Tue 190917 まだ帰国報告・後編/秋冬シリーズ開始(アドリア海岸探検記3)3872回
いま、金沢のホテルにいる。ごく普通の部屋を予約したのに、どういうわけか最上階の「ROYAL SUITE」と言ふ部屋をあてがわれ、あまりの広さにむしろ辟易している。
トイレまで数千メートル、お風呂まで数千里、「なんでこんなに遠いんだ?」と嘆きつつ、一昨日と昨日と今日を過ごした。南イタリア・バーリのホテルも負けず劣らず広かったが、その旅行記どころか「帰国報告」さえ完成しないうちに、もう全国行脚の秋冬シリーズが始まった。
まさに「光陰矢の如し」であり、歳月は人を待ってくれない。歳月どんは素晴らしく足が速くて、人間やサトイモが怠けていると、信じ難いほどグイグイ怠け者を引き離していく。
だって諸君、まだこのブログ上に「秋冬シリーズ決定版」を掲載していなかった。そんな基本的なことさえ忘れたまま、デンマークに10日、南イタリアに15日、ほいほい世界を浮かれ歩いて、スイカばかり大量に消費し続けた。
そろそろここらへんでギュッと反省し、とりあえず秋冬のスケジュールだけでも決定版を載っけてから、ヒコーキに乗ってお江戸に帰ろうと思う。明日18日は1日お休みだが、その翌日には北海道北見に向かう。週末からは、仙台・富山・徳島と東奔西走だ。
9月16日 金沢
9月19日 北海道北見
9月22日 岩手県花巻
9月23日 富山
9月25日 徳島
9月30日 金沢
10月8日 岡山
10月19日 新宿
10月20日 町田
10月29日 沖縄県浦添
10月30日 埼玉県春日部
11月4日 福岡県折尾
11月4日 福岡県香椎
11月7日 大阪泉ヶ丘
11月8日 京都
11月9日 岡山
11月14日 兵庫県洲本
11月15日 神奈川県長津田
11月16日 広島県福山
11月24日 北海道釧路
12月8日 札幌①
12月8日 札幌②
12月12日 大阪天満橋
12月13日 大阪梅田
12月14日 福岡
12月16日 池袋
12月17日 成城学園前
12月18日 大阪なかもず
12月19日 神奈川県厚木
12月20日 奈良
12月21日 大阪天王寺
こうして書き出してみると、こりゃまた激しい移動の日々になる。2019年は、公開授業100回に加えて、授業収録も130コマ。これに春のモナコ10日、夏のコペンハーゲン&プーリア25日が加わり、ついでだから年末にはウィーンを駆け巡る。いやはやホントに忙しい。
だからせめて「帰国報告」ぐらいは書き上げておかないと、光陰ばかりか記憶さえはるかかなたに飛び去ってしまう。記憶のオニだった今井の頭脳も、怠け放題に怠けているうちに少々記憶力が減退気味。こりゃいかん、これ以上怠けているわけにはいきませんぞ。
(イタリア半島を東から西に一気に横断。ナポリの街を訪れた)
9月5日 ブリンディシ
ルビコン川を渡ってローマに迫るカエサル軍。ローマを逃れたキケロやカトーも、撤退するポンペイウス軍とともにイタリア半島を南下する。ついに南端の港町ブリンディシに到着して、ポンペイウスはここからギリシャに出帆。ギリシャで軍勢を立て直して、再びカエサルと対峙する。
今から2050年昔、西洋史の転換点となった港町である。ローマから続くアッピア街道の終点でもある。しかし諸君、今や真っ昼間でも人やクルマの行き来はほとんどない。中世のドゥオモをちょっと覗き、ギリシャ行きの船を眺めて、それだけでサッサと帰ってきた。
(ブリンディシは、ギリシャに渡る古代からの港町。ドゥオモが美しい)
(古代ローマのアッピア街道は、ブリンディシのこの門が南の終点である)
9月6日 ナポリ&カプリ①
ブーツ形のイタリア半島の足首のあたりを、東端から西端に鉄道で横断して3時間あまり、ナポリとカプリ島を訪ねてきた。広大な庭園で有名なカゼルタで列車を乗り換える。4年前の春、ナポリのサンタルチア港に2週間滞在した時には、広大なカゼルタの庭園を訪れた。
それにしても、大胆不敵な行動じゃないか。ポンペイウスもカエサルも、これほど大胆にイタリア半島を横断したりはしなかったはず。朝はアドリア海の朝焼けを眺め、昼前にヴェスヴィオの山頂を見て、昼過ぎにはナポリのサンタルチア港に到着していた。
4年前に感激したスパーニャのレストランを訪問したが、この店に限らず、この4〜5年のうちにナポリの街は少々劣化したようである。街をゆく人々のマナーも、街全体の姿も、少なからず黒く油っぽく煤けたようであった。
(カプリ島風景。翌朝から激しい雷雨に見舞われた)
9月7日 ナポリ&カプリ②
ナポリの港からカプリ島までは、高速船で1時間弱。ナポリのオジサマたちから奇妙なほど優しくされる日であって、ケーブルカー乗り場でも、カプリへの高速船乗り場でも、ニワカには信じ難いほどの親切を受けた。
親切すぎて怪しいほどであり、詳細をここに書くのを遠慮するが、ま、終わりよければ全てヨシ。カプリでは長年憧れていた「白猫ホテル」(イタリア名:アルベルゴ・ガット・ビアンコ)に宿泊。ニャゴロワそっくりの白猫はもうとっくに天国に去ったが、今も茶トラの猫がホテルの看板になっている。
(ホテル「ガット・ビアンコ」の白ネコ像。ニャゴと同じじゃないか)
(ホテル「ガット・ビアンコ」にて。実際にはこんな赤トラどんが昼寝している)
9月8日 ポリニャーノ・ア・マーレ
カプリは高級リゾートで、夕暮れになるとドレスアップしたオジサマ・オバサマ&オネーサマの天下になる。もちろん怪しいオジサマ&オネーサマも闊歩するから、19世紀のマボロシのような世界も存在するらしい。
そういう暗いマボロシを戒めるように、7日の深夜からよく早朝にかけて、激烈なイナヅマと雷鳴がカプリを覆い、言わば神様の力で島は浄化され、翌朝のカプリはすっかり清浄な秋の空気に満ちていた。
翌8日のサトイモ入道は再びポリニャーノ・ア・マーレを訪問。今回は前回よりもうワンランク大衆的なお店に闖入して、考えてみれば今回の旅で初のピザを注文。地元プーリアの赤ワインを1本、ビールの大瓶も1本それぞれ空っぽにして、旅の後半をほぼ締めくくった。
(ポリニャーノ・ア・マーレのピザ屋で、クアトロ・フォルマッジョを貪る。プーリアの赤ワインも旨かった)
9月9日 バーリ → ミュンヘン
昼までホテルでバーリの海の風景を眺めて過ごし、12時にチェックアウトした後は、荷物をフロントに預けて「イタリア語しか話してくれないレストラン」を2回目の訪問。魚介のリゾットと、タコの丸焼きを注文して、プーリア州に別れを告げた。
いやはや長い旅だったが、ここで思いがけない「プラス1日」が待っていた。ミュンヘンからの帰国のヒコーキが「欠航いたします」と言ふことになったのだ。バーリの空港で、しばし茫然とした。
(バーリの超地元レストランで、タコの丸焼きを貪る。美味でござったよ)
前日に東京湾を大型台風が襲い、羽田からのミュンヘン行きも当然のように欠航した。帰国便は、そのヒコーキが東京に引き返すわけだから、要するに乗り込む機材がミュンヘンに来なかったのである。
もちろん諸君、ワタクシは慌てない。ならば翌日のヒコーキを利用することにして、ミュンヘン1日を満喫すればいいじゃないか。雪をかぶったアルプスを飛び越え、ミュンヘンの空港に降りて、空港で様々な手続きを終えれば、あとはミュンヘンを楽しむだけである。
宿泊したのは、ミュンヘン中央駅前の「ル・メリディアン」。この夜のミュンヘンは気温7℃まで冷え込んだ。さっきまで30℃を超える南イタリアにいた身としては、まさに凍える思いであったし、何しろ半袖シャツしか持ち合わせがない。
晩飯は駅の中の店でビア。全く予定になかったミュンヘンの夜を、23時近い中央駅でプレッツェルをかじって震えながら過ごす。ま、こういうのもまた旅の醍醐味なのである。
(帰国便の欠航で、思いがけずミュンヘンで1日過ごすことになった)
9月10日 ミュンヘン
晴れ間は出たが、やっぱり気温が上がらない。午前中は10℃程度、外を歩く人々はダウンジャケットや真冬用のコート姿である。そこへ半袖シャツの日本人なんかが飛び出せばまさに「表六玉」、ドイツ人がみんな肝を冷やしかねない。
午後3時、気温が15℃ぐらいに上がったところでホテルをチェックアウト。中央駅からマリエンプラッツまで2駅だけ電車に乗って、市庁舎地下の「ラーツケラー」に入る。
午後4時の居酒屋は、70歳代前半ぐらいのオジーチャン&オバーチャンばかりであるが、まあそれもいいじゃないか。大型プレッツェル、焼きソーセージ10本、グヤーシュスープで満腹。ビールとワインのガブ飲みで、さすがのワタクシも酔っ払った。
やがて始まったアコーディオン演奏に、ジーチャン&バーチャンが声を合わせて大合唱する。おお、やっぱりドイツもいいですな。12月のウィーンが、これでまた大いに楽しみになった。
(ミュンヘン市庁舎。地下の「ラーツケラー」で、ドイツのジーチャン&バーチャンたちと大合唱する)
9月11日 ミュンヘン・ラーツケラーに午後6時までいて、空港に着いたのが19時。空港行きの「ルフトハンザバス」が待てど暮らせどやってくなくて、結局ミュンヘン中央駅から空港までタクシーに乗った。
飛行機は満員、何しろ前日の便が欠航になったわけだから、前日乗れなかった人がほぼ全員このヒコーキに振り替えたのである。
翌日15時半、羽田に到着。ずっとパスタ、ずっとタコにイカ、ずっとスイカにメロン、そういう食事が2週間続いた後だから、「何が何でもカレーかトンカツが食べたい」、ミュンヘンからの11時間、ヒコーキの中でそううめき続けた。
というわけで、羽田空港国際線ターミナルの4階に駆け上がり、すっかり馴染みのトンカツ屋に駆け込んで、息を切らしながら「ヒレカツ定食・松!!」「日本酒を1本!!」と叫んだ次第である。
ヒレカツを思い切り貪るために、ヒコーキの中の2回の食事はどちらも「必要ありません」とお断りしてCAの皆さんを悲しがらせた。帰国は寂しいが、ヒレカツは意地でも一番でかいヤツ。今井君とは、おそらく日本で最も食い意地の張った生き物なのである。
1E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 1/5
2E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 2/5
3E(Cd) COMPLETE MOZART/THEATRE & BALLET MUSIC 3/5
6D(DMv) FIFTY SHADES FREED
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