Sun 200216 学食もすっかりオシャレになった/姫路の大盛況/松山の大盛況 3910回
もう一週間ご無沙汰していたことになる。厳寒の北海道帯広はマイナス20℃の日々だったが、東京に帰ってくるとやっぱり異常に暖かい。2月中旬で連日20℃近くまで上昇し、同じ時期の南極でも「20℃まで気温が上がりました」などというニュースを見るに、やっぱり地球は病んでいるのである。
しかし諸君、だからと言ってワナワナ震えているだけじゃ、何の進歩もない。今井君はイチ予備校講師として、「地球が病んでいる」という事実を伝えるためにも、春の全国行脚を元気に続けなきゃいかん。
だからブログを怠け続けたこの一週間、ワタクシはまたもや激しい東奔西走を続けていた。10日が兵庫県姫路、12日が愛媛県松山、14日が和歌山、15日が広島県三原。たったいま久しぶりの東京に帰ってきたばかりである。
おお、普通に見れば「西日本ばかり」であって、これは正確には東奔西走というより「西奔西走」、南船北馬ではなく「西船西馬」なのであるが、あまりの忙しさにキリキリ舞いしていることに変わりはない。
このスケジュールが来月になると一転、北海道が3回、沖縄が2回、九州が4回、いきなり本物の南船北馬に変わる。コロナウィルスの影響で「中止」とか「延期」とかにならないことを祈るばかりである。
(松山の大盛況 1)
それでも今井は休みの日にも、東京都内をワンサカ歩き回って健康増進に励んでいる。2月9日、快晴の東京を昼前からトットコ、参宮橋から千駄ヶ谷 → 青山 → 西麻布 → 広尾 → 恵比寿のコースで2時間のウォーキングを楽しんだ。
病気が蔓延している時こそ、たっぷり食べて&たっぷり運動、キチンと体力をつけて「ウィルスなんかイチコロ」という鋼鉄の肉体を維持したいのである。
セッケンでしっかり1分の手洗い、うがいも1分近くゴロゴロ&げろげろ、ついでに腕立て伏せ60回、さらについでだからスクワット60回、シャドーピッチングも右60回&左60回、「今井さん、あなたはどうしてそんなに元気なんですか?」と、みんながびっくりするほど丹念に運動もする。
運動ばかりではない。大好きなお風呂は1日90分、湯船に文学全集を持ち込んで読書に励めば、オツムの脳細胞もますます活発に運動して風邪知らず。風邪知らずなら、そのままインフルエンザ知らず → コロナウィルス知らずであって、いやはや今井はまだこれから10年、トップ講師の座を他者に譲りそうにない。
(2月9日、恵比寿ガーデンプレイスからの絶景)
2時間歩いてたどり着いた広尾では、聖心女子大の豪華学食に驚嘆させられた。学食なのに「一休」のサイトで予約もできる。さすがに今井は恥ずかしがり屋だから、女子大の学食にノコノコ入店する勇気は持ち合わせないが、その名も「LA MENZA JASMINE」。「広尾で一番のカフェを目指す」んだそうな。
我が学生時代の学食といえば、あまりに惨めで思い出すのもツラいほどである。ついこの間も書いたが、C定食150円、B定食180円、A定食230円。Sランチが320円で「別格」扱いされたが、それでも実際は3回も4回も蒸し直した米のメシが、プラスチックの皿にネッチャリへばりついていた。
(街灯も生ビール。さすが恵比寿であるね)
皿の中央で威張っていたのは、これまた何回揚げなおしたか不明な鶏の唐揚げかメンチカツ。しなびたトマトにしなびたキャベツが「サラダ」ということになっていて、もちろんしなびたパセリが載っている。これにテーブル上の「正体不明ドレッシング」をぶっかけて貪るわけである。
「今日のフルーツ」もあって、夏なら「今日はスイカです」、秋になれば「今日は柿です」。「もう一皿追加」なんてのもあって、若き今井君は絶対に注文しなかったが「焼きナス」「冷やっこ」「納豆」「ひじき」「おから」その他、恐るべき小皿をオレンジ色のプラスチックトレーに2つ3つ並べる諸君が多かった。
それに比べて諸君、驚くなかれ聖心女子大学は「ラ・メンザ・ジャスミン」なのである。広尾・白金・恵比寿近辺だから、高級イタリアンやら高級フレンチのマコトにオシャレなお店が近くに並んでいるのであるが、おそらく全く遜色のないオシャレぶり。いやはや、大学の進化はここまで進んでいるのであるね。
(春の花もどんどん咲き始めている)
さて、この翌日から今井は西日本に5連泊して、激烈な「日々是労働」を開始した。2月10日、ヒコーキで大阪に飛んだのである。兵庫県姫路の公開授業は翌日2月11日であったが、何しろ「開演が午前10時15分」。大阪に宿泊しても、ホテルを8時に出ないと間に合わない。
せっかくだから、新大阪駅で朝食をむさぼることにして、フードコートをウロウロする。コロナウィルスの蔓延で、タクシーもフードコートも物々しい雰囲気だが、大阪の人は朝食でも昼食でもとにかく食べることへの熱意は素晴らしいものがあるから、みんなせっかくのマスクを顎のあたりまで下げて、ラーメンやらお蕎麦やらに夢中になっている。
今井が選んだのは、大阪・道頓堀の名店「今井」の鴨うどん。キレイに澄んだ出汁が「いかにも関西」なのであるが、これを3分で平らげて新幹線に乗り込んだ。
必殺仕事人・故藤田まことによれば、「ホンマのうどん好きは、どんなに熱いうどんでも5回すすって完食する」というのであるが、豪快な今井は諸君、たった3回すすってこれを完食。うどんに3分以上かかったんでは、とても「粋」とは言えないのでござるよ。
(新大阪駅「今井」の鴨うどん)
姫路の公開授業は、出席者180の盛況。日曜祝日の午前中に公開授業を企画することが稀にあるが、一般にはあまり成功しない。パパもママも、「たまのお休みぐらい朝はゆっくりしていたい」「ゆっくりテレビでも見ていたい」「ゆっくり朝食を楽しみたい」なのであって、たとえ日曜祝日でも、講演会はやっぱり19時ぐらいからの方が望ましい。
終了、11時45分。昼前にもう仕事が終わってマコトに手持ち無沙汰であるが、とりあえず「昼食会」ということになった。主催していただいた塾の先生方3人と一緒にランチなのである。
ただし先生方はこの後もお仕事があるから、お酒を飲めるのは今井のみ。遠慮しつつ飲むお酒はあまりおいしくないが、それでもビール2杯と日本酒2合をカラッポにして、それなりにご機嫌がよくはなった。
(姫路の会場。NHKのど自慢なみの大会場だった)
2月12日は、愛媛県松山でお仕事。あいにく松山では今井の到着前後から春の温かい雨が降り始めた。15年前の2005年3月下旬、代ゼミから移籍してきた直後のワタクシは、ヨーロッパ40日の旅を終え、東進で初めての仕事を始めていた。大阪京橋、埼玉県熊谷、そして四国の松山だった。
だから諸君、松山での公開授業はマコトに懐かしいのである。宿泊は、「ANAクラウンプラザホテル松山」。系列のホテルの中で最後の最後まで「全日空ホテル」を名乗っていたが、ようやくクラウンプラザの基準にパスしたらしい。
宿泊した部屋は、1024号室。15年前、ヨーロッパから帰国したばかりの若き今井が、仕事の再開に目いっぱいムクれながら宿泊したのと、まさに同じ部屋であった。カーテンを開けば、松山城の懐かしい景色が広がる。確か15年前も、松山に到着した時は春の雨が降っていた。
(松山の大盛況 2)
あれから幾星霜、予備校事情も大きく変化した。何よりも諸君、あの頃まだ大きなライバルだった代々木ゼミナールがすでにない。今井もすっかり年齢を重ね、自慢のオヒゲにもずいぶん白髪が混じるようになった。15年で15回、ほぼ1年に1回の割合で愛媛県の公開授業をこなしてきたのである。
夕暮れから雨がますます強くなって、風も出てきた。ウィルスの蔓延も懸念される中、「こういう日は、欠席者が多く出るんだよな」と、何だかさすがの今井君もしょんぼりするような天気になってしまった。
(松山祝勝会で「和風オムライス」をいただく。おいしゅーございました)
ところが諸君、出席予定180名、実際の出席も180名。やっぱり「さすが松山」であって、100%の出席率を達成。しかも「初めて東進に来てみました」という完全外部生も約50名。外部生の無断欠席もほぼ皆無、理想的な公開授業になった。
こうなれば、祝勝会も盛り上がる。祝勝会場は、この15年ですでに5回は訪れたおなじみの店「橙」。入店するなり、すぐにアルバイト店員さんが「今井先生ですか?」「広島で、授業を受けてました」と声をかけてくれた。
(祝勝会の〆は「韃靼そば」。「〆は、蕎麦だったん?」とみんなで呟きながらすすった)
祝勝会の出席者は、8名。この日の公開授業を主催してくれた校舎長も、「実はむかしむかし今井先生の授業で思い切りウケてました」とおっしゃる若い男子である。
こんなに「今井先生ですか?」が続出すれば、そりゃ今井君だって嬉しくてたまらない。閉店時間までに赤ワインを1本、一人で独占 → カラッポにして、日付が変わる頃にANAクラウンプラザホテル、懐かしの1024号室に意気揚々と引き上げたのであった。
1E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 5/6
2E(Cd) Kubelik & Berliner:DVOŘÁK/THE 9 SYMPHONIES 6/6
3E(Cd) Avner Arad:THE PIANO WORKS OF LEOŠ JANÁĈEK
4E(Cd) Akiko Suwanai:INTERMEZZO
5E(Cd) Akiko Suwanai:BRUCH/CONCERTO No.1 SCOTTISH FANTASY
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