Tue 190521 予測不可能な入試/ストラッドフォードへ(冬ロンドン再訪記9)3837回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 190521 予測不可能な入試/ストラッドフォードへ(冬ロンドン再訪記9)3837回

 むかしむかしのそのむかし、司法試験は超難関と呼ばれ、合格するまで10年以上かかっても、それでも諦めずに挑戦し続ける人も少なくなかった。

 

 裁判官や弁護士になるのは文系を選んだ人の夢であって、「東大ならやっぱり文科一類でなきゃ」であり「法学部から官僚ないし弁護士」の道こそ、雄々しい男子一生の仕事とみんなが考えた。いやはや、今や遠い遠い昔のお話である。

 

 大学入試の難易度において「文科二類と文科一類が逆転した」というニュースに、さすがに昭和人間のワタクシなんかはひっくり返る思いがしたものだ。「は?」であり「へ?」であり「ほ?」であって、「そんなの絶対に誤報だろ?」とまで呟いたものである。

 

「採点基準が違うから」とおっしゃる人は存在するが、最高点・最低点・平均点の3つすべてで文2が文1を上回ったというのだから、やっぱり「法学部の人気が凋落」と言わざるを得ない。

(ロンドン・メリルボーンから1時間強。ストラッドフォード・アポン・エイヴォン駅に到着。昼間でもこんなに暗い1日だった)

 

 ごく素直に文3を選ぶ人だってズンズン増えている。「文学部なんか出たって就職できないぞ」という両親の渋面を眺めて、致し方なく「文3を諦めて就職優先、親の顔を立てるために文1志望に変更」という選択をしたのが昭和人間。今井君もその典型であった。

 

 だから諸君、令和元年のこの逆転ニュースは、サトイモ入道にもまさに予想不可能だったのである。「論理的思考が大切」と偉い人々が口を揃えておっしゃる令和の世の中で、何をどう論理的に思考すれば、こんな逆転現象が理解できるんだろう。

         (朝のメリルボーン駅)

 

 21世紀に入ってから世界経済を考えてみたまえ。サブプライムローンの破綻から始まり、リーマンショックに引き継がれ、口々にグローバル社会を喧伝しながら、自国中心主義の経済運営に至った。この20年間の経済史は、金融工学の天才たちが生み出した負の歴史にしか見えないじゃないか。

 

 これでもまだ日本の文系の秀才たちは経済学部を目指すのか? 論理的に分析すればするほど、経済は驚くほど非論理的な結末に至る。それに対して司法試験の世界では、今やAIが作成した予想問題の7割だか8割だかが「的中」し、AI君が受験すれば極めて高い確率で合格するんだそうな。

 

 ならば、「論理&論理」と全てに論理を優先する秀才諸君が目指すべきものは、予測不能の非論理と偶然に支配される経済ではなくて、ひたすら直線的論理を志向する法律の世界なんじゃあーりませんか?

        (エイヴォン川の風景 1)

 

 さて今井君は、非論理と偶然と驚きを何よりも愛する楕円人間である。AIにでも予測可能な司法試験にはちっとも興味がない。まもなく大学入試の問題も予測&的中が当たり前になるのであって、今朝のNHKニュースを眺めていたら、2019年の最後のセンター試験にも、AIによる予想問題が作成されるんだそうな。

 

 いやはや、そんなんじゃもう、予備校講師をやっている場合じゃありませんな。かつて予備校講師が何よりも自慢していたのは「的中!!」の一言だった。有名予備校の玄関には「東大に的中!!」「京都大学に的中!!」「センター試験に的中!!」という掲示が、自慢げにデカデカと貼り出してあった。

 

 もっともその「的中!!」、よく見てみると「ほーら、源氏物語が出た」とか「ほーら、仮定法が出題されたじゃないか」「ほーら、ベクトルが出たよ」という域からさほど遠くはなくて、こんなにたくさんテキストや模試を作成していれば、どこかで確実に「的中!!」しちゃうものなのだ。

        (エイヴォン川の風景 2)

 

 というか、著作権の問題があるために多くの大学が長文読解問題の出典を明示するようになると、われわれ生身の人間だって

「あそこの大学のホームページが狙われるぞ」

「きっとNew Scientistの中の記事が取り上げられるぞ」

ぐらいの予測はつくのである。New Scientist、京都大学も出したし、早稲田も大好きだ。

 

 だからもしAI君に任せたら、そりゃ予測やスーパー的中が出来ない方がおかしいのだ。生身のニンゲンが模擬試験を作成する時代ではなくなりつつある。「オープン」「実戦模試」「そっくり模試」なんかも、あと2年か3年で「AIが作りました♡」と自慢げに宣伝するようになるはずだ。

 

 むかしワタクシが代々木ゼミナールで担当していた講座に「早大予想問題演習」というのがあって、今井個人で10日も頭をしぼってテキストを作成していたが、そういう世界はすでに噴飯ものになっちゃっているのかもしれない。

   (エイヴォン川のほとりで、こんなパブを発見した)

 

 ここで登場すべきなのは、「予想不可能試験」なんじゃないか。誰がどういう問題形式で何を題材にするか、ちっとも予想がつかない。毎年毎年大きく問題形式が変化するので、形式から問題練習をすることに全く意味がない。そういう試験こそ、AIに対抗できる思考力の養成のために、今すぐ必要なんじゃあるまいか。

 

 いやはや、たいへんな世の中になったもんだ。この30年、センター試験英語の問題形式が微妙に変化するたびに、予備校の世界では大きな話題を呼んだ。講師も生徒も講師室に集まって「5番の形式が変わりましたね」「6番に変化がありましたね」「3番が全く別の形式になりましたね」と熱く語り合ったものだ。

(熱く語り合う人々。なかなかハードルの高いパブだった)

 

 だから、問題形式がホンのわずかに変わっただけでも受験生に大きな負担がかかることは、イヤというほどよくわかっている。しかしこれからは、論理的に形式や内容が予測可能な試験では、ホントの学力とか思考力を測定することができなくなるのだ。

 

 毎年全く別形式 & 別内容の試験が姿を現す。何がどう出るか、その日まで誰にもわからない。うぉ、マコトに前近代的なデタトコ勝負の世界であるが、だからこそ「ホンモノの思考力が試される」んじゃないか。

 

 驚きと予測不可能性を深く愛するワタクシなんかは、思わず目がキラキラするほど嬉しくなっちゃう。そもそも「論理的に思考すれば予測可能なこと」なんてのは、ボクチンはつまらない。安定や安心感の中で怠惰に過ごすより、次に何が起こるか身構える緊張感をこそ楽しみたいのだ。

(シェイクスピアはここに眠る。ホーリー・トリニティ教会 1)

 

 だから生徒としての今井君は大昔から予習がキライ。授業の予習だなんて、さんざん苦労したあげく授業時間を退屈にするだけじゃないか。予習とは、生徒ではなく教師がするものだ。

 

 先生が「カンペキに予習してから授業に出席しなさい」なんてことを言ったら、その授業は要するに予習内容の確認だ。驚きも緊張も感激も、よほど天才的な教師でない限り実現できない。

 

 旅も、同じこと。今井の旅に予習は存在しない。一応ガイドブックは購入するが、旅の前日までほとんど開かない。どこで何を見て何を食べるか、そんなの全て行き当たりばったりであって、ガイドブックで綿密に調べ尽くしたものを眺めて「なるほど、書いてあった通りだ」と頷いてみても、要するにそれだけのことである。

(シェイクスピアはここに眠る。ホーリー・トリニティ教会 2)

 

 クリスマスのロンドン滞在は何しろたった1週間だったから、予測不可能なことはあまり起こらなかった。ソーホーの古書店街散策と、極端に狭いパブでの食事と、チャイナタウンでの暴飲暴食と、まあ「驚き」に近い経験はその3つぐらいだった。

 

 1227日、ワタクシはシェイクスピアの故郷ストラットフォード・アポン・エイヴォンを訪れた。地下鉄でメリルボーンの駅まで行き、そこからローカル電車で1時間ほどの道のりである。いかにも「12月のイングランド」という暗い曇天から、1日中冷たい霧雨が降り続いた。

     (大きめのパブでミートパイを試してみた)

 

 シェイクスピアの出現ほど、予測不可能な事件はなかなか考えられない。どう論理的に思考しても、あの時代のこの田舎町に、彼ほどの天才が出現するなどという結論は導き出されない。

 

 彼の受けた教育や、彼の置かれた環境をどんなに分析しても、ロンドンに出た彼がいきなりハムレットやリチャード3世を書き始める必然性なんてのを示せる人は存在しないだろう。

(夜7時のストラッドフォード・アポン・エイヴォン駅)

 

 今や彼の故郷はテーマパークと化している。ミニ博物館と土産物屋とおしゃれなカフェが狭い町を埋め尽くし、町外れではアイスクリームの屋台が待ち受けている。

 

 エイヴォン川に沿って彼のが眠る「ホーリー・トリニティ教会」を訪ね、教会の周囲の墓地をトボトボ巡りながら、どんな非論理が作用して40編近い驚異的な作品が生まれたのか、いくら思いを巡らせても、ちっとも糸口が見つからないのだった。

 

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2E(Cd) Ornette ColemanNEW YORK IS NOW!

3E(Cd) Miles DavisTHE COMPLETE BIRTH OF THE COOL

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