Wed 180919 さすがに疲労困憊/福岡の大盛況/九州芸工大のこと 3722回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 180919 さすがに疲労困憊/福岡の大盛況/九州芸工大のこと 3722回

 さすがのワタクシもヘトヘトだ。8月下旬から9月中旬までずっとミラノやシルミオーネで遊び回っていて、滞在17日で17本の赤ワインを空っぽにしたのが原因かもしれない。

 

 帰国後すぐに福岡へ飛び、915日、2ヶ月ぶりの公開授業を実施。翌日16日、福岡から帰って真っ直ぐ銀座に向かい、思い切って仕事用の新しいドクターズバッグを手に入れた。17日夕刻からは富山で公開授業。18日、富山から帰京したのは、もう17時を過ぎていた。

(ヴァン・ダイク・パークスの名盤「ソングサイクル」。今もレコードを所有している 1)

 

「今井に時差ボケなし」ではあるのだが、例え時差ボケはなくとも、やっぱりまだ鉄人の域に達していない。肝臓も疲労するし、筋肉も骨も皮膚も疲労する。特に苦手なのはお買い物であって、カバン1つ購入するのに、我が精神はクタクタに疲れ切った。

 

 だから諸君、昨日はもうブログを更新する心の余裕もなし。連日のワインで胃袋も小腸もカンゾーも疲れ気味であって、サトイモ君はそのまま19日午前10時まで泥のように眠った。眠りに眠って心と肉体をギュッと回復させ、いよいよ本格化する秋冬シリーズに備えたわけである。

(9月15日、元の「九州芸術工科大学」で高1&2向けの公開授業。現在は九州大学の一部になっている)

 

 15日、福岡での公開授業は、18時開始、出席者は高1高2生とその保護者、合計152名。福岡市南部の優秀な高校生を中心に、今井の新講座「E組」と伝説の「C組」を、全員が必ず受講することを目標にしている校舎である。素晴らしい、全く素晴らしい。

 

 会場は九州大学・芸術工科学部。やっぱり大学の大教室は授業が最高にやりやすい。どんなにデジタルな世の中になっても、授業はどこまでも大きな黒板での板書が基礎基本だ。「E組」第1講のサワリを中心に90分、縦横無尽に語り尽くしたのである。

 

 今は九州大学の1学部になってしまったが、かつてここは「九州芸術工科大学」として独立した国立の単科大学だった。略して「九州ゲーコーダイ」。別に「九州」をくっつけなくても、我々の世代では「ゲーコーダイ」で話が通じた。

 

 1968年開校、2003年に九州大学と統合した。英語名「Kyushu Institute of Design」。思えば短い歴史だったけれども、若き日の今井君にとっては、ゲーコーダイ、マコトに思い出深いネーミングである。

(元・九州芸工大のキャンパス。落ち着いたいい雰囲気だった)
 

 秋田高校3年の頃、若き今井君はガチ国立理系のクラスに所属。医者の息子や大学教授の息子が集うスーパーサイエンスなカホリのクラスであって、共学校なのに男子のみ → 約45人のクラス、大半が医学部志望。「高校では理系クラスを選んだが、志望大学は東京大学♡文Ⅲ」という今井君は、完全に浮いた存在だった。

 

 ま、「変人」というか「気でも◯ったか?」というか、99.9%の高校生が高校での所属クラスと志望大学をセットで考える世の中で、今井君だけは「高校の授業と大学進学をセットで考える必要はないだろう」という意見だった。

 

「文系志望だからといって、数学も物理も化学も文系用にとどめる必要はない」

「数Ⅲも理科科目も全て理系の連中と一緒にやって、その上で東大文Ⅲに進みたい」

 

「文学部系の学生は、数学や理科がどれほど苦手かを自慢する傾向があるけれども、そんなの古臭すぎる」

「数学の出来ない文学部生なんて、カッコ悪いんじゃないか?」

 

 諸君、高校生時代の今井君は、そんな困ったヤツだったのである。絵も描けなきゃいけないし、ちょっとした小説ぐらいパッパと書きなぐって、世の中の大人をギョッとさせなきゃいけない。しかも理系クラスから文Ⅲを目指す。いやはや、ホントに困ったヤツだった。

  (高3当時、自らのオコヅカイで購入したレコードたち)

 

 高3の春、クラスの45人中30人ほどが「医学部志望」を口にした。その他のヤツらも、目指すは旧7帝大系の理学部か工学部志望。その中で思い切り「モチ、文学部志望」「とりあえず、東大文Ⅲかねえ」と公言した

 

 日曜日の模擬試験みたいなものも、全て拒絶した。「模試なんか受けてるヒマがあったら、古典文学大系ぐらいめくって過ごすべきなんじゃないか?」。いやはや、ホンマもんの困ったちゃんだったのだ。

 

 そんな状況の中、親しくなったのが教室で隣の席に並んでいたSである。ベースギターの名手で、軽音楽同好会に所属。いわゆる「ケーオン」であって、高校中のナンパな連中を率い、そこいら中で演奏会をやっていた。

 

 医学部志望が過半数の教室、ガチ理系な雰囲気のクラスで、だから今井とSの2名だけが浮き上がった存在になった。忘れもしない、前から2列目、右の壁からの3つの席が今井、4つ目の席がSだった。

(ヴァン・ダイク・パークスの名盤「ソングサイクル」。今もレコードを所有している 2)

 

 昭和の時代には「牛乳瓶の底みたい」と形容した分厚いレンズのメガネをかけ、ギターの類いを離さないS。「ゲーコー大が第1志望」と公言し、そんな大学名を聞いたこともないガチ国立理系な連中の驚きの視線を浴びていた。「文Ⅲとか言ってる今井よりはマシだけど」。まあそんなところである。

 

「持ってるレコード、とうとう100枚になっちゃったぜ」と嬉しげに報告してくれた。当時のレコードは高価であって、2800円が標準、3200円なんてのもあって、都会のオカネモチの息子なら別のこと、大きなレコード店が「全音」と「カワイ楽器」の2軒しかなかった秋田の田舎で、「100枚」は驚くべき数字だった。

 

 その100枚すべてを、「擦り切れるまで聴いた」という。当時はSも今井君もひたすらFMラジオにかじりつき、休日はほぼ1日中FMのトリコになるしか、音楽を聴きまくる方法がなかった。

  (福岡大盛況の後、若者3人と「博多肉道楽」を訪れる)

 

 高3までの今井君が自分で購入したレコードは、ホンの数枚だけ。バッハのブランデンブルグ協奏曲(コレギウムアウレウム)、同じバッハのイギリス組曲&フランス組曲(バックハウス)、ブラームス交響曲1番(ケンペ & ベルリン)。1ヶ月3000円のお小遣いじゃ、そのぐらいが限度だった。

 

「ゲーコーダイ」「ゲーコーダイ」、Sは最後まで九州芸工大を目指していたのである。夏休みにはビシッと物理を得意科目にしてきた。「物理計算問題の解き方」という小さな版の基本問題集にいつも取り組んでいて、「これ、いいぜ」「これ、いいぜ」と嬉しそうに呟いていた。

 

 彼が結局ゲーコーダイに合格したかどうか、最も大事な ソコんところが記憶にないのだが、Sが上京してくるたびに一緒に酒を飲むようになった。今井が下北沢に出入りしはじめたのも、夏休みにSと飲み歩いた頃からである。

 

 何枚か、どうしても聴いておくべきレコードを紹介してもらった。ミルトン・ナシメント、ヴァン・ダイク・パークス。ジャニス・ジョプリンやキング・クリムゾンもあったが、何と言っても好きになったのはヴァン・ダイク・パークス「ソング・サイクル」。今でもレコードはなくしていない。

    (深夜の「博多肉道楽」デザートを満喫する)

 

 おおそうだ、もっとずっと後になって、Sと渋谷のライブハウスに「あがた森魚」のライブを見に行ったことがあった。どうしてあがた森魚だったのかは記憶にないが、ライブ後に下北沢の小さな飲み屋に寄って、ミルトン・ナシメントについて夜明けまで語り合った。

 

 あまりに遥かな昔の記憶である。しかし諸君、いま初めてこうして実際に「九州芸術工科大学」に来てみると、当時のことが強烈に思い出されるのである。

 

「東大文Ⅲ志望だけれども、高3ではどうしても理系クラス」と意地を張っていたダメな今井君。「周囲の人は誰も知らない大学だけれども、やっぱり音楽をやりたいから九州ゲーコーダイ」と盛り上がっていたS。思えばマコトに素晴らしい高校生活であった。

 

1E(Cd) Lazarev & BolshoiKHACHATURIANORCHESTRAL WORKS

2E(Cd) SinopoliJarviPletnevRUSSIAN FAMOUS ORCHESTRAL WORKS

3E(Cd) Minin The State Moscow Chamber ChoirRUSSIAN FOLK SONGS

4E(Cd) SantanaAS YEARS GO BY

5E(Cd) Gregory HinesGREGORY HINES

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