Mon 190225 長かったお弁当の日々/曼殊院・圓光寺・詩仙堂(京都すみずみ27)3805回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 190225 長かったお弁当の日々/曼殊院・圓光寺・詩仙堂(京都すみずみ27)3805回

「日本人はマコトに生真面目かつ勤勉である」とは、古今東西ほとんど誰ひとり疑問を挟まない言い伝えであるが、朝の京都・西芳寺、朝の修学院離宮、そういう場所を訪ねると、まさに的を射た至言であると心からうなずく気持ちになるのである。

 

 だって諸君、西芳寺も修学院離宮も、「往復ハガキで申し込んで、訪問日時の指定を受ける」という古式ゆかしい形式を今もなお踏襲する。「午前9時」などという指定を受ければ、朝6時起き、6時半朝食、7時半には身支度を整えて電車を乗り継いで目的地を目指す。

      (紅葉間近の京都・曼殊院 1)

 

 この場合、「朝食」を準備するのは昔も今もママのお役目。江戸末期やら明治やら、大正やら昭和やらの「母は強し」の時代ならまだしも、今のママたちはおそらく昭和末期の生まれであって、激しいバブルの渦潮もご存じない。

 

「母は強し」を遠ざかること30年ないし40年、それでもまだ「ママは強し」であって、どんなに疲れていても朝食にお弁当、マコトに見事に力作を作成する。

 

 もちろんこのサトイモ入道も、目玉焼きや豚汁作りの力量は絶品なのであって、1年に5回か6回はその見事な腕前を披露して歓声を浴びる。

 

 しかしそれはあくまで1年に5回、つまり2ヶ月に1回、60日に1回の頻度だから出来ることであって、来る日も来る日も朝食、来る日も来る日もお弁当、そういう果てしない調理の連続とは明らかに性質を異にする。

      (紅葉間近の京都・曼殊院 2)

 

 25日は国公立大学の入学試験開始日であって、今朝もママたちは目いっぱい頑張ってお弁当を作成したのである。小学校時代は学校で給食が出ただろうけれども、中学入学以来ほぼ連日のお弁当。中等教育の6年は、ママたちにとってはお弁当と朝食を同時並行して作成する超多忙の日々が続く。

 

 もちろん昭和の母たちと違って、平成のママたちのお弁当には、インスタ映え狙いのお弁当も多いだろう。印須田映子(いんすた・はえこ)と印須田映美(いんすた・はえみ)、40代中盤の美ハハたちが腕によりをかけ、子供連のお弁当を競ってハエハエなビジュアルに作り続けてきた。

       (詩仙堂、11月下旬 1)

 

 しかし諸君、いよいよその6年も終わりを告げようとしている。大学生になってしまえば、子供連のランチタイムもグイッと多様化する。「友だちと学食で」なんてもあれば、「彼氏とカフェテリアで」なんのもある。その時、ママのインスタ弁当はたいへん厄介な重荷になりかねない。

 

 というわけで、ママと子供連にとってマコトに忙しくまた幸福に満ちていた中等教育時代は、おそらく高校卒業をもって完全に終了。朝食なんか見向きもしないし、つい勢い余って「はい、お弁当よ♡」なんてことをやれば、「今日は友だちとカフェで食べるから」と冷たく突き放されてしまう。

 (曼殊院から詩仙堂に至る道。のどかな田園風景が続く)

 

 だから受験生諸君、せめて今日と明日と明後日ぐらいは、お弁当に毎日カツが入っていても、明るく楽しくワシワシやってきたまえ。どんなに気恥ずかしいインスタ弁当でも、その重たい幸福はもう1ヶ月しか続かないのだ。

 

 だからこそワタクシは、こういう日に「中央線で停電」「約30万人に影響」みたいなことはヤメてほしいのだ。「飯田橋〜水道橋間の橋桁工事が原因か」とあるけれども、どうしてこんな日に合わせてその橋桁の修理をしなきゃいけなかったんだい?

 

 というのも、そのあたりの橋桁って、何を隠そうこの今井君が上京してきた頃から、ずっとずっと絶え間なく工事中&修理中が続いているように思うのだ。千葉から都心を通過して八王子の西に至るまで、首都圏の大動脈がギュッと立ち往生するような工事なら、3日か4日その日程をずらしてもよかったんじゃないか。

 (圓光寺。紅葉のライトアップで人気急上昇中のようだ)

 

 というわけで、修学院離宮を午前9時に訪れ、感激を胸に午後11時に門を出た後は、お弁当なしのワタクシはとりあえず昼飯を求めて右往左往することになる。

 

 こういう右往左往、今井君は高校1年の時から続けている。お弁当には中学生時代に別れを告げ、高校の3年間は業者が販売に来る調理パン3個とか、学食のそば&うどんで済ませるようになった(当時の秋田高校には小さな学食があった)。もちろんお弁当の友人もいたけれども、高1高2の男子は「ハハ弁当」が気恥ずかしくてならないこともあるのだ。

 

 修学院離宮の周囲は、際限なく右往左往を繰り返してもなかなか適当なランチ処が見つからない。東北の片田舎に足を踏み入れたような田園風景が続き、たわわに実った柿の実が秋の陽を浴びて真っ赤に輝いているかと思えば、庭先にウリやらサトイモやらを木の箱に並べて売っている家もある。

          (詩仙堂 1)

 

「昼飯やーい」「昼飯やーい」と、愛するランチを求めながら歩くうちに、目の前には次々と小ぶりの寺院が姿を現す。修学院離宮から南へ、東山の緩やかな坂道を登ったり降ったりするうちに、目の前にはまず「曼殊院」が現れる。

 

「曼殊院」と書いて、「まんしゅいん」と読む。無学なワタクシなんかは思わず「まんじゅいん」と発音してしまうけれども、「まんじゅいん」ではmac君も正しく変換してくれない。「マンジュ印」、何だそりゃ?であるが、それは「まんじゅいん」とキーを叩いたワタクシがいけないのだ。

 

 ここの不動明王像は「黄不動」と呼ばれ、国宝であるとのこと。他にも重要文化財が目白押しなのであるが、内部は庭園に至るたいへんフランクに公開されていて、畳の上のカメムシを思わず踏みつぶしそうになるのを除けば、お昼前の暖かな日差しを楽しむには素晴らしい環境である。

          (詩仙堂 2)

 

 南の詩仙堂から登って来る坂道の紅葉が特に美しくて、おなじみjr東海の「そうだ京都、行こう」にも出たことがあるという。もっともこれほど長くcmが続いていると、もはや「あのcmに出たことがあります」というセリフも、あまり大きな感激を呼ばないかもしれない。

 

 曼殊院からさらに南下すると、紅葉ライトアップの見事さでがぜん注目を浴びてきた圓光寺に行き着く。最近は外国人も修学旅行生も目ざとく情報を見つけ出すらしく、圓光寺の前にもそれなりに騒がしい列が出来ていた。

      (圓光寺、あまりに斬新な枯山水)

 

 しかし、うーん、どうなんだろう。紅葉ライトアップは美しいだろうし、深い苔の生えた庭園もたいへん趣があるけれども、ちょいと新趣向が行き過ぎてはいないか。入ってすぐのあまりに斬新な枯山水に肝を冷やし、臆病なサトイモ君は逃げ出すように圓光寺を後にした。

 

 圓光寺から詩仙堂までは、徒歩1分もかからない。詩仙堂の前のきつい登り坂をさらに10分も登っていけば、秘境とも言える深い山中に「狸谷不動尊」があるが、こちらには「マムシに注意」とか「午後4時以降は危険ですから入山しないでください」とか、それなりにコワい看板が立っているから、また後日を期すことにする。

          (詩仙堂 3)

 

 詩仙堂となると、圓光寺に比較してググッと年齢層が高くなるようである。紅葉に定評のある静かな庭園には、ししおどしが約20秒ごとに風流な音を響かせている。

 

 ししおどしは、漢字で書けば「鹿威し」または「獅子威し」。爽やかに流れる清水の音と、竹が岩を打つ乾いた音の組み合わせが絶妙である。正式には「添水」と書いて「そうず」と読む。「そうず」という音から、「僧都」と書くこともある。

       (詩仙堂、11月下旬 2)

 

 10月、紅葉前の庭園を歩きながら、「これはどうしても11月下旬、紅葉の盛りの頃にまた来なきゃいかん」とコブシを握りしめた。そして実際にこの1ヶ月後、11月末に再び詩仙堂を訪ねることになった。

 

 ただし2018年の紅葉は、夏の炎暑&酷暑のせいか、京都のどこの紅葉も黒ずんで茶色っぽく濁った色を呈し、詩仙堂も北野天満宮も、曼殊院も岩倉実相院も、今ひとつ深い感興に至らなかった。ライトアップの圓光寺はどうだったか、訪問を遠慮した今井君の知るところではないが、連日38℃などという困った暑さは願い下げにしたい。

 

1e(cd) kubelik & berlinerdvořákthe 9 symphonies 5/6

2e(cd) kubelik & berlinerdvořákthe 9 symphonies 6/6

3e(cd) avner aradthe piano works of leošjanáĉek

4e(cd) akiko suwanaiintermezzo

5e(cd) kiri te kanawa, solti & londonmozartle nozze di figaro 1/3

total m66 y137  dd24747