Wed 190807 マネッコ君/教育上よろしくない/誠実に語りたまえ/那覇の大盛況 3863回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 190807 マネッコ君/教育上よろしくない/誠実に語りたまえ/那覇の大盛況 3863回

 これだけ同業他社がワンサと増えてくれば、各社それなりの工夫を凝らして、元祖である我々にアツを加えていらっしゃる。大長老として今も現役&最前線で活躍する今井君としては、「おお、後発の他社諸君もなかなか頑張るじゃないか」と、微笑ましい思いで彼ら彼女らの活動を見守っている。

 

 しかしマコトに残念なことだが、どの後発諸君にも余り目覚ましいオリジナリティが感じられないのである。教育ほどカンタン&安全にオリジナリティを発揮できる業種は他にそんなに多くないはずなのに、やってること・オペレーションのほとんどが元祖のマネばかりなのは残念でならない。

 

 どうしてもっと前面にも全面にもオリジナリティを出して、元祖を激しく攻めたてないんだ? 同工異曲のマネゴトばかりじゃ、どれほどヘッドハンティングに励んでも、結局ハントされたヘッド諸君の実力を示す場所がないじゃないか。

(京都・祇園祭。2014年からは約50年ぶりに後祭が開催され、大船鉾が復活した。詳細は明日 1)

 

 というか、「ハントされたヘッド」という立場の若者諸君が可哀そうでならない。ハントされるだけあって、彼ら彼女らの実力は、この意地悪な今井君でさえ、遠慮ナシに高く評価していた優秀な若者たちだったのである。

 

 埼玉県や千葉県の片隅の小さな校舎で、「まさか&まさか」の信じがたい数字と実績をあげていた若い彼ら彼女らを無理やりハントして、じゃあどんなオリジナリティあふれる仕事をさせてくれるのか見てみたら、何だ、結局みんなおんなじだ。

 

 何の変化も与えないなら、彼ら彼女らの人生のためにも、ハントなんかしないでいただきたい。あえて「かつて優秀だった」と過去形で書いたのは、ハントされた後の仕事におそらくサッパリ魅力を感じないせいで、仕事への情熱も冷め、「次のハントを待ちわびる」状況に陥ってしまうからだ。

(京都・祇園祭。2014年からは約50年ぶりに後祭が開催され、大船鉾が復活した。詳細は明日 2)

 

 同業他社の中には、もともとの本業が「転職あっせん」だった会社も存在する。転職の斡旋が本業なんだから、ヘッドをハントするぐらい朝飯前に決まっている。

 

 ホンのわずか高い給与をチラつかせるとか、「やりがいがありますよ」という甘言で迫れば、意識高い系の若者なら簡単に乗ってくる。中には「ハントされたというプライド」だけでホイホイ業界内を動き回り、気がつくと「前の会社でのノウハウを吸収されただけ」なんてことにもなる。

 

 かくいう今井君も、業界内でKだのSだのYだの、かつての大手予備校をのし歩いてきた大ベテランだから、その辺の事情にはマコトによく通じている。「ノウハウ抜き取り式」の転職斡旋に立ち向かって創造的に生きるのはマコトに難しい。

(京都・祇園祭。2014年からは約50年ぶりに後祭が開催され、大船鉾が復活した。詳細は明日 3)

 

 正直言ってそういう経営戦略は教育上よろしくない。我々がやっているのはあくまで教育であって、教育に関わるものが教育上よろしくないことを日々の戦術や長期的戦略に取り入れるのは、言うまでもなくマコトによろしくない。

 

「カリスマ講師を20人ほど大急ぎでかき集めた」などというのも、さすが転職の斡旋業であって、なかなか恐るべきことをおっしゃる。「カリスマ」を名乗れる人物は、せめて10年に1人、本当なら100年に1人の強烈な人物だけである。一度に20人単位でかき集められたとすれば、残念ながらそれはおそらくカリスマとは似て非なるシロモノである。

 

(京都・祇園祭。2014年からは約50年ぶりに後祭が開催され、大船鉾が復活した。詳細は明日 4)

 

「元祖のマネばかり」というのも、まさに「教育上よろしくない」の典型であって、いやはや、元祖が「映像授業なんてダメに決まってる」という20世紀末の固定観念を懸命に打ち砕き、ついに市場を開拓して安定した経営を行なっていると、その真横にマネッコ他社が雨後のタケノコみたいにニョキニョキ看板をあげる。

 

 元祖が威勢よく成長を続けていると、必ずマネッコ君がニョキニョキし始めるのは、まさにコンビニと同じことである。熟練した賢い消費者なら、商品の価値をキチンと見極めてマネッコ君には近寄らずにいるが、我々の顧客は残念ながら熟練度のそれほど高くない10代後半の若者たちである。

 

 マネッコ君が並べたマネッコ商品でも、体裁さえ良ければワラワラ群がってしまう。「元祖とはこんなに違うんだよ」と元祖がどれほど力説しても、「陰で悪口を言っていた」という反応しか返ってこなかったりする。

(京都・祇園祭。2014年からは約50年ぶりに後祭が開催され、大船鉾が復活した。詳細は明日 5)

 

 そこで諸君、我々は「公開授業」を前面にも全面にも出して、「我々がマネッコ君たちとどれほど違うか」を若い諸君に見てもらおうとするわけである。今井君はまさにその先鋒であり次鋒であり、中堅であり副将であり、最近はどうやら大将も務めているのかもしれないが、まあ大将を自称するのは遠慮しておく。

 

 どんなに「昨年対比で負けてます」と嘆いている校舎の公開授業を任されても、必ずオセロをガバッとひっくり返してあげる。それがワタクシの役目である(前回の記事参照)。

 

 今や、先鋒♡今井がそのまま五人抜きでマネッコ軍団の副将も大将も一気に倒してしまう勢いだ。まさに「敵ナシ」の世界であって、大ベテランになってこんなに強烈だと、かえって自分が恥ずかしくなるぐらいである。

(京都・祇園祭。2014年からは約50年ぶりに後祭が開催され、大船鉾が復活した。詳細は明日 6)

 

 ここまでくると「敵に塩をおくる」などという上から目線のこともしてみたくなる。うーん、同業諸君、公開授業みたいなものまですっかりおパクリになって、我々とそっくりなことをなさっていらっしゃるようであるが、うーん、ワタクシから拝見させていただくと、あまりにも残念な世界である。

 

 ユーチューバーの皆さんの授業がこんなに上手になってくると、むしろマネッコ軍団よりもユーチューバーの世界の方が優勢なんじゃないか。「どれほど優れた授業か」を見せつけようと頑張るのはいいが、もともと優秀じゃない者が優秀さを印象付けようと無理をするから、この世界にはどうしても大袈裟な表現が多くなる。

 

 実際の受験生諸君は、その手の大袈裟な言辞に食傷しているのである。「神」を名乗り「天才」を名乗り、「自分は誰よりも数学ができる」「自分はネイティブより英語が分かっている」「他の先生方は誰も分かっていない」「ボクは東京大学でもダントツだった」みたいな発言を、マジメに聞いている若者はほとんどいない。

(京都・祇園祭。2014年からは約50年ぶりに後祭が開催され、大船鉾が復活した。詳細は明日 7)

 

 いや、それも20世紀末までは通じていたのだ。当時の予備校はマコトに華やかな世界であって、トップ講師どころか中堅講師の授業まで全て満員締め切り。300名教室でも400名教室でも全てギューヅメ、「空席」などというイヤなものは、どんな予備校にもほとんど見当たらなかった。

 

 そういう場所で、真紅やピンクのスーツやら、革パン&革ジャケットやら、全身バラの模様の衣装やらで歓声を浴び、ド派手メークにミニスカ&タンクトップの18歳女子たちがズラリと並んでキャーキャー言えば、誰だって勘違いして当然だ。

 

 豪華な講師室には、地上波のテレビカメラが連日やってきた。授業風景や質問対応風景が民放で熱く報じられ、実際には予習なんかしたことのない講師の予習風景が特集されたりした。こんな地味な今井君でさえ、民放のワイドショーに何度も登場し、キャスターの小倉さんに「GTOは予備校にいたんだ」とまで言われた。

(京都・祇園祭。2014年からは約50年ぶりに後祭が開催され、大船鉾が復活した。詳細は明日 8)

 

 2019年現在、同業他社の講師たちの年齢を眺めてみるに、ほぼ30歳代中盤から40歳代中盤の諸君。いやはやまさに20世紀末のあの時代に、受験生として予備校の授業を体験していた人々なのである。

 

 おそらくそのせいで、彼ら彼女らの授業には20世紀末のニオイがおぞましいほどプンプン残っている。テレビショッピングふうに畳みかけてくる口調。小さい黒板やらホワイトボードやらを懸命に指差しながら、どれほど自分が商品として優れているかを印象づけようとする態度。いやはや暑苦しいのである。

 

 あくまで「敵に塩をおくる」という視点から申し上げるのであるが、先生がた、もう少しだけ落ち着きませんか? 売れようと焦るあまり、その焦りが全てマイナスに働いていることを考えた方がいい。「神だ」「〇〇大でトップだった」だなんて、そんなことは万が一それが事実でも、若者に言っちゃダメなのだ。

 

 だってそうじゃないか。東大でダントツのトップだったほどの人間、「神だ」「天才だ」と名乗るほどの人間が、40歳ほどの年齢になって、そのちっちゃなボード、スマホ画面に収まるほどのちっちゃな黒板の前で、自分の優秀さを懸命に喚き立てているだなんて、まさに「教育上よろしくない」んじゃあーりませんか?

(京都・祇園祭。2014年からは約50年ぶりに後祭が開催され、大船鉾が復活した。詳細は明日 9)

 

 今井君の公開授業では、まず冒頭でいきなり「今日は営業活動です」「分かっているでしょうが、今日は広報宣伝活動です」と告白するのである(企業秘密の告白です)。だって実際にそうじゃないか。ウソをつくのはよくありませんな。

 

 そして実際に、このコトバに対して生徒諸君の歓声が湧きあがる。生徒と一緒に出席してみた保護者の皆様も、どっと歓声をあげて「この人なら信頼できそうだ」という表情を浮かべてくる。

 

 続けざまに今井君は「受験生時代には、英語が苦手科目でしてね」「現代文や古文のほうが、今でも得意なぐらいです」と思い切り告白する。これもまさに事実である。だって日本人なんだから当たり前のことじゃないか。

 

「英語の神」「英語の天才」を詐称するようなことは絶対にしない。むしろ「かつて苦手科目だったからこそ、生徒がどこが分からないか、どこで苦労しているか、手に取るように分かります」「だって昔の自分と同じことですから」と続ければ、保護者まで含めて300名から400名の聴衆が揺れ動くように大きく頷いてくれるのである。

(7月24日、京都・麩屋町「晦庵 河道屋」にて。山鉾巡行のあとは冷たい盛りそばが一番だ)

 

 だからもう一度言うが、先生がた、慌てなさんな、もっと落ち着きなされ。テレビショッピングでサプリや青汁や電気製品を叩き売るような、その畳みかけるようなチャラチャラした口調を、今すぐに改めた方がいい。

 

 というか、改めてくれないと業界全体が困っちゃうのだ。「どれもこれも似たようなもんだろ?」「みんなテレビショッピング口調だろ?」と誤解されたんじゃ、我々が営々と築いてきた努力が水の泡になっちゃうじゃないか。特に英語の先生がた、慌てなさんな、落ち着きなされ。「英語はむずかしくない」「英語はカンタンだ」と連呼しなさんな。

 

 そりゃ先生は「カリスマ」だか「カリマス」だか「カマリス」だかであって、転職斡旋業者にあっという間にかき集められるほどのスゲー人たちだから、「英語なんかカンタンだ!!」とニヤニヤしていられるだろうが、生徒たちはもうその手のニヤニヤに食傷している。

   (京都麩屋町・晦庵河道屋。詳細は明日)

 

 だって、実際に目の前にある英語は難しい。京大でも阪大でも北大でも、九大でも東大でも早慶でも名大でも、どこもみんな、少なくとも生徒にとってはマコトに難しい長文問題がズラリと並んでいる。訳文を読んでもちんぷんかんぷんだ。

 

 目の前に登場した「カリスマどん」が準備したプリント程度の教材なら、そりゃなるほどカンタンだ。生徒たちだってちっとも苦労なんかしない。でも、実際の入試ははるかに難しい。

(7月24日。京都の蕎麦屋でアナゴと日本酒。やっぱりこうでなくちゃいかん)

 

 だから促成栽培のカリスマ君たちが語るべきなのは、むしろ「英語は難しいぞ」「数学や物理なみに難しいぞ」「だからこそ、やりがいがあるんじゃないか」という真実である。そういう誠実さをこそ、受講生は求めている。

 

 というわけで諸君、7月22日、沖縄県那覇でも、今井君の目の前では約200名の受講生が目を輝かせていた。沖縄県を代表する優秀な高校に通う諸君が7割。もちろんワタクシは優秀な諸君ばかりを教えたいわけではないが、優秀な諸君ほど、今井の誠実な語りに夢中になってくれるのである。

 

1E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSEIN DEUTSCHES REQUIEM 2/2

2E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSSYMPHONY No.1

3E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSSYMPHONY No.2

4E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSSYMPHONY No.3

5E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSSYMPHONY No.4

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