Sun 191229 まもなくウィーンから帰国いたします(ウィーン滞在記1) 3899回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 191229 まもなくウィーンから帰国いたします(ウィーン滞在記1) 3899回

 12月21日から30日まで、9日間の予定でウィーンを旅していた。私の旅のスタンダードは15日だが、年末はさすがにスケジュールが混み合って、どうしても10日前後しか時間が取れない。これからヒコーキに乗って東京に帰るが、その前に旅の概要を記しておきたい。

 

① 1221日 大阪 → 羽田 → ウィーン

 年末の外国旅行はこの15年間一度も欠かさず続けている。14年がパリ、15年はベルリン、16年と17年はシドニー、18年はロンドン。何しろたった10日、実質1週間の旅であるから、スタンダードと比較すればほぼ半分のミニ海外である。羽田から直行便で行ける目的地が多くなる。

 

 今年は何しろパリがストライキで大混乱の状況だ。ヴェネツィアは高潮でとても旅先の候補には上がらない。ローマもマドリードも羽田からの直行便はないから、ごく自然に今年の年末はウィーンと決まった。ウィーン滞在はこの10年で3回目である。

   (スロバキア・ブラチスラバのブルーチャーチ)

 

 21日午前11時半まで大阪・天王寺で講演会があって、自然発生的な大喝采への感激の中で2019年の仕事納めは無事に完了した。大阪・北新地の入り口「Steak the First」という店で単独・年間大祝勝会を催した。

 

 赤身ステーキ120グラムを1分で完食した後は、フィレステーキ200グラムを2皿追加。赤ワインもデキャンタで2本飲み干して、これなら単独祝勝会も「また楽しからずや?」であって、大阪の段階ですでにサトイモは「すっかり出来上がった」状況になった。

 

 大阪リッツカールトンホテルでの今井は、「16時まで滞在可能」のステータスを誇る。16時ギリギリまでステーキを粉砕する胃袋&小腸の活動に集中。16時に伊丹空港に移動、伊丹から羽田まで「ヒコーキでビューン」をやって、羽田には19時過ぎに到着した。

(ブラチスラバの教会で、ひつじの諸君がイエス様の誕生に沸き立っていた)

 

 荷物はすでに12月17日の段階で羽田空港に送ってある。いわゆる「手ぶらサービス」であって、これなら都心でスーツケースをゴロゴロ、周囲に白眼視されることなく一気に海外に雄飛できる。

 

 ただし諸君、問題は「どうやって時間を潰すか」である。ウィーンへのヒコーキは、羽田発22日午前1時55分。サトイモの羽田到着から8時間近くを何とかしなきゃならない。すでに胃袋も満杯だ。「ゆっくりディナー」という気分にもなれない。

 

 というわけで今井はダイアモンドメンバー専用ラウンジに闖入。さっそくカレー2皿を平らげ、ただでさえ満杯の胃袋を、もう立錐の余地のないパンパンに膨らませた後は、ラウンジの個別ブースに入って大学ラグビー「早稲田 vs 日大」戦をJ Sportsのオンデマンドで満喫。午前1時まではあっという間だった。

(羽田国際線ダイアモンドラウンジで夜のカレーを貪るのが定番)

 

1222日 ウィーン

 羽田からウィーンまでは、わずか12時間のフライトである。たった12時間のためにギュッとたくさんのオカネを払ってビジネスクラスに乗るのはバカバカしいから、節約大好きな今井は航空会社の方から無料でアップグレードされない限りは、意地でもエコノミー席で縮こまって旅する方を選ぶ。

 

 ただしさすがに年末だから、エコノミーは超満員。あまりの狭さに肉体も精神もエコノミーの形に変形しそうであるが、何より困るのは機内食の貧困さである。

 

 ANAの皆様にはぜひ社員全員で、欧米便の朝食を味わってみていただきたい。エコノミー席にギュッと詰め込まれた状況で、乾ききったパン、ポテトもタマゴもパスタもゴチャマゼに一体化したワンプレート、あれが往復20万円も払った乗客に提供するメシとして妥当かどうか、社内で真剣に議論すべきである。

(ウィーン王宮内の教会で、青年聖歌隊による日曜礼拝に出席)

 

 ウィーン到着、午前5時半。だからどんなに頑張って時間を潰しても、ホテル到着は午前7時。午前7時に「部屋に入らせてください」というほどの権力はないから、よほどの僥倖がない限り今井君は、正式にチェックインが始まる時間まで、ウィーンの街を彷徨するしかないのである。

 

 午前8時、まだ薄暗く、冷たい雨の降りしきるウィーンを、オペラ座・シュテファン寺院・王宮と歩き、王宮内の教会で行われていた日曜朝の礼拝に2時間ほど参加して、何とかお昼まで時間は潰れた。ヴォティーフ教会を訪ね、2008年2月に初めて訪問した時の懐かしい思い出に浸った。

 

 そのまま「ステーキポイント」でランチ。ウシの肉にジャガイモにアップルシュテューデル、ごくごく地味な店で「思いっきりドイツ」なメシに舌鼓を打った。

(ウィーンの裏町の地味なステーキ屋で、今回のウィーン最初のメシを貪る)

 

1223日 グラーツ

 グラーツは、オーストリア第2の都市である。とは言っても、人口は約30万、人口規模ではワタクシのふるさと♡秋田と変わらない。オーストリアは目いっぱいウィーン一極集中の国である。

 

 規模が秋田と同じなら、街の雰囲気から人の表情まで何だかそっくりである。クリスマス市真っ盛りの田舎町を、生まれ故郷に20年ぶりか30年ぶりで帰省したような気分で闊歩した。

(ウィーンからグラーツへは、アルプス越えの最古の鉄道「セメリング鉄道」を通る。鉄道自体が世界遺産に登録されている)

(グラーツの時計台。短針が分を示し、長針が時間を示す不思議な構造になっている)

 

1224日 ウィーン

 クリスマスイブのウィーンは気持ちいい晴天になった。7泊したホテルは、お馴染みの「ル・メリディアン」。いろいろ工夫を凝らしたオシャレな作りの割に、いろいろ「大切なところがイマイチ」のホテルチェーンであって、そのぶんお値段も控えめ、今井のフザけた旅にはぴったりだ。

(滞在したホテルはオペラ座から徒歩30秒。絶好のロケーションだった)

 

 クリスマスイブから26日のボクシングデーにかけては、交通機関も店も営業を控えめにするから、この日はと遠出を我慢して、ひたすら徒歩でウィーン探索に精を出す。実際に諸君、正午をすぎるとレストランもカフェも「当然でしょう?」という感じでどんどん店を閉め始めた。

 

 それでも何とかシュテファン寺院の裏の名店で遅いランチにありつき、「毎日1本」のペースで赤ワインを空っぽにし続けるのが、さすがにサトイモ君。毎日ワシワシお肉、毎日ぐびぐび赤ワイン。こうでなくちゃ、世界の旅はちっとも面白くない。

          (ウィーン王宮)

 

1225日 ブラチスラバ

 早朝、イエス様も無事にお生まれになったわけだし、ならば勇猛果敢な今井君は、ウィーンからお船に乗ってドンブラコ、一気に国境を越えて、隣国スロバキアに流れ着いた。

 

 むかしむかしは「チェコスロバキア」と言ってチェコの一部だったけれども、見事に独立を果たして首都はブラチスラバ。今井君は2009年1月にここを列車で通過したことがあるが、上陸するのは初めてである。

 (ドナウ河を下って、スロバキア・ブラチスラバに到着)

 

 あいにくの雨模様だったが、大河ドナウを下り、ついに王宮にたどり着き、寒風ふきすさぶ王宮のレストランで、シカとトナカイの肉を貪った。ベリー類をたっぷり使用した甘酸っぱいソースにびっくり仰天したが、時すでに遅し。翌日まで激しい胸焼けに襲われることになった。可愛いシカさん&トナカイさんを貪ったバチが当たったのかもしれない。

 

 教会では、ひつじさんたちがイエス様の誕生に湧きたち、ブラチスラバの裏町では美しいブルーの教会が、幼いキリストを冷たい雨から大切にお守りしているのだった。

(シカ&トナカイの肉。ベリー系の甘酸っぱいソースに驚嘆)

 

1226日 シェーンブルン

 シェーンブルンを訪ねるのは、2005年と2009年に続いて3回目である。3回目ともなれば、宮殿の中に入ってその豪華さに「おー」とか「ウォー」とか「すげぐね?」とか、そういうマヌケな歓声をあげて驚嘆するのももう飽きちゃった。

   (シェーンブルン宮は、2009年以来の訪問だ)

 

 そこで今井は有名なシェーンブルン動物園に闖入。カモシカやイノシシやヘラジカが異様なほど間近で餌をワシワシやり続ける様子に感激。コアラどんも、シドニーのタロンガ・ズーよりもっと接近して眺めることができる。

 

 シドニー近郊の山火事でひどい火傷に苦しんでいる同胞の悲劇を思いつつ、ウィーンのコアラどんは懸命にユーカリの葉っぱを噛み続けているのであった。

(シェーンブルンは動物園も有名。コアラ君は夢中でユーカリの葉を噛んでいた)

 

1227日 ハイリゲンシュタット

 この数年、12月の旅は短期間に留めざるを得ない。2012年ぐらいまでは、12月の旅も2週間スタンダードで、「フイレンツェ・ローマ・ミラノ・パリ」などという「はとバス企画」も試みた。今はなきミラノ → パリの夜行寝台特急にも乗ってみたのである。

 

 しかし今や、わずか1週間。着いたと思えばもう帰りの心配をしなきゃいけない。「明後日はもう帰りのヒコーキ」と嘆きつつ、27日の今井はベートーヴェンの街ハイリゲンシュタットを訪れた。

   (ベートーヴェンの街ハイリゲンシュタットを訪問)

 

 ハイリゲンシュタットは、ウィーンの真ん中・カールプラッツから地下鉄U4ラインで30分ほど。またはトラムDラインで1時間、地味にゴトゴト揺られて行ってもOK。マコトに清冽な静寂に包まれた郊外の住宅地で、ベートーヴェンはたくさんの美しい交響曲を物したのである。

 

 静まり返った「ベートーヴェンの散歩道」を歩き、嬉しげに散歩する数匹の犬に挨拶し、ガラガラのトラムに揺られて都心に戻って、ベルベデーレ宮を散策。午後はシュテファン寺院裏の古い居酒屋にこもって、またまたお肉ワシワシ&赤ワインぐびぐびの饗宴を催した。「ザワークラウトなしでお願いします」などという生意気な注文も、そろそろ自由自在になってきた。

   (ハイリゲンシュタットのベートーヴェンどん)

 

1228日 リンツ

 何とも残念なことに、早くも旅はオシマイである。あんまり早くて悔しいから、最終日は思い切って遠出することにして、オーストリア第3の都市リンツに日帰り旅行を敢行。小雪がちらつく中、ブルックナーとモーツァルトの街リンツには昼前に到着した。

 

 トラムと登山列車を兼ねた不思議な電車で山の上の教会へ。ドナウ河が大きく蛇行する真冬の平原の風景を満喫した後は、山を降りてリンツ市街を散策。ブルックナーが長くオルガン奏者を務めた旧大聖堂、数多くのステンドグラスに飾られた新大聖堂などを眺めて、夕暮れにウィーンに帰った。

       (リンツ、山の上の教会)

 

 夜は、昨日と同じ「古い居酒屋」へ。13世紀の文献にも登場する居酒屋の名は「Zwölf Apostelkeller」。ウェイター諸君とも馴染みになったこの居酒屋で、今度はミュージシャン諸君とも大いに馴染みになるべく、赤ワインで上機嫌になった今井君は得意の「ダックダンス」を披露した。

 

 アオサギ君やシラサギ君、ハト君にカラス君の動きに、日本舞踊の要素を巧みに加えた見事なダンスに、ミュージシャン諸君も感激、今井テーブルの前で日本の名曲を3曲、熱く演奏してくれたのだった。

   (リンツが今回の旅の締めくくりになった)

 

 こうして、わずか1週間の旅を締めくくった。とは言え、まだまだ物足りない。最後の〆に、ワタクシは一気にシュテファン寺院の屋上にのぼり、12月のウィーンの強烈な寒風を全身に浴びながら、いよいよ残り48時間で2020年を迎えようとするウィーンの街に「来年もよろしく」と豪快に挨拶した。

 

 12月29日朝、ウィーンにはうっすら雪が積もっている。ちっとも雪がなかった2019年初冬のウィーンだったが、出発の朝になってようやく街が白くなった。まもなく迎えのタクシーが来て、ワタクシは空港に向かうのである。

 

 

1E(Cd) Reiner & WienVERDIREQUIEM 1/2

2E(Cd) Reiner & WienVERDIREQUIEM 2/2

3E(Cd) RubinsteinCHOPINMAZURKAS 2/2

4E(Cd) LimaCHOPIN FAVORITE PIANO PIECES

5E(Cd) Muti & BerlinVERDIFOUR SACRED PIECES

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