Wed 181128 スポンジボブ/前田憲男氏死去/勝谷誠彦氏死去/音威子府へ出発 3761回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 181128 スポンジボブ/前田憲男氏死去/勝谷誠彦氏死去/音威子府へ出発 3761回

 1128日の新聞には、たくさんの著名人の死亡記事が掲載されていた。スティーブン・ヒレンバーグ氏、享年57。勝谷誠彦氏、享年57。前田憲男氏、享年83。冥福をお祈りする。

 

 スティーブン・ヒレンバーグ氏は、スポンジボブの原作者である。新聞には「筋萎縮性側索硬化症」とある。海洋生物学者だったそうである。授業中にイラストを描いて教えるのが好きだった、その「好き」が嵩じて本職のアニメ作家になったという。

 

 ワタクシ自身はそれほどスポンジボブを知っているわけではないが、外国へ旅するヒコーキの中でのつれづれに、「トム&ジェリーのあとはスポンジボブ」と決めている。海外のホテルで寂しくなってテレビをつけると、極めて高い確率でスポンジボブを眺めることができる。

(札幌での仕事の翌日、ワタクシは午前7時30分札幌発、稚内行き特急「宗谷」の中で、さっそく自分撮りに精を出していた。ただし少々お疲れ気味?)

 

 90分間の公開授業で、ちょうど山場の45分過ぎ、ワタクシはスポンジボブの話を持ち出すのである。

「音読を毎日30分欠かさず繰り返していると、おや、どんどん英文が脳&肉体に染み込んでいく」

「ボクって、スポンジボブですか? 私って、高野豆腐ですか? というレベルになる」という話である。

 

 文字にしてみるとちっとも面白くないが、いったん今井が舞台の上でこの話をすると、やっぱり大爆笑が湧き上がる。生徒たちばかりか、同席した保護者の皆様まで、「よし、自分たちも英語の染み込んだスポンジボブなっちゃおう」と決意する。だから諸君、今井も大いにスポンジボブのお世話になっているのである。

(今井君が目指したのは、札幌から3時間の音威子府。35年ぶりの訪問である)

 

 前田憲男氏はジャズピアニストであり、作曲家であり編曲家である。彼の作品には、多くの人が知らず識らずのうちに大いに影響を受けている。

 

 彼が音楽を担当したテレビ番組は、「題名のない音楽会」「ミュージックフェア」「世界まるごとHOWマッチ」「クイズ面白ゼミナール」「タイムショック」「ルパン3世」など、まさに枚挙にいとまがない。

 

 若い諸君が「前田憲男」という名前を知らなくても、その音楽は日々耳にし、日々口をついて出ている。スポンジボブ同様、英語も音楽も耳と口を通じて脳と肉体に染み込んでいくのである。

(列車が旭川を過ぎると、どんどん雪が深くなっていった)

 

 我々の世代の面々となると、前田憲男といえば何が何でもサーカス「Mr. サマータイム」が、耳にも脳にも心にも深く深く染み込んでいる。1978年夏、カネボウのキャンペーンソングとして編曲された。

 

 元々はフランス人シンガーソングライターMichel Fugainの作品。タイトルは「愛の歴史」だったものを「Mr. サマータイム」と変えて大ヒットした。サーカスはこの曲でNHK紅白歌合戦にも出場。いまもその動画を見ることができる。

 

 サーカスについては、この他に是非「去りゆく夏」「アムール」「愛で殺したい」などについても語りたいのであるが、それでは話が前田憲男氏からどんどん逸れていってしまう。別の機会に譲ることとする。

      (札幌発、特急「宗谷」の勇姿)

 

 1978年から1982年にかけては、前田憲男氏が最も活躍された時代である。8211月下旬、森進一という名の演歌シンガーが「冬のリヴィエラ」をリリース。その編曲が前田憲男氏であった。

 

 ワタクシは演歌というものを聞かないし歌うこともないが、この曲は異色である。作詞:松本隆、作曲・大瀧詠一、そこへアレンジが前田憲男ということになれば、少しは興味をもって脳と肉体に曲を染み込ませた。

 

 だから諸君、あれから35年が経過しても、まだスポンジ今井の脳にも肉体にも心にも「冬のリヴィエラ」は染み込んだままだった。20189月、ミラノから列車で3時間、ジェノヴァからチンクエテッレまでのリヴィエラ海岸を旅しながら、まず口をついて出たのは「冬のリヴィエラ」だったのである。

(名寄を出た列車は、まもなく美深駅に到着。音威子府の1つ手前である)

 

 まさにその当時、灘高校の仲間たちに「文系では群を抜く秀才」と称えられたのが、勝谷誠彦氏であったらしい。1979年に灘高を卒業。灘の生徒会長もつとめ、卒業式でも卒業生総代になった。

 

 それでも東大一直線ではなくて「1浪して早稲田文学部」というところがいいじゃないか。灘の同窓生には、精神科医の和田秀樹やイスラム研究者の中田考もいる。1年先輩には村上世彰もいる。「さすが灘」であるが、詳しくは「文春オンライン2017年9月13日の記事を参照してくれたまえ。

        (音威子府に到著 1)

 

 それでも人生の終盤は、激しくアルコールに依存する生活をされていたらしい。死因として「アルコール性の急性肝炎」という記事を読むと、今井なんかも思わず「うーん」と唸るしかない。

 

 ワタクシはあくまで「ほどほど」のレベルであって、少なくとも「依存」ということはないが、いつどんなストレスで依存の方向に向かうか分かったものではない。「ストレスのない生活を心がけよう」というのが、かつての秀才の残してくれたメッセージだったと考える。

        (音威子府に到着 2)

 

 さて、今のところワタクシはたいへん健康であって、少なくともストレスというものはほぼ皆無である。毎日のように全国行脚して、大爆笑や大喝采が続く楽しい公開授業をさせてもらえている。

 

 全国行脚を利用していろんな土地に足を伸ばすのも、またストレスと縁のない生活の一助になっている。この11月だって、沖縄に行ったついでに佐賀県の唐津くんちを堪能(というより参加)してきたわけだし、広島の帰りには大阪で文楽と熊鍋を堪能してきた。

 

 そこにお酒の要素が加わるのは、オトナの男の付き合いなんだから致し方ないとして、罵り合いとかモメゴトとか、そういうことに至らないように常にニコニコ、カラオケ10曲を歌い切ったあたりで引き上げれば、ストレスのメーターが動き出すことはない。

        (札幌駅でお弁当を購入)

 

 夏の京都もホットに満喫、秋の京都もすみずみまで堪能。すっぽん鍋にイノシシ鍋、アユ料理に山椒鍋、お酒の横には必ずおいしい料理があって、胃袋も肝臓も大きな負担に晒されることがない。

 

 だから1124日、前夜は札幌ススキノで祝勝会の3階建て、懇親会の3段重ね。またまた歌を10曲歌いまくって、ホテルに戻ったのが午前1時半という豪勢な夜だったが、朝6時にはパッチリ元気に目が醒めた。これから今井君は列車で一気に北海道を北上、音威子府を目指そうという計画である。

(音威子府駅の有名な立ち食い蕎麦屋。10月から「当分の間、休業いたします」ということになっている)

 

 音威子府と書いて、「おといねっぷ」と読む。北海道の難読地名のうちの1つであるが、ワタクシの音威子府訪問は35年ぶり。当時は「近いうちにソ連の戦車が攻めてくる」みたいなウワサがまことしやかに流れていた時代。北方領土返還どころか、「もっとよこせ」と平気で言いそうな雰囲気があった。

 

 当時のソ連は、ブレジネフ政権。例の太いマユでギュッとこちらを睨まれると、臆病な今井君なんかは「確かに攻めてくるかも」と内心ブルブル冷や汗をかく気分だった。もしそうなったら、日本の自衛隊は「音威子府で迎え撃つ」というプランだったらしい。

(音威子府の蕎麦屋には、もう1軒の名店がある。駅から徒歩15分の「一路食堂」。降り積もった静かな雪道を黙々と歩いた)

 

 その音威子府に、「今さら何をしに行くのか?」であるが、「音威子府の黒いお蕎麦を食べに行く」というんだから、今井のストレスの欠如には、本人もまさに恐れ入るしかない。

 

 しかも、北海道全域に大雪の予報が出ている。札幌の路面はツルツルに凍りつき、旭川から北のいわゆる「道北」は積雪20cmないし30cmが予想されている、それでも意地でも今井は行く。ワタクシは、そういう男なのである。

 

 稚内ゆきのディーゼル特急「宗谷」は、札幌発7時30分。ホテルを7時にチェックアウトして、真っ白い息を吐きながら札幌駅に向かった。

 

 もちろん朝のお弁当も購入。カニとホタテとウニがたっぷり乗っかった炭水化物であるが、こういうものを朝から貪れるのもまた、ストレスのない日々のおかげなのである。

 

1E(Cd) RillingMOZARTREQUIEM

2E(Cd) Solti & ChicagoBRAHMSSYMPHONY No.4

3E(Cd) MenuhinBRAHMSSEXTET FOR STRINGS No.1 & No.2

4E(Cd) BaumannMOZARTTHEHORN CONCERTOS

5E(Cd) Solti & WienerMOZARTGROßE MESSE

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