Wed 190227 さあ始まる学食の日々/うなぎ/岩倉実相院(京都すみずみ28)3806回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 190227 さあ始まる学食の日々/うなぎ/岩倉実相院(京都すみずみ28)3806回

 大学入試の本番が済めば、「長かった弁当の6年」はいよいよおしまい(スミマセン。前回の続きです)。ハハたち苦心のインスタ弁当6年に続いて、いよいよ「学食の4年」がスタートする。医学部や薬学部ともなれば「学食の6年」。いやはや、メシに苦心惨憺の日々が始まるのである。

 

 黙っていても当たり前のように朝メシも昼メシも晩メシも、次から次へとテーブルの上に並んだ日々とは全く違う。こちらから積極的にアプローチしない限り、メシは絶対に出てこない。

 

 もちろん21世紀の諸君としては、「コンビニでいいじゃん」ということになるのかもしれないが、ワタクシはコンビニの日々には大反対。1日3回、一人で積極的かつ果敢にメシにアプローチする行動こそ、未熟な若者を頼り甲斐のあるオトナにする根幹だと信じる。

 

 ワタクシは、学部1年の頃が「学食派」。学部2年で「生協食堂派」に転身。3年からは「喫茶店でメシ」に転じ、さらに蕎麦屋に入りびたりの日々に変わった。

 (京都・木野の「松乃鰻寮」の個室で、うな重をいただく)

 

 学食については、あんまり思い出したくない。何度蒸し返したか見当もつかないほどベトベトになったオコメ集団を、白長靴をはいた学食のオバサマがお皿にたたきつける。「めちゃっ」と恐るべき音が鳴り響いて、「もはやオモチ」の状態のオコメ大軍団がお皿にはりついてくる。

 

 一番安いA定食が150円。続いてB定食180円、C定食230円。少なくとも3回は揚げ直したたいへん硬い揚げ物をメインに、しなびたキャベツの千切りを「サラダ」と称し、残るオカズはケチャップで真っ赤に染まったスパゲッティ、というか要するに麺らしきものが小さなお皿に縮こまっていた。

 

 それでも味噌汁だってついていたし、「フルーツ」と名付けられたスイカやオレンジの切れ端まで乗っかってくることもあった。C定食まではトマト1/16カケがキャベツの脇で震えていた。Sランチ320円となると、さすがにトマトの重量が増して、1/8カケ。ま、栄養価も2倍に上がるわけである。

      (京都、岩倉実相院を訪問する 1)

 

「生協食堂」に転じたのは、いくつか小鉢を追加できたからである。ケチャップ麺やしなびたキャベツには変化なしとしても、30円とか50円とかで冷奴だの揚げナスだのキンピラだのを追加できれば、未熟な若者は一気にオトナの階段を昇り始めることになった。

 

 しかし諸君、学部3年ともなれば、新入生だの2年ボーズだのと大っきな食堂で同席しているわけにはいかないじゃないか。そういうマコトにくだらんプライドを胸に、我々のメシの舞台は喫茶店に移行する。

 

 昭和の喫茶店は、「マスター」という名のオジサマが運営していて、当時のオジサマの夢には「脱サラして喫茶店のマスターになる」なんてのがあった。

      (京都、岩倉実相院を訪問する 2)

 

 今や「喫茶店」と言って通じる世代はぐんぐん高齢化していると思うが、若者諸君、要するに狭くて暗いカフェだと考えてくれればいい。今と違って喫煙のほうが当たり前、禁煙席なんてのは変人の好むものという風潮だったから。狭い喫茶店は濛々たるタバコの煙で息もできないほどだった。

 

 お店の名前も、アナクロな感じが拭えないにしても、それなりにカッコよかった。「異邦人」「アンネテ」「キャンドル」「ル・プティ・ニ」「ジョイフル」。もちろん異邦人の看板には「エトランゼ」とルビが振ってあった。

 

 そういう暗い店で、旨くもないフードメニューを注文するのである。「マスター、ナポリタン!!」「マスター、ミートソース」「マスター、ピザトースト」、それぞれ400円から500円ぐらい。ドリンクを入れて600円も払わなきゃいけなかった。

 

 必ずまず「「マスター」と店主に呼びかけるのもお決まりであって、アルバイト店員に「すみませーん!!」「おねがいしまーす」などというのは、カッコ悪い行動の典型。仲良くなった50 がらみのマスターと、友人気取りで言葉を交わすのが「カッケー」と評価された。

 (叡山電鉄・木野の駅。かつて大好きだった円通寺が近い)

 

 しかし諸君、4年生ぐらいになると、何しろ周囲はみんな「シューカツ」であるから、マスターとの会話もだんだんメンドーになってくる。「就職はどうするんですか?」と尋ねられても、何しろこちらは夏を過ぎ10月が迫っても就職活動なんか1mmも進めていない。

 

 あんまり会話がメンドーなので、ピラフもナポリタンもミートソースもみんなヤメにして、若き今井君は「蕎麦屋に入りびたり」に転じたわけである。

     (京都・木野「松乃鰻寮」を訪ねる 1)

 

 学生にしては恐るべき行動だが、昼過ぎの午後2時か3時、お客もマバラになったお蕎麦屋にふらりと一人で入っていく。前夜の酒がそろそろ抜けて、友人たちはゼミか就職活動か、または図書館にこもっていて不在。22歳の今井君は、我が指定席に腰を下ろして「ぬる燗2本」などと低い声でホザクのである。

 

 お蕎麦は、あまり旨くない。熱い蕎麦を注文すると、丼の中でお蕎麦がプチプチ切れまくって、ちっともズルズルすすれない。仕方なくて盛り蕎麦派に転向し、午後4時ごろまでに盛り蕎麦を5枚もすするうちに、お酒もどんどん進んで5合6合、徳利がズラリと空っぽになった頃、悪い友人が今井の存在を嗅ぎつけてやってくる。

 

 もちろんそうなれば、そのまままたまた深夜まで飲み屋街をうろつき、場合によっては「朝まで」という決断を意気揚々と繰り返し、この1年間で今井君の人生から「前途洋々」というコトバが完全に消えた。

     (京都・木野「松乃鰻寮」を訪ねる 2)

 

 その後の就職活動やら何やらがどう転んだにしても、いったんここまで身を持ち崩してしまえば、サトイモ君の道はまっしぐら、「30歳で予備校講師」につながっていった。そもそもピラフにミートソースの時代から、「どこからそんなオカネが?」と尋ねられれば、「塾講師のバイトで」以外にありえなかった。

 

 以上のようなわけでワタクシは、ハハたちのお弁当6年を通過した若い諸君に「学食から出てはいけない」「すべては大学構内で完結させるべし」と忠告したいのだ。

 

 学生の身で塾講師なんかやって中高生に日々チヤホヤされ、場合によってはキャーキャー言われて鼻高々、バレンタインデーはチョコまみれ、誕生日にはファンレターまみれ、押し寄せるLINEにプレゼント、おサイフの中身もポッカポカ、「学食なんかバカバカしくて」と言い始めたら最後、今の前途洋々は朝露とともに消える。

    (鴨川左岸で、アオサギの親玉と遭遇する)

 

 さて「京都すみずみ」であるが、またまた写真の掲載だけでお茶を濁すことになりそうだ。普段のヨーロッパ旅行記や中南米探検記みたいに盛り上がれないのは、やっぱり京都があまりに目の前にあって、誰でもいつでも気軽に訪ねられる場所だからだと思う。

 

 岩倉実相院を訪ねたのは、10月下旬のことである。これほど北に上がってきても、まだ紅葉の気配はない。清流の水音はまだ夏のものであって、田舎道に咲き乱れるキバナコスモスのオレンジ色もまだちっとも冷めていない。

 

 晩夏の雰囲気の中、黄色と黒のシマシマ模様のハチがブンブン飛び回って、甚だ剣呑である。スズメバチ集団ということはないだろうが、いかにもジューシーな弾力性溢れるその肢体は、見ているだけでこちらの肉体に痛みを感じさせるほどの迫力に富んでいる。

      (木野駅にも広告の看板が出ていた)

 

 叡山電鉄「木野」の駅からは、むかし大好きだった「円通寺」というお寺が近い。かつての代々木ゼミナールの大教室で、今井君はしょっちゅう円通寺の話をした。深い苔の庭園が印象的で、庭園の向こうには東山が雄大な借景として迫っていた。

 

 円通寺に足が向かなくなったのは、絶え間なく流されるお坊さんの音声解説がうるさくなったからである。苔の説明、庭園の配置の説明、借景となっている東山の説明、約5分ワンセットの説明が、繰り返し繰り返し延々と続き、お寺の中にいる限り、それを聞き続けなきゃいけない。

 

 そこで諸君、円通寺はまた10年後か20年後に行ってみることにして、岩倉実相院から帰る途中の今井君は、木野の老舗うなぎ屋を訪ねることにした。「松乃鰻寮」、京都南座のすぐそばが本店である。久しぶりにすっぽん「大市」にも惹かれたが、木野からでは少し遠過ぎた。

(京都・岩倉、山住神社。社殿はなく、山と巨岩を御神体とする)

 

 静かな個室でうなぎをいただく。仕事のある日ではないから、まだ午後2時だけれども、お酒をぬる燗で2本、3本、4本とつけてもらって、マコトにいい気分でうなぎを待っていると、学部4年生の頃にお蕎麦をすすっていた当時とは別格の豊かさを感じる。

 

 やっぱり諸君、塾講師のアルバイトでいくらおサイフが潤っていたにしても、あの時の今井君の選択は明らかに間違っていたのである。授業は休まず出席、ゼミでも果敢に発言を繰り返し、課されもしないレポートを指導教官に次々と提出、ついでに留学の相談にも乗ってもらう、そういう真剣な学生でなければならなかったのだ。

      (もう一度、豪華うな重セット)

 

 こうしてはるか昔のあまりに苦い後悔と反省を噛みしめながら、同じように苦いうなぎの肝を噛みしめると、実はその後悔の分だけ、うなぎ肝焼きの味わいが増しているようにも思えるから不思議だ。いやはやこの後悔、確かに今さらの後悔に過ぎないが、「味わいたっぷりの後悔」と言ふものも、この世の中には存在するようである。

 

 すると結局、若い諸君に対して何をどう勧めていいのか、ふと分からなくなる。前途洋々こそ称揚すべきものであるのは間違いないが、後悔まみれ&反省まみれ、「ああすればよかった」「こうしなきゃよかった」、そういう甘く苦い山椒の実みたいな思いもまた、オジサマの日々を豊穣なものにしてくれる気がするのである。

 

1E(Cd) Akiko SuwanaiSIBERIUS & WALTONVIOLIN CONCERTOS

2E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & LondonMOZARTLE NOZZE DI FIGARO 2/3

3E(Cd) Kiri Te Kanawa, Solti & LondonMOZARTLE NOZZE DI FIGARO 3/3

4E(Cd) Solti & ViennaWAGNERDAS RHEINGOLD 1/2

5E(Cd) Solti & ViennaWAGNERDAS RHEINGOLD 2/2

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