Tue 181106 半月ぶりの仕事/塾の街・町田/沖縄県浦添の大盛況 3748回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 181106 半月ぶりの仕事/塾の街・町田/沖縄県浦添の大盛況 3748回

 ホントに久しぶりのお仕事で、11月1日、ワタクシは沖縄の那覇にいた。仕事の記憶は1014日に遡る。おお、半月も仕事から遠ざかっていた。半月前の仕事は東京都町田市だった。

 

 町田の駅前に立つと、おそらく誰でも茫然とする。町田は、塾の町。小田急線駅前の踏切に立つと、目に飛び込んでくる看板の80%は塾&予備校のもの。残る20%は、ファストフードと居酒屋であって、町がほぼ塾に占領された感がある。

     (11月1日、沖縄県浦添の大盛況 1)

 

 もちろんその状況を批判する権利も義務もワタクシにはない。むしろその「お先棒を担いだ」というか、正確には前の棒も後ろの棒も全て今井君が担いで、この町をこんなアリサマにしてしまったと言っても過言ではない。

 

 きっとチコちゃんには叱られずに済みそうだが、朝日新聞には間違いなく叱られる。「ボーッと生きている」という実感は一切ナシだが、あんまり予備校の授業に全力を尽くしすぎて、町も村も国も、公教育より塾の教育のほうを重視するようになっちゃった。

 

 1014日、町田の駅前での仕事は、保護者対象の講演会であった。出席者は約120名。いや、半月前のことだから記憶に正確さを欠くけれども、140名だったか150名だったか、日曜日の午前11時とは信じがたいほど、たくさんの保護者が集まってくれた。

      (10月14日、東京都町田の大盛況)

 

 40歳代の保護者も多い。今井君が最初に河合塾で担当したのは、1991年の池袋校と(今はなき)千駄ヶ谷校・松戸校・千葉校である。1991年に18歳だったママ&パパは、今や40歳代の半ばに達している。「先生、お久しぶりです」と挨拶されても、ちっとも不思議ではない。

 

 6年にわたって「超人気講師」を務めた駿台予備校の生徒だって、とっくに40歳代に突入している。そろそろ「保護者」という資格で今井の講演会に出席し始めていらっしゃる。「お茶の水の本部校舎でお世話になりました」。いつそんな言葉をかけられてもおかしくないのである。

(沖縄・那覇空港に到着、まずはお蕎麦をすする。お蕎麦には、天ぷらとお稲荷さん2個がついてくる)

 

 というか、もしもチャンスがあれば、是非とも声をかけていただきたい。いやはや、人間と言ふものはいつまでたっても未熟なものであるが、30年も前の自分の授業を思い出してみると、その余りの未熟さ&お粗末さに鳥肌が立つ。

 

 よくもあの程度の英語力で、平気で教壇に立っていた。よくもあの程度の知識で、連日の大喝采を浴びていた。よくもあんなレベルの雑談で大爆笑を要求していた。今思へば、あんな恥ずかしい時代はないのである。

 

 だからこそあの当時の生徒諸君と、一度じっくり話し合ってみたい。要するにジャレあっていただけなのかもしれない。当時の授業がどれほどお粗末だったか、雑談のレベルがどんなに低かったか、それなのにどうして彼ら彼女らがあんなに夢中になってくれたのか。酒でも飲みながら、楽しく語り合いたいと思うのだ。

     (11月1日、沖縄県浦添の大盛況 2)

 

 さて11月1日夕刻の今井君は、いよいよ秋冬シリーズのクライマックスを迎え、タクシーで会場の浦添市に向かっていた。宿泊していたのは那覇国際通り至近のハイアットリージェンシーホテル。中国からの皆さまでパンパンの満員であって、エレベーターの中はほぼ中国語に占拠されていた。

 

 浦添と書いて「うらそえ」と読む。あくまで「そえ」であって「ぞえ」と濁ることはない。「うらぞえ」ではないぞえ。その種のダジャレを言っても全く恥ずかしくないあたり、やっぱり今井君が人間として男としてサトイモとして、ヌルッと大きく成長したアカシと言っていい♡

(沖縄県浦添、沖縄料理と泡盛で祝勝会も大いに盛り上がった)

 

 浦添は、那覇のベッドタウンとして急成長の真っただ中である。那覇空港から那覇市内まで通じているモノレールは沖縄県でただ一つの鉄道であるが、そのモノレールが浦添まで延伸する計画になっている。

 

 会場は、国立おきなわ劇場の真向かいにある「結いの町」。そう言えばつい最近まで日本の政界に「結いの党」というマコトに短命な政党があった。政党ホッピングに余念のないギインさんたちの拠り所にもなっていたが、誰も知らないうちに雲散霧消した。

 

 それに対して諸君、今日もまた今井君の勢いは万全だ。雲散霧消どころか、日々たゆまず前進し、時とともに確実に勢力を拡大し、いやはや地中のサトイモよろしくぐんぐん大きく成長して、サトイモからヤツガシラへ、巨大化の一途を辿っている。

 

 だから浦添でも、その出席者数に驚くのである。浦添と東風平(こちんだ)の2校舎合同で、出席者は220人を超えた。デスクと椅子の「スクール形式」では足りなくなって、会場後方は椅子だけを並べた「シアター形式」になっちゃった。

(翌日は何故か福岡へ。福岡空港でフィレステーキを満喫する。詳細は明日)

 

 終了後、会場から徒歩10分の居酒屋で盛大な祝勝会。徒歩10分のところをクルマに乗って1分半、看板にも提灯にも「みぃーかじー」とあって、出てくる酒も料理もスーパー沖縄系。今井君は大好物のゴーヤチャンプルーと豆腐餻をサカナに、ひたすら泡盛のグラスを重ねた。

 

 諸君、「豆腐餻」と書いて「トウフヨウ」と発音する。沖縄の島豆腐を、数種の麹と泡盛に漬けて発酵させるのである。豆腐原料のチーズと思えばいい。

 

 いやはや、今井君は自分でも「ちょっとおかしんじゃないかね?」と怖くなるほどのチーズファンである。今年も実に様々なチーズを堪能した。

 

 フランスの北西部サンマロの海岸では、西芳寺のスギゴケやヒノキゴケに負けないほどフサフサにカビが生えたブルーチーズをサクッと一口で噛み砕いた。みんなが顔をしかめるほどニオイのきついヤギのチーズでも、むしゃむしゃ意地汚くナンボでも貪った。

 

 今年2度にわたって長期滞在したシルミオーネでもミラノでも、「チーズ盛り合わせ」の1皿だけで濃厚な赤ワイン1本を連日飲み干していた今井君だ。豪華な食材を山と積んでいただく必要は皆無なのである。

(フィレステーキだけでは足りない今井君は、ハンバーグとエビフライを追加で注文する。詳細は明日)

 

 だから諸君、懇親会・お食事会・祝勝会、何と名付けても構わないが、公開授業後の今井君には気をつかっていただかなくていい。チーズなり豆腐餻なり、ナッツとかビーフジャーキーとか、その類いのものをポイっと与えておけば、あとは勝手にナンボでも酒を飲んで、マコトに機嫌よく泥酔する。

 

 浦添のスタッフの皆様とは、1年に1回ずつこうして飲み会に同席して、すでに10年を超える。すっかり親しくなって、その辺の呼吸もお互いよく心得ている。「飲み会の席での今井センセは、あまりたくさん食べない」であって、チャンプルーと豆腐餻があればそれで十分なのだ。

 

 ただし、苦すぎるゴーヤチャンプルーはいかん。東京の沖縄料理店は、どうもソコントコロが分かっていらっしゃらない。ゴーヤの内部の白いワタを取り除かないと、顔が曲がるほど苦くなっちゃう。ワタを除去して、初めてチャンプルーとして成立するのだ。もう少し勉強したほうがいいんじゃないかいな。

(咲いた&咲いた、エビフライの花が。並んだ&並んだ、真っ赤なシッポ。詳細は明日)

 

 泡盛の4合瓶が4本、約2時間で簡単にカラッポになっちゃった。さすが沖縄のスタッフ、泡盛さえ飲み始めたら、その盛り上がりは今井の最も愛するレベルに急上昇する。ボクチンは、飲み会の席で難しい教育論なんかを交わすのは大キライだ。

 

 中には諸君、さっきまで飲んでいたビールのジョッキに、濃厚な泡盛をドボドボ注いで痛飲しているセンセもいらっしゃる。おお、沖縄だ、沖縄だ。あまりにも楽しい沖縄だ。沖縄はやっぱりこの陽気さが最高だ。

 

 かく言う今井君も大好きな「北谷長老」に酔いながら、沖縄の陽気なスタッフと近い再会を誓ったのである。2019年の3月? それとも6月か7月? 1年に1度と言わず、2度でも3度でもこの場所に来たい。熱くそう願いながら、沖縄の夜はずんずん更けていったのである。

 

1E(Cd) Karajan & BerlinerBACHMATTHÄUS-PASSION 3/3

2E(Cd) HarnoncourtBACHWEIHNACHTSORATORIUM 1/2

3E(Cd) HarnoncourtBACHWEIHNACHTSORATORIUM 2/2

4E(Cd) Eduardo EgüezTHE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.1

5E(Cd) BrendelBACHITALIENISCHES KONZERT

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