Fri 190503 令和の最初の更新/5000回達成まで続行/鷹ノ巣・綴子の大太鼓 3832回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 190503 令和の最初の更新/5000回達成まで続行/鷹ノ巣・綴子の大太鼓 3832回

 これが「令和で初めてのブログ記事」と考えると、さすがにそれなりに緊張するのである。31年前、平成の初めにはもちろんブログなんてものはなかったし、ケータイもパソコンも極めて稀な存在。それを日常的に使いこなしている人なんか、ほとんど目撃しなかった。

 

 ワタクシがこのブログを開始したのは11年前の2008年だから、平成20年のこと。いやはやホントに「つい最近」であるが、もちろん今井のケータイはまだガラケーであったし、使っていたPCも富士通の早稲田カラーのヤツ。その動きの遅く重たいこと、ほとんど喜劇的と言っていいほどであった。

 

 今の今井の年齢から考えて、令和の次の元号が決まるまで生き長らえていることが、そんなに確実なわけではない。それ以上に、「ブログ」という旧態依然とした存在、しかも「一般人の長文ブログ」などという人の寄り付かない存在が、次の元号まで息を切らしながら走り続けている可能性は低い。

(秋田駅ステーションデパートで「秋田犬 ハチ公ラーメン」を目撃する)

 

 ということは、「新元号、あけましておめでとう」などと晴れやかな気持ちでここに書き込むのは、どうやらこれが最後なのである。書いている本人だって、昨年6月26日に「10年連続1日も休まず更新」を達成して以来、ググッと更新の頻度が下がっている。

 

 金足農旋風に日本中が沸いた昨年の8月までは、それでも「ほぼ毎日更新」を続けていた。しかしそれも一種の惰性で続いていただけで、2019年に入ってからは「2日に1回」のペースが定着。新講座110コマの収録に明け暮れた4月には、3日に1回のペースでも苦しくなった。

 

 しかし諸君、それでも書くべき中身が減るわけではない。むしろ生活の中身はますます充実して真っ赤に燃え上がり、真っ赤を通り越して激しく充血しているありさま。たくましい血管はますますたくましく、青い筋を立ててドクンドクン力強く脈打っている。

 (秋田内陸縦貫鉄道、角館から鷹ノ巣までの踏破キップ)

 

 だから昨年の後半からは、1回1回の文章がますます長大になった。何よりハッキリわかるのが写真の枚数であって、「10年達成」までは1日5枚に限定していたものが、この半年は1回平均10枚を超えている。いやはや日々の充実はとどまるところを知らないのである。

 

 こうなれば諸君、「また『毎日』のペースを復活させようかな?」と考え始めるのも当然だろう。しかしもちろん2008年6月5日みたいに「10年、1日も休みません」などと迂闊に宣言すれば、あっという間に自分が苦しくなる。

 

 なにしろあの当時は、写真のネタがなくなれば、ニャゴロワとナデシコの写真を掲載すれば何とかその場をしのげた。しかしナデシコはもう天国に旅立ってしまったし、ニャゴロワもすでに17歳、いつまで一緒にいてくれるか分からない。

 

 今井君もそれなりに疲れやすくなって、いくらバンバン海外をほっつき歩いていると言ったって、海外の旅の毎朝5時に起きだして、このレベルの長文記事を書ききる気力はさすがに続きそうにない。だから「宣言」という形にはどうしてもしたくないのである。

(4月下旬の秋田は、ちょうどスイセンが満開を迎えている)

 

 しかし諸君、せっかくの「令和♡初」なんだから、それなりにカッコいい言葉を連ねたいじゃないか。カッコよさ優先なら「できる限り毎日」などという中途半端な副詞句でグレーゾーンに逃げ込むこともしたくない。

 

 となるとやっぱり一番に考えられるのは、「5000回到達宣言」である。昨年6月26日が3652回。あれから1年近くが経過するのに、まだ3832回。プラスはたった180回ほどなのである。この頻度を再びグイッと高めて、あと4年で5000回を達成したいと考える。

  (冷たい春風の中、あまりにも閑散とした鷹ノ巣駅)

 

 実は3月から4月にかけて、ずいぶんと弱気になった。いや、正確に言えば弱気の虫に取り憑かれたのは1月下旬から2月上旬にかけて、いわゆる「早春シリーズ」が本格化した頃のことである。

 

 折しも4月からの110コマ → リニューアルに向けて、テキスト110回分もやっぱりギュッとリニューアルしなきゃいけない。まさか「テキストはそのままで」などという中途半端なリニューアルはしたくない。テキストも100%新しくして、コンセプトも完全にスーパー4技能にしたいじゃないか。

 

 夜は公開授業とそのあとの懇親会に全力を注ぐ。朝はテキストのリニューアルとコンセプトおよび心身のリニューアルに全力を注ぎ、昼からはブログ執筆に全力を傾注する。そういう2月と3月を過ごした。

(ずいぶん前に廃止された寝台特急「日本海」であるが、鷹ノ巣駅ホームには懐かしい痕跡が残されていた)

 

 するとやっぱり、「読んでくれてるのかな?」というツマラン疑念のトリコになる。ワタクシのブログ読者数は5年前とか6年前の数とそんなに変化がないが、ブログ世界全体の読者数は明らかに減少している。

 

 同じアクセス数でも我が順位はぐんぐん上昇して、かつてはアメーバの2000位周辺をウロウロしていたものが、今や3000アクセスを超えただけで800位を突破。昨年8月の金足農旋風の日々には、売れっ子芸能人満載のこの世界で200位台まで突き進んだ。

 

 こうなると諸君、「ちゃんと文章を読んでくれているのかな?」という疑問は致し方ないだろう。「写真をちょいちょいとクリックして終わりなんじゃないかな?」。疑心暗鬼の日々が続いた。

 

 夜の公開授業&懇親会にも目一杯、朝のリニューアルにも目一杯。そういう性格なのだ。目一杯に目一杯、あれを朝昼晩3タイプ続けて、目一杯の3乗。いやはやスーパー目一杯で今井君は疲れ果てた。

(鷹ノ巣駅ホームにて。ギネス認定・世界一の大太鼓の町である)

 

 平成から令和へ、人々が際限なく万歳を繰り返す中、ワタクシはもうヘトヘトのへとのすけ。「もう長文ブログを書き続ける気迫を維持できない」と、周囲の人々に漏らし始めていたのである。

 

 しかし諸君、5月3日憲法記念日、サトイモ小僧は再びギュッと立ち上がった。確かにサトイモ君は楕円形だから、ギュッと立ち上がってもまたまただらしなくヌルッと転がり始めるかもしれないが、まあとにかく立ち上がったことだけは認めてくれたまえ。

(秋田駅ステーションデパートで「秋田犬 もふどら」を目撃する。絶品どら焼きでござるね)

 

 合計5000回までは、残り1170回ほどである。これを4年で達成したい。1170 ÷ 365は約3.2であるから、やむを得ない時には遠慮なく休止としても、4年で達成することは十分に可能だ。

 

 できる限り連日の更新を続けるとして、2023年(令和4年)6月26日(我が誕生日)の5000回を目指したいのである。この数ヶ月、ずいぶん頻度が下がって、読者諸君から見ても情けないありさまを呈していたかもしれないが、サトイモ入道はここで再び立ち上がろうと考える。熱い応援を是非よろしくお願いする。

    (今やあまりにも殺伐とした鷹ノ巣駅前風景)

 

 さて4月20日、何だか萎えかけていたサトイモ君は、秋田県の内陸を一気に北上、県南の角館から乗り込んだ「秋田内陸縦貫鉄道」は、予想以上に分厚く残った残雪の風景の中、鮮烈な雪解け水の奔流を遡って、午後4時の鷹ノ巣駅に到着した。

 

 今井君にとっての初・鷹ノ巣である。思えば小学生の頃、鷹ノ巣町の裏社会の支配権を巡って「ヤガミ一家 vs ゼニヤ一家」の抗争があった。NHK秋田のローカルニュースが、連日その抗争の詳細を伝えたのを記憶している。

 

 抗争の舞台は、「クラブ・ジェラシー」。抗争を続ける「一家」のどちらかの根城がクラブ・ジェラシーであって、そこに相手が「殴り込みをかけた」。上品な天下のNHKが、ローカルニュースとは言え「クラブ・ジェラシーに殴り込み」という下品な言い回しを続けざるをえなかった。

 

 その鷹ノ巣駅前も、今や悲しいほどに閑散としている。駅前には、コンビニの姿もない。荒れ果てた感じの昭和のビジネスホテルが一軒、営業を続けているのかいないのか、春の北風の中で歯を食いしばっている姿が印象的だった。

 (鷹ノ巣駅前。今やこのビジネスホテルが1軒だけである)

 

 この鷹ノ巣、「綴子の大太鼓」で有名な町である。綴子と書いて「つづれこ」と読む。これもまた秋田のNHKニュースの定番。毎年の例大祭が714日と15日に行われると、ローカルニュースは「綴子の大太鼓が打ち鳴らされました」と伝えるのだった。

 

 大太鼓は全て直径2メートルを超える。平均的なものだけで6張、最も大きいものは直径3.80メートル、胴の長さは約5メートル、重さは3.5トンに及ぶ。2番目の大きさのものでも、直径は3.7メートルを超える。

(世界一の大太鼓の町。鷹ノ巣駅ホームには、こんな誇らしげな記念スタンプが置いてある)

 

 例大祭では、大太鼓をはじめ出陣行列・獅子踊り・ヤッコ踊りなどの一連の行事が繰り広げられる。鎌倉中期の1260年ごろから始まったと伝えられ、もともとは雨乞い神事として始められた。

 

 当時この地方は灌漑用水の不足に悩んでいた。大太鼓の大音響を雷鳴に似せて天の神に祈りを届かせ、恵みの雨を降らせていただく。綴子の大太鼓には鎌倉時代からの農民の痛切な願いが込められているのである。

 

 諸君、ワタクシはいつか7月14日と15日、綴子の大太鼓を聞きにいこうと考えている。別に今年でなくて構わない。公開授業の全国行脚が続くこの時期だから、大太鼓の響きを聞きに行けるのは、スケジュールによほどの余裕ができる時に限られる。

(記念スタンプを押してみる。実際に大太鼓の上にみんなで乗って、長いバチで上から叩く太鼓である)

 

 4年後、5年後。綴子の大太鼓を目撃できるのは、おそらくブログ5000回の達成以降のことになる。ということは諸君、その記事をここに書き記すのはもっともっと後のことになりそうだ。

 

 ブログという世界が、その時まだ生き残っているだろうか。それは甚だ心もとないけれども、少なくとも今井はまだまだ強靭かつ執拗に長文記事を書き続ける覚悟でいるのである。

 

1E(Cd) Ashkenazy(p) Müller & BerlinSCRIABIN SYMPHONIES 3/3

2E(Cd) SECRET OF ISTANBUL

3E(Cd) 1453

4E(Cd) Jarvi GoteborgGRIEGPEER GYNT 1/2

5E(Cd) Jarvi GoteborgGRIEGPEER GYNT 2/2

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