Sun 191103 英語民間テストの中止&延期について(にゃごろわラストデイズ4)3883回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 191103 英語民間テストの中止&延期について(にゃごろわラストデイズ4)3883回

 英語民間テストの突然の中止&延期について、まさかマジメに発言しないわけにはいかないだろう。なでしことニャゴのためにも、今日からしばらくは自ら正論と信じることをキチンと述べていきたい。読者諸君もぜひお付き合い願いたい。本日の論点は、以下の4点とする。

【1】まず、私自身の反省について

【2】野党議員の皆さまについて

【3】メディアの責任について

【4】テスト業者の責任について

 

【1】まず、私自身の反省について

 事態がここまで混乱してしまったのでは、さすがの私もそろそろ重い口を開かなければならない。

 

 ニャゴロワの病状が悪化し、とうとう天国に旅立ってしまってから2週間。ますます私の口は重くなって「ニャゴがいない」「やっぱりいない」と、毎日ボンヤリそればかり呟いていたが、それでは社会的責任が果たせない。

 

 重い口を開くにあたって、使用する一人称も久方ぶりに「私」に戻すことにする。このブログを書き始めた11年前には、それまでの数十年の習慣に従って「私」を使用していたが、どうしても照れ臭さに耐えられず、「クマ蔵」「カニ蔵」「サトイモどん」「キウィ君」などを使用。いい年をしてブログの世界に参加する照れ臭さをゴマかしていた。

 

 しかしやっぱり、重い口を開いてこの場で超ベテラン予備校講師としての正式見解を明らかにする以上、ふざけた軽い一人称を使用し続けるわけにはいかない。今日ここで生真面目な「私」を復活させ、おそらくこのブログに幕を閉じる数年後まで、ずっと「私」を継続しようと考える。

    (ニャゴのためにも、正論を述べたい 1)

 

 そうまでして示したい公式見解とは、もちろん「英語民間試験」にかかわることである。これほど土壇場になっての中止&延期の決断は、おそらく長い日本の歴史の中でも稀に見るものである。

 

 しかも私は、その土壇場劇の真ん中で立ち尽くす受験生たちの牽引役だ。茫然とする受験生諸君、その周囲で右往左往する人々、保護者・教師・兄弟姉妹・先輩後輩、彼ら彼女らの全てに、何らかの公式見解を示さずにはいられない。

 

 責任逃れをするつもりはないが、この数年の私はいわゆる「入試制度改革」について、常に冷ややかな意見を述べ続けてきた。講演会でも公開授業でも、大規模改革への不安感に苛まれている生徒&保護者の皆さんに「落ち着きたまえ」と訴え続けてきた。

 

 その点については、講演や授業に参加した全ての人が証言してくれるはずだ。私は常に「落ち着きたまえ」「慌てなさんな」「どうせ大して変わりませんから」「結局は似たような試験になりますよ」と言い続けた。

 

「どんなに制度が変わっても、基礎と基本は絶対に諸君を裏切らない」。それが私の講演を締めくくる言葉であり、ノーベル化学賞受賞者:福井謙一京大教授の「応用をやるには基礎をやれ」という名言まで引用して「制度の変化なんかどうでもいい。落ち着いて基礎を徹底したまえ」と述べてから演壇を降りた。

(なでしことニャゴロワが愛したソファ。2匹とも、もういない)

 

 だからと言って「ほーら見ろ」「だから言っただろ」とニヤニヤ笑って済ます気はさらさらないのである。この混乱には、自分にも大いに責任を感じる。予備校の現場から、もっと早く、もっともっと力を込めて、チャラチャラした民間試験導入に正々堂々と批判の声を浴びせるべきだった。

 

 反省と後悔の気持ちが大きいぶん、この数ヶ月にわたって入試制度改革に対して熱く抗議の声を上げ続けた現役高校生諸君に、大喝采を送りたいのである。正面から正論を述べ続けることで、見事に日本の政治を正しい方向に変えたのだ。何も出来なかった大人として、恥ずかしさに赤面せざるを得ない。

 

 若干の皮肉が混じるが、日本社会の柔軟性には一安心した。恥ずかしがらずに、ヤメるべきことはヤメる、時期尚早なものは時期尚早として延期する。政権のプライドを守るために間違ったことを強行するほど、情けない国にはなっていなかったのである。

    (ニャゴのためにも、正論を述べたい 2)

 

【2】野党議員の皆さまについて

 諸君、これは国難である。国難と言って大袈裟ならば、数十年に一度の災害とか、数百年に一度の大災害に匹敵する。誰が勝って誰が負けたとか、長期政権を打倒する千載一遇のチャンスとか、そんな馬鹿げたことを言っている場合ではない。

 

 まず恥ずべきなのは、野党議員の諸君ではないか。なぜ野党として、入試制度改革を選挙の争点にしようとしなかったのか。前回の参議院選挙でも、その前の統一地方選挙でも、さらにその前の衆議院選挙でも、入試制度改革は最重要の争点になり得たのだ。

 

 しかし実際にはホンの半年前まで、教育の「きょ」の字さえ、入試制度改革の「にゅ」の字さえ、ほとんど争点にはならなかった。モリカケがどうしたとか、軽減税率が分かりにくいとか、「コンビニの中で食べれば8%なのに、外だと10%。分かりにくいですね」「あれれ、逆だったっけ?」とか、そんな揚げ足取りに夢中になっていた。

 

 というか、「メロン」「香典」「カニ」「すじこ&たらこ」、そんなのばっかり真っ赤になって議論していて、半年後に迫る民間試験に不安でいっぱいの若者たちについてはほぼ無関心というのが実情だったじゃないか。

 

 何故あと1年早く、昨年の今頃の予算委員会がこの問題を議論していなかったのか。それは野党の諸君の怠慢としか思えない。やっとこの2ヶ月か3ヶ月、高校生諸君の真剣な反対運動や、高校校長会の遅ればせの反発に乗っかっただけの野党の議論なんか、情けなくて聞いていられない。

    (なでしこのためにも、正論を述べたい)

 

 ついでに言えば、民間試験中止&延期の決定の直後、私は野党の集会のお祭り騒ぎに絶句した。立憲民主に国民民主、共産のオジサン&オバサンたちまで一緒になって、「野党共闘の勝利だ」と、みんなで天に向かってコブシを突き上げている。青年たちをダシにしたこれほど珍妙な光景は、日本の恥としか言いようがない。

 

 だって諸君、中止の決断で100万人以上の高校生が茫然としているのである。さっきまで「4技能」「4技能」で追いまくられ、民間試験業者にたっぷりオカネを搾り取られる制度の不条理に苦しんでいた若者たちが見ている前で、「野党共闘の勝利」を無反省に祝うなんて、マトモなオトナのすることではない。

 

 そもそもこれは野党共闘の勝利でも何でもないのだ。あえて勝利者を特定するとすれば、「週刊文春の勝利」以外の何者でもないので、経産大臣と法務大臣に続いてもし文部科学大臣の辞任ないし更迭に追い込むことになるとすれば、諸君、「日本の政治は週刊誌が支配する」という恐るべき時代に突入したことになる。

 

 皮肉な見方をすれば、萩生田大臣は「歴史に残る大英断を下した」とさえ言えるのかもしれない。繰り返すが、これは日本の歴史に長く残る土壇場の大逆転。「その時、歴史は動いた」のだし、100年後に「歴史秘話ヒストリア」が特集しているかもしれない。

 

 日本史の教科書を熟読しても、国民全体に関わる教育制度の改革に、これほどの土壇場で躊躇なくストップをかけた大臣は、奈良時代&平安時代以降1人も見当たらないのである。

 

 別に私は自民党シンパでも安倍晋三シンパでも何でもないが、ヤメるべきことは土壇場でもなんでもキチンとヤメる、マスメディアの諸君に何と言われようがヤメるべきなんだからヤメる、その態度はむしろ称賛されるべきだと信じるのである。

    (ニャゴのためにも、正論を述べたい 3)

 

【3】メディアの責任について

 それに比べて、メディアの諸君のダラシなさは何なんだ? 私は小学3年以来A新聞の熱心な読者であるが、今朝の1面コラムにはさすがにゲンナリため息をついた。単に文科大臣をチクチクいじめるばかりなのだ。

 

 ホンの1ヶ月前に就任したばかりのオジサマをいじめても、問題の解決には全く接近できない。しかもそのコラムを「天声人語書き写しノート」に無批判に書きうつせと言う。「論理的思考力が大事」と主張するくせに、「それが語彙能力を高める近道だ」とさえ言っていらっしゃる。

 

 ここは諸君、野党もメディアも今すぐに「ならばどうするか」という対案を示さなければならない場面じゃないか。放言大臣をイジイジいじめたり、内閣打倒のチャンス到来だとコブシを突き上げて大合唱するヒマに、「だからどうすればいいか」「ならばどう4技能を向上させるか」、それを間髪を入れずに議論し始めるべきなのだ。

 

 ところが、野党連合を率いるエダノ氏の言葉は違った。「キチンとした入試制度を作らせる!!」というのである。「作らせる」、つまり自分たちには責任がなくて、自分たちは作る努力に参加せず、批判し、非難し、皮肉を言う立場に終始する、そういう態度を恥じる様子もない。

 

 それを伝えるメディアも、政局的な発言しかしない。「2024年」と、一気に5年近くも遠ざかった英語入試改革について、「ならばその5学年に所属する300万人以上の青年たちの英語4技能はどうするの?」と、問いかけることさえしない。

 

 A新聞だって、つい1年前までは編集委員U岡サンを中心に「急速なグローバル化に伴って、英語教育改革は急務」と、今回の入試改革をおだて上げ、囃し立てていたはず。「センター試験はなくなります」「英語は民間試験にかわるよ」と、ひし形の帽子をかぶったフクロウ先生のキャラクターが、偉そうに&嬉しそうに解説していたじゃないか。

    (ニャゴのためにも、正論を述べたい 4)

 

 かく言う私も、今年1月のセンター試験翌日、某テレビ局のワイドショーに1分ほど出演。「センター試験はなくなり、入試制度が大きく変わります」と言わされた。たった1分の出演のために、新橋のスタジオで1時間も収録したのである。

 

 私はずいぶん抵抗して「しかしセンター試験のほうがずっと優れていました」「民間試験に丸投げとは、ずいぶん無責任な話ですよね」と、求められてもいない意見をたっぷり述べてみたが、いざ放送されてみると、その部分はすべて削除。前もって東京の某キー局が用意した原稿以外の部分は、全て切り取られていた。

 

 だからと言って自分の責任を回避するつもりはない。しかしこの問題をすべて内閣や大臣のせいにして、ひたすら皮肉チクチクの無責任野党とメディアに与する気持ちもやっぱりサラサラないのである。

 

 これは、キチンと選挙の争点にもせず、選ばれた任命基準さえ明確でないごく一部の「有識者会議」みたいなものに結論を丸投げし、そこから投げかえされた結論を無反省に制度化した日本のオトナたち全体の重い責任である。

 

 私自身を含めて、その責任を痛感しつつ、もしも4技能を身につけさせることが焦眉の急であるなら、コブシも皮肉も全て後回しにして、民間試験導入以外のベターな対策を、一刻も早く作り上げるべきである。4技能に自信のもてない若者が一人でも減るように、関係者全てが力を合わせることが急務である。

 

 野党もメディアも、そのつまらない無責任なコブシを、直ちに引っ込めたまえ。青年たちの将来を、政争の具にしてはならないし、正すべきは一刻でも早く正すべきなのだ。

    (ニャゴのためにも、正論を述べたい 5)

 

【4】テスト業者の責任について

「ウチがやります」と手を上げたテスト業者の皆様も、ここは責任を追及されて然るべきなんじゃないか。半年前になっても会場が決められない、面接官が足りない、採点をどうするかハッキリしない。要するに出来もしないことを「出来ます」と発言した法人が、今さら「残念でございます」とは噴飯以外のものではない。

 

 会場の手配さえハッキリ出来ない、試験監督者さえ確保できるかどうかわからない、面接官が足りないけどまあどうにかなるだろう、そういうドンブリ勘定の自転車操業なら、もともとみんな手をあげるべきではなかったのだ。

 

 手を挙げたのは、おそらく機を見るに敏な経営者諸兄が、入試改革を「ビジネスチャンス」と捉え、「利潤に目が眩んで」と言うのが悪ければ「英語教育界を席巻する」ことを夢見て、それこそ「身の丈」に合った経営規模を逸脱したにすぎない。

 

 むかしむかし郵政改革の時、時の小泉首相は「民でできることは民で」と言った。「民でできる」と判断したら、官でやるべきことを民が引き継ぐのは悪くない選択肢。しかし「身の丈」に合わない事業を、「我々はできる」と発言するのは、明らかに誤りだ。

 

「民でできることは民で」という発想を、「官ですら出来ないことを民に丸投げ」と勘違いした。巨額の税金を投入しても出来ないことを、わずか数社の私企業に丸投げするだなんて、それはマトモな現代国家のすることではない。そういう稀に見る愚かな所業を、我々はまさに間近で目撃する運命になってしまったのである。

    (ニャゴのためにも、正論を述べたい 6)

 

 そして諸君、「毎週毎週テストまみれ」の若者たちが生まれる。もともと受験生はほぼ隔週ぐらいの頻度で模擬試験がある。そこへ民間テストが参入し、さらに「民間テスト模試」やら「民間テスト対策小テスト」やら、ありとあらゆるテスト責めで、「テストのせいで勉強するヒマもない」「部活どころじゃない」という惨状を呈する。

 

 だから私は、「民間テストなんか受けているヒマがあったら、その時間でたっぷり授業を受けたまえ」「民間テスト1つ受験するヒマに、私の授業を3コマ270分も満喫できるぞ」「3コマで格段の基礎力がつくぞ」と、日々声高に言い放ってきた。

 

 別に、授業でなくてもいいのである。英語なら、映画を見てもテレビドラマも見ても、4技能はどんどん身についていく。同じオカネと時間をかけるなら、アテにもならない暑苦しい民間テストなんかより、映画や授業に夢中になるほうが、はるかに効果的だと私は信じるのだ。(私なりの対案などについては、次回に続く)

 

1E(Cd) BarenboimBEETHOVENPIANO SONATAS 4/10

2E(Cd) BarenboimBEETHOVENPIANO SONATAS 5/10

3E(Cd) BarenboimBEETHOVENPIANO SONATAS 6/10

13A(β倉橋由美子:最後の祝宴:幻戯書房

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