Mon 200316  なごり雪/質問には高等技術が必要だ(南仏カーニバル紀行13)3918回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 200316  なごり雪/質問には高等技術が必要だ(南仏カーニバル紀行13)3918回

 3月14日土曜日、東京では午後から雪が降り出した。約45年前、「イルカ」という女性シンガーが「なごり雪」を大ヒットさせたが、おそらく諸君のパパやママも、3月中旬の雪を眺めながら「東京で見る雪はこれが最後ねと...」を、懐かしげに口ずさんだことと思う。

 

 そこから土曜の親子の会話がスタートして、「パパの若い頃はな」「ママの若い頃はね」みたいな話へと展開し、そのまま受験勉強の話になるのは当然の流れである。諸君が大ベテラン今井先生の大爆笑授業の話を自慢げに持ち出すのも、また当たり前の成り行きだ。

 

 場合によってはYoutubeで、今井の授業のワンシーンを見せてあげたかもしれない。最初のうちは、パパもママも明るい笑顔で嬉しそうにしていたはずだ。

(2019年2月26日、南フランス、サンポール・ド・ヴァンスの町を訪ねた 1)

 

 しかし突然パパが、「でもこの先生に、直接質問はできないんだろ?」と、否定的な口調になりはしなかったか? ママも静かに頷いて、「だって画面で授業を見るだけなんでしょ?」と、少し表情を曇らせる。どこの家庭でも普通に見られる週末の光景だ。

 

「分からないことがあったら、すぐ先生に質問しなさい」と、ママは小学生の頃の諸君に言った。「不明な点をすぐに講師に質問できないんじゃ、そんな塾は無意味だな」と、今もパパは断言する。「お父さんが若かった頃はな、分からないことは遠慮なく職員室に質問に行って解決したものだ」と胸を張る。

(2019年2月26日、南フランス、サンポール・ド・ヴァンスの町を訪ねた 2)

 

 ホントにそうなのか、パパもママもみんな職員室の常連で、「先生、分かかりません」「先生、教えてください」「教えてください♨︎」と先生に粘りついていたのか。その点、ワタクシなんかはどうしても「マユツバだな」と感じるのである。

 

 パパはホントにそんなに職員室の顔なじみで、ママはホントに「分かんない♡」→「すぐ質問!!」というほど積極的な生徒だったのか。「質問してすぐに疑問が解決」というほど、質問が上手にできたのか。諸君、質問にはかなりの高等技術が必要で、質問の仕方が悪いと先生の側でも、相手の生徒が何が分からないのか、理解に苦しむのである。

 

 受験生時代は、昔も今も人生で最もシャイな年頃である。そんなに熱く(または暑苦しく)「先生♡」「先生♡」「教えて♡」みたいな行動には出られない。たまにそういうクラスメイトが存在すると、羨ましくは思っても、「自分はあんなふうにはできない」と腕組みする程度である。

(小京都サンポール・ド・ヴァンスで、高級そうな野良ネコどんに出会った)

 

 その証拠に、大学のゼミを覗いてみたまえ。ゼミ生10人、多くても20人、少ないゼミなら3名か4名、いくらでも「教授、教えてください♡」と食い下がれるはずなのに、どこの大学でも多くのゼミ室は重苦しい沈黙に支配されている。

 

 教授が指名しない限り、延々と下を向いてちっとも発言しない学生が大半であって、「実は発言したい内容があっても、教授が指名してくれるのをひたすら待つばかり」という学生だって少なくない。こうしてゼミは、1名か2名の「意識高い系」に占拠され、教授も眉をひそめてその状況に耐える。

 

 そのありさまを、ワタクシは別に肯定しているわけではない。今井が言いたいのは「そのぐらい『質問する』という行動は困難だ」と言うことであり、日本の教育は小中学生時代から『質問の仕方』「質問の技術」をもっとキチンと教えるべきだと、心底から思うのである。

(サンポール・ド・ヴァンスへは、アンティーブ近くのカーニュ・シュル・メール駅前から路線バスに乗る)

 

 予備校での「質問」の現状は、甚だ情けないのである。質問と称して、雑談なり世間話なりに興じているのがほとんど。ズラリと長い「質問」の列ができると、「おお、超人気講師か?」と誤解するのだが、その質問と回答に聞き耳を立てていると、「ホントにここは塾なんですか?」と聞きたくなるぐらいだ。

 

「先生は、カノジョ何人いるんですか?」「今どんな音楽にハマってますか?」「服はどんな店で買うんですか?」「バレンタインにチョコ欲しいですか?」。このカテゴリーに入る「質問」の多さには、かつて唖然&ボーゼンとしたものだ。

 

 もちろん今井はすっかり長老になったから、上記カテゴリーの情けない「質問」に悩まされることはすでに皆無であるが、30歳代の頃に受けた様々な「質問」を思い浮かべると、いまだに怒り心頭に発することがある。

       (ヴァンス、遥かな昔の洗濯場)

 

「来週、都合で休むんですが、何か大事なことやりますか?」なんてのもあった。「あのー、毎週毎週ぜんぶ大事なんですけど」と答えると、「えっ、どういうことですか?」と相手は茫然とし、「来週がすごく大事だってことですか?」「じゃ、授業後に1人で来ますから、10分ぐらいでかいつまんで要点だけ教えてください」とニタニタ笑うのだった。

 

「途中でトイレに行っちゃって、そのまま教室に戻らなかったんで、答えだけ教えてください」「途中で居眠りしちゃったんですけど、その間の要点を教えてください」など、怒り心頭の枚挙にいとまがない。要するに「同じ授業をもう一度やってください」という要求に過ぎなかったりする。

 

 だからワタクシは、塾や予備校を選択する際に「すぐに講師に質問できるかどうか」を基準にすることには、大いに疑問を感じるのだ。多くの「質問」は単なる世間話にすぎず、講師との世間話はロクでもない時間つぶしに終わり、学習への緊張感を著しく毀損するばかりである可能性が高い。

(サンポール・ド・ヴァンスで、大好きなフラゴナールの石鹸を5個購入。ピンクは9月にイタリアのバーリで、アクアブルーは12月のウィーンで使用済。まだ3個残っている)

 

「すぐに質問しなさいね」と気楽におっしゃるけれども、「質問する」ということは、実際には授業をするよりももっと難しいぐらいなのである。それは諸君、先日の首相記者会見に対するメディアの「質問」を検討すればすぐに分かることだ。

 

 そもそも今回の記者会見は、半月前の記者会見で「質問打ち切り」にしたことに対して、マスメディアの側から抗議が殺到したことを受けたものだったはずである。「まだ質問があります」と大物ジャーナリストが手をあげたのに、予定の時間が経過したことを理由に会見は終わりになった。

 

 今回も同様に打ち切りになりかけたが、記者席から「抗議の声」ばかりか「怒号」が上がったと、朝日新聞は伝えている。「怒号」となるとさすがに容易ならぬ事態だから、さすがの安倍どんも「まあいいじゃないですか」と司会者を遮り、「質問」に答えることにした。

 

「総理、これで会見と言えるんですか?」「これじゃ演説会じゃないですか」。20分近く質問に答えても、やっぱり「まだ質問があります」と怒号が渦巻いたから、朝日新聞の記述によれば「総理は苦笑まじりに」会見を続行。最終的に予定を20分も超過し、合計で何と53分も起立したまま「質問」に答えた。

(サンポール・ド・ヴァンス、陽当たりのいいレストランで 1)

 

 では、その「怒号」まで渦巻く中でメディアの記者諸君がどんな質問をしたのかと言えば、

「中国からの入国拒否が遅れたことなど、対応の遅れを反省していますか」

「コロナはいつごろ終息するんですか」

「そもそも会見は必要なかったんじゃないですか」

どうやらそんなところである。

 

 しかし今は「反省しているかどうか」を問う時期ではない。反省は終息後、事態が鎮静化してからすることだし、「反省しているかどうか」を知りたい国民なんか、多数存在するとは思えない。「コロナがいつ終息するか」、そんなことを日本の総理に尋ねたって分かるはずがない。会見を行う必要を言い出したのも、むしろメディアの側である。

 

 メディアの第一線で仕事をしているほどの優秀な人々であっても、怒号のあげくの「質問」がこの程度なのである。ましてや「まだ質問があります」とおっしゃったご本人が、この日は「私的な研究会」を理由に出席さえしていない。「あてられてびっくり」というフリーの記者までいらっしゃる。

(サンポール・ド・ヴァンス、陽当たりのいいレストランで 2)

 

 噴飯ものだったのは、「質問」という場を借りて自社の社説をそのまま朗読するごとく滔々と意見を述べたて、最後に「総理、どうお考えですか?」という形式の「質問」。正直に申し上げて、これは「質問」ではなく「意見陳述」である。

 

 つい先月の国会での「鯛は頭から腐る」の大演説と同形式だ。5分近くにわたって持論を延々と繰り広げ、最後に「総理、どうお考えですか?」とくっつけて、一応は質問の体裁を保つ。

 

 ワタクシは安倍シンパでも自民党シンパでも何でもないし、政権与党に投票した経験もあまりないが、晋三どんが思わず「意味のない質問だよ」と呟いた心情だけは理解できる。

 

 正確には「意味のない質問」ではなくて「ちっとも質問になっていない質問」「質問とはどのようなことか、まずそれを勉強すべきではないか」と、ヤジでない形でおっしゃるべきだった。

 

 ぜひ現代文か小論文の偉いセンセに「質問とはどのようなことか」「聞きたいことを聞き出す質問術」みたいなタイトルの本を書いて欲しい。「質問の仕方に困った時に開く本」でもいい。大ベストセラーになること請け合いだ。

(サンポール・ド・ヴァンス、陽当たりのいいレストランで 3)

 

 質問とは、罵詈雑言を並べた後で「どう思います?」とか、自社自説を滔々と述べた上で「どうなんですか?」と付け加えることではない。それでは「なんか大事なことやりますか?」「答えだけ、教えてください」「カノジョ何人いるんですか?」と大差ない。

 

 ましてや大新聞の編集委員ともあろう者が「ある意味、痛快だ」とツイートし、かつこっそり削除して幕引きを図ろうとするんじゃ、もう「質問があります」どころの話ではない。

 

 文部科学省は、さんざん失敗した入試改革なんかいったんゼロに戻して、小・中学生に「効果的な質問のしかた」を教えるべきだ。予備校の大ベテラン今井が思うに「論理的思考力」やら「宿題も定期試験もヤメにした自由な学校」なんかより、「効果的な質問が飛び交う学校」のほうが、ずっと重要に思えるのだ。

 

 例えば校長先生が「夏休みの過ごし方」「卒業生に対する思い」についておセンチな演説をすることがあるだろう。涙目で演壇を下りる校長先生に「まだ質問があります♨︎」と怒号をあげ、「ボクの英語力は、いったいいつ向上するんですか?」「校長先生の話なんか、必要なかったんじゃないですか?」「カメラ目線が大事です」とか、そんなこと言ったって何にもならない。

(サンポール・ド・ヴァンス、陽当たりのいいレストラン。午後2時には客も引き、太陽の光も緩んできた)

 

例えば以下のような質問はどうだろうか。

「ワクチンの開発は今どこでどの程度まで進捗してしますか」

「特効薬の開発について、現在どの国のどんな機関と連携して進めていますか」

「次の会見はいつ頃で、その時には総理からは具体的にどんなことを聞けますか」

「今後アフリカ諸国に感染が急速に拡大した場合、国際社会のリーダーとして、日本はどんな支援ができますか」

 

 または、「発生源と考えられる国の情報隠蔽について、国際社会としてどう責任を追及していくことになるとお考えか」。絶対に総理が答えてはならない質問であるが、国民感情を代表する質問として、質問自体を意見表明とするなら、単なる怒号よりは意味があるんじゃないか。

(南フランスの小京都、サンポール・ド・ヴァンスの雰囲気を味わってくれたまえ)

 

 さて、本日掲載の写真は、すべて昨年3月の「南仏カーニバル紀行」終盤のものである。旅行記はもうずいぶん長く放ったらかしにしたままだから、最近読者に加わった人は今井の旅行記の存在も知らないだろうが、今まで3918回にわたる今井ブログは、その半分近くを海外旅行記が占めている。

 

 今日は予告と違って「速読」シリーズの締めくくりは次回に譲るが、とにかく、自粛&自粛で何でもかんでも自粛しているうちに、グルメでも高級店食べ歩きの専門家でもない今井は、とうとうブログに掲載する写真さえなくなっちゃった。

 

 致し方ない。1年前のモナコ滞在時に撮りまくった写真を掲載して、旅行記を復活させる。モナコに滞在して南仏のカーニバルをハシゴしたのは、昨年2019年の2月19日から2月28日。旅行記は2月25日、ニースの隣町ヴィルフランシュからボーリューまで海岸を散策した記事で中断していた。

(サンポール・ド・ヴァンス・ヴィラージュのバス停。終点だ)

 

 その記事を書いたのが1015日。台風19号が首都圏を直撃して未曾有の大水害を引き起こした日であり、ということは、17年の生涯を全うしてニャゴロワが天国に旅立った1016日の前日である。

 

 あれからちょうど半年、まだ旅行記を書き残しているイタリアもフランスも、デンマークもスウェーデンもドイツも、渡航中止勧告ないし渡航自粛の対象になってしまった。つくづくコロナが憎くてたまらない。

 

 なお、南仏カーニバル紀行の再開にあたり、「ここまでがどんな旅だったか」に関心のある方は、ここまで12回の「南仏カーニバル紀行」を参照のこと。コロナの影の全くなかった南フランス早春の海岸を、どんなに麗しい光が満たしていたか、ぜひ実感していただきたいのである。

 

 本日の写真は、旅の最終盤・2月26日に訪れたヴァンスの町である。モナコから地中海岸を電車で1時間弱、エズ、ニース、アンティーブの街を素通りし、その先のカーニュ・シュル・メール駅から路線バスに乗って内陸に入れば、30分ほどでサンポール・ド・ヴァンスの町に到着する。

 

 険しい坂の上に小京都の雰囲気の小さな町があり、坂の下のあまりに陽当たりのいいレストラン(COLOMBE D'ORで、ランチを満喫して帰ってきた。

 

 どのぐらい陽当たりが良かったかというに、まだ2月下旬というのにランチを楽しみながらワイシャツまで汗でグショグショ、翌日は「ハワイにでも行ってきましたか?」というレベルの陽焼けに悩むほどであった。

 

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2E(Rc) Ewerhardt & Collegium AureumHÄNDEL/オルガン協奏曲

3E(Rc) チューリッヒ・リチェルカーレ:中世・ルネサンスの舞曲集

6D(DMv) TALL IN THE SADDLE

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