっちもどっち」であって、入学式や卒業式はもちろん、受講したい塾の授業にまでケチがつくんじゃ、そりゃ若者の不平不満は当たり前だ。予備校の教室で「未来の世界に役立ちたい」と真剣に授業を受けていて、それが「ウィルス蔓延の温床」と叱られたんじゃタマらない。

 

 ジーチャン世代としては、まさに一言もないだろう。一生かけて貯めたオカネをつぎ込んで、長年連れ添ってくれたバーチャンと思い出のクルーズ船やら海外ツアー旅行に参加し、そこでウィルスに感染して叱られる。しょんぼりふさぎ込んでいるところに、マゴ・ジェネレーションの罵倒が降ってくる。

(エルシノア城の海岸に、ハマナスの花が咲いていた。秋田市土崎の浜辺でよく見かけた花だが、茎をおおいつくす凶悪なトゲに気をつけないと痛い目にあう)

 

 危機が世代間ヘイトを生み出す構図は、今に限ったことではない。シェイクスピアを読んでみたまえ。ロミオとジュリエットの大悲劇だって、別にモンタギュー家とキャピュレット家の理不尽な「家 vs 家」ヘイトばかりが原因ではないのだ。

 

 ヘイトの構造を分析してみると、これはどうやら世代間の亀裂。10歳代から20歳代の若年層と、40歳代 & 50歳代の親世代の間の、あまりにも深い亀裂に気づかないだろうか。

 

 悲劇の幕が開く前から、モンタギュー側のロミオ・マーキューショー・ベンボーリオ、キャピュレット側のジュリエット・タイボールト、10歳代20歳代ジェネレーションと、双方の親や親戚世代の中世的な発想と行動様式とが、融けあうことのない対立をすでに引き起こしていたのではないか。

(スウェーデンに向かう船の甲板からエルシノアの城を望む。悲劇の終幕、ノルウェー王子フォーティンブラスが見たはずの光景がこれである)

 

 しかもこの悲劇の場合には、世代と世代を中途半端につなぐ2名の登場人物が介在し、世代間対立をマコトに不器用に煽るのである。言わずと知れたジュリエットの乳母とヴェローナの神父である。

 

 半世紀ほど前に大流行したキーワードを使えば「トリックスター」。うぉー、懐かしい。この2名のトリックスターによって世代間ヘイトが増幅され、美しいアディジェ川の流れる中世ヴェローナの町は、両家大流血の惨事に見舞われる。

 

 ハムレットの場合も同様であって、この大悲劇もまた世代間対立の図式で捉えた方が鮮烈である。20歳代から30歳代のハムレット組。40歳代から50歳代のクローディアス組。最終的には前者に属するノルウェー王子・フォーティンブラスの沈着冷静な独白で決着がつくが、いやはや、対立軸はあまりにも明らかだ。

 

 若者組には、ハムレット・親友ホレーショ・オフィーリア・その兄レイヤーティーズ・ローゼンクランツ・ギルデンスターン。大人組にはクローディアス・ガートルード・ポローニアス。対立の結果として悲劇の現場に残るのがフォーティンブラス、そういう構図になっている。

(わずか1時間でデンマークからスウェーデンへの船旅が終わる。ヘルシンボリの城からデンマークサイドを望む)

 

 しかし諸君、2020年のコロナの悲劇を、そういう中世の図式そのままに写しとってはならない。それじゃ諸君、500年も600年も700年も、「地球のヒト類は何をやってきたんだ?」という宇宙人の誹りを免れない。互いにののしりあって体力と知力を消耗している場面ではないはずだ。

 

 同様に諸君、責任問題で他国を罵っている場合でもないはずだ。情報隠蔽の愚劣を問うのは、せめて1年か2年、状況の終息を待って然るべき機構に任せるべきだ。

 

 我々はそれに備え、状況の推移を精確かつ公正に記録し&記憶し、それこそ「22世紀が見ている」「23世紀も見つめている」ということを忘れるべきではない。

 

「スペイン風邪」については、読者諸君のほとんどすべてが熟知していることと思うが、1918年1月から192012月までの流行。世界で約5億人が感染した。当時の世界人口の1/4にあたる。前世紀の悲劇を我々が見ているのと同様に、22世紀と23世紀の人々は、21世紀の我々を熟視している。

     (スウェーデン、ヘルシンボリの城 1)

 

 今の状況が続けば、21世紀は国家間ヘイトの時代であるとともに、世代間ヘイトが高まった時代として記録される。100年後の世界史の教科書には、「醜い国家間蔑視が蔓延しました」「醜い世代間ヘイトが跋扈しました」と書かれることになる。

 

 うにゃにゃ、歴史のセンセがお説教のようにおっしゃるのは「歴史を学ぶのは、年代とか人物名を暗記するためではない」「過去の経験から未来へのアドバイスを得るためなんだ」のはずじゃなかったか。

 

 ならば諸君、ついでに「自分たちの世代が未来の世代にどう記録されるか」も考えなければならない。歴史学習をキレイゴトだらけにするなら、ついでだから「未来の人々に『醜い時代』と指弾されないように」「未来の人々に尊敬される時代を作ろう」という理想があってもいい。

     (スウェーデン、ヘルシンボリの城 2)

 

 もちろんそのためには、「大国」「先進国」を自称する国家の指導者たちが情報を隠蔽したり、大切な時期にプライドを捨てて互いにののしりあったり、誹謗中傷を繰り返したり謝罪をためらったりしないことも重要だ。

 

 しかし我々自身も「22世紀の人々に見られている」「23世紀の人々が見つめている」という意識を忘れないことが重要。「なんだ、結局は国家間も世代間もバラバラ、中世や近世の教訓なんかみんな放り捨てて、ケンカばっかりだったんだ」と近未来に失笑されるようでは、それこそ「歴史を学ぶ意義」を自らキレイゴトとして放擲するようなものである。

(伯父から譲り受けた坪内逍遥訳「シェイクスピヤ全集」のうち3冊)

 

 なお、本日の写真はデンマーク滞在2日目、2019年7月29日午後のものである。シェイクスピア「ハムレット」の舞台エルシノア城と思われるお城は、正式名称クロンボー城。城のあちこちでハムレットの場面場面を地元の俳優陣が演じている。

 

 だから訪問客はクロンボー城をめぐりながら、ある広間でホレーショとハムレットの議論の場に出会い、またある暗い一隅でポローニアスがレイアーティーズにお説教している場面を目撃する。裏庭で墓掘り人夫とハムレットが噛み合わない会話に興じていたり、オフィーリアが悲しい独白を始めていたりする。

 

 そうしてやがてクロンボー城の大広間に来ると、それはもちろん終幕の大悲劇が繰り広げられたまさにその舞台である。王妃ガートルードも、兄から王位を簒奪したクローディアスも、勇者レイアーティーズもハムレットも、全てこの大広間で息絶えた。ノルウェー王子フォーティンブラスが悲劇を雄々しく締めくくるのも、やっぱりここである。

 

 昼過ぎ、ワタクシはクロンボー城を後にした。英語名エルシノア、デンマーク語でヘルシンオア、鉄道駅のすぐ横に船着場があって、ここから隣国スウェーデンに渡ることができる。フォーティンブラスがノルウェーから到着した港もおそらくここなのだ。

(Helsingborgのスペルで、ヘルシンボリと発音する。ここから電車に乗って、コペンハーゲンに30分強で到着する)

 

 午後2時近い船で、今井君はいきなりスウェーデンに向かった。片道1時間もかからない。もう5年以上前、アルゼンチン・ブエノスアイレスからウルグアイのコローニアまではラプラタ河を横断して3時間もかかったが、この日は河ではなく海をわたって、しかしマコトに呆気なかった。

 

 到着した港町の名は、ヘルシンボリ。スウェーデン語のスペルではHelsingborgである。むかしむかしの男子テニスの名選手に「エドベリ」という人がいた。NHKでは意地でもエドバーグ、朝日新聞では意地でもエドベリ。語尾の「borg」というスペル、英語ならバーグ、スウェーデン語ではベリ、そういう対立だったのだろうと思う。

 

 それよりも今井としてはデンマークとスウェーデンの両岸に共通の「ヘルシン」のほうに興味があった。デンマーク側は「ヘルシンオア」、スウェーデン側は「へルシンボリ」。ならば「ヘルシン」とは何か。

 

 ま、頑張って調べれば1時間もかからないんだろうけれども、怠け者のワタクシはあれから8ヶ月、ちっとも調べないで今、3月末日を迎えようとしている。

 

E1(Cd) S.François& Cluytens & Société des Concerts du Conservatoire:ラヴェル/ピアノ協奏曲

2E(Cd) Paco de LuciaANTOLOGIA

3E(Cd) 寺井尚子:THINKING OF YOU

6D(DMv) REGRESSION

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