Wed 181017 カモメ水軍の敗退/おセンチなアオサギ君(イタリアしみじみ20) 3739回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 181017 カモメ水軍の敗退/おセンチなアオサギ君(イタリアしみじみ20) 3739回

 朝の時間の経過につれて、水辺の主役もかわっていくのである。朝5時、まだ暗いガルダ湖にも、たくさんの鳥の声が聞こえている。夜明け前の薄闇に目を凝らしてみると、鳴きかわしているのは白いカモメたちである。

 

 それからしばらくの間は、日の出の方向を中心に少しずつ変化していく空の色に注意を奪われて、鳥たちの鳴き声の変化に気がつかない。空の雲はピンクから明るいオレンジにかわり、やがて9月8日の眩しい太陽が昇って、湖の色も濃い群青に変化する。

 

 この時点から、水鳥の主役はカモメからカモどんたちに交代する。Mac君は「カモどん」の入力を「かも丼」と理解して、せっかく朝の湖の光景を美しく描写しようとするサトイモ君の努力を水の泡にするが、確かに諸君、ヨーロッパはジビエの季節だ。かも丼、日本人も多いに楽しみたまえ。

 

 ガルダ湖の湖面も、かも丼を思い切り貪ってもとても貪りきれない数のカモどんたちが泳ぎだして、湖水はすでにカモスープの様相を呈している。あれほど優勢だったカモメたちは、いつか遠い空に追いやられ、午前6時半、カモメの姿はもうほとんど見かけない。

     (9月8日、出発の日のシルミオーネ)

 

 見る者にとっては、これはたいへん意外な光景なのである。だって諸君、「獰猛さ」「貪欲さ」という点にかけては、眺めている限りカモよりカモメのほうが圧倒的に強烈だ。

 

 例えば諸君、映画「ファインディング・ニモ」をもう一度カモメに注目しながら眺めてみるといい。今井君の記憶の中のカモメたちは、とにかく目の前に存在する生物が自分のエサになりうるかどうか、そのこと以外に興味のない獰猛な鳥たちとして描かれていたはずだ。

 

 東京ディズニーランドにもカモメグッズがあるんだそうだから、もしかすると今井の記憶に誤りがあって、カモメはニモの冒険を助ける何らかの重大な任務を果たすのだったかもしれないが、ま、海でも湖でも実際のカモメというのは、その油断ない視線がいかにも恐ろしい。

 

 カモメって、要するに白いカラスみたいなもんなんじゃないの? むかしむかしの日本には「カモメの水兵さん」という童謡があって、その可愛らしさを過度に称揚したのであるが、だってやっぱり「水兵さん」、要するに海軍兵だ。作詞者もまた、その勇猛果敢さをもってカモメの特質と考えている。

(早朝6時、マリア様のお堂ではもうシスターがお祈りを始めていた)

 

 だから諸君、あのカモメ軍団が暢気なカモ丼たちなんかに易々と駆逐されるのを見て、今井君はやはり驚きを禁じ得ない。そもそもカモどんたちは、夜から早朝にかけていったいどこに行ってたんだろう。

 

 お船の陰や湖岸の暗がりで、のんべんだらりと惰眠を貪っている姿を、ワタクシはたくさん目撃したのである。ダラシなく丸々と太って、その太った背中に首を突っ込んで、ふと夢に驚いては丸い嘴でゲコゲコ&グワグワ、いやはや勇猛果敢のカケラも感じない。

 

 朝の太陽に照らされてポカポカ、夜のお水もやっとヌクヌク温まって来た頃になって、まだヨダレの糸でもひきそうなダラシない顔でプカプカ泳ぎ始めたカモ集団。こんな暢気な集団に、いくら多勢に無勢とはいえ、キチンと統制のとれたカモメ水軍が易々と駆逐されるとは諸君、摩訶不思議な事象と思わないかね。

(シルミオーネのアオサギ君。長い首を縮めて埠頭をわたる風の中にじっと佇んでいた)

 

 そういう湖畔に、異質な存在が2つ混じるのである。湖畔には大小さまざまなネコたちが自分の縄張りを主張し、朝の光の中をのそのそと進む。白系の猫はピンクやオレンジに染まり、黒系のネコは背中やお腹にくっついたゴミやホコリをキラキラ光らせながら、大アクビを繰り返す。

 

 異質な存在の2つ目は、単独行動のサギたちである。早朝はシラサギがカモメたちに混じって悠々とエサをあさっていたし、夜明けからある程度時間が経過したころには、1羽の大きなアオサギどんが佇み、埠頭をわたる風に吹かれながらアンニュイな視線で沖を見つめていた。

 

 となれば諸君、松任谷由実どんの「菊池寛賞」受賞について、触れておくしかないじゃないか。ワタクシは菊池寛賞と言ふものの存在も知らなかったが、いやはや、マコトに素晴らしい。

    (9月8日、シルミオーネの船着場付近で)

 

 今頃は、卒業写真も翳りゆく部屋も、ひこうき雲もルージュの伝言、みんな埠頭をわたる風に吹かれながら栄光の1980年代を思い起こしているにちがいない。

 

 中でも1016日付の朝日新聞「天声人語」、おやおや普段の激烈かつ執拗な政権批判もみんな忘れて、すっかりオセンチになっちゃった。新聞コラムの後半に「恋」の文字が3連発だか4連発だか、こりゃまたマコトに激烈かつ執拗。ワタクシは驚き入りました。

 

 これをまた日本全国の朝日新聞ファンが「天声人語書き写し」でそっくりそのまま書き写すんですかね。小学3年以来の愛読者であるワタクシといたしましても、こりゃまさに異次元の出来事。せっかくだからガルダ湖におけるアオサギ君の描写に、「ユーミン」なるものを転用させていただいた。

(いよいよ船でミラノに向かう直前、船着場前の「MODI」で今回ラストのアーリオオーリオを味わった)

 

 さて9月8日、10日に及んだシルミオーネ滞在を締めくくって、ミラノに移動する。ホテルは久しぶりに「朝食付き」で予約したが、実際に朝食をとったのは3日だけ。それも諸君、パンにジャムをうんとこさ挟み込んだ自己流ジャムパンとか、濃厚ピーチネクター痛飲とか、ロクな食べ方をしなかった。

 

 せめて最終日ぐらい、アオサギ君を眺めてアンニュイな気分の浸りつつ、埠頭をわたる風を感じたいじゃないか。次々とテーブルに飛来する大きなハチ空軍を平たいパンやベーコンをひらひらさせて追い払いつつ、「次にシルミオーネに来るのはいつになるかいな」「またいつかはと心細し」とつぶやいてみた。

(シルミオーネからの船が、対岸のデセンツァーノに接近する)

 

 これほど気に入った湖の町だ。毎年の定番にして、5月は必ずシルミオーネとか、8月は意地でもガルダ湖とか、そういうふうに制度化しちゃってもいい。しかし諸君、そういうふうに決めてしまうと、次に待っているのは間違いなくマンネリ化だ。

 

 ここはやっぱり「またいつかはと心細し」ということにしておいたほうがいい。「10年後?」「15年後?」「次はいつになるか見当もつかない」。そういう別れのほうが、圧倒的に美しいじゃないか。

 

 しかも諸君、自分で言うのも何だが、他人の意表をつくことでは、今井君は決して他者にヒケをとらない。金足農業の2ランスクイズで意表をつかれた日本中の皆さま、ワタクシ里芋農業は、3ランスクイズに該当する超離れワザを、この日の直後に見事に達成してご覧に入れる。

 

 つまり「15年後?」「20年後?」と熱い涙を流して抱擁しあった2人が、翌日ばったり顔を合わせ、「おやおやあの別れは何だったんだ?」「興奮して損した」「泣いて損した」とニッコリ、そういうことだって十分にありうるわけである。

(帰って来た。デセンツァーノの町はもうすっかり秋であった)

 

 ま、どういう離れワザだったかはまた後日の記事で明記することにして、とりあえず9月8日午前11時、ワタクシはシルミオーネのコンチネンタルホテルをチェックアウトした。

 

 巨大スーツケースを引きずりながら船着場に向かうと、お馴染みになったレストランの従業員さんが、こちらに熱く手を振ってくれたりする。船着場前「MODI」で今回ラストの「アーリオオーリオ」を味わい、12時半のお船でシルミオーネを出発することになったのである。

 

1E(Cd) AZERBAIJAN Traditional Music

2E(Cd) Ibn BayaMUSICA ANDALUSI

3E(Cd) T.BeechamBERLIOZLES TROYENS 1/3

6D(DMv) ASYLUM

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