Sun 180930 冬物語/ペスキエラへ/秋田犬のAKI(イタリアしみじみ15)3729回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Sun 180930 冬物語/ペスキエラへ/秋田犬のAKI(イタリアしみじみ15)3729回

 強烈な台風が接近して、東京も昨日からずっと雨。ヒコーキは飛ばず、新幹線は運転を取りやめ、在来線の電車もどんどん運転見合わせだ。文化祭は延期、体育祭も延期、いろんなライブも中止になり、福井で始まった国体も日程を変更した。

 

 外出できるような日じゃないから、こういう日はみんなで安全な場所に集まって、何か物語ごっこでもするしかない。「ブラタモリ」の主題歌は「テレビなんか見てないで、どこかに出かけよう」だけれども、テレビを消して一人ずつ短い物語を創作し、密かにクツクツ笑い合うのも悪くない。

 

 太宰治が自分でとても気に入っていた作品に「ろまん燈籠」がある。あんまり気に入っていたので、続編まで書いちゃった。兄弟姉妹5人で物語を連作していく話である。長男・長女・次兄・次女・末の弟、それぞれにクセの強い5人が、物語を書き継いでいく。

 

 テレビはどうせ同じようなバラエティとクイズ、あとはギョロ目をむいて美味を称え合う大政翼賛的グルメ番組ばかりだから、「テレビなんか見てないで」はいいことだが、だからと言って「どこかに出かけよう」というお天気からは程遠い。今井君はホッコリ物語ごっこを推奨する。

  (ガルダ湖畔ペスキエラの町で、秋田犬のAKIと出会う)

 

 むかしむかしのヨーロッパには、厳しい寒さの続く冬の夜は、やっぱり物語ごっこをする習慣があった。もちろん「ろまん燈籠」みたいに「連作」となると自信のない人もいるだろうから、そこはさすがにオバーチャンとかオジーチャンの出番である。

 

 何も北欧まで行かなくても、ドイツでもイギリスでも、オランダでもベルギーでも、1月の寒さは我々の想像を絶するものがある。「ローマの緯度が札幌と同じです」と小5の時に図鑑で読んで以来、幼い今井君はジーチャンやバーチャンの冬物語を暖炉の前で聞く雪の夜に憧れ続けた。

 

 やっぱり、シナモンのカホリの焼きリンゴがいい。熱いスープにパンを浸しながら食べるのもいい。和風のお団子だっていい。バーチャンが鼻メガネをあげながらゆっくり語る物語、酒臭いジーチャンがウィスキーのグラス片手に孫に語る恐ろしい夜ばなし、どうしてもそれを体験したかった。

     (ガルダ湖畔、ペスキエラ風景 1)

 

 シェイクスピアの名作に「冬物語」というタイトルのロマンス劇がある。1610年、シェイクスピア晩年の作であるが、舞台はシチリア。吹雪の夜に語る南イタリアの島の物語であって、南欧への憧れがつのるのは、やっぱりドアの隙間から吹雪が吹き込む夜なのである。

 

 サッポロビール、冬限定の「冬物語」の発売は1988年。それ以来「冬物語」という訳が定着してしまったが、それ以前は坪内逍遥が1918年に訳した「冬の夜ばなし」が定番だった。今からちょうど100年前のその本を、今井君は母方の伯父の書棚からもらいうけた。今もワタクシの書棚に存在する。

 

 1967年には、「冬の夜語り」というタイトルで福原麟太郎の翻訳が出た。大好きな作品だから、それも読んだ。ワタクシが東京で初めて見た芝居も、シェイクスピア・シアターの「冬物語」。渋谷公園通りの伝説の小劇場「ジャンジャン」で、衣装なし、20世紀の普段着のままの芝居が新鮮だった。

 

 その時に端役で出ていたのが石橋運昇である。「端役」と言っては失礼になる。当時の石橋運昇は劇団のホープであって、エネルギッシュな若者の役はほぼ彼と決まっていた。後に石塚運昇と改名し、声優として大活躍なさったようである。2018年8月13日、死去。冥福をお祈りする。

     (ガルダ湖畔、ペスキエラ風景 2)

 

 というわけで、台風の日の朝、今井君はいわば暖炉の前の酔っ払ったジーチャンとして、ウィスキーかラム酒を片手にまとまりのつかない物語でもしたいのである。しかしこのジーチャン、テキトーにフィクションをでっち上げる能力に欠けている。

 

 するとこの里芋ジーチャンにできることは、自らの旅の物語ぐらいなのである。ちょうどよかった、8月下旬から9月中旬にかけての「イタリアしみじみ」の話が、中途半端なところで投げ出したままになっておった。

 

 旅は10日目、オーストリア国境の町シルミオーネへの滞在はすでに8日目。あと2日でガルダ湖畔を去り、ミラノに移動する。まだまだガルダ湖畔が恋しいから、ミラノになんか行きたくない。そう思って、名残惜しさに涙がにじむような気持ちの1日だった。

 

 さすがに毎日お船に乗っての長旅が続き、そろそろ船に飽きてきた。8日目はバスに乗って細長い半島を南下、ペスキエラの町を散策してこようと思い立った。

     (ガルダ湖畔、ペスキエラ風景 3)

 

 むかしはこんな行き当たりばったりの旅はしなかった。旅立つ前にしっかりスミズミまで計画を立てて、旅先の小旅行まで、時間刻み&分刻みの計画に基づいて整然と行動したものである。

 

 しかしこんなベテランになると、その日の行動はその日になってから決める。時には朝まで計画が決まらない。そういう時は朝食のテーブルで寄ってくるミツバチさんたちを払いのけながら、ゆっくり決めるのである。

 

 それでも決まらなければ、朝食後にお風呂に浸かりながら決める。まだ決まらなければ、カフェに座ってビールを飲みながら考える。それでもまだ決まらなければ、ランチにロゼワインを注文しながら思案に暮れる。それでもまだ決まらないことがある。それなら丸1日、何にもしないでいることにすればいい。

(昼から濃い赤ワインは遠慮。冷たいロゼワインにしておいた)

 

「ペスキエラに行ってこよう」という決心は、すでにお昼に近かった。ペスキエラには、3ヶ月前の「イタリアすみずみ」の時に2時間ほど立ち寄った。函館五稜郭そっくりの多角形のお城があって、そのお堀端に並んだ数軒のレストランの風景がのどかで素晴らしかった。

 

 もちろん3ヶ月前だって、マコトに行き当たりばったりの訪問だった。冷たい雨の1日、何にもすることがなくて、ミラノから電車で1時間のデセンツァーノの町に散策に出た。ランチのあと、やっぱりやることがなくて、そこからさらに各駅の電車で10分、ペスキエラの町に足を伸ばした。

 

「いつかゆっくりペスキエラの町に来て、お堀端のレストランでメシでも食えたらいいな」と考えた。あれからまだたった3ヶ月しか経過していない。こんなに早く実現するなんて、我ながら驚きだ。現実にイタリア在住の人間だって、こんな早業は難しいんじゃないか。

   (お船の上の店の風景。水鳥がたくさん寄ってくる)

 

 シルミオーネからペスキエラまで、お船も出ているけれども、今日はどうしてもバスで行きたい。半島の付け根の町まで10分、そこで乗り換えてさらに15分。乗り換えが面倒だけれども、湖を左の車窓に眺めつつ、まずは快適なバス旅である。

 

 3ヶ月前に「あそこで食べてみたいな」と思ったのは、お堀に船をゆらゆら浮かべた店である。カモやら白鳥やらカモもどきが、楽しげに船の周囲を泳ぎ回る。船には白い屋根をかけてあるから、夏の直射日光は避けられる。

 

 冷たいビールの後で注文したのは、

①「ROSESROSES」という名のロゼワイン

② 1皿目として「フジッリ」。ワタクシが密かに「ネジッリ」と呼んでいるパスタである。クリームソースがイヤになるほどよく絡む

③ 2皿目として、シーバス。珍しく、今日はお魚を食べてみることにした。

 (大好物のフジッリ。普段は「ネジッリ」と呼んでいる)

 

 旨かったか否かは、ここには書かないことにする。特に諸君、普段おいしいお魚を食べ慣れている日本人は、欧米のレストランでお魚を注文するのは慎重にしたほうがいい。

 

 ただし、そういうことを書いたからと言って、別に「マズかった」と言っているのではない。その証拠に、ここからしばらくの間のサトイモ君は、魚&魚の食生活に入った。前日リモーネで食した酢漬け淡水魚の山盛り以来、今井に魚ブームがやってきた。

     (シーバス。おいしゅーございました)

 

 思いかげず秋田犬に出会ったのは、この楽しいランチの直後である。バスを乗り継ぐ町に戻ってきて、向こうからやってくるイタリア人カップルの連れている犬が、どう考えても我が懐かしいふるさと秋田の犬なのであった。

 

「AKITAINUだから、名前はAKI。6歳です」と、マコトに自慢げにおっしゃる。プーチン氏やザギトワどんもAKITAINUに夢中でいらっしゃるようだが、イタリアのこんな田舎町でアキタイヌにデロデロ酔っ払っている人々とバッタリ遭遇するとは、予想もしなかった。

 

1E(Cd) Surface2nd WAVE

2E(Cd) Enrico Pieranunzi TrioTHE CHANT OF TIME

3E(Cd) Quincy JonesSOUNDS … AND STUFF LIKE THAT!!

4E(Cd) Courtney PineBACK IN THE DAY

5E(Cd) Dieter ReichMANIC-“ORGANIC”

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