Thu 190221 合格電報「サクラサク」のこと/広島県三原の大盛況 3803回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 190221 合格電報「サクラサク」のこと/広島県三原の大盛況 3803回

 2月14日の北海道北見と、2月18日の広島県三原との間に、わずか3日だが久しぶりの休暇ができて、3日間のうちの最初の1日は北見から東京への帰路でほとんどが費やされてしまったが、残りの2日は幸いなことに「予定ナシ」。伊豆に出かけて7分咲きの河津桜を満喫してきた。

 

 まさに受験生諸君の合格発表がたけなわの時期であるから、今井ブログでもゲンを担いで「サクラ咲く」をやってみたわけだ。最近のサクラは朝のNHKでラーメンばかりすすっているが、昭和の昔のサクラは「合格電報」で大活躍したものなのである。

 

 もうとっくの昔にこの世から消滅しちゃったと思うが、合格電報は大学生たちのちょうどいいアルバイトだった。遠隔地から東京の大学を受験しにきた人たちが、合格発表のためだけに再び上京するのは、時間と費用がもったいない。東京の大学生バイトが代わりに合格掲示板を確認し、合格不合格の電報を打った。

      (2月18日、広島県三原の大盛況 1)

 

 だって諸君、当時の長距離移動は列車が主役。青森や博多からでも列車で1昼夜。鹿児島から東京だともっとかかったし、北海道からは青函連絡船だけで4時間もかかった。合格電報を請け負うバイト学生が、入試当日には校門前にズラリと居並んだ。

 

「合格電報、500円」というプラカードを掲げ、首から汚い板を1枚下げていた。その板の上で受験生たちは、緊張した面持ちで合格電報を申し込む。合格すれば、届く電報には「サクラサク」の5文字、ダメだった時の電文はいろいろさまざま、「サクラチル」その他ショックの少ない5文字を工夫した。

 

 今井君のオウチは秋田県秋田市だったから、当然のように合格電報の守備範囲。しかし、伯父やら叔父、伯母やら叔母、従兄弟に従姉妹、在京の親戚には事欠かなかったから、わざわざ500 円の合格電報をアルバイト学生に依頼することはなかった。

 

 今井君の姉上はほぼピンポイントで早稲田大学志望であったが、その早稲田大学の受験の前に、別の私立大学を試しに受験してみた。合格電報役を引き受けた叔父から「1595ミアタラズ」という電報が来た時にはさすがに肝を冷やした。

 

 1595とは受験番号であって、さすがに冷静な叔父は受験番号の確認もこの短い電文の中で行ったわけである。むかしむかしの人類は、たった5文字か10文字の中で重要な情報を巧みに伝達しあった。

      (2月18日、広島県三原の大盛況 2)

 

 何しろ20世紀。「宅電もねえ、ネットもねえ、メールもラインも何にもねえ」の時代である。ポケベルと言ふものの出現に全世界が湧いた時代である。新共通テストの現代文に「150字程度の記述」が出題されることが話題になっているが、諸君、どうも記述力の著しい劣化が心配だ。

 

 幸い姉上の場合、早稲田はキチンと「サクラサク」の電文が送られてきた。ホッとした今井君は当時おそるべき中2時代を迎えていて、しかし地元では「神童」の呼び声も高く♡、「早稲田だろうが東大理Ⅲだろうが、ボクの時には合格電報なんてのは不必要」とマジにニヤニヤしていたのである。

 

 その4年後、中3から高3にかけての目一杯の怠慢と怠惰が原因で、「合格電報は逆の意味で不必要」というたいへんなミジメな危機を迎えることになった。何しろ11月末に初めて受けてみた模試の偏差値が43.9。これで早稲田政経と東大文科一類だけを受験しようというんだから、確かに合格電報どころの話ではない。

        (三原名物・はっさく大福)

 

 当時は早稲田政経の合格発表が3月上旬、東京大学の1次試験が3月3日だったから、その頃はずっと東京に滞在を続けることになる。早稲田の発表は、もちろん自分で見に行った。43.9のていたらくでは、親戚に迷惑をかけるわけにもいかないじゃないか。

 

 しかも諸君、ワタクシはそれでもなお、早稲田も東大1次もラクラク合格して、東大2次にコマを進めたのである。偏差値ナニするものぞ、全ては当日の得点力であって、「ダメなはずはない」とギュッと拳を握り締めれば、サクラは必ずパッと花開く。

 

 というわけで諸君、前回の記事の今井君も、あえて河津までノコノコ出かけて、意地でもサクラの花をブログに載っけておきたかったのである。ついでに言えば、あえて3日か4日ブログ更新を怠けて、出来るかぎり長い間サクラを咲かせておきたかった。

 

 以上のようなことを思いつつ、2月17日のワタクシは伊豆の河津をあとにした。オウチに帰ったのは、午後8時すぎ。ブログを1本大慌てでアップした後は、ちょっと長い旅支度を整え、大きなスーツケースを玄関に出してから、翌日の広島出張の準備も終えた。

(2月18日、三原での祝勝会は、昨年と同じ「SAKANAZA」で)

 

 記録によれば、昨年も全く同じ時期に広島県三原に出張している。記録とは要するにこのブログのことであるが、直前にひどい風邪をひいたらしく、前々日ぐらいから声が全く出ない悲惨な状況になっていた。

 

 昨年も今年も、三原の翌日は東京で高校の先生方対象の「センター試験講評会」の予定であるが、昨年は「センター講評会」でさらに喉の症状が悪化、絞り出すようなカスレ声で講演を行った。美声自慢♡の今井君としては、マコトに忸怩たるありさまであった。

 

 今年は諸君、三原も「センター講評会」も健康そのもの。腹式呼吸の見本のようなバリトンの美声で90分♡、三原の純朴な高校生を魅了し続けた♠。三原の出席者、約130名。はっさくと夏のやっさ踊りが名物の小さな町で、130名もの高校生が集結すること自体、感謝感謝&大感謝の世界である。

 

 講師控え室で昨年も出された「はっさく大福」がまた美味である。一般的ないちご大福のいちごの部分に、代わりにはっさくが詰め込まれている逸品であるが、昨年は喉が痛すぎて、とてもブログではっさく大福に言及する余裕がなかった。

(魚の店なのに、今井君はジンギスカンを注文する。おいしゅーございました)

 

 こうして、今年も早春の楽しい三原の思ひ出を締めくくるのは、「SAKANAZA」での祝勝会である。残念なことに、今年の参加者は今井君を入れてオジサマたちばかりたった4名。昨年は若者たちもたくさん交えて世代間交流を満喫したものだが、今年はちょっと寂しすぎた。

 

 もちろん、その分お料理もお酒もたっぷり味わえたので、北海道から帰ってきたばかりの今井君なのにいきなりジンギスカンを注文したり、メキシコ&キューバで連日貪ったロブスターを、広島県三原でブイヤベース風に煮込んでもらったり、短時間ながら贅沢な夕食で盛り上がった。

 

 何しろ三原は「やっさ踊りの町」であり、駅にズラリと並んだノボリには「タコの町」「タコの町」「タコの町」とあって、何しろそのノボリが見渡す限りヒラヒラ&ヒラヒラ早春の風に揺れているから、目の前はひたすらタコタコタコタコ、タコの悪夢にでも魘されそうな勢いである。

(タコの町・三原なのに、ロブスターを注文する。おいしゅーございました)

 

 諸君、「魘される」と書いて「うなされる」と読む。というか、「うなされる」と入力してMac君に変換を任せれば「魘される」と出る。人生で初めてこの複雑怪奇な漢字に出会った人もいらっしゃるだろう。

 

「鬼」という字の上に乗っかったのは、「厭」という文字。「いや」であり「イヤ」であり「嫌」であるが、昭和の昔の小説なんかに、「いや」も「イヤ」も「嫌」も避けて、あえて「厭」を使う作家がおおぜい存在した。昭和の教養は、21世紀の日本人のものとは明らかに質が違ったのである。

(三原は、やっさ踊りの町である。店から呼んだタクシーも、やっぱり「やっさタクシー」であった)

 

 こうしてワタクシは、三原での仕事を終えて広島のホテルに帰ることになった。三原発2240分過ぎの「こだま」であるが、4号車指定席に乗り込んでみると、ご覧のようなガーラガラ、ワタクシの他には中年のおじさまが1名いらっしゃるばかり。それこそ「魘される」の雰囲気である。

 

 広島到着、2310分ごろ。それほど遅い時間ではないが、広島駅前はすでに閑散、宿泊するシェラトンホテルも、ロビーはすでにほぼ無人の状態である。

(終電間近の「こだま」。空気を運んで新山口まで快走する)

 

 超多忙に思えた今年の早春シリーズであるが、明日の東京・新宿「センター講評会」で前半は終了だ。後半の開始は3月6日の北海道函館である。それまで2週間近い休暇になるが、まあ諸君、大学入試と高校入試と期末試験の真っただ中だ。お互い、それぞれに全力を尽くそうじゃないか。

 

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