Fri 200228 獄にありては/静岡の大盛況を懐かしむ/古井由吉、死去  3913回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 200228 獄にありては/静岡の大盛況を懐かしむ/古井由吉、死去  3913回

 何しろ国全体としての取り組みだ。「小中学校・高校を3月いっぱいお休みにしてほしい」、一国の総理大臣が、めったに下げない傲慢な彼の頭を、今回だけは懸命に下げてそういう要請をしているのだ。せめてその覚悟のほどを理解してしかるべきだ。不眠不休で働いている厚生労働大臣の表情にも悲痛なものがある。

 

 事態が事態だから、ワタクシの公開授業のうちのいくつかも、すでに「やむを得ず中止」が決定している。3月3日:北海道苫小牧。3月4日:北海道室蘭。3月8日:北海道札幌。北海道での新型肺炎の急速な感染拡大を考えれば、この3件の中止は誠に妥当である。

 

 思えば、中国でのコロナウィルス蔓延が伝えられてからも、北海道の観光地はたいへん大らかに中国人観光客を受け入れてきた。トマムもニセコも中国人スキー客でごった返す日々だった。

 

 2月6日、北海道帯広での公開授業の日であったが、JR北海道の特急列車は中国からの観光客で超満員。マスクなしで咳き込む人も少なくない中、日本人も談笑しながらお弁当をワシワシ、みんなホントに幸せそうだった。まさかあれから3週間で「緊急事態宣言」が出るなんて、予想したヒトは皆無だろう。

(2月18日、静岡210名の大盛況。自粛ムードの真っただ中、せめて写真だけでも、湯気のあがる熱気を楽しんでくれ給え 1)

 

 あれからすでに3週間が経過。とりあえず「潜伏期間」は無事に過ぎたはずだし、2月7日以降の今井君は目いっぱいマスク、目いっぱい手洗い、特に手洗いは消毒用アルコールを目にするいかなる場面でも励行、オウチに帰るや、着替えもせずに30秒、模範的な手洗いサトイモと化している。

 

 しかし諸般の事情で、いよいよ「公開授業やむなく中止」の決定が、我が身にも及んできた。3月14日:福岡での公開授業も昨日中止と決まった。これで4件目の中止である。 

 

 3月の福岡は、この4〜5年つねに600人から800人を動員してきた大イベントである。政府の示した指針から見ても、これは「大イベント」のカテゴリーに入る。やむを得ない中止は、やっぱりやむを得ない。

(2月はいろんなことがあった。コロナ鬼を、こんなふうに退治したいじゃないか。京都先斗町のバー「志門」にて)

 

 今後まだまだ中止の決定が相次ぐのかもしれない。その場合、今井は映像による「テレ公開授業」の開催を提案しているのであるが、それなら完全外部生の自宅での受講も可能なはず。授業後の面談も、電話なりスカイプなりで行えば、ウィルス感染の恐れもないはずだ。

 

 ま、今のところ映像版♡公開授業の収録依頼はないから、依頼もされていないものを宣伝するような厚かましい行動はできない。しかし諸君、もしも自宅受講が可能な環境にいるのであれば、降って湧いたような「3月いっぱい春休み」の状況をつかって、受験生全員がこのピンチを少しでいいからプラスに変える努力をすべきである。

 

 むかしむかし吉田松陰は「獄にありては、獄で出来ることをする」と喝破した。いつ出られるとも分からない獄中に4年、驚くなかれ1500冊もの本を読破。ま、江戸時代の本は字も大きけりゃ分厚さもそれほどではない。小さなフォントがギュッと詰まった21世紀の本とは比較にならない。

 

 しかしその辺を勘案しても、江戸時代の書物1500冊は、21世紀の書物400冊分にはなるだろう。暖房も冷房もなし、照明も劣悪な板張り床の環境で、1年に約100冊を読破した勇士の意地を、我々も見習わなくてはならない。

(節分の日の恵方巻は、今年はあんまりゴリヤクがなかったのかもしれない。京都先斗町のバー「志門」にて)

 

 別に我々は「獄」に投げ込まれたわけではない。しかし「獄にありては獄で出来ることに精力を傾け、獄から出たら、出て出来ることをする」という潔さは、さすが吉田松陰センセでござる。今井は明日にでも東京世田谷の松陰神社を訪ね、「ワタクシも精進いたします」と誓ってこようと思う。

 

 だから諸君、降って湧いたような「春休み1ヶ月」を存分に活用してやろうじゃないか。コロナは憎い。断固として排除する。しかし自宅なら自宅、自室なら自室に閉じ込められた状況であれば、「自宅でできることをする」「自室でできることをする」、その覚悟を今すぐに固めることだ。

 

 1ヶ月で、単語集なり熟語集なりに完全にケリをつける。文法の参考書にも完璧にケリをつけて、「おかげで英語の基礎は3月で完成しました」と、コロナのヤツをせせら笑ってやればいい。全72章ある「今井の英文法教室」だって、1日にたった3章ずつ進めばカンタンに終われるじゃないか。

 

 もしも「自宅受講」が出来る環境なら、諸君、例えば「今井のE組」「今井のD組」「今井のC組」、1日3コマずつ進めば、3月1日スタートで、3月20日には3講座が修了になる。「ははは、コロナどん、君は悪さをしたつもりでも、ワタシは(ボクは)君を利用して基礎を完成しましたよ」と、ヤツを笑いとばしてやれるじゃないか。

(2月18日、静岡210名の大盛況。自粛ムードの真っただ中、せめて写真だけでも、湯気のあがる熱気を楽しんでくれ給え 2)

 

 高学力層の諸君は、この1ヶ月間で「今井のB組」「今井のA組」まで終わったっていい。リーディングとリスニング、諸君が最も心配している2巨頭を1ヶ月で征服できる。ママやパパ、妹や弟が近くにいたら、どれほど授業が楽しいか、見せてあげてほしいぐらいだ。

 

 もちろん、別に今井の授業に限ったことではないし、英語に限ったことでもない。苦手な数学を1ヶ月で集中的に仕上げてしまうのもいいだろう。

 

「すでに浪人を決めかけている」という悲壮な覚悟のヒトは、「ここで理社科を完成させる」という選択だってできる。みんなでピンチをチャンスにかえようじゃないか。

 

 彼ら彼女らの近くにいるオトナたちも、どんどん積極的に応援しなきゃいけない。電話で、スカイプで、ナンボでも面談や指導ができる。テレワークとテレスタディを組み合わせれば、ピンチはどんどんプラスにかえられる。オセロゲームみたいなもんであるね。

(内向の世代・古井由吉が死去。20歳代後半の今井は古井由吉が好きだった 1)

 

 かく言う今井君も、何しろすでに4件もの公開授業のキャンセルが決まったから、仕事以外の時間がたっぷり取れることになった。ホントは今井は仕事が大好きで、年がら年じゅう東奔西走と南船北馬を続けていたいのだ。泳いでいないと調子の悪くなるマグロそっくりの、困ったサトイモおじさんなのである。

 

 しかし、「コロナのヤツのせいでキャンセルになりました」という街に、それでも無理やり押しかけるわけにはいかない。受験生諸君が松蔭センセに倣って「獄にありては獄でできることをする」と勉学に励んでいるなら、むしろ今井は「江戸にありては江戸でできることをする」のが正しいだろう。

(静岡駅で発見、はるかな昔の「元祖 鯛飯弁当」ポスター。東海道本線を繰り返し旅した頃の内田百閒も、一度ならずワシワシやったかもしれない)

 

 しばらくは、「立錐の余地もありません」「湯気がもうもうと立ちこめました」という、2月の公開授業の大盛況ぶりを写真で掲載する。写真なら、コロナのヤツも悪さはできない。せめて写真だけでも、強烈な熱気の溢れる公開授業の雰囲気を思い起こしたいじゃないか。

 

 ギューギューの会場の写真を眺めた後は、諸君、「よっしゃ、今は自室でできることをしよう」「今は基礎がために集中して、この1ヶ月が過ぎたら、ギューギューの今井を体験しに出かけよう」とコブシを固め、コロナのヤツがヘナヘナ逃げ去った後の大盛況を夢みようじゃないか。

 

 かく言う今井もまた、何の遠慮もなく公開授業で東奔西走できる日々の早期復活を夢見ている。中止になってしまったものは、4月でも5月でもいい、普段なら公開授業を行わない時期でもいい、いつでも駆けつけて、熱い復活戦に臨みたいと念じている。

(内向の世代・古井由吉が死去。20歳代後半の今井は古井由吉が好きだった 1)

 

 ところで松蔭センセは、「学問の大禁忌は作輟なり」と言ふ名言も残している。大禁忌は「だいきんき」、作輟は「さくてつ」と読む。「学ぶために決してしてはならないことは、やったりやらなかったりすることだ」の意。松陰センセ26歳、牢獄で始めた「孟子」の講義録→「講孟余話」にある。

 

 いやはや、こりゃまさに今井君への戒めである。ワタクシは、やるときは人が唖然&茫然とするほど猛然とやるくせに、やらなくなると完全な怠惰に陥る。学問にとってこれほどの悪癖はないので、だからこうして予備校講師の段階でピタッと止まってしまった。

 

 別に威張るわけではあるが、サトイモは才能のカタマリなのだ。何をやらせても、ある段階までは余りに上手いので、高校時代から幾星霜、ほぼ全ての友人たちから「今井は器用貧乏だ」の評価を受けてきた。何しろ「猛然とスタートするが、1ヶ月と続かない」というダラシない人間なのだ。

(なぜか古井由吉の隣りに「チップス先生、さようなら」を発見。思わず読みふけった)

 

 そこで諸君、こんなサトイモにならないように、3月の春休みが終わった後の継続にも留意したまえ。4月、コロナのヤツが退散して行った頃、せっかくの「猛然」が無意味なチリのように雲散霧消しないために、「ダイキンキはサクテツ」「ダイキンキはサクテツ」と呟き続けたまえ。

 

 たとえば昨日、「内向の世代の作家・古井由吉が死去」という悲しいニュースが流れた。これまたコロナの跋扈のせいで誠に目立たないニュースにされてしまったが、ワタクシにはたいへんショックの大きい知らせであった。

 

 思へば若き日の今井君は、古井由吉に大いに惹かれていたのである。20歳代前半が内田百閒、20歳代後半が古井由吉、通勤電車の中で「来る日も来る日も古井由吉」という時期があった。

 

 9つの本棚を探ってみると、出てくるは出てくるは、古井由吉がナンボでも出てきた。そのぐらい古井由吉な日々だったのである。ところが諸君、やっぱりダイキンキはサクテツであって、仕事と旅に夢中になるうちに、「ああ、そんな人もいたっけな」というところまで堕してしまった。暗い早春の自室にて、今は反省しきりのワタクシなのである。

 

1E(Cd) Molajoli & Teatro alla Scala di MilanoLEONCAVALLOI PAGLIACCI

2E(Cd) Solti & ChicagoHÄNDELMESSIAH 1/2

3E(Cd) Solti & ChicagoHÄNDELMESSIAH 2/2

4E(Cd) BonyngeOFFENBACHLES CONTES D’HOFFMANN 1/2

5E(Cd) BonyngeOFFENBACHLES CONTES D’HOFFMANN 2/2

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