Wed 191120 試験とムチで脅すという発想の敗北/バカなヤツ/沖縄のヤギ汁 3886回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 191120 試験とムチで脅すという発想の敗北/バカなヤツ/沖縄のヤギ汁 3886回

 人生とはマコトにツラいものであって、なでしこが亡くなった時も同じだったが、真っ白なニャゴロワが天国に旅立ってからの1ヶ月間も、私はやっぱり忙しく全国を行脚する毎日が続いた。

 

「やっぱりニャゴがいない」「どうしてもニャゴがいない」「いったいどこに行っちゃったんだ?」という虚しい空白感に苛まれながら、九州に沖縄、大阪に京都に岡山、淡路島に横浜に広島、席の温まる暇もないままに、気がつけばニャゴの月命日も過ぎていた。

 

 忘れないうちにしっかり記録をつけておこう。

  1029日 沖縄県 浦添:出席者 150

  1030日 埼玉県 春日部:出席者 110

  11月4日 福岡県 折尾:出席者 460

  11月4日 福岡県 香椎:出席者 250

  11月7日 大阪府 泉大津:出席者 100

  11月8日 京都:出席者 370

  11月9日 岡山:出席者 150

  1114日 兵庫県 淡路島洲本:出席者 100

  1115日 横浜市 長津田:出席者 280

  1116日 広島県 福山:出席者 220

以上、息つく暇もない東奔西走&南船北馬の中で、合計2190名もの生徒諸君とナマで向かい合ったのである。

 

 1019日には新宿西口で、1020日には町田の駅前で、保護者の皆様がそれぞれ200名近く出席してくださったから、「ニャゴ」「ニャゴ」と泣きそうになりながら、胸をヒコヒコ&ヒコヒコ、熱い涙を何とか抑えつつ、2500名もの人々に英語教育について語り続ける毎日だった。

     (10月29日、沖縄県浦添の大盛況 1)

 

 諸君、私は「試験で脅かせば、若者は勉強するだろう」という旧態依然とした中世的発想が大キライなのである。今回の入試改革の失敗については、国語も数学も英語もみんな、「若者が勉強しないから、試験で脅かしてビクビクさせてやろう」という脅しの思想が、「改革」の背後にアリアリと見えるのだ。

 

 例えば数学であるが、「パターン思考にばかり夢中で、論理的思考力を軽視している」「ついては新テストに記述式を持ち込んで、若者を脅かしてやろう」という程度の認識しかなかったんじゃないか。

 

 そしてもちろん国語であるが、「記号を選ぶ客観問題にしか対処できない」「マニュアル思考ばかり得意な若者だらけじゃ困る」という認識から、「よーし、試験で脅かしてやろう」「記述式導入で脅かしてやろう」、オトナたちの焦りが焦りを呼んで、ますますマニュアル思考を助長する問題を制作するに至った。

 

 もしもセンター試験を教育の「停滞」と呼ぶとすれば、その停滞を30年にわたって放置してきたのは、オトナたちの責任である。自らの怠惰が招いた停滞への焦りから、手っ取り早く「若者を試験で脅してやろう」という泥のような発想がドロドロ、地の底から湧き上がった。

 

 むかしから「ダメな塾のセンセ」「不人気講師」は、たいてい小テストや試験の存在で生徒を脅すのである。「小テストをやるからやってこい」。マトモに授業もせずに、小テストの存在を前提に副教材の自習ばかり押しつけて、生徒たちの日々をひたすら圧迫して悦に入る。

 

 いかにも「生徒諸君のため」とばかり、笑顔で「教育再生」とうたう割に、実態は「おそろしい試験をゴールに設定したから、これでもう若者たちも怠けられないだろう」と冷笑する。「英語の民間試験」なるものも、そういう発想の成れの果てではなかったか。要するに、生徒諸君と直接に触れ合うことの少ない人々ばかりで仕出かした惨劇だったのである。

 (沖縄への出張で、珍しい泡盛をお土産にいただいた)

 

 バイトによる採点ばかりか、試験の運営やら制度設計に関する杜撰さ、民間テストに関わる様々な利権の横行まで含めて、厳格な検証が必要なのは言うまでもないが、私が最も問題だと思うのは、「試験で脅かせば若者はやむを得ず勉強するだろう」という旧態依然とした発想なのである。

 

 若者の英語学習が『読む』ばかりに集中してしまっている。論理的思考をないがしろにして、記憶重視の学習に堕している。マスメディアや、メディアに操作された世論のそうした認識は、なるほどそこまでは間違っていない。

 

 しかし、だからと言って「入試制度を変え、入試で『話す力』『思考力』を試すようにすれば、それで教育が変わるだろう」「若者も変わるだろう」と考えたのは、要するに「試験で脅せば意識が変わる」「ゲンコやムチで脅かせば行儀がよくなるだろう」という暴力的育児論に限りなく近いんじゃないか。

     (10月29日、沖縄県浦添の大盛況 2)

 

 私は、試験で脅かす必要なんかちっとも感じない。日々ナマで接している生徒諸君は、センター試験があろうがなかろうが、新共通テストがあろうがなかろうが、「話す力」の必要性を強烈に意識し、ホンモノの4技能を身につけたいと心から望んで、私の公開授業に申し込む。

 

 21世紀の日本の青年層は、グローバル社会への意識が嬉しくなるほど高いのだ。「道案内程度の英語力」なんか、彼ら彼女らはちっとも望んでいない。英語でビジネスがしたい、英語で社会貢献がしたい、試験で脅かされなくても、自分たちからグイグイ進んで4技能を身につけたい、そういうたくましい若者が圧倒的に多い。

 

「入試制度改革」「民間試験導入」を議論した人々は、その辺の理解が出来ていなかったんじゃないか。育児のイロハは「この子は成長したがっている」という愛情から始まるのに、「コブシやホーキ、罵声やムチで追い回さなきゃ、子どもの成長はありえない」という中世の発想で大学入試をいじくり回したのだ。

(晩年のニャゴロワがお気に入りだったザブトン。もう、いない)

 

「論理的思考力」なんてのも、そういう言葉を口にするセンセの議論をよく聞いてみると、必ず出てくるのが「2度と同じ間違いをしないように」という常套句である。歴史を学ぶのも「過去のアヤマチから未来への教訓を論理的に学び取るためなんだ」いうことになっている。

 

 しかし諸君、冷静に考えてくれたまえ。「同じ過ちを2度としない」などという窮屈きわまりない人間に、諸君は魅力を感じるだろうか。私ならむしろ、同じ間違いを何度も何度も繰り返すダメな人間の方に魅力を感じる。

 

 犯罪だとか他者を傷つける類いのことは決して許されないのは当然だが、100年の人生の中で同じ間違いを5度も10度も繰り返して、そのたびに「オレって、しみじみダメなヤツだな」と苦笑する、それが人生の妙味じゃないか。

 

 そりゃ官僚とか公務員として成功し、見事に天下り人生で退職金の山を築くのも素晴らしい人生なんだろう。しかしそういうあまりに模範的な人生設計を貫いて「同じ過ちを繰り返さない」というウルトラ四角四面、むかしはそういう人を「石部金吉(いしべきんきち)」と呼んだが、世界をそういう若者だらけにする教育に、私は賛成できない。

 

 グローバルな夢を居抱いて、試験で脅されようと脅されまいとどこ吹く風、悠然と英語4技能を鍛え上げ、まだまだ下手な英語だけれど、勇を鼓して世界の荒波に乗り出す青年たちを、我々オトナは理想として教育を考えるべきなんじゃないか。

(10月30日、埼玉県春日部の大盛況。もう1ヶ月近く前のことになる)

 

 何度も何度も同じ間違いを繰り返し、それでもめげることなく、どこまでも愚直に前進し、間違いを繰り返すたびに周囲から「バカなヤツ」「ダメなヤツ」と言われ、罵声も意に介さずに臆せず突き進む若者をこそ、我々は育てるべきなんじゃないか。

 

 もうやめようじゃないか。「コドモは試験で脅せば何とでもなる」「ムチを振りまわせば若者は従う」という発想は、もうヤメにした方がいい。4技能は、ムチと試験で脅して身につけさせるんじゃなくて、我々の授業をもっともっとクオリティの高い研ぎ澄まされたものにすることで、実現すべきなのだ。

 

 友人を選ぶ場合だって、「バカなヤツ」を探し求めるほうがいい。人生の目標も、むしろ「バカなヤツ」と呼ばれることにあるんじゃないか。バカであろうが、ダメなヤツと貶されようが、愚直に前に進む青年がカッコいいじゃないか。 

 

 それとも諸君、「利口な男」「利口な女」とでも呼ばれたいのかね? 「アイツって、利口だよな」「あの人って、利口な人よね」。それを賛辞と理解するほど、まだ諸君の心はヨレヨレになっていないと信じたい。

 

 バカと言われようが、愚かと貶されようが、若い諸君にはどこまでも愚直な日々を貫いていただきたい。基礎、基礎、基礎。一歩ずつ、一歩ずつ、一歩ずつ。「バカなヤツ」というのは、むしろ手放しの賛辞と受け取っていいはずなのだ。

(沖縄の皆さんに誘われて、名物ヤギ汁を観測する。たいへんおいしゅーございました)

 

 というわけで諸君、すでに1ヶ月も前の記録であるが、私はニャゴが亡くなった直後、1029日と30日のことをここに記録しておきたい。沖縄県浦添での公開授業は、出席者150名の大盛況であった。

 

 東進移籍からすでに15年、すっかり馴染みになった沖縄の先生方から「どうですか、ヤギ汁を食べに行きませんか」と誘われて、東風平(こちんだ)あたりの老舗ヤギ汁屋を訪れた。地元のジーチャン&バーチャンしかいない。素朴なヤギ汁なんか食べる人たちも、すっかり高齢化が進んでいる。

 

 同行したのは私を含めて10人。「大丈夫ですか? ヤギ汁はすごく臭いですよ」と言われつつ、何しろ今井はワニもクマもラクダも貪る男だ。シカやイノシシやヤギやアヒルで驚くことなんか全くない。泰然自若として、沖縄の郷土料理を味わうことにした。

 

 しかし諸君、「みんなでヤギ汁を食べませんか?」と誘った割に、いざ店に入ってみると、ヤギ汁を注文したのはわずかに4人、残る6名は「ボクは牛汁にします」「ワタシはブタがいいです」とか、マコトに日和見なことをおっしゃる。

 

 私は、ここは意地でもヤギ汁で行きたい。誰が止めようと、一切かまわない。「臭い」「臭い」「臭い」とどんなに貶められようが、ヤギどんにはヤギどんなりのプライドがあるだろう。

 

 諸君、私はマコトに愚直に、沖縄の地元の人々を尻目に、目の前のヤギ汁を1番乗りで完食。汁の一滴も残さずにペロリと平らげたのである。「バカだな」と言われることを覚悟の愚直な人生は、こうして完成していくものなのだ。

 

 翌日は正午過ぎのヒコーキで那覇から羽田へ、羽田から電車を乗り継いで、埼玉県春日部に到着したのは、すでに17時を過ぎていた。しかしそれでも、「春日部に来たらラホールのカレー」、それもまた愚直な男の意地である。

 

「ジャンボハンバーグ。インドカレーの極辛」。初めてこの店に来てから35年、約1000円という値段も変わらない。私も愚直だが、店のオヤジも負けないぐらい愚直。言葉は交わさなくても、愚直な者どうしの微苦笑ほど楽しいものは他に考えられない。

 

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3E(Cd) Coombs & MunroMENDELSSOHNTHE CONCERTOS FOR  PIANOS

4E(Cd) BarenboimMENDELSSOHNLIEDER OHNE WORTE 1/2

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