Fri 200313  いわゆる「英語速読」の正体③/「目を速く」「視野を広げろ」3917回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 200313  いわゆる「英語速読」の正体③/「目を速く」「視野を広げろ」3917回

 東京オリンピックについて、延期論がいきなり勢いを増して「1年延期やむなし」「いや2年延期のほうが安全」と、すでに代表に内定している選手からみれば「ええっ、今さらですか?」と、ヘナヘナ座り込みたい気分かもしれない。

 

 しかしやっぱり、最終的に「延期やむなし論」が通りそうな雰囲気だ。少なくとも「中止」「完全チャラ」「東京決定のあの日の歓喜は、なかったことにしましょう」などという大悲劇は免れたいじゃないか。

 

 東京に決定したあの日、ワタクシはブラジル・サンパウロのインターコンチネンタルホテルの一室で、決定の瞬間を待ち受けていた。ライバルは、マドリードとイスタンブールだった。

 

TOKYO!!」と例のオジサマが例の紙をひっくり返して見せた時、今井も地球の裏側で高く一声絶叫、あの日のために買っておいたメロンをいそいそ切って、「やった!!」「ついにやった!!」とつぶやきながら、甘いメロンを噛みしめた。

 

 だからワタクシは、「完全中止」は何があってもイヤだし、「無観客」も絶対イヤだ。「12ヶ月待て」と言われてもちっとも驚かないし、「24ヶ月待て」ということになっても構わない。必ず世界中から選手と観客を招いて、何が何でも100%、いや200%のオリンピックを東京でやりたい。

 

 元・電通マンの五輪組織委員会理事は、森喜朗どんにずいぶん叱られたらしいけれども、あれはむしろ「IOCやら世界の世論やらにお伺いを立てた」ということなんじゃないだろうか。「どうでしょうね、この際いっそ『2年延長』ということで、有力選手たちのスケジュール調整を始めませんか?」というわけである。

 

 2年後なら、憎っくきコロナどんのワクチンも特効薬も、きっと日本の優秀な製薬メーカーが完成している。治療法もとっくに確立して、コロナどんも普通の風邪に毛が生えた程度のものにされてションボリしている。20世紀初期のスペイン風邪同様、「そんなこともあったな」という昔話に変わっているころだ。

 

「COVID-19」という名称は、どうやら歴史の片隅に消滅しそうだ。20世紀には「スペイン風邪」、ならば21世紀のコイツも正直に発生源の名を明確にくっつけて、隠蔽や隠し立てはしない。むしろ感染症を見事に克服した人類の記念碑として、堂々と命名するほうがかっこいいじゃないか。

(東京世田谷、松陰神社にて。諸君、吉田松陰に倣って「獄でできること」をやっていますか? 1)

 

 かっこいいついでに、もしも延期された場合には、日本人みんなの英語力をその期間分だけ向上させること。2020年3月の段階で、テレビではまだ「おもてなし英語・基礎編」みたいなのをやっているけれども、「おもてなし英語・応用編」「おもてなし英語・上級編」「発展編」までやっちゃえばいいのだ。

 

 それが、受験英語の神様・伊藤和夫師への恩返しにもなるというものだ(スミマセン、前回の続きです)。師は、大腸ガンの死の床にあって、「4半世紀後には軽薄な会話英語とカルチャー英語だけになってしまう」と心配なさっていた。

 

 確かに諸君、中学の教室でも高校の教室でも、今や会話英語とカルチャー英語が無遠慮に跋扈している。日本人どうしでペアを作らされ、「何でもいいから英語で話してみろ」と命じられ、話す内容もないのに無理やり話をでっち上げてニタニタしていると、めんどくさいから先生が途中で遮って「グッジョーブ!!」と一声 → ハイタッチ。いやはや恥ずかしい日々だ。

 

 しかしたとえ会話英語とカルチャー英語でも、応用編・上級編・発展編まで進み、きちんとリーディングとリスニングの力を深めれば、あなどるなかれ、立派に重厚な英語力の養成に繋がる。1年でも2年でも、万が一延期ということになれば、我々はその期間にもギュッと努力を重ね、ますますオリンピックを充実したものにできるはずだ。

 

 吉田松陰は「獄にありては、獄でできることをする」と喝破した。我々も「延期の場合は延期の期間中にできることをする」とギュギュッと前を向き、2021年なり2022年なりに、2020年よりさらに数倍も優れたオリンピックを完璧にやり遂げればいいんじゃあるまいか(スミマセン、3913回の続きでもあります)。

(東京世田谷、松陰神社にて。諸君、吉田松陰に倣って「獄でできること」をやっていますか? 2)

 

 そこで諸君、「英文速読」の正体についてであるが、そろそろ本論に入らせていただく。伊藤師が4半世紀前におっしゃっていたように「ゆっくり読んでもサッパリ分からない文章を、大急ぎで読んだら理解できる」という愚かしい議論に、そろそろトドメを刺しておかなきゃいけない。

 

 まず、「母語ではできないが、外国語ならできる」という発言の愚かしさから指摘しようじゃないか。諸君は、日本語で速読ができるだろうか。朝日新聞の社説を15秒で、岩波新書を20分で読み終わる能力をお持ちだろうか。速読の名に値するのは、そのレベルのスピードである。

 

 実はワタクシは、朝日新聞の社説15秒、岩波新書1冊20分の速読ができる。何故できるか、それは後でカンタンに示すことにして、とにかく今は読者諸君、正直に答えてくれたまえ、

 

 社説15秒、岩波新書20分。15年以上付き合ってきた母語でそういう速読ができないのに、「中1から付きあってまだ5年前後、小4から付きあったとしても10年未満、文法もあいまい、単語も熟語も満足に記憶せず、構文さえマトモに取れない外国語なら速読ができる」と発言したら、別に織田信長の青年時代じゃなくても「うつけもの!!」の罵声が待っている。

 

「単語も知らない、文法もあやふや、それでも速読ができる」と豪語するなら、それなら今すぐここでロシア語かアラビア語の速読をやってみたまえ。状況はそれほどかわらない。そりゃもう「うつけもの!!」というより「おつけもの!!」の世界。うまく出来なかったおつけもの以上に、目も当てられないありさまだ。

(東京世田谷、松陰神社にて。諸君、吉田松陰に倣って「獄でできること」をやっていますか? 3)

 

 要するに「真の速読を伝授する!!」とか、授業中かパンフレットの宣伝文で大見得を切っちゃったセンセも、実はそんな夢のような速読に憧れを抱いているにすぎない。自分にもできないことを「できる」「伝授する」とカッコつけちゃったわけだから、速読の授業の初日、センセご自身がもう慌てふためいている。

 

 慌てふためいているから、走って登場する。やたら早口で英文を読み始め、慌てている分そこいら中で英文を読み間違う。始まってみると単なるスラッシュ・リーディングであることがほとんどで、「フレーズ・バイ・フレーズ」でスラッシュを入れ、スラッシュごとに日本語にしていくだけである。

 

 その手のありふれたスラッシュ・リーディングなら、受講生のほとんどがすでに経験済。これだけ塾や予備校が溢れていれば、スラッシュ・リーディングの授業を経験したことのない生徒は少ないし、どんなに慌てふためいても結局は日本語に頼り切った理解だから、理解が若干あいまいになるだけで、ちっともスピードなんか上がらない。

 

 教室内が失望感で満たされるまで、15分もかからない。しかも諸君、たった80行の英文を「超長文」と呼び、ずいぶんジタバタ大騒ぎした割に90分が経過してもまだ読解が終わっていない。65行目ぐらいまできてチャイムが鳴ると、「残りは次回ね!!」と叫びながら、センセはとっとと講師室に帰ってしまう。

(東京世田谷、松陰神社にて。諸君、吉田松陰に倣って「獄でできること」をやっていますか? 4)

 

 1週間が過ぎて再び速読の授業が始まると、センセは「今回は前回の続きだ!!」と、驚きの絶叫からスタートする。誰が考えても「今回は前回の続き」に決まっていて、万が一「今回は前々回の続きだ」「前回は、マボロシだったんだ」と言うならマコトに魅力的なセンセであるが、一般には「前回はどこまで進んだんだっけな?」と、それさえ忘れているテイタラクが多い。

 

「今回は前回の続き」という発言の中には、実はセンセご自身が速読なんかできないことの証拠が存在する。つまりセンセ、あなたは前回の授業で「制限時間内に問題を解き終わる」という義務を果たさなかったのだ。

 

 目の前の受講生は全員、「制限時間内に解き終えること」を使命として努力している。それなのにセンセが90分かけても解き終われずに帰っちゃった。なんだ、最も速読から遠いのは、センセご自身だったわけである。

(東京世田谷、松陰神社にて。諸君、吉田松陰に倣って「獄でできること」をやっていますか? 5)

 

 自分でできないことを「教えてやる」と豪語した結果は、マコトに悲惨である。「いいかぁ、速読のコツはな」と語り出し、受講生がグッとこちらを凝視した瞬間、彼の口から出るご託宣が「急いで読むんだ」だったりする。吉本新喜劇のオチみたいな発言に、椅子から転げ落ちる生徒がいないのが不思議なぐらいだ。

 

「目を速く動かすんだ!!」なんてのもある。「だから速読は、目が疲れます」などとマジメに書いてある指南書も少なくない。あんまり速く動かし過ぎて「何も見えません!!」と困惑する生徒が可哀そうだ。

 

「君たちは英文を読むとき、視野が狭すぎるんだ」

「だから視野を広げる練習から始めます」

「一語一語、お腹の中で発音しながら読んでたら、それは各駅停車の電車と同じこと。遅くて当たり前」

「これからは視野を広げて、1行を一瞬で把握する努力をするんだ。快速電車みたいに、小さな駅は全部とばしちゃえ」

「必要な情報だけを、素早くつかみとるんだ」

 

 そういうことをやると、生徒としては「焦点が合いません」と嘆くことしかできない。

「いいんだ。焦点なんか合わせるからスピードが出ないんだ」

「いいか、潜在意識を信じろ」

「潜在意識が全てを理解してくれるはずだ」

このあたりで、馬鹿馬鹿しくなった十数名の受講生がこっそり教室を後にする。

(ワタクシはとりあえず肉体を鍛え、かつ栄養をたっぷりとっております。羽田空港で「丸太ヒレカツ定食」を堪能)

 

「でも実際に速読を実践している人もいます」と、反論するオカタもいるだろう。実際ワタクシもついさっき「朝日新聞の社説15秒」「岩波新書なら20分」と書いた。やろうと思えば、その程度はいつでもできる。理由は諸君、「読む前から、すでに中身も論旨も結論も分かっているから」である。

 

 今井ぐらいの年齢になれば、新聞の社説や岩波新書の著者が何を書くか、読む前からだいたいのストーリーは知っている。リベラル系の社説なら、書き出しやテーマが何であれ、最終的には自民政権についてのあからさま批判か非難か皮肉に帰着する。

 

 例えば「応仁の乱」というタイトルの新書なら、原因も経過も登場人物も結果も、21世紀にまで綿々と続くその影響も、もういろんなところで何度も読んで知っている。知っていることの確認なら、速くて当たり前なのだ。

 

 要するに速読というのは、「すでに知っていることの確認だから速い」のである。弁護士の先生に「民法入門」という本を読んでもらってみたまえ。10分もペラペラめくって、ニヤニヤしながら返してくれる。最高裁判事が「日本国憲法の基本」みたいな新書を読むのに3分もかからない。

 

「速読をやっています」という人に、今までに読んだ本のリストを見せてもらえば分かることだが、そのほとんどがハウツー本かカンタンなビジネス書。「自分の身体が心配になったら開く本」みたいなタイトルで、中身は「早寝・早起き・朝ごはん、適度な運動が必要です」というんじゃ、誰だって15分もかからない。

   (丸太ヒレカツ、拡大図。おいしゅーございました)

 

 だから諸君。冷静になりたまえ。慌てふためく必要なんか皆無なのである。これもまた繰り返しになるが、難関大学でも、長文読解問題の分量は80行が限度。80行を20分で読むペースで、日本の大学ならほぼどこでも合格できる。

 

 80行を20分とは、「1分で4行」「1行を15秒」という超ゆったりペース。しかも80行とは、文庫本でたった4ページだ。文庫本の4ページ目、「奥の細道」の松尾芭蕉はまだ江戸を出ていない。「走れメロス」のメロスも、まだ走り出していない。妹の婚礼にも出ていない。まだ物語の発端だ。

 

 たったそれだけの分量に対して、「速読だ!!」と絶叫する「神講師」の「神授業」。いやはや、この国が心配になるのは、株価急落やらコロナどんの拡散を見る時ももちろんだが、慌てふためいた英語教育のバカバカしさを実感する時も同様だ。いやはや、心配&心配。もっと質実剛健にものを考え、チャラチャラした色男の世界から(スミマセン、前回の続きなんです)今すぐ逃げ出そうじゃないか。

 

 そこで諸君、次回は締めくくりとして「音速の読解」について語り、「やがて音速を超える日」についても語り、最後に「読書術」についても付け足すことにする。

 

 10年来の読者諸君は、ずいぶんとデジャヴ感を感じていると察するが、次回までどうかご辛抱くだされ。次々回からは、懐かしの外国旅行記をスタートさせる予定でいる。

 

 デンマーク・アドリア海東岸・ウィーン。今やじわじわパンデミックに襲われつつあるヨーロッパ各地も、2019年はまだマコトに穏やかな日々を送っていた。その落ち着いた素晴らしい平和のありさまを、たくさんの写真とともに書き記そうと思う。

 

1E(Rc) Elly Ameling & Collegium AureumBACHHOCHZEITS KANTATE & KAFFEE KANTATE

2E(Rc) Collegium AureumVIVALDI/チェロ協奏曲集

3E(Rc) Corboz & LausanneVIVALDIGLOLIA KYRIECREDO

6D(DMv) NO BEAST SO FIERCE

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