Sun 181104 更新を怠けた事情/無事に帰国(イタリアしみじみ28 最終回)3747回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 181104 更新を怠けた事情/無事に帰国(イタリアしみじみ28 最終回)3747回

 3日間も更新を怠けて、マコトに申し訳ない。別に「もうブログなんかヤメちゃッた」とか、そういう激烈な決意をしたわけでも何でもないのだ。ただ単に怠惰、要するに怠け者、日がな1日惰眠を貪ってばかりのミツユビナマケモノ、そういうサトイモに堕しただけなのだ。

 

「忙しすぎる」みたいな言い訳をする気はない。だって、ちっとも忙しくないのだ。11月1日の沖縄県浦添で公開授業があって、今井君は実に巧みに旅行スケジュールを組んだ。前日に沖縄入りして、いわゆる「前乗り」で沖縄をノシ歩いた。

 

 詳しくは後日ゆっくり語ることにするが、あんまり沖縄の美食を堪能したせいで、体重は目いっぱい増えた。たいへん福々しい今井、秋の山形の芋煮会にはぴったりのサトイモが出来あがった。諸君、よく肥えたサトイモを、この秋冬も大いに堪能してくれたまえ。

(9月11日、モンテ・ナポレオーネを散策する。いわゆる「ミラノちょい悪おやじ」のメッカである)

 

 沖縄を出たのは11月2日。普通なら素直&キマジメに東京に直帰するところだが、肥えたサトイモはそんなに簡単に帰らない。だって渋谷は、まだ面倒なハロウィーン狂騒の真っただ中だ。そんな騒々しい渋谷になんか、ワタクシは帰りたくない。

 

 そこで諸君、太り放題に太った今井君を乗せたヒコーキは、その重みに耐えながらビューンと福岡を目指したのである。「は?」「なんで福岡?」であるが、目的は福岡にあったのではない。福岡からバスで1時間、佐賀県♡唐津に向かえば、11月2日は世界文化遺産「唐津くんち」の宵山である。

 

 唐津くんちの詳報も、いずれこのブログに書きまくるとして、何しろ唐津くんちは我が故郷 → 秋田県土崎港の曳山祭りと一緒に世界遺産に登録されたチームメイトの1つ。今年は意地でも唐津くんちに参加したいサトイモ君なのであった。

 

 マコトに残念なことに、宿泊した唐津のホテルは「和室」。言語道断&空前絶後に肉体の硬いワタクシは、和室の畳の上ではPCを操作できない。2日も3日もブログ更新しない自らの怠惰に憮然としながら、月下独酌、唐津くんちに参加した感激をギュッと噛みしめて一夜が明けた。

(ペスキエラの店でアマローネを飲み干す。滞在17日で17本、最後のほうは少し飽きてしまって、投げやりな注文になった)

 

 こうして諸君、11月1日の沖縄浦添 → たった90分のお仕事に出かけた今井君が、ハロウィーン狂騒の静まった超晩秋の東京に帰還したのは11月3日の夕暮れである。羽田空港で「今井先生ですか?」の高2生2名に声をかけられて、ニヤニヤ挨拶を返すうちに、またまた簡単に一夜が明けた。

 

 すると今度は、「イスタンブールでネコがキャットウォーク」などという言語道断に楽しいニュースがテレビ画面に流れている。確かに諸君、モデルさんたちに混じって音楽のリズムに合わせ、1匹のネコどんが美しい人間女子を圧倒する熱演を見せている。

 

 これじゃワタクシが夢中にならないわけにはいかないじゃないか。2匹のネコと暮らして13年、なでしこが天国に旅立ってからはニャゴロワとすでに3年、合計16年もネコに夢中で暮らしてきた今井君だ。ネコがニュースの主役になったら、徹底的にPCをポチポチ、ネコ関連のニュースを眺めて、また1日が暮れた。

 (9月9日ペスキエラ、お堀に浮かぶレストランにて 1)

 

 こんなふうに生活していて、勤勉にブログ更新なんかが出来るはずはない。いや、もちろん妥協してスタイルを変え、メインの文章を3行か4行に削減、写真数枚にコメントをくっつけてお目にかけることならカンタンだ。

 

 しかし今井としては、そのスタイル変更を潔しとしない。すでに10年半、4000回近くにわたって軽妙かつ長大な文章がメイン、毎回必ず100行以上、A4版3枚以上、そういうスタイルで続けてきた。今さら紙芝居形式に変更するなら、いっそのことスカッとヤメちゃった方がいい。

 (9月9日ペスキエラ、お堀に浮かぶレストランにて 2)

 

 以上のような経過をたどって、3日連続お休みという状況になった次第である。しかも諸君、イスタンブールのネコに誘われてネットをポチポチやっていたら、「イタリア北東部を中心に暴風雨被害」の詳報に触れることになってしまった。

 

「イタリア北東部」と言へば、2018年の今井君がノコノコ、のべ5週間も歩き回ったまさにその場所だ。メディアの報道はヴェネツィアの高潮と大洪水ばかりであるが、オーストリア国境地域やジェノヴァ周辺地域でも、暴風と豪雨の被害が多数報告されている。

 

 ヴェネツィアの高潮は、最大で何と156cm。今井の身長が172cmであるから、そんな高潮に晒されたら、水面からたった16cmしか顔を出せないことになる。ホントにたいへんな被害になった。

 

 2018年5月は「イタリアすみずみ」15日間の旅。9月は「イタリアしみじみ」17日間の旅。合計32日を北イタリアで過ごして、その旅行記を今日の記事で締めくくる。そんな日に、これほどの自然災害を耳にすることになった。

 (9月9日リモーネ、ガルダ湖の淡水魚の酢漬けを堪能する)

 

 だからこそ、ワタクシは近い将来に再びイタリアを訪れたいのである。候補とするのは、

① 長年の懸案だったサルデーニャ島全域

② バーリやレッチェを中心とするプーリア地方

以上2つの地域である。

 

 プーリアは、イタリア近現代史の中で置き去りにされていた地方。イタリアのブーツのかかとのあたりであるが、中世から1000年にわたって北アフリカの海賊の攻撃にさらされ、長い長い苦難の時代を過ごしてきた。

 

 しかし諸君、キノコ形の石積みのオウチが立ち並ぶアルベロベッロの町は有名。古代からギリシャ航路の港として栄えたブリンディシや、マテーラにもオスティーニにも行かなきゃいけない。11世紀末、第1次十字軍で大活躍のボエモンド公もプーリアの出身だ。

 

 ボエモンドの勇姿は、東ローマ帝国の皇女にもすげー感銘を与えたらしい。彼女のボエモンド評を一度読んでみれば、正直な男子なら誰でも「こんな感懐を高貴な女子に居抱いてほしいものだ」と、頷くに違いない。

 

広い肩幅と、引きしまった肉体。瞳には高貴さと威厳。畏怖を感じさせながら、表現しがたい魅力が漂い、機知に富み、事情に通じ、言葉は断固として動かない。この男に優る資質の持ち主を探すなら、我が父である皇帝だけである」

(ミラノ、ミストサウナ付きのお部屋。5月と9月、合計19泊を堪能した)

 

 ボエモンドの甥、タンクレディもまた素晴らしい魅力に溢れている。「勇猛果敢・機知縦横・眉目秀麗な叔父と甥」だなんてのが目の前に出現してみたまえ。ワタクシもいちおう男子として自信タップリではあるが、そりゃ絶対にかなわない。プーリアはかつて、そういう男子諸君を生んだ。

 

 ならば、どうしても行かなきゃならない。2018年は、4月「フランスすみずみ」と、5月&9月の「イタリアすみずみ」「イタリアしみじみ」の1年だった。2019年は、ルーマニア・クロアチア・ブルガリアと南イタリア・プーリア州、そんな1年にしたいのである。

 

 そういうことを考えながら、9月12日午前、ミラノのウェスティンホテルをチェックアウトした。タクシーでマルペンサ空港まで1時間の道のりである。

 

 何しろ翌々日の夕刻にはもう仕事の予定があったから、意地でもスパッと日本に帰らなきゃいけない。マルペンサからパリまでヒコーキで1時間。アルプスをピョンと飛び越えてフランスに入った。

(シャルル・ド・ゴール空港内のホリデイイン。乗り継ぎ時間が長い時は、レストランで時間を潰すより安くつく)

 

 シャルル・ド・ゴール空港で7時間の待ち時間があったけれども、そこはそれ、旅慣れた今井君のことだ。空港内のホテルにチェックインしてゆっくり熱いシャワーを楽しみ、ついでにブログも1日分更新して東京ゆきの出発時間を待った。

 

 パリ発21時。羽田に到着、翌1315時。まさに強行軍であるが、諸君、ボエモンドやタンクレディのトルコ → シリア強行軍に比較すれば、これを強行軍と呼ぶことさえ気恥ずかしい。「何だ、要するに12時間、エコノミー席に座ってただけじゃないか」。まさにその通りのていたらくだったのである。

 

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