Sun 181007 映像授業を熱愛する/論点カードの出現を危惧する 3734回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 181007 映像授業を熱愛する/論点カードの出現を危惧する 3734回

 長野県松本での大盛況に感激し、生徒のみならず保護者の皆さんも大爆笑&大爆笑の連続だったことにますます感激を深め、「これなら日本もまだまだ大丈夫」とワケの分からないことをうそぶきながら、今井君は意気揚々と会場を引き上げた。

 

 こうなれば諸君、あとは「懇親会」「お食事会」「祝勝会」、何と呼んでも構わないが、要するに若いスタッフ諸君との楽しいウチアゲが待っている。会場は「信州まつもと 夜噺」、奇しくも当日ワタクシが宿泊していたホテルのお隣の蕎麦屋であった。 

 

 出席者は6名。平均年齢は35歳プラスαぐらいか。その「プラスα」は、今井君の年齢を出席者数6で割ると出てくる類いのもので、いやはや熱意溢れる若いスタッフ諸君との飲み会以上に楽しいものはない。

 

 一番若い男子は、今日の司会を務めてくれた人である。「むかし稲毛海岸校で今井先生の授業を受けてました」とおっしゃる。「授業を受けてました」じゃなくて、「授業でウケてました」のほうがおそらく正確なのである。

 

 いやはや稲毛海岸校、東進移籍以来13年連続して公開授業をしてきた甲斐があった。雑居ビルの6階だったか7階だったか、真上の階が「佐々木ゼミ」、真下の階が「セントラルスポーツクラブ」、1階はファミリーレストラン、なかなか集中しにくい環境なのである。

(基礎をグイグイ詰め込むのはすげー楽しい 世田谷・鍋焼きうどん編)

 

 今井君が講師を務めてきたかつての3大予備校は、ターミナル駅の駅前に巨大戦艦校舎をズラリと並べる業態を常識としていた。合言葉には「一流の講師陣」「親身の指導」とともに、「立派な設備」という一言が並んだ。マスコミの人々が「マスプロ教育」と呼んで批判し続けた業態である。

 

「一方通行じゃいけません」

「ボンヤリ聞いているだけじゃ、ホントの学力はつきません」

「記憶だけとか、知識偏重じゃダメなんです」

マスメディアはすでに100年近く、同じ批判を同じ論調で繰り返し、オペラグラスでもなければ黒板も見えない授業形態を批判し続けた。

 

 しかしどんなに批判されても、いわゆるマスプロ教育は繁栄を続けたのである。稲毛海岸駅前の雑居ビルが、大爆笑しながら今井の映像授業を熱心に受け続けている生徒諸君で溢れかえっているなどとは、メディアはなかなか伝えようとしない。

(基礎をグイグイ詰め込むのはすげー楽しい 新宿駅・駅弁編1)

 

 2020年の入試制度改革を控えて、新聞&雑誌の記者諸君はますます意気軒昂、マスプロ教育なり巨大戦艦校舎なりへの批判の矛先は、やがて我々が絶好調で続けてきた映像授業への批判というか非難に向けられつつあるように思われる。

 

 知識偏重や記憶偏重への批判が、どうして映像授業への非難につながるのか、そのへんはよく分からない。記事を書いている諸君は、「ホンモノの論理的思考力」が大好きらしく、「これからは記憶じゃダメなんです」「論理的思考力がはかられるようになります」と、理由もナシに断定する。

 

 そういう断定の姿勢にこそ、論理的思考力の欠如を如実に感じるのであるが、論理抜きの乱暴な断定ついでに、新聞&雑誌記者諸君が戦後70年書き続けてきたのとほぼ同じ、聞き飽きた非論理的な断定が続く。

 

「やっぱり、映像授業じゃいけません」

「やっぱり、先生とのキャッチボールが必要です」

「やっぱり、見てるだけじゃいけません」

「やっぱり、参加型の授業が必要です」

 

 今井君は、この「やっぱり」という副詞が大キライ。メンドーな論理も理屈も全てかなぐり捨てて、自分の好みを他者に押しつける強引な心理を如実に示す副詞なのだ。

 

 この類いの断定ないし横暴は、昭和のマスプロ予備校批判にも共通したし、21世紀の映像授業批判でも繰り返されつつある。しかしそれにも関わらず、おそらく我々の映像授業は繁栄し続けるのである。

 

 この種の非難はほとんどいつでも、授業のあまりお上手でない人々、どうしても人気の上がらない講師やら塾やら、その辺りから火の手が上がる。ついでに「少数精鋭」みたいなことを言って、自分の不人気をゴマかすのも同じ手法。精鋭でも何でもなくて、要するに「不人気で少数になっちゃった」だけのことである。

(基礎をグイグイ詰め込むのはすげー楽しい 新宿駅・駅弁編2)

 

 ワタクシはつねづね思うのであるが、「ホンモノの論理的思考力」なんぞという超高級なものを、中学&高校の合計たった6年で育成しようなんてのは、教育する側の横暴なんじゃないか。

 

 ボクらに出来るのはそんな高級なことではなくて、その科目への熱意なり愛情なりを育てることなんじゃないか。18歳の青年たちが「歴史が大好き」「英語が大好き」「数学が大好き」、そう言って瞳を輝かせながら大学の門をくぐっていく姿のほうを、優先すべきなんじゃないか。中等教育は、そういう基礎力の充実に邁進すべきなのだ。

 

 話をやたらミクロに持っていって、1人の「理想の18歳」を描こうとするから、「ホンモノの論理的思考力を身につけたキラキラ意識高い系」の青年たちを育てたくなってしまうのである。

 

 むしろ中等教育を論じる者に必要なのは、マクロな視点だと考える。国民の半分が大学教育を受ける状況の中で諸君、ホンモノの論理的思考力なんかを個々人に求めたりしたら、いやはや何とも暑苦しい意識高い系社会が出来てしまいはしないか。

 

 国民の50%以上がキラキラ人間、10年後20年後にはお隣さんも意識高い系、お向かいさんも4技能人間、町内会に集合した20人がみんな意識高い系、そんな暑苦しい国で生きていくのって、何だかツラくないですか?

  (松本の懇親会はこの店で。たのしゅーございました)

 

 今井君の理想は、18歳の段階で「日本史が大好き」「世界史って面白いな」「英語って、大爆笑できるんだよ」「高校の数学の先生がワタシの理想でした」と、みんなが優しく温かくニコニコしている国である。

 

 キラキラ系が大半を占めればマコトに蒸し暑く鬱陶しいが、ニコニコどんが多数派を占めれば、村も町も都道府県も国も、とても生きやすい楽しいものになるんじゃないか。

 

「穴埋め問題解答脳はやがて絶滅する」みたいな論調も目立つ。

「今までの教育は『フランス革命は(   )年に起こりました』のカッコ内に『1789』という数字を入れるだけの教育だった」

「しかしそんなのはAIでも出来る」

「これからは『フランス革命の経済的影響を論ぜよ』みたいな問題に変わります」

とおっしゃるのである。

 

 しかし諸君、その論調、まずAIのレベルに明らかな誤認がある。AIどんは遥かに賢いので、そのカッコ内に1789という数字を入れるなんてことは「むしろ人間にやらせちゃえ」とせせら笑い、「革命の経済的影響については」と専門の教授も顔負けの論戦を張る能力を持っている。

     (松本の地酒。おいしゅーございました)

 

 ついでに尋ねるが、「フランス革命は(  )年に起こりました」タイプのダラシない問題を、21世紀の世の中でいったいどこの大学が出題したと言うんだい?

 

 そんなの、高校入試でも中学入試でも、受験生諸君に最も軽蔑されるタイプの出題だ。もうとっくに恥ずかしくて誰も出題なんかしていない。事実誤認というより、意図的に議論を歪めているようにさえ見える。

 

 さらについでに、その類いの問題をいくら工夫しても、塾や予備校の側から必ずそれを「知識偏重」「暗記偏重」の方向性に持っていく戦術が登場する。例えば諸君、司法試験の場ですでに常識と化している「論点カード」がそれである。

 

「司法試験は、法律知識の多寡をはかるものではありません」

「条文なんか、六法全書を見ればいいことです」

「論理的なリーガルマインドが身についているかを見るんです」

その種のことを言って100年、司法試験の難問が毎年作成されてきた。

 

 しかしそこに「論点カードを丸暗記する」という戦術が登場した。30年前だったか40年前だったか、要するに「こう出たら、こう書け」「こう問われたら、こう口述せよ」というマコトに便利なカードが作成されて、リーガルマインドも何もかも置き去りになってしまった。

(むかしむかしの松本駅の表札。なつかしゅーございました)

 

 同様の論点カードが、大学入試にだってナンボでも登場するのである。いかにもライティング力やらスピーキング力やらが試されそうな自由英作文を例にとって考えてみたまえ。

 

「趣味と実益を兼ねた仕事について」

「女性総合職の割合を法律で定めることについて」

「喫煙を非合法とすることについて」

eスポーツをオリンピック種目にすることについて」

それらへの賛成意見か反対意見を「約100 wordsで書け」「2分で話せ」、そういう出題がいわゆる4技能試験で流行している。

 

 すると諸君、対策をとる塾の側としては、まず予想問題の作成があり、予想問題が作成されれば当然「論点カード」が出現し、必死で受験する側としては、メンドーな「ホンモノの論理的思考力」なんかより、論点カードの暗記のほうが有利になる。

 

 知識じゃいかん、暗記じゃダメだ、そう断定して頑張って問題を作成しても、今よりずっと暗記が有利になり、今よりずっと詰め込み優先になる。そういう結果が見えているような気がする。

(基礎をグイグイ詰め込むのはすげー楽しい 松本駅ビル・きのこそば編)

 

 ついでだからこれも書いておくが、「採点するサイドの疲弊」、これもまた深刻だ。模擬試験なら、採点するのは業者であって、オカネをもらった以上どんなにたいへんでも丁寧に採点するのは義務である。

 

 しかし実際の大学入試で採点にあたるのは、大学のセンセーたちである。ただでさえ学部学生の試験答案・レポート・卒業論文、1年中そういう大量の答案を採点して、「これじゃ自分の研究ができないよ」、すでに疲弊しきっていらっしゃる。

 

 そこへ、論点カードを丸暗記した受験生の相似形の答案が、1月下旬から3月上旬、一度に200枚も300枚もドバッと持ち込まれる。「明後日までに採点してください」。「フランス革命の経済的影響」を相似形で300枚、そのとき疲れ切った彼または彼女に、冷静で客観的で公平な採点を求めるのって、大丈夫なんですかね。

 

 まあ諸君、以上のようなことを寝言でブツブツつぶやきながら、松本リッチモンドホテルの夜は更けていった。というか、正確には夜明けが近づいてきた。

 

 だから今井君は、「英文法って、すげー楽しいな」「今井の授業で爆笑しているうちに英語が大好きになった」「学部に入ったら、どんどん海外を旅してきたいな」、そういう青年を映像授業を通じてこれからもバリバリ増やしたい。

 

 キラキラ君より、ニコニコどん。意識高い系より、優しさと熱意、笑顔と愛情。ワタクシが中等教育の理想と考えるのはそれである。こらえきれない大爆笑の連続する映像授業に、これからも全力で取り組む決意は変わらない。

 

1E(Cd) Sonny ClarkCOOL STRUTTIN’

2E(Cd) Kenny DorhamQUIET KENNY

3E(Cd) Shelly Manne & His FriendsMY FAIR LADY

6D(DMv) SAFE

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