Tue 190115 センターあと2回/宇治興聖寺/お座敷の恐怖(京都すみずみ13)3786回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 190115 センターあと2回/宇治興聖寺/お座敷の恐怖(京都すみずみ13)3786回

 昭和ばかりではない。平成も終わっていく。梅原猛氏が死去。市原悦子氏も死去。きっとあと十数年も経過すれば、「日本昔ばなし」と言っても「何のことだかさっぱりわかりません」「イミフ」と首をかしげる世代が登場、予備校の世界の雰囲気だって完全に変化している。

 

「まんが日本昔ばなし」は1975年に放送開始、さまざまな変遷を乗り越えて、2007年ごろまで継続した。ドラマ「家政婦は見た!」は1983年から2008年まで。ワタクシの少年期から中年期まで、大袈裟なことを言えば常に市原悦子どんとともにあった。ご冥福をお祈りするばかりである。

 

 同様にワタクシの日々の生活とともにあったのが、センター試験である。1979年から始まった共通一次試験が1989年、ほぼ昭和を時を同じくしてオシマイ。平成の開始とほぼ同時にセンター試験が始まり、平成の終了とほぼ同時にセンター試験もまもなくオシマイになる。

  (宇治川の流れはたえずして、しかも元の水にあらず)

 

 ワタクシは、30年の歴史を誇るこのセンター試験を、心から愛してやまないのである。もう10年近くむかしのこと、このブログに「センター試験なんか大キライだ」と題した記事を何度か書いたのも、センターへの深い愛情の裏返しであった。

 

 今はなき河合塾千駄ヶ谷校は、当時の東京本校であったが、あのころ予備校講師になったばかりの今井君にとって、東京本校での授業はまさに晴れ舞台。最初に担当させてもらったのが、「センター試験英語」だった。

 

 当時は、テストゼミ形式。最初の30分でテスト問題に取り組み、残り60分で講師の解説を聴く。かなり無理のある講座構成だった。駿台で初めて模擬試験を作成させてもらったのもセンター模試。「oracle」という単語に注をつけるべきかどうかで議論が白熱したのを覚えている。

  (宇治・興聖寺、紅葉スポットの琴坂を登っていく)

 

 代々木ゼミに移籍してからは、1週間9コマも担当していた衛星同時生中継「サテライン」で、「センター試験英語」も担当。水曜日午後の3時間目、受験生が一番眠くなる時間帯の90分が今でも懐かしい。

 

 現在は「センター英語90%突破」を担当。イマイの予備校生活はセンターとともに発展してきた。「センターでよく出るんです♡」と発言すれば、居眠り寸前の生徒もハタ!!と目を覚まして講師に注目。「速読の方法、教えます♡」とともに、講師としてマコトに重宝な一言であった。

        (宇治・興聖寺にて 1)

 

「役に立つかどうか」。マスメディアの判断基準は、いつでもたいへんエゲツない。人間の教養と言ふものは、直接的に生活の役に立たないからこそ奥ゆかしいのであって、教育現場の先生方が商売道具として日常の役に立つか立たないかばかりを論じていれば、国民の民度はちっとも向上しない。

 

 平成の30年間、日本国民の教養と民度の向上には目覚ましいものがあったと信じる。バブル時代の日本人の熱狂の様子や、その余りに貪欲な表情を、もう一度シカと目に焼きつけてみたまえ。

 

「失われた20年」「失われた30年」と嘆くムキも多いだろうけれども、実は平成の30年、日本人はウチに向かっても外の世界に向かっても、たいへん優しく控えめになり、ムキダシの貪欲を抑制し、行動にも発言にも他者を気遣って、利己的な行動を自ら諌める奥ゆかしさを身につけてきたと信じたい。

 

 その奥ゆかしさの醸成に、最も力のあったのがセンター試験なのではなかったか。「役になんか立たなくていい」「深く広い常識と教養を若い世代に植えつけたい」。30年の長きにわたって試験を作成してきた人々の夢と希望は、そんなところにあったのではなかったか。

        (宇治・興聖寺にて 2)

 

 30年にわたる膨大なセンター試験の問題を、全科目にわたって是非もう一度概観してみようではないか。18歳の若者たちに、世界史・日本史・地理・公民、これほど深く広い教養を要求してきたのだ。

 

「商売の役に立たない」という点ではまさにこれ以上は考えられない「古文」「漢文」だって、教養ある奥ゆかしい国民を育てるためなら、出題側も受験する若者も不平不満は言わなかった。現代文の要求する母語読解力は、世界に胸を張れるレベルのものだった。

 

 そして諸君、「英語」である。「役に立つか・役に立たないか」の功利的な話になれば、第1問「発音アクセント」、第2問「文法語法」「整序英作文」、こりゃどう見ても「役に立たない」の典型だったかもしれない。

 

 しかし「教養としての英語」をしっかりと身につけ、辞書を引き引き他国民の書いた文章を理解し、謙虚な教養人として世界と付き合う姿勢を身につけるという点では、第1問から第6問まで全問、これほど優れた試験は考えられないほどであった。

        (宇治・興聖寺にて 3)

 

 ワタクシは、世界で傲慢にふるまう日本人はイヤなのである。英語が聞き取れなくても、英会話がさっぱり通じなくても、謙虚に熱意をもって相手と理解しあおうとする優しい国民が好きなのである。「ペラペラ」や「へらへら」な傲慢さより、「英語は苦手です」と恥ずかしそうにうつむく人々を愛するのである。

 

 センター試験に熱中した世代は、現在の18歳から50歳ぐらいまで。それ以前の共通一次世代を含めれば、18歳から60歳の広範囲にわたるのであって、日本の政治・経済・文化を支えるヒトビトのほとんどが、実はセンター試験に育てられたのである。

        (宇治・興聖寺にて 4)

 

 あと2年で消えてしまうこの試験を、決して悪しざまに罵ってほしくない。直接の利益にも商売道具にもならないが、謙虚な人間として生きる基礎基本を身につけるには、たとえマスメディアに「知識偏重」と言われようと、間違いなく素晴らしい試験であった。

 

 これをヤメて新しいテストにしたところで、いわゆる「ホンモノの思考力」を磨けるものかどうか、はなはだ疑わしい。国語の問題なんか「事務処理能力検定」に見えて仕方がないし、地歴公民にしても数学にしても、うーん、こういう問題を提示して、果たしてどういう国民を育てたいのか、ワタクシにはよく分からない。

 

 センター試験世代のラストを飾る現受験生諸君と現高2生諸君は、だからぜひ胸を張って最後のセンター試験に臨んでいただきたい。メディアが批判するような「知識偏重」「思考力は身につかない」「役に立たない」みたいなシロモノでは決してないのだ。

(京阪宇治駅にて。京都には「見てるぞ」のポスターが多い)

 

 さて「京都すみずみ」であるが、今日の写真は宇治の興聖寺である。開祖は道元と伝えられる。歴史は1233年まで遡るんだそうな。「ええっ、そんなに古いの?」であるが、日本の曹洞宗として最古の寺院なんだとさ。 

 

 最初は伏見だったか深草だったか、まあその辺りにあったけれども、比叡山延暦寺からの圧力があって、1243年に開祖・道元どんが越前へ下向、永平寺を開くことになる。

 

 取り残された興聖寺は、まもなく荒廃。道元どんがいなくなっちゃったんだから、致し方ありませんな。荒廃に荒廃を続け、ついに断絶に至ったが、1650年ごろに現在の場所に移って再興した。

 

 寺の荒廃は、何と400年も続いたことになる。浦島太郎が竜宮城に去って300年、タマテバコのケムケムで真っ白いおじーちゃんになっても、それでもまだ荒廃がもう100年も続いたと考えれば、その長さを実感できる。「御成敗式目」の頃に荒廃が始まって、「慶安の御触書」まで続く長い断絶だった。

        (宇治・興聖寺にて 5)

 

 宇治川の対岸は、平等院鳳凰堂。きっと観光客の大群が押し寄せて、押すな押すなのたいへんな騒ぎになっているだろうが、こちらのほうは宇治川の水音が清々しい。大好きなアオサギやシラサギをからかいながら、ゆるやかな「琴坂」を登っていく。

 

 琴坂は、谷川のせせらぎの音が琴の音色に聞こえるからとも、細長い緩やかな坂の形状がお琴に似ているからとも言われ、春は桜、夏は青葉、秋が深まれば紅葉も美しい。坂を登りきったところで、中国風の竜宮門が迎えてくれる。

 

 この静かな禅寺を、案内なしでゆっくり見学できる。ウグイス張りの廊下、関ヶ原の戦いの当時の血天井を抜けると、写真のような座禅の場に出る。黒い坐蒲がズラリと並んで、おおさすがに京都、座禅もやっぱりホンモノだ。

        (宇治・興聖寺にて 6)

 

 坐蒲と書いて「ざふ」と読む。坐蒲とも書くし、座蒲とも書く。何と諸君、もし買う気になれば、Amazonでも購入できる。3000円、5000円、8000円、値段もいろいろだ。購入して、自宅で座禅に励むのも悪くない。坐蒲に腰を下ろしたら、膝を床につけるぐらいに浅く足を組む。

 

 坐蒲は、曹洞宗では写真の通りの丸い形だが、臨済宗では長方形。座り方も、曹洞宗では壁に向かって座り、臨済宗では背中を壁に向ける。道元さまと栄西さま、やっぱりライバル関係だったのか、ずいぶんいろんな形式にこだわっていらっしゃる。

 (宇治からは、京阪電車で帰る。三井住友カラーである)

 

 ただし諸君、ワタクシは肉体が恐ろしく硬い。前屈を試みても、膝の下10cmぐらいまでしか手が届かない。「冗談ですか?」と爆笑されるほどであるから、座禅は思いもよらないし、最近は「アグラ」なんてのにも四苦八苦する。

 

 だから飲食店でも、そこがもしも「座敷」「板敷にザブトン」などということになると、悲鳴をあげて逃げ回る。サンデーモーニングの張本どんじゃないが、座禅の場では「喝!!」「カツ」「カーツッ!!」の連続になりそうだ。

 

 来週から始まる早春の全国行脚でも、心配なのはそこである。センター試験を愛するのに負けないほど、お仕事の後の「お食事会」「懇親会」「祝勝会」を熱烈に愛している今井だが、もしもその場が「畳」「板敷にザブトン」の世界だと、アンヨと腰と背中とがあっという間に悲鳴をあげる。

 

 今井の懇親会は、だから可能な限りテーブル&椅子席か掘りゴタツ席にしてくんなまし。こうして手を合わせて頼んます。今日もまた長かった記事の結論は、結局その程度のところに落ち着くのである。

 

E(Cd) Wand & BerlinerSCHUBERTSYMPHONY No.8 & No.9 1/2

E(Cd) Wand & BerlinerSCHUBERTSYMPHONY No.8 & No.9 2/2

E(Cd) Alban BergSCHUBERTSTRING QUARTETS 12 & 15

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