Mon 190107 ロングスローイン/蹴鞠の鞠は洛南へ/五大力(京都すみずみ11)3783回
「ロングスローイン」。どうやら21世紀の高校サッカーは、スローインの長さが決め手になっているようである。ベスト4に残ったチームのうち、青森代表の優勝候補も、千葉代表の優勝候補も、どちらも最大の武器はロングスローインだ。
そりゃ、圧倒的に有利なのは間違いない。コーナーキックやゴール真ん前のフリーキックと同様に、一気に相手のゴール前に有効なボールを配給できる。
故意に手を使えばレッドカードをもらうことになるサッカーで、例外的に両手を使ってもお咎めのないのがスローイン。しかもスローインの場合、オフサイドはないらしいじゃないか。
もしもオフサイドなしで、両手を使ってゴール直前にボールを配給できるなら、こんなに便利な戦術は考えられない。高校サッカーで勝ち進む戦略は、もちろん小&中学生からセミプロ並みの超有望選手をかき集めることだが、試合の中での戦術としては、ロングスローインに勝るものはない。
(洛南の世界遺産・醍醐寺を訪ねる 1)
1968年、メキシコオリンピックで銅メダルを獲得した日本代表チームにも、ロングスローインで有名なヒトがいた。東洋工業の名選手・小城である。大スター釜本邦茂よりも、快足を飛ばしてライン際を何度でも突破した杉山よりも、ある意味では小城の貢献の方が大きかったかもしれない。
世界の有名選手にも、「ロングスローインが武器」というオカタはそれなりに存在した。しかし諸君、彼らは一様に人気選手にはなれていない。花形にもヒーローにもならず、歴史の霧の彼方に消える運命のようである。
だって諸君、あんなんじゃ、ちっとも面白くないじゃないか。自然なプレーの中から一気にゴール前まで駆け上がるサイドバックの迫力もなし。巧みなセンタリングを受けた強烈なヘディングシュートの快感もなし。とにかくポンとゴール直前にスローイン。話があまりに単純すぎないか。
(洛南の世界遺産・醍醐寺を訪ねる 2)
何より心配なのは、高校サッカーの主流がロングスローイン一辺倒になってくると、世界の中で勝ち進む日本の技量が損なわれやしないかということだ。
万が一、Jリーグまでがロングスローイン大流行に陥ったら、人気は凋落、実力も凋落、「サッカーって、結局スローインかよ」という若者が続出しかねない。
ラグビーのほうは、そういう事態に備えて、いろいろと新しいルールを作ってみる。過去半世紀、体重に任せたフォワード一辺倒のラグビーになるのを避けようと、モール攻撃やスクラムの組み方について、様々なルール変更が行われてきた。
キック一辺倒になった場合にも、やたらにロングキックの応酬が多くなって、これまたラグビーの力勝負の醍醐味が失われるから、キックに関するルール変更も少なくなかった。「結局モトに戻しただけじゃん」などという批判にもめげず、ラグビーの世界は毎年のルール変更を恐れなかった。
(洛南の世界遺産・醍醐寺を訪ねる 3)
「日本だけのローカル・ルール」というのもやった。
「こりゃやっぱりおかしくないか?」
「こういうプレーを認めていては、ラグビーの醍醐味が失われ、世界に伍していけなくなる」
という疑問の声が上がれば、躊躇せずに「日本だけのルール」を採用したのである。
「21世紀もそろそろ中盤に足を踏み込もう」「平成もいよいよ新しい元号の世の中に変わろう」という2019年、日本のサッカー界も、サッカーの醍醐味を次の世代に伝えていくために、スローインに関するルール変更をためらうべきではないように感じる。
だって世界のサッカーは、「ロングスローイン大絶賛」という方向性ではないのだ。ボールが外に出てしまってゲームが中断した時、そのボールを中に投げ入れてゲームを再開させる。それだけのごく些細なプレーが勝敗の行方を左右するようでは、選手たちも見ている側もつまらなくて当然だ。
(洛南の世界遺産・醍醐寺を訪ねる 4)
あくまでサッカーのスーパー・シロートとして言うのであるが、サッカーの醍醐味を維持するには、スローインにはラグビーのラインアウトと同様、「ノット・ストレイト」のルールを適用すべきだと考える。
例えば、スローインは、
「センターラインと平行に投げ入れなければならない」
「サイドラインと垂直の角度で投げ入れなければならない」
「サイドラインと垂直でなかった場合には、何らかのペナルティが課せられる」
そういうルールである。
今みたいに、いきなりペナルティエリアの中にポンと投げ入れることは、ルール違反とする。そのエリアに届いてしまったら、相手ボールのフリーキックとして試合を再開する。
たとえ世界のルールと違っても、ローカル・ルールとして採用すればいい。日本全体のローカルルールに出来ないなら、せめて高校サッカーだけの超ローカル・ルールに限定してもいい。そう感じるほどに、2019年の高校サッカーはロングスローイン一辺倒のチームが多いように感じるのだ。
(洛南の世界遺産・醍醐寺を訪ねる 5)
ま、いいか。それに引き換え今井君が心から応援を惜しまなかったベスト8の秋田商は、昭和サッカーを通り越して「大正サッカー」「草創期サッカー」であり、20世紀サッカーの水平線の向こう側、ほとんど「19世紀サッカー」と言ってもいいものだった。
全選手が丸刈りのスタイル。ほとんどの選手が身長160cm台の小柄な体格で、走って走って走り抜き、守って守って守り抜いた。大柄な相手選手がヘディングシュートしても、あえて競り合うことを避け、むしろヘディングさせておいてから、懸命にその全身を伸ばしてクリアする。
クリアに次ぐクリア、完璧に守りに徹し、シュートを打たれるだけ打たせておいて、一瞬のスキをついて一発カウンターを狙う。おお、むかしむかしの中東サッカースタイルだ。
準々決勝、相手には1分に1度の決定的チャンスが来て、それこそロングスローインがペナルティエリアに投げ込まれる頻度も常識的には考えられないほどだったが、それでも11人が80分、全身を挺して1点の失点にとどめた。
マコトに好感の持てるチームだったが、夏の金足農旋風が準Vだったのに対し、冬の秋商旋風はベスト8どまり。ロングスローインの威力の前に、ベルギーならぬ「秋田の赤い悪魔」は、早々と姿を消したのだった。
あまりに古色蒼然としたチームカラーに、ワタクシは「これってNHK大河ドラマ『いだてん』の番宣かい?」と唸ったものである。うーん、間違いなく「いだてん」の世界を地でいく見事な丸刈り集団だった。また来年の健闘を祈っている。
(醍醐寺の売店で天ぷら蕎麦を味わう)
というわけで、「ラグビーの醍醐味」「サッカーの醍醐味」、醍醐・醍醐・醍醐と繰り返すことで、今井君は今日の「京都すみずみ」にうまく整合性をつけたつもりなのである。というのも諸君、今日の写真のほとんどは、これは洛南の世界遺産・醍醐寺のものなのだ。
ついでに言えば、ワタクシは京都の常宿ウェスティンホテルから洛南や琵琶湖西岸への小旅行が大好き。蹴鞠をポンと東山の山麓に蹴上げたあたりから、地下鉄や京阪電車に乗って東に向かう。まさにロングスローインと同様、あっと言う間に楕円形のサトイモは、洛南や大津や坂本の町を転がっている。
(醍醐の桜は晩秋にも咲く)
醍醐寺の始まりは1100年ほど前のことである。ある日、ある偉いお坊さまが深草の里から東の方を眺めると、美しい5色の雲がたなびいていた。雲に誘われて山道を登っていくと、山頂にたどり着いて生まれ変わったような爽快感に陶然とした。
近くの谷間で1人の老人が湧き出る泉の水を飲み干し、「甘露、甘露。これぞ醍醐の味なるかな」と喝破するのを聞きつけ、お坊さまが「ここに寺院を建立したい」と申し出ると、老人は「あたしゃここの大明神じゃ」「あんたを守護してあげましょう」と言って姿を消した。
それ以来、平安時代からは白河法皇と源氏の人々、鎌倉時代には真言宗の方々、南北朝時代には足利尊氏と、錚々たるメンバーに守られて大寺院となった。これからなら、2月23日の「5大力さん」がある。ぜひ諸君も醍醐寺を訪ねてみたまえ。
(醍醐寺の五重の塔。2018年9月の台風で、ここから先の「上醍醐」は大きな被害を受けたらしい)
「五大力さん」とは、1000年間にわたって続いてきた醍醐寺の大行事。七難即滅・七福即生の大祈祷を行う。「五大力さん」のメンバーは、① 不動明王 ② 大威徳明王 ③ 軍荼利明王 ④ 降三世明王 ⑤ 金剛夜叉明王、それぞれ中央・西・南・東・北を担当する。
五大力さんを信仰すれば、昼夜を問わず「影が形に従うが如し」。その人の身と家を守護し、災難を払い除け、無事息災・安泰と繁昌を与えてくれる。おお、マコトにありがたい。
こういうふうで、2月23日は早朝から夕暮れまで、日本中から訪れる善男善女の列が途切れることがないという。今年はワケあってサトイモな楕円ボールが2月23日の醍醐寺を転げまわることはないが、まあ諸君、万が一時間があったら、このサトイモに代わって五大力さんを拝んできてくれたまえ。
1E(Cd) Coombs & Munro:MENDELSSOHN/THE CONCERTOS FOR 2PIANOS
2E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 1/2
3E(Cd) Barenboim:MENDELSSOHN/LIEDER OHNE WORTE 2/2
4E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4SYMPHONIEN 1/2
5E(Cd) Barenboim & Chicago:SCHUMANN/4SYMPHONIEN 2/2
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