Mon 190902 宴のあと/ニースとマントンのパレード(南仏カーニバル紀行10)3869回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 190902 宴のあと/ニースとマントンのパレード(南仏カーニバル紀行10)3869回

 これはあくまで私見であるが、祭りというものの虚しさは、祭りの後というよりも、祭りの最中にあるんじゃないか。かつて三島由紀夫は「宴のあと」というタイトルの小説をヒットさせたけれども、凡人の代表として言わせて貰えば、もしかしたらその辺りが彼の天才の限界だったんじゃないのか。

 

 もちろん三島由紀夫の崇拝者から見たら、イチ予備校講師にすぎない今井君なんかが大スター三島由紀夫の限界を云々するのは、いやはや、何とも馬鹿げたフルマイだ。三島といえば諸君、昭和文壇どころか20世紀世界文学の神のごとき存在であって、批判の「ひ」の字も一般人には許されてない(んじゃないかい?)

 

 だから別にワタクシは、三島を批判するような大それた気持ちなんか、カケラももっていない。おお、恐ろしや、恐ろしや。コワい&コワい。三島大明神と彼の崇拝者軍団を下手に刺激なんかしたら、日本中の火山がみんなブルン&ブルン、真っ赤な火を噴いて今井の安眠を許さないだろう。

 

 しかし諸君、我々の心をおそう虚しさの頂点は、やっぱり「宴のあと」なんかじゃない。「宴のあと」「祭りのあと」よりもはるかに虚しいのは「宴の最中」「祭りの真っただ中」なのである。

(ニース近郊、ヴィルフランシュ・シュル・メールにて、2月25日。祭りが終われば、こんなに穏やかだ 1)

 

 9月2日、もうゴマかしようはないのである。日本国中、間違いなくすべての夏休みは終わってしまった。昨日まではまだ心のゴマカシようが残っていた。あんなに苦しんだ宿題だって、9月1日まではまだ「やったんだけどウチに忘れてきました」という言い訳がきいたのである。

 

 しかし9月2日とか3日になると、こりゃもう何が何でももうゴマカシはきかない。昆虫標本でも工作でも水彩画でも、絵日記でも読書感想文でも自由研究でも、何が何でも明日までには提出しなきゃいけない。いやはや、21世紀のコドモ連は20世紀に負けず劣らずツラいのである。

 

 しかし諸君、そういう虚しさやらツラさの本質をたどってみるに、実際にはその虚しさの源流は夏休みのずっと前半にあったんじゃないか。いやもっとカンタンに本質をつけば、すべての虚しさの源流は夏休みの初日、通信簿をもらって鼻歌交じりにオウチに帰った、あの7月下旬の午後にあったんじゃあーりませんか?

(ニース近郊、ヴィルフランシュ・シュル・メールにて、2月25日。祭りが終われば、こんなに穏やかだ 2)

 

 だからワタクシは、お祭りと言ふものがあまり好きではないのである。「祭りのあと」が虚しいだけではない。青森のねぶたでも秋田の竿灯でも、博多の祇園山笠でも徳島の阿波踊りでも、「祭りのあと」の虚しさが辛いんじゃない。実は祭りそのものが余りにも切ないのである。

 

 文化祭でも体育祭でも同じことであって、ホントにみんなが盛り上がり切迫感や高揚感に火がついて真っ赤に燃え上がるのは、あくまで「祭りの前」、祭りの真っ最中は「もうこれで終わりなんだな」「実際には大したことにならなかったな」という寂寥感に苛まれる。

 

 もちろんそうは言っても、まさか小説のタイトルを「宴の真っ最中」「祭り、盛り上がってますよ」とするわけにもいかないだろう。当時飛ぶ鳥落とす勢いの三島大先生としては、タイトルはどこまでも虚無感を重視して「宴のあと」とした。

(パレードを待つ人々。ニースにて、2月23日。みんな憂鬱そうだ 1)

 

 今井君のこのブログにしても同じことで、始まりは2008年6月5日、終了は2018年6月26日、合計3652回=10年(うるう年を含みます)を区切りにして、「1次会は終わりました」とはっきり宣言しちゃった。

 

 最近になって読者の仲間入りをした諸君はご存じないだろうが、1次会の段階では毎日必ず1回の更新を勤勉に続けていたのである。現在このブログはそれこそ「宴のあと」であって、1次会解散後の「2次会」として書いている。

 

 だからこんなに間が空いて、2日に1回、3日に1回、ヒドい時には今回みたいに途中にまるまる1週間もお休みしたりして、読者諸君に心配をかけることになる。どうやら、祭りは「これで終わり!!」と宣言してはいけないものらしい。

 

 さすがに京都の人は賢いから、祭りの前と最中と後とに明確な線引きをしない。とっくに始まっているのに「まだ始まってません」ととぼけてみせ、終わっていないのに「終わりです」と涼しい顔で言ってのけ、もう終わったのに終わってないふりをして、続きのような続きでないような複雑微妙な後付けをくっつける。

 

 祇園祭がまさにその典型で、クラマックスに向かって1ヶ月近く前からじわじわ緩い緩い坂道を登り続け、単なる宵山どころか宵々山に宵々々山、いったいいつ始まったのかも分からない仕掛けが巧妙に作ってある。「前祭」が終わったら、ありゃりゃ、1週間後に「後祭」が続いて、なかなか「宴のあと」にならないのである。

(パレードを待つ人々。ニースにて、2月23日。みんな憂鬱そうだ 2)

 

 志願者減に悩む大学が懸命に盛り上げようとする「オープンキャンパス」なんてもまさに虚しさのカタマリであって、ワタクシもかつて某新興私立大学のオープンキャンパスで90分の講演を依頼されたことがある。

 

「国際コミュニケーション学部」という学部名を見ただけで、「うーん、こりゃきっと寂しいことになるな」と思ったけれども、もう20年も昔のこと、「おお、オレもとうとう大学の教壇に招かれることになったか」と、秋の日曜日、澄み切った青空を眺めながら意気揚々とその「某新興私立大」に向かった。

 

 そして、結果は知れている。もちろんあくまで真面目に参加している諸君も少なくないけれども、「ここは第2志望でも第3志望でもありません」という受験生諸君が多数混じっている。というか、少なくともあの時は多数派を占めていた。

 

 指定されたのは、300名以上は入る大教室。講演開始時に大教室に集まったのは50名程度。何しろ「入退室自由」「私語ももちろん自由」「飲食自由」という状況だから、真面目に最初から最後までオトナの話なんか聴く気はないのである。

 

 中でも「入退室自由」というのは余りにもヒドい。どんどん入ってくるのはいいが、どんどん出ても行く。50人はまもなく100人に増え、100人は80人に減り、80人が150名になったかと思えば、150名が70名になったりする。

 

 余りのていたらくに、当時の若き今井君は堪忍袋の緒が切れた。「こんなありさまで『国際コミュニケーション学部』を名乗るとは聞いて呆れる」と喝破して、90分の予定を50分で切り上げて帰ってきた。佐々木ゼミ(仮名)時代のことである。

(南仏マントン、ゴールデンフルーツパレード、2月24日 1)

 

 あれ以来、オープンキャンパスみたいなお祭りとは縁を切って生きてきた。元来祭りの場ではないところに祭りを持ち込んで、本来の姿とは明らかに異なる厚化粧のキャンパスなんか見せようとするから、あんなテイタラクになる。

 

 受験生世代の諸君は敏感だからよく分かっていらっしゃるだろうが、オープンキャンパスみたいな厚化粧の大学を見て大学を判断してはならないのだ。ゴテゴテした飾り付け、人気教授の人気の講義、学生まで動員したお祭りムード、そんなのを進路の判断材料にしてはならない。

 

 大切なのはあくまで普段の大学の姿であって、諸君、もし迷ったら9月下旬の午後、地下鉄なりバスなりを乗り継いで、催しやお祭りを一切やっていない平日の大学を眺めに行きたまえ。大切なのは図書館や研究室棟周辺を歩く学生たちの表情であって、祭りに浮かれた「普段の大学には来ていない学生たち」の姿ではない。

(南仏マントン、ゴールデンフルーツパレード、2月24日 2)

 

 祭りの切なさに敏感なワタクシであるから、中南米やらヨーロッパを旅するのにも「お祭りの時期」はできるかぎり避けて通る。サンバに浮かれるド派手リオデジャネイロではなくて、ありふれた日常のリオがいいじゃないか。

 

 しかし今年の2月は、旅のタイトルを「南仏カーニバル紀行」としてしまった。2月23日はニースのカーニバル、2月24日はマントンのカーニバル、どちらも普段の顔にゴッテリ厚化粧、モリモリに盛った南フランスである。

 

 で、写真でご覧の通り、ここに集まった人々はお祭りが始まる前からすでに寂寥感に満たされている。みんなつまらなそうであり、実はお祭り自体にみんな大した期待は寄せていない。長蛇の列に並んでしょんぼり立ち尽くし、コドモはむずかり、大人はパレードが早く終わってくれることを願う。

 

 やがて始まるパレードも、博多山笠や京都の山鉾巡行を見慣れた目から見ると、わざわざ日本からヒコーキで16時間もかけて(乗り継ぎ時間を含みます)見に来なきゃいけないものでもないのである。

 

 ニースのパレードは、小型トラックに春の花をしこたま積んだ山車が20台ほど練り歩く。「フラワーバトル」というサブタイトルがついていて、「美女」ということになっている地元の女性たちが、観客に花束を投げながらトラックの前を行進する。

 

 しかし花束は海からの強風に煽られ、思うように遠くまでは飛んでくれない。美女たちが力一杯に投げても、5重6重に沿道を埋め尽くした観客の1列目か2列目までしか届かない。

 

 その花束を奪い合うから「バトル」なのだが、後ろの列の人々からみれば「バトル」どころか指をくわえて眺めているしかない。幸いワタクシは3列目に並んでいたから、たったひと束 → ミモザの花束を手につかんだが、いやはや、それ以外の花はほぼ例外なく1列目の人々に奪われてしまった。

(マントンのパレードに、早稲田摂陵高校ブラスバンドの諸君の姿があった)

 

 マントンの方は「ゴールデン・フルーツ・パレード」。マントンはニースから電車で東へ20分程度。エズとモナコの駅を過ぎれば、間もなくマントンの海岸に到着する。「フランス人にはニースよりマントンの方が人気」と言われるほどのリゾートである。

 

 しかしこちらのお祭りは、ニースよりもうワンランク地味であって、徹底的にレモンとオレンジだけで飾った山車が、全部で20台ほどパレードするだけである。

 

 フラワーなら「バトル」ということにして投げ合ったり奪いあったりすることもできるが、話がレモンとオレンジということになると、何しろ相手が食べ物だから、それをボンボン投げ合ったりすれば、眉をひそめる人も少なくないだろう。

 

 だからマコトに大人しい。これがスペインとなると、完熟トマトを目いっぱい投げ合って、沿道は人も建物もみんな真っ赤なトマトまみれという激しいことになるけれども、顔にレモンなんかの直撃を受ければ、そのトラウマは一生ものだろう。だから投げ合ったりせず、あくまでお上品にパレードするだけにとどめるのである。

 

 こうして諸君、パレードが通過すればお祭りは終わり、人々は流れ解散。疲れた表情で一斉にマントン駅に向かう。祭りの後の余韻もなし、もちろん展示されていた大量のオレンジやレモンは希望する人に無料で配られ、大規模展示は完全に解体されて、暗い幕を引くように祭りはあっけなく終わる。

 

1E(Cd) EschenbachMOZARTDIE KLAVIERSONATEN 5/5

2E(Cd) Böhm & BerlinerMOZART 46 SYMPHONIEN 1/10

3E(Cd) Böhm & BerlinerMOZART 46 SYMPHONIEN 2/10

4E(Cd) Böhm & BerlinerMOZART 46 SYMPHONIEN 3/10

5E(Cd) Böhm & BerlinerMOZART 46 SYMPHONIEN 4/10

total m42 y472  dd25092