Tue 190205 神戸大で仕事/石焼きビビンバ/近江・坂本の町(京都すみずみ22)3796回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 190205 神戸大で仕事/石焼きビビンバ/近江・坂本の町(京都すみずみ22)3796回

 まさに前回の記事で予測した通り、異様に早い春一番と汗ばむ陽気で桜まで咲き始めた立春の2月4日、ワタクシは関西3連泊のちょうど真ん中の日。忙しいお仕事の真っただ中にいた。

 

 3日が神戸、続いて大阪での公開授業。大阪は4日が南部の河内松原、5日が北部の茨木。マクロに見ても全国を東奔西走&南船北馬であるが、ミクロの目で見ても、関西3都物語の圏内で東奔西走&南船北馬を続けている。

 

 ワタクシは全般に「晴れ男」であって、ぎりぎりまで雨が降っていても「サトイモの到着とともに、不思議に雨が上がる」みたいな現象を何度も経験している。

 

 しかし諸君、それはあくまで正常な気候の年のことであって、今年みたいな異常な暖冬傾向の時には、傾向が完全に逆転してしまう。2018年、お天気はマコトに意地悪であって、節分の2月3日、ワタクシの神戸到着を待ち受けるように春一番の雨が降り出した。

      (2月3日、神戸大学での大盛況 1)

 

 羽田からのヒコーキが伊丹空港に着いたのが昼12時である。この段階ではまだ大阪は薄曇り。東京は快晴だったが、ヒコーキが伊勢湾上空を横断するあたりから朦朧とした薄雲が現れて、大阪に近づくにつれて雲はどんどん厚くなった。

 

 タクシーでホテルに到着したのは12時半。神戸でのお仕事は16時からだったから、ホテルで1時間半ほどゆっくりして、このスキに前回のブログ記事をアップした。いやはや、相変わらず長大な文章を一気に書き上げてしまった。

 

 ホテルを出たのが14時すぎ。大阪駅からJRの快速電車に乗って、神戸方面に向かう。主催してくれたのは高級住宅地・岡本の校舎であるが、参加希望者の数が予定した会場のキャパを超えてしまい、会場は神戸大学の大教室に変更された。

 

 神戸大学は、六甲山の急坂をどこまでもどんどん登った先にある。スタッフとの待ち合わせは、神戸大に最寄りの「六甲道」駅。大阪から快速電車で5駅か6駅のところである。

    (2月3日、神戸大学は早春の雨に濡れていた)

 

 大阪駅ではまだ降り出していなかった雨が、尼崎と西宮のあたりから降り出した。傘を差している人といない人が半々ぐらいの、ごく弱い雨である。

 

 ところが、何とも意地悪じゃないか、目的地の六甲道に近づくに従って、どんどん雨脚が強くなる。わずか10分か15分のうちに本格的な雨になって、電車の窓から眺める線路脇も道路も、浮き始めた雨で光るほどになった。

 

 覚悟していたとは言いながら、今日の受講生諸君がちょうど家を出て、会場の神戸大学に出発する時間帯である。雨が降ると、出席者は予定の9割とか8割にとどまることがある。スタッフの皆さんの奮闘で、せっかく200名を超える受講希望者を集まったのに、マコトに意地悪な雨である。

 

 六甲道駅からタクシーに乗って、六甲山の坂を登っていく。イノシシの出没で有名な界隈である。タクシーの運転手さんによれば、神戸大学の学生諸君も、この周辺を夜遅く歩くときなんかに、大きなイノシシと遭遇して肝を潰すんだという。

 

 雨の中、ちょっと道に迷ったりして、15時過ぎに神戸大学・発達科学部に到着。同じ建物の中に「人間発達環境学研究科」という名の、マコトに難しそうな大学院も併設されている。もう六甲山のほとんどてっぺんであって、ケーブル乗り場もすぐ近い。

(神戸大学・発達科学部にて。ワタクシの看板も雨に濡れていた)

 

 公開授業は、16時スタート、1730分終了。出席者約210名。雨のためにバスが遅れ、自転車はおそらく厳しい坂道に難渋して、開始が10分ほど遅れることになったが、今井君はその辺のことには一切こだわらない。意地悪な雨なんだから、そんなの仕方ないじゃないか。

 

 この日の神戸は、関西屈指の超名門・甲陽学院とか県立神戸高校とか、いやはやたいへん優秀な高校に通っていらっしゃる生徒諸君がほとんどであった。別にワタクシは優秀な生徒ばかりを教えたいのではないが、やっぱりこういう会場の雰囲気と反応は抜群に優れている。

 

 約300人収容の階段教室も理想。上下2枚式の黒板も、やっぱり理想。日々こういう場で講義ができる大学教授はさぞかし幸せだろうけれども、今井君は青年期の怠慢がたたって、そういう幸福をみすみす逃してしまった。

 

 やっぱり青年期のたゆまぬ努力こそ大切、それなしに幸福ばかりを求めるのは傲慢というものだ。壮年期になってこんな後悔にどっぷり浸かることのないように、若い諸君は脇目もふらず勉学&努力に励みたまえ。

      (2月3日、神戸大学での大盛況 2)

 

 1740分、仕事が終了して外に出ると、おお諸君、六甲山からの神戸の夜景が美しい。雨模様の節分の日はすでに完全に暮れて、眼下には神戸の街の灯りが雨に濡れてきらめいていた。

 

 神戸大学の学生は幸せだ。毎晩遅くまで図書館や研究室で過ごしても、帰り道は必ずこの夜景を眺めながら爽快な気分で坂道を降りていける。確かにイノシシは怖いだろうけれども、世界有数の夜景を毎晩のように独り占めにできるのだ。イノシシなんか、このイマイが鍋で煮て食ってやるから、心配はいらないのだ。

 

 ただしこの夜の懇親会は、イノシシではなく牛を焼いて貪ることになった。会場は、神戸三宮の高級焼肉店。ホントはイノシシをジュージュー、またはイノシシ鍋を貪って神戸の街の安全に貢献、そういうことをやりたかったが、あいにく馴染みのイノシシ屋は、京都・化野の「平野屋」だ。それはさすがに遠すぎる。

    (比叡山の東の麓、滋賀院を訪ねる 1)

 

 約2時間に及んだお食事会で、腹の中はもう牛だらけ、これ以上は立錐の余地もないというありさま。。しかもシメに注文した「石焼ビビンパ」が、1人前なのに3人前もあるような豪華なシロモノだった。

 

 他のメンバー7人はみんな「冷麺スモールサイズ」にしたのに、今井だけ「石焼ビビンパ・レギュラーサイズ」を注文してしまったのだ。店のメニューに「ラージ」は存在しないし、無理やりゴリ押しして「ラージ」を注文したのではないけれども、それでもラージ系がやってきた。

    (比叡山の東の麓、滋賀院を訪ねる 1)

 

 焼き肉屋でのワタクシは、どうしても石焼ビビンパを注文したいのである。それも注文時、必ず「ビビ焼き石ンパ」と冗談を言いたい。「ビビ焼き石ンパ」とふざけたつもりのクダラン中年に、店員さんがどんな反応を返すかで、その店の優しさのレベルを判断するのである。

 

 神戸のお店は、たいへん優しく反応してくれた。それどころか、何度も「ビビ焼き石ンパでございますね」「ビビ焼き石ンパでございますね」と繰り返して、明るい笑顔を見せてくれたのである。やっぱり諸君、対人関係はこういうところをスタートにしなきゃいかん。

 

 なお、「ビビンパ」と「ビビンバ」のどちらが正しいかがよく議論の的になるようであるが、モトはと言えば外国語を日本語の発音に移したんだ。これまた寛容に「どっちも正しい」でいいじゃないか。

 

 ハングルでの表記は「비빔밥」。できる限り忠実にカタカナ表記すれば「ピピンパッp」、アルファベットなら「pipimpap'」であって、日本語に転訛した外国語の発音に、そんなに目くじらを立てる必要はない、肝腎なのは、そのビビ焼き石んぱが旨いかどうかである。

   (近江坂本・日吉神社から比叡山の勇姿を望む)

 

 こういうふうで、関西3連発の初日はたいへん幸先がよかったのであるが、困ったことにサブタイトルの「京都すみずみ」は、今日もまた写真を6枚並べてお茶を濁すことになってしまう。

 

 比叡山を東に降りつつ、「おおこの険しい山道を、平安時代からたくさんの荒法師たちが駆け下りたんだ」「深夜早朝のタイマツ&ナギナタ集団、さぞや恐ろしい光景だっただろう」と感激したその続きを、なかなか語る暇がない。

      (近江坂本・日吉神社にて 1)

 

 比叡山の東側に出て、何より嬉しいのはその静寂である。山の反対側 → 京都の街は、今日もまた外国人観光客が渦を巻き、ナイロンかポリエステルのド派手レンタル着物をまとった中国の皆さまにほぼ占領された感がある。「観光立国」と言えば聞こえはいいが、静かで穏やかで奥ゆかしい京都の風情は、むかしむかしそのまた昔の遠い記憶になりつつある。

 

 その点、ケーブルカーを乗り継いで比叡山をひとまたぎ、または東山のトンネルをくぐって琵琶湖のほとりに出ると、雰囲気は一変する。中国や韓国からの西風に吹かれ、京都の奥ゆかしい風情は東の山をふんわり越えて、志賀の都に移動して来たのかもしれない。

      (近江坂本・日吉神社にて 2)

 

 ケーブルカーを坂本で降り、ほとんど人影のない山道を下りていく。深い木立の向こうには、滋賀院・日吉神社・竹林院、比叡山と琵琶湖を借景にしたマコトに趣き深い寺社が続いている。

 

 滋賀院は、17世紀から江戸時代の終わりまで皇族代々の居所にもなった。たいへん格式の高い寺院であるらしい。拝観料を払って中に入れば、「小堀遠州作」という庭園やら狩野派の襖絵やらが並ぶ。

      (近江坂本・日吉神社にて 2)

 

 滋賀院の小さな障子を開けると、琵琶湖の向こうにはこれまた小さな円錐形の「近江富士」も眺められる。高さ432メートル。大ムカデの伝説で有名。平将門が大活躍したのと同じ時代、その平将門を討った俵藤太どんが、この驚くべき大ムカデを弓矢で退治した。

 

 俵藤太、本名・藤原秀郷。大ムカデを退治した功績により、「食っても尽きぬ米俵」だの「織っても尽きぬ絹」「避来矢の鎧」など、羨ましいものをたくさん与えられた。その舞台が近江富士、正式名称・三上山。いま滋賀院の窓から見えるのは、そういう伝説の山なのである。

 

1E(Cd) Barbirolli & HalléTHE DREAM OF GERONTIUS 2/2

2E(Cd) Ashkenazy & PhilharmoniaSIBERIUSSYMPHONIES 1/4

3E(Cd) Ashkenazy & PhilharmoniaSIBERIUSSYMPHONIES 2/4

4E(Cd) Ashkenazy & PhilharmoniaSIBERIUSSYMPHONIES 3/4

5E(Cd) Ashkenazy & PhilharmoniaSIBERIUSSYMPHONIES 4/4

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