Wed 181107 なぜか福岡へ/なぜか唐津へ/唐津くんちで縦横無尽 3749回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 181107 なぜか福岡へ/なぜか唐津へ/唐津くんちで縦横無尽 3749回

 マトモな人なら、真っ直ぐ東京に帰るはずだ。前日に那覇で仕事があり、翌日も翌々日もお休み。そういうスケジュールなら、お昼頃のヒコーキに飛び乗って羽田へビューン、すぐに帰京してデスクワークに励む。それが「マトモ」という生き方の正道である。

 

 しかし諸君、今井君と「マトモ」とは、水と油の関係に近い。いや、もちろんコドモの頃はたいへんマトモな人間に成長する予定でいた。小中学生の頃は、日本でも指折りと言っていいマトモなコドモ、高校生になっても日本屈指のマトモ少年、将来を有望視されていたことは間違いない。

      (唐津くんち「鯛」の勇姿 1)

 

 だから我が来し方を思う時、「いったいいつ道を踏み外したのか」「いつ堅固なレールから脱線したのか」、その時期を特定することはなかなか困難なのである。

 

 思いつくのは、18歳の夏である。高校入学以来ずっと「医学部志望」で通してきて、数学にも物理にも化学にも懸命に取り組んできた。それなのに、18歳の夏の終わり、どういうわけか突如として文系に転向、生活にいきなりタップリの余裕ができた。

 

「余裕」なんてのは、ダメなのである。「余裕」だの「ゆとり」だのをしっかり有効に活用するには、たいへんな能力を必要とする。今井君みたいな中途半端なヤツは、常にカツカツ、常に厳しく絞り上げてもらわないと、直射日光の中のラードよろしく、生活がドロドロ醜く融けだしてしまう。

      (唐津くんち「鯛」の勇姿 2)

 

 あれから数十年、融けたラードも何とか固まって楕円形のサトイモに成長、こうして何とか生きている。しかしやっぱりマトモな発想ができない。せっかくの沖縄から、KUSOマジメに東京に帰ってデスクワークだなんて、そんなオカタイ人生にはとても耐えられない。

 

 そこで今井君は、那覇から東京の航空券を「那覇 → 福岡 → 東京」というルートに買い換えた。3:4:5の三角定規の斜辺を、3と4の2辺に切り替える。時間もオカネもかかるが、マイルもそれなりに貯まる。マイルを貯めたついでに、大好きな唐津にも遊びに行ける。

      (唐津くんち「鯛」の勇姿 3)

 

 諸君、ワタクシは唐津が大好きなのだ。きっかけは、5年ほど前のこと。唐津で新進気鋭のステーキ屋「キャラバン」を訪ねた。フィレステーキ400グラムを平らげ、あまりに旨かったからもう300グラム追加した。

 

 ま、合計で700グラム。その直前にアルゼンチンを旅して、本場の巨大ステーキを連日ワシワシ貪った後である。700グラムぐらい、何とも思わずに食い尽くした。まだ若い店主とも、ずいぶん話が弾んだ。

 

 気に入ったので、700グラムの翌日にもまた「キャラバン」を訪ねてみた。福岡からバスで片道1時間、往復で2時間、2日連続でただ単に「ステーキを食べに行っただけ」というのだから、やっぱりこのサトイモは普通ではない。

 

 2日連続の2日目は、フィレステーキ400グラムの後で300グラムのハンバーグを注文してみた。ホントはステーキの追加の方がよかったが、若い店主が強力にハンバーグを主張するので、妥協したのである。勧められるままにコメの飯も貪った。マコトに獰猛なサトイモなのである。

      (唐津くんち「鯛」の勇姿 4)

 

 那覇から福岡に向かうヒコーキの中で、我が脳裏に浮かぶのはひたすら肉&肉&肉。「仕方ない、こんなに脳がニクニクうめき声を立てるなら、福岡空港でちょいと肉を貪ってから唐津に向かおう」と考えて、福岡空港のステーキ屋に入った。

 

 そこで注文したのが、昨日の写真の後半3枚である。残念ながら、やっぱり「キャラバン」と比較すべくもない。特にハンバーグとエビフライの期待外れ感は甚だしかった。しかしこれは悪口に該当するから、店の名前は伏せたままにしておく。

 

 もう1軒、唐津には大好きな店があって、こちらはウナギの老舗「竹屋」である。3年前だったか、大きな台風が九州を襲って、唐津の川も茶色く濁っていた。

 

 しかし諸君、ウナギを食べる日というのは、少し蒸し暑くて川が濁っているぐらいのほうがいい。クーラーのよく効いた2階の広い座敷を占領して、老舗のうな重を満喫したのである。

      (唐津くんち「酒呑童子」の勇姿)

 

 そういう思い出のギュッと詰まった唐津であるが、201811月2日の唐津をあえて訪れたのは、我が獰猛な食欲が理由なのではない。「どうしても唐津くんちの宵山を見てみたい」という一念からである。

 

 唐津くんちの曳山は、我がふるさと秋田市土崎港の曳山祭りと一緒に世界文化遺産にも登録された。長い歴史のある祭りである。合計14台の曳山が11月2日の夜の街を駆け抜ける。立冬まぢかの唐津の夜は肌寒い。山車を引っ張って走り回っても、汗まみれになることはない。

 

 男たちは、一升瓶の日本酒を豪快に回し飲みしながら山車を引く。「えんやー」「えんやー」「えんやー」。または「よいさー」「よいさー」「よいさー」。京都のお祭りみたいに、どこまでも優雅に進む山やホコとは違う。熱い男たちが湧き上がるエネルギーを抑えきれずに、唐津の街を疾走するのである。

      (唐津くんち、酒呑童子の揃いのハッピ)

 

 山車は「乾漆づくり」。詳しくは、ググってくんろ。泥で型をとり、その上に和紙を200枚近く貼りつけ、和紙の上から漆を塗る。完成前に、型の泥を取り除く。夜の照明に照らし出された漆の光沢は、マコトに深い味わいがある。

 

 山車の題材は、さまざま。赤獅子・青獅子・黄金の獅子頭・シャチ・飛龍。武田信玄の兜、上杉謙信の兜・源義経の兜。酒呑童子の首がガブリと噛みついた兜もある。さすが唐津は海の街だから、七宝丸とか鳳凰丸とか、大型の船形の山車も混じる。

 

 男たちの揃いのハッピもまた豪快である。酒呑童子の山車を引く男たちのハッピには、洗面器みたいな大盃から酒を貪る酒呑童子の、マコトに恐ろしげな顔が描かれている。何のことはない、お酒を飲んでいる時の今井君とそっくりだ。

     (唐津くんち「鳳凰丸」の勇姿)

 

 中でもワタクシが気に入ったのは、大っきな目玉の鯛の山車である。山車に乗った男たちが、鯛を大きく上下に揺すりながら進む。夜の大海を勇壮に泳ぎ回る赤い鯛の姿は、いやはやマコトにおめでたい。沿道からも「えんやー」「えんやー」の声がかかり、山車はますます加速していく。

 

 唐津は、あまり宿泊施設の多い町ではないが、町の東の端、松浦川の橋をわたった所に「旧・唐津ロイヤルホテル」がある。最近になって経営も名称も変わったらしいが、タクシーの運転手さんには「ロイヤルホテル」のほうが通じやすい。

 

 まさかと思ったが、お祭りの当日になって一部屋だけ空室ができて、すばしこい今井君はすぐにこの和室をゲット。22時の最終電車で福岡に帰らなければならない行程が、深夜まで唐津をウロウロできる余裕の行程に変わった。

 

 おなじみ、今井君をダメにする「余裕」と「ゆとり」がここで発生したわけであるが、こうなるとサトイモの行動には歯止めがきかない。ホテルロビーの無料「祝い酒」をグイッと飲み干して、祭りの夜の唐津の町に繰り出した。

(22時すぎ、唐津神社前に14台の山車が勢ぞろいする。ここでもやっぱり鯛君が人気のようだ)

 

 最初に目にしたのは、「青獅子」である。向こうの通りに「えいやー」「えいやー」の声がコダマしたかと思うと、驚くほどの高速で青い獅子頭が駆け抜けて行った。いやはや余りに速い。ワタクシが自慢の快足を飛ばしても、なかなか追いつけるようなスピードではない。

 

 そこで一計を案じたワタクシは、「定点観測」という手に出た。全ての山車が通過する路上に1点を定めて、お地蔵さんみたいにじっと動かずに14台、全ての山車の通過を大人しく受動的に待ち受けよう。日本の祭り見物では完全に常識と化した、スーパー受動的・超パッシブ戦略である。

 

 その場合、最高のロケーションは「うなぎの竹屋」前。懐かしいうなぎ屋の2階には、旨いうなぎを食しながらこの受動作戦に転じた地元の人々が多数陣取っている。

 

 こうして武田信玄・上杉謙信・源義経、いくつかの兜を見送ったが、なかなか鯛にめぐりあえない。大人しく山車7台を見物したあと、我慢の足りない今井君は早くも受動作戦を捨て、「鯛くーん♡」「鯛くーん♡」と呟きながら唐津の町を彷徨し始めた。

   (鯛の山車の後ろについて、唐津の町を練り歩く)

 

 そしてついに、竹屋の裏の通りで「えんやー」「えんやー」の掛け声に遭遇。それがまさに探し求めてきた真っ赤な鯛君だったのである。男たちのハッピにも「鯛」「鯛」「鯛」の文字が揃う。同じ漢字がこれだけ勢揃いすると、その迫力はタダゴトではない。

 

 ここでワタクシは、超アクティブ戦略に転じたのである。鯛の山車の後について、駆け回る山車とともに夜の唐津の町を疾走する。走り始めたのは20時ごろ。唐津神社に14台の山車が勢ぞろいし、宵山が終了したのは22時だった。

 

 すると諸君、鯛の後ろにくっついて今井が疾走した時間は、おそらく2時間弱に及ぶ。仕事帰りのスーツ&革靴で2時間も疾走したというのだから、こりゃ凄まじい運動量だ。だれか山車の若者に頼んで、「鯛」のハッピを貸して欲しいぐらいだった。

 

 22時、祭りの余韻を満喫しながら、ロイヤルホテルまで30分、夜風に吹かれて徒歩で帰還した。さすがに11月の夜10時過ぎ、玄界灘から吹きつける北風は冷たい。ホテルに入る前に、温かい日本酒とホカホカの中華まんを購入。久々の和室で深夜まで、唐津くんちの感激を噛みしめつづけたのであった。

 

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