Tue 191015 泣き虫神さま/海岸をボーリューまで(南仏カーニバル紀行12)3879回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 191015 泣き虫神さま/海岸をボーリューまで(南仏カーニバル紀行12)3879回

「せんせー、まるまる1週間もブログをサボって、いったいどうしたんですか?」という叱責の声が聞こえてくるようだ。10月8日、岡山での仕事に向かう途中、羽田の空港ラウンジで凄まじく長い記事を1本書いて以来、あれれ、まさに何にもしないうちに、あっという間に1週間が経過してしまった。

 

「じゃあホントに怠けていたのか?」であるが、はい、まさにその通り、怠けに怠けてブログ以外にもほとんど何もせずに、ぼんやり口を開けて7日を無為に過ごしていた。7日×24時間=合計168時間をほぼ無駄にしてしまった。

 

 しかもその168時間、サトイモ君はずっとずっと熱い涙を流し続けていたのである。「涙腺が故障した」というより、見るもの聞くこと全てに感動し感激し、そうかと思えば見るもの聞くこと逆にあんまり悲しくて、涙腺の蛇口がどうしても閉まらなくなった。

 

「悲しくて」の方のほうについては、今日は書かないでおく。いずれ近い将来、何がどう悲しくてワタクシが1週間を泣き暮らしたか、4年前の10月についてと同じように、どこかにまとめて詳細を記さなければならない。

     (ヴィルフランシュ、午後2時 1)

 

 1012日には東京を台風が直撃した。9月末からニャゴロワの病状がグッと悪くなって、ほとんど2日に1回は病院に連れていかなければならない。915hPの台風なんかが南の海上にとぐろを巻いている状況では、台風の前日から2日の日程で入院させるしかなかった。

 

 ニャゴを病院に預けて帰ってくると、あんなに賑やかだったオウチの中が異様に静まり返った。病気が重くても、ニャゴは1日中大騒ぎし続けるのである。

 

 例のソプラノの声は17歳になってもちっとも変わらない。美しいソプラノで歌いながら走り回る。そのネコが病院に行ってしまうと、「こら、静かにしてなさい」という声もかけられないし、ジワジワ接近してくる台風の情報以外、テレビなんかにもまるっきり興味がなくなってしまう。

 

 あまりの静けさに茫然として、とりあえず10月8日の仕事のことを思い出しながら途中までブログ記事を書いてみた。大阪のウェスティンホテルに宿泊して、岡山までは往復それぞれ1時間ずつかけて新幹線で往復した。片道1時間なら、もう岡山は十分に関西の通勤圏なのである。

      (10月8日、岡山の大盛況)

 

 岡山での公開授業は、19時開始、20時半終了、出席者約105名。同じ校舎で6月にも授業をしたばかりだし、3ヶ月前の授業で大爆笑した諸君も3割ほど含まれていたから、話にカブリがないように細心の注意を払った。「同じ話でシラケた」などとは、意地でも言わせたくないのである。

 

 終了後は、岡山駅前の居酒屋で大祝勝会。昨年からずいぶん岡山に来るようになって、来月11月の中旬にもまたまた岡山の別の校舎で公開授業の予定が組まれている。

 

 2年で4回も岡山を訪れて、お仕事以外なんにもしていない。おやおや、普段なら出張先でも出来るかぎり観光を楽しんで、次回の授業の役に立てるのだが、とにかく昨年の秋あたりからニャゴの病気が心配で、どうも寂しくスゴスゴ東京に帰っちゃうようになった。

 

 それでも懇親会はやっぱり大好き。講師の仕事の半分は、地元の先生方との意見交換なのであって、授業が終わったから懇親会も何もなしにサッサとホテルに帰っちゃうみたいなクールな行動は、少なくともワタクシには不可能である。

 

 もちろん諸君、居酒屋でまで授業の話や入試改革の話を続けるほど、今井君はマジメな人間ではない。話題は専らラグビーであり野球であり、旅であり音楽でありグルメ談義であって、いわゆる「談笑」を楽しんでいるうちに夜は簡単に更けていく。2248分、最終の新幹線で大阪に戻った。

 (岡山の豪華懇親会。この店で2時間、大いに語り合った)

 

 何しろ小学校3年のころからのラグビー観戦歴を誇る今井君だから、先週のサモア戦や13日のスコットランド戦についてもこの場で熱く言及したいのであるが、ラグビーもまた今の「涙腺の故障」の一因だから、今日はちょっと遠慮しておく。

 

「むかし泣き虫神さまが、朝焼け見て泣いて、夕焼け見て泣いて」「真っ赤な涙がポロンポロン」「黄色い涙がポロンポロン」「それが世界中に広がって今ではドロップス」。懐かしい「ドロップスのうた」である。作詞:まどみちお、作曲:大中恩。

 

 NHK「みんなのうた」では1963年11月に放送、歌ったのは弘田三枝子という歌手であって、初期の整形手術を受けたとか受けないとか、そういうつまらん話題で半世紀前の女性週刊誌を独占した日々もあった。

 

 今や今井君も「泣き虫サトイモさま」になりかけていて、夕焼けを見ても泣かないが、ラグビーのニュースを見ては泣き、生前のなでしこが夕日のあたる窓際で、大人しくワタクシの帰りを待っていた姿を思い出しては泣くのである。

 

 サトイモの涙じゃ美味しいアメ玉にはならないだろうが、ブログ記事ぐらいにはなる。「子どもがなめますペロンペロン」「大人もなめますペロンペロン」。おお、大いに笑って、大いになめてくれたまえ。

     (ヴィルフランシュ、午後2時 2)

 

 というわけで諸君、ワタクシの1週間はラグビーとYouTubeで消費されてしまった。ラグビーの再放送を何度でも繰り返し眺め、福岡と松島の快走を見てポロンポロン、堀江と稲垣と中島、リーチと姫野の大奮闘を目撃してポロンポロン、里芋味のキャンディはどんどん世界中に広がっていった。

 

 熱い感涙はとどまるところを知らない。観客席の感動の渦を見て感涙、サモアやスコットランドのアンセムを熱唱する日本人ファンの姿に感涙、そういうファンのマナーが海外で絶賛されているという記事を読んで感涙。そういうありさまである。

 

 これじゃさすがに涙腺の故障が悪化して、「お目目だけサウナに入ってきましたか?」と人に問われるほどになる。その感動と感激を途切らせたくないから、思わずYouTubeに手が伸びる。

  (ヴィルフランシュから隣町ボーリューへの道 1)

 

 過去のラグビーW杯の映像が見たくなり、それでも足りなくて20世紀の大学ラグビーまで探し回る。1980年代はおろか、1970年代のノイズだらけの映像に涙を流す。

 

 1987年の雪の早明戦を繰り返し眺めた後は、同じ早稲田 vs 明治戦で1990年・1995年・2001年の奇跡のような同点劇や逆転劇を堪能。2002年は、3426からインジュアリータイム2分での逆転劇を見ることができる。

 

「8点差を2分でひっくり返す」なんてのは、明らかに不可能のはず。ま、諸君も一度目撃してくれたまえ。どれもなんとなく「レフェリーが味方してないか?」という疑念にかられるが、レフェリーとのコミュニケーションがどれほど大切かを実感するゲームでもある。

  (ヴィルフランシュから隣町ボーリューへの道 2)

 

 こうなると、「夜明けまで」なんてのも不思議ではない。思わず「旧・国立競技場最後の早明戦」なんてのまで発見してしまう。あの日、ワタクシは国立競技場のスタンドで、あえて明治の学生の多い場所に潜り込んで観戦した。

 

 試合終了後、5万人の大観衆の前で松任谷由実どんが「No Side」を熱唱したあの試合は、201312月。早いものですでに6年の歳月が経過した。その6年のうちに、W杯ベスト8に入るほど日本は強くなった。隔世の感がある。

 

 というわけで、ワタクシは1984年の名曲「No Side」にまでたどり着いてしまった。歌詞のモデルとなったと言われる早稲田大伝説のイケメンSO本城のプレーだって、今井君はかつてナマで見たのである。

  (ヴィルフランシュから隣町ボーリューへの道 3)

 

 しかしここはもう、80年代の懐メロを次から次へと聞きまくるしかない。台風の迫っていた11日も、台風の直撃を受けた12日も、激しい雨と風の真っただ中、入院中のニャゴを心配し続けなくてすむように、80年代の懐メロを聞きまくった。

 

 そういうわけで諸君、13日はもちろんスコットランド戦に歓喜、14日は台風の被害のあまりの大きさに茫然自失。そんなふうにして10月8日からの1週間は過ぎてしまった。

 

 15日朝3時、「そろそろ立ち直らなけりゃな」と呟きながらベッドを出た。せめて1週間ぶりのブログ更新だけでもしなきゃと考え、こうして文章は書きまくったが、掲載すべき写真があまり存在しない。

 

 だから一応サブタイトルだけは「南仏カーニバル紀行」とし、なかなか進まない旅行記の続きであるということにして、掲載する写真を何とか確保した。

  (ヴィルフランシュから隣町ボーリューへの道 4)

 

 2月25日、ニースの隣町ヴィルフランシュで午後を過ごしたワタクシは、陽の傾きかけた午後2時すぎ、そろそろモナコのホテルに帰ろうと決めた。

 

 ヴィルフランシュがあんまりキレイだったので、そのまま例えば「ジャン・コクトーの定宿」だったWelcome Hotelに1泊してもよかったのだが、まあモナコからも至近の町だ、今回の滞在中にまた来ればいいことだ。

 

 ただし、そのまま列車に乗って帰るのはやっぱりもったいないじゃないか。一計を案じたワタクシは、ヴィルフランシュからニースとは反対方向、海岸沿いに東に向かって隣の駅まで歩いてみることにした。

 (隣町、ボーリュー・シュル・メールの駅に無事到着する)

 

 全く初めての海外の町で「海岸沿いに隣町まで一駅」というのは、なかなか勇気のいる決断である。海岸沿いの道はしばしば途中で途切れ、断崖に遮られたり、深い潅木の林が立ちふさがったり、数匹の大型犬が不審そうにこちらを睨んでいたり、酒(または酒ではない何か)に酔った男たちの集団が、暗い表情で何やら密談していたりする。

 

 しかし諸君、ヴィルフランシュから東へ、行き着いた先も「10世紀前は漁村でした」というマコトに静かな町であったが、心配したような障害は全くナシに、フランス国鉄の小さな駅にたどり着いた。

 

 町の名はBeaulieu。ボーリュー・シュル・メールの駅周辺には、ヴィルフランシュに勝るとも劣らない魅力的なプチホテルが数軒並んでいる。「遠い将来ここに長期滞在するのもいいな」と、早速ワタクシは悪だくみを始めたのであった。

 

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